135. 二年半ぶり 4/5 ― あの教育と本(隼人)


 菖蒲あやめさんと一加いちかさんを部屋に残し、勉強部屋に移動した。途中、あるものを取りに、黒羽くろは一護いちごくんの部屋に寄った。


 一護くんとしげるくんに席についてもらい、ホワイトボードの前に立った。黒羽に差し出された小冊子を受け取り、二人のほうに向けた。この小冊子は黒羽が菖浦さんから借りたものだ。


「一護くんはもう学びましたね? 茂くんは学びましたか? 男性と女性の体のこと」


「……母ちゃんにそんな感じの本、渡されたけど。読んでねー」


「なるほど。なら、ちょうどいいですね。私から少し話をさせてください。一護くんは二回目になってしまいますが、一緒に聞いてくださいね」


 一護くんの小冊子を、茂くんと一護くん、二人で見てもらった。ザックリと簡単に説明した。


「――と、まあ、こんな感じです。あとは、時間のあるときに、よく本を読んでください」


 茂くんと目を合わせた。


「お母さんからもらった本、ちゃんと読んでくださいね」


「わかっ……、わかりました」


「はい。では、次にこれです」


 黒羽に小冊子を返し、違う本を二冊受け取った。


「こういう本は見たことありますか? ふふっ。茂くん、興味津々ですねえ。さっきの本より、こっちの本ですか?」


 私が手にしているのは、『性的なアレコレ本』だ。


「は、はあ? どっちとかねーし。別に見るの初めてじゃねーし」


 茂くんは、少し顔を赤らめ、視線をそらした。


「そうなんですか?」


「学校の周りが、何もない木ばっかのとこだったから。たまに捨てられてたんだよ、そーゆーの。だから、学校のやつらと見たことある」


「そうだったんですねえ。一護くんは?」


「……見たことないです」


「そうですか。では、どうぞ。見てみてください」


 一護くんと茂くんに、一冊ずつ手渡した。本を眺める二人に、生理現象の話をした。朝起きたときに、パンツの中が大変な状態になっていることがあるかもしれないという話だ。

 反応から察するに、二人とも未体験のようだ。おねしょでも、病気でもない。先ほど説明したことが、眠っている間に起きることもある。あわてず対処するようにと教えた。


 実は、この話がしたかった。この話をしてほしいと黒羽に頼まれた。

 帰省するまでは、黒羽が自分で話をするつもりだったらしい。しかし、帰省してみると、一護くんは『黒羽さん』から『黒羽』と呼ぶようになっていて、生意気度が増していた。茂くんも話を聞いてくれるかどうかわからない。自分よりも、学習学校の先生である私からのほうが確実だろうと判断したのだそうだ。


(生意気だ、邪魔だ、言ってましたけど。なかなかどうして後輩思いじゃないですか)


 黒羽は一人での行為についての説明をしはじめた。「清潔な手で行うように」など、平然と語っている。二人の反応は対照的だ。一護くんは無反応、茂くんは口をパクパクさせ動揺している。


(懐かしいですね。黒羽のときも、私が真面目な話をしたあと、大地だいちさんが……。黒羽は冷ややかな目で大地さんのこと見てましたねえ)


(黒羽は、大地さんがだらしないおかげで、いろいろ知ることができましたけど。一護くんには大地さんにあたる人がいませんからねえ。学校に通っていれば、茂くんみたいに、友だちといろいろ見たり聞いたりする機会もありますけど)


(教えておいたほうが良さそうなことは教えましたし。あとは大丈夫でしょう。仲の良い友だちが、茂くんがいますしね)


「その本は、隼人はやとから二人へのプレゼントだそうです。良かったですね」


「違います。二人とも、その本は黒羽から二人へのプレゼントですよ」


「なっ! 隼人からですよ!」


「一護くん、茂くん。これは、この授業は、二人が体の変化に驚かないようにと、黒羽に頼まれたものなんですよ。小さいほうの本で説明した内容も、もちろん大事です。でも、今回、黒羽が教えたかったのは、私が最後にした話と、黒羽が先ほどしていた話なんです。知らずに、朝起きてパンツが濡れていたら困惑してしまうでしょう? もし、すでに知っていたとしても、知らないよりはいいだろうと、黒羽は考えたんですよ」


 茂くんが黒羽に顔を向けた。


「ただの変態じゃねーんだな」


「ふふ。そうですよ。黒羽は変態ですけど、ちゃんといいところもあるんです」


「変態じゃないです! その本ですけど……。私が買ったものではありません。大地に買ってもらいました。なので、苦情やお礼は大地に言ってください」


「大地さんが買ったんですか?」


「はい。この話をしたら、本買ってやるって。私からってことにしとくよう言われたんですけど……。隼人からのプレゼントにするって話だったのに、隼人が言っちゃったので。私も言っちゃいました」


「……中身、大丈夫なんですか?」


「大丈夫です。確認しましたから。ちゃんとピュアなやつですよ」


「ピュア?」茂くんは眉をひそめた。


「ピュアでしょう」


 黒羽は茂くんの正面に立ち、本をめくりながら、どこらへんがピュアなのかを説明しはじめた。


 ふと一護くんに目を向けた。本に視線を落とし、ずっと黙り込んでいる。


「随分と真剣に見てますね?」


 少しからかうように話しかけた。


「……はい」


 一護くんは顔を上げると、にこっと微笑んだ。


「……一護くん、具合が悪いんですか? 顔色が悪いですよ? 本の刺激が強すぎましたか? 見たくないなら、見なくていいんですよ?」


「大丈夫です。ただの写真ですから。ただの写真なんで」


「本当に大丈夫ですか?」


「はい。授業と本、ありがとうございます」


 一護くんは本を閉じると、その上に小冊子を置いた。


 この授業と本のこと、特に本のことは、大地さんを含めた五人の秘密とすることにした。勉強部屋の灯りを消し、解散した。


 一護くんと茂くんは、ベッドが二つある客間で一緒に眠るそうだ。私も客間を用意してもらっているが、もう少し黒羽と話をするために、黒羽の部屋に向かった。一時間ほど二人で雑談した。ほとんど菖蒲さんの話だった。




(さてと……。これで、昼食の下準備は完了ですね)


 手が空いたので、勉強部屋に向かった。ドアを開けると、茂くん一人だった。


「あれ? 寂しいですね?」


「一加はトイレ。ショウと一護は、ショウの部屋」


「一緒にいないんですか? 茂くんは……、勉強中ですか?」


「いつも一緒なわけじゃねーよ。俺は課題が終わってねーからやってるとこ。一加は見張り。ショウはコントロールの練習は終わったし。本でも読んでんじゃねーの? 一護はついてった」


「そうですか」


 菖蒲さんの部屋に行ってみることにした。


 ノックして待っていると、ドアがそーっと開いた。


「隼人! ご飯?」


 菖蒲さんは、にこっと微笑みながら、小さい声で言った。


「ふふっ。まだ早いですよ。時間ができたので様子を見に」


「そうなの? 入って、入って。あ、でも、静かにね。一護が眠ってるの」


 部屋に入れてもらった。一護くんはベッドの左側で眠っている。菖蒲さんとソファーに並んで腰かけた。テーブルの上に、本が置いてあった。


「今は、この本を読んでるんですか?」


「うん。この本ね、黒羽がくれたの。黒羽が読み終わったやつ。おもしろいよ」


「そうなんですね」


悠子ゆうこさん大丈夫かな? 今、黒羽と二人で仕事してるんだよね? 手伝いに行きたいけど……」


 菖蒲さんはチラリとベッドのほうを見た。


「大丈夫ですよ」


「だといいんだけど……。悠子さん、どうして黒羽だけダメなのかな?」


「どうしてでしょうねえ」


 そのことに関しては、私も不思議に思っている。どうしたら悠子さんと黒羽が仲良くなれるかを話し合っていると、「い……やだ……」とうなり声が聞こえてきた。菖蒲さんは、ハッとし、ベッドに向かった。


「一護、大丈夫だよ。大丈夫」


「うぅ……ん……」


「目、覚めた? もう起きる?」


「まだ眠い……。隣にいて……」


「わかった。ちょっと待ってて」


 菖蒲さんは、私のところに戻ってくると、困ったような顔で微笑んだ。


「隼人、ごめんね。えっと……、一護ね、なんていうか……、すっごく怖い夢見ちゃったみたいで。あんまり眠れなかったらしくて……」


「ちょうど、昼食の支度をするのに戻らないといけない時間ですね」


「……ありがとう、隼人。あと三十分くらいで起こす予定なんだけど。昼食の時間になっても食堂にいなかったら、私も眠っちゃってるかも。そのときは、起こしにきてね」


「ふふ。わかりました」


 菖浦さんの頭をなでながら、一護くんに視線だけ向けた。頭からタオルケットをかぶっているが、小さく丸まっていることは膨らみでわかる。


(一加さんと一護くんのこと、あまり詳しくは聞いてませんけど……。相当、環境が良くなった……のかもしれませんねえ)


 菖蒲さんの部屋から静かに出た。まだ少し早いが、昼食の支度をすることにした。

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