第3章 ③ 本邸 11歳、12歳

◆127. 悪ガキとショウブ


「どうぞよろしくお願いします」


 全員が玄関に集まる中、小夜さよが頭を下げた。小夜の隣には、小夜の手に頭を下げさせられている男の子がいる。小夜の一人息子のしげるだ。



 一ヶ月ほど前、火事があった。燃えてしまったのは、茂の通っていた学習学校だった。生徒数の少ない学校だった。建て直しはせず、取り壊すこととなった。廃校となってしまった。


 この学校に通っていた生徒たちは、他の学校に通うものと、自宅で自習するものとに分かれた。

 茂は生徒の中でゆいいつ自習を選んだ。諸事情により、通える学校はあるが、そうすることにした。


 そのことを知った父が、私や一加いちかたちと一緒に家庭教師から学んではどうか、と小夜に持ちかけた。費用は払ってもらう、たまに茂にも使用人の手伝いをしてもらう、ということで話がまとまった。


 先日、そのような説明を父から受けた。費用の話もだ。四人一緒に学ぶことになるが、茂の分の家庭教師代は小夜がきちんと支払うということを、伝えておきたかったのかもしれない。


 茂も一緒に学びはじめるのは、六月からに決まった。あと半月以上あるが、湖月こげつ家に慣れるのにちょうど良いだろうと、早めに通いはじめることになった。



 今日は、その初日だ。


 一通り挨拶が済むと、いつも家庭教師の時間に使用している部屋、私たちが『勉強部屋』と呼んでいる部屋に放り込まれた。あとは子ども同士仲良くやりなさい、と大人たちはそれぞれの仕事に散っていった。


(えっと、どうすれば……)


 しばらく沈黙が流れたが、一護いちごがそれを破ってくれた。


「ボクは一護と言います。漢字ではこう書きます」


 一護はホワイトボードに縦書きで名前を書いた。一護の次に茂が、続いて一加が説明し、最後に私も同じように《菖蒲》と書いた。


「アヤメって読みます。ショウブ、とも読めるんですよ」


「ふっ。ショウブ?」茂は鼻で笑った。


「そう。ショウブです」


 茂の反応にひっかかりを感じたが、とりあえず《菖蒲》と書いた右側に《あやめ》、左側に《しょうぶ》とふりがなを振った。


「お前にピッタリだな! ショウ、ブス!!」


「え?」茂に顔を向けた。


(ちょっと待って……)


「ショウ、ブス」茂は頭の後ろで手を組んでニヤニヤしている。


(茂くんは、ほっぺに絆創膏ばんそうこうを貼っていて、ヤンチャ坊主とか悪ガキ風だなって思ったけど……。まさか、まんまなの?)


 一加と一護に目を向けた。固まってしまっている。


 にこっと笑顔を作った。


「や、やだな、茂くんってば。女の子にそんなこと言っちゃ、ダメですよ」


「なんでだよ。ブスだから、ショウブス! お嬢様ってのは、性格もブスなんだろ!?」


(こ、この~、ク、クソ……ガ…………)


 心の中で悪態をつこうと思ったが、同レベルになってしまうと思い、最後の『キ』の一文字は我慢した。


 茂は「ブスブス」連呼している。


「お嬢様はブスじゃない!」

「そうだよ! お嬢様はかわいいよ!」


 ハッとした一加が叫ぶように言うと、一護も我に返り、一加に続いた。


(二人ともありがとう。嬉しいよ)


「はあ~? どう見てもブスだろうが!」


「も~、茂くんてば、アレですか? 気になる女の子はいじめたくなるタイプ? 私のこと、気になりますか?」


 そんなことはない、と大人しくなれば良いと思った。


「ブスの上に自意識過剰か」


(ダメだったか……)


「ブスじゃないもん」一加が泣きそうになっている。


「だいたいお前らなんで同じ髪型してんの?」


 茂は矛先を一加と一護に向けた。


「お前、なんで男のくせに髪がなげーの? 変なの! きめぇ」


「し、茂くん! 髪の長い男の人なんてたくさんいるでしょ!」


「はあ~? こんななげーの見たことねぇよ」


「私はあるよ!」


 一護の髪は胸くらいだ。隼人はやとはもっと長かった。


「そいつも変なんじゃねーの? きめぇ」


 今度は「きめぇ」と連呼している。


 一加は泣き出してしまった。一護は下を向いている。


「茂くん、ちょっと黙ろうか」


「うるせぇ、ブス」


 私と一護のことを交互に見ながら、「ブス、きめぇ」と連呼しはじめた。


「茂くん! ちょっと来て!」


 一護は下を向いたまま、顔を上げようとしない。泣いているのかもしれない。


「なんだよ、ブス」


「ブスでいいから、ちょっと黙って。一緒に来てよ」


 茂には、一度部屋から出てもらおうと思った。出た先のことは考えていなかったが、とにかく二人から引き離したかった。


「やだね。ブス、きめぇ、ブス、きめぇ」


 無理やり部屋から出すしかないと思い、茂の腕を掴んで引っ張った。


 茂は私の手を振り払った。両手で私の胸ぐらを掴み、グイッと引き寄せた。ひたいがつくのではないかというくらいの距離まで顔を近づけ、ゆっくりと口を開いた。


「ブ~~~スッ!!」


「ふっ、ふふふふふふ」


 茂は目を見開いた。私が笑ったことに驚いたのだろう。


 茂の両肩に手を置いた。頭を後ろに倒し、勢いをつけた。


 ゴンッ!!


「いっってぇ~~」

「いったぁ~いっ」


 茂と私は、ひたいを押さえて涙目になった。


「お前がやったんだろ! なんでお前が痛がるんだよ!」


「こんなに痛いとは思わなかった……」


「はあ~?」


 隼人のこともバカにされたみたいで、相当腹が立っていたようだ。笑顔で思い切り頭突きをかましてしまった。自分のひたいがどうなるかなど、頭になかった。


「うぅ……。頭突きしてごめんね」


 涙がこぼれそうになったので、指でぬぐった。


「…………俺も、……わりぃ」


「思わずやっちゃったけど、やっぱり良くないね。痛いし。は~……、どうしよ……。あ、そうだ。みんな、ちょっと待ってて」


 三人を残し、勉強部屋を出た。一度自室に戻ってから、台所に向かった。



「はい、茂くん。これ。で、どうする?」


 茂に氷入りのビニール袋を渡した。ひたいを冷やすためだ。台所で、袋を二つと四人分の飲み物をもらってきた。


「わりぃな。……なんでトランプなんだよ」


 茂はひたいを冷やしながら、テーブルの上のトランプを手に取った。私が自室から持ってきたものだ。


「え? えっと~、あんな風に頭突きするなんて、タイマンっぽいなって。タイマンといったら喧嘩。喧嘩といえば勝負でしょ? 痛いのは嫌だから、ゲームにしようかなって。ゲーム好きだし」


「タイマンなんかしてねーけどな」


「だから、ぽい、だって」


 もう一つの袋を自分のひたいにあてながら、ホワイトボードの前に立った。先ほど書いた名前がそのまま残っている。


 ペンで、コンッ、とホワイトボードを指した。


「ビリの人をチェックして、五回ごとに罰ゲームっていうのはどう?」


「罰ゲームの内容は?」すっかり涙の引っ込んだ一加が手を上げた。


「他の三人からデコピンとか?」


「痛いのが嫌だから、ゲームをやるんじゃねーのかよ。しかもデコピンって」茂は袋を持つ手を変えた。


「それもそうだね。今日はもう、おでこへのダメージはきついね」


「一番勝ってる人の言うことを聞くとか?」一護も気を取り直したようだ。


「うーん、そうだね。あっ! それもいいけど、こういうのは? 一番の人もチェックしておいて、五回負けた人は、その時点で一番が一番多い人のことを褒めるの。五回負けてるから、五個褒めよう」


 罰ゲームが発動したら回数はリセット、とも提案した。

 一加と一護は、意義なし、とうなずいた。


「はあ? 褒める?」茂は嫌そうな顔をしている。


「勝った人は褒められていい気分。痛くもないし、いいでしょ?」


「ある意味痛いだろうが」


「そう? 褒めるの苦手?」


「はあ? 苦手とかねーけど」茂は視線をそらした。


(……やっぱり苦手なんだ)


 実は、苦手そうだと思ったから、この罰ゲームを提案した。先ほど、ひどい言葉を連呼された。その分とまでは言わないが、少しくらいは褒め言葉が欲しい。ちょっとした意趣いしゅがえしだ。


(謝ってくれたけど。これくらいの仕返しならいいよね。茂くんが負けた上で、勝たないとだし。私たちも負けたら褒めるわけだし)


 茂が「やりたくねー」と言いはじめた。


 一護は、「はっ」と息をいた。少しあごを上げ、茂を見据えた。


「負けなければいいだけの話だよ。逃げるの?」


「やってやろーじゃねーか」


 茂は一護の挑発に簡単に乗ってくれた。



 結果、茂は私たちを一回ずつ褒めた。私たちも茂を一回ずつ褒めた。

 一回目の罰ゲームが発動してから気づいた。初対面の人を褒めるのは難しい。『~そう』や『~っぽい』だらけになってしまった。さらに、一個か二個は、褒めているのかよくわからないもの、明らかに褒めていないものがまじっていた。『単純』『顔が似てる』『ひどいことが言える』『すぐ泣く』『絆創膏が似合う』『頭突きが痛い』などだ。


 ゲームをしながらいっぱいお喋りもした。茂も氣力流出過多症きりょくりゅうしゅつかたしょうだということがわかった。「コントロールなんて簡単だ」と言うので、流出制御訓練機を持ってきて、コントロールしているところを見せてもらった。言うだけのことはあった。とても上手だった。



「ところで、茂くん。『お前』って呼ぶのをやめてくれない?」


「じゃあ、菖蒲あやめ


「お嬢様を呼び捨てにしないで!」

「ボクたちができないのにズルい!」


 私は構わないが、一加と一護は怒っている。小夜も困るかもしれない。


「茂くんに、お嬢様、菖蒲様って呼ばれるのもなあ……。菖蒲ちゃん、菖蒲さん、うーん、ショウブス、かあ」


「だから、わりぃって」茂は絆創膏をいた。


(あっ! そうだ!)


「ショウブスだ。これがいいな」


 三人はとても驚いた顔をした。


「『ショウ』だよ。アダ名だよ。『菖蒲あやめ』は、お父様とか、みんなの前で呼び捨てにしにくいけど。『ショウ』ならわからないんじゃないかな?」


 これならば、茂だけでなく、一加たちも使える。一加と一護に、『お嬢様』でも『ショウ』でも好きに呼んで、と言った。二人が何度か「ショウ」と口にしたので、「なあに」と返事をした。二人は嬉しそうな顔をしていた。



 茂の口の悪さに一時はどうなることかと思ったが、結果的に一日で打ち解けられた。いつの間にか、敬語もどこかにいってしまっていた。


(災い転じて福となった、かな?)


 小夜と一緒に帰宅する茂を、一加たちと三人で見送った。

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