126. 八十八夜の会 4/4 ― 嬉しい出来事(慶次)


菖蒲あやめちゃんは、どれが良かった?」


「私は真ん中が好きですね」


「僕も。一番甘みを感じるかな?」


 僕たちの前には、緑茶の入った紙コップが三つずつ並んでいる。産地別の飲み比べセットだ。

 八十八夜はちじゅうはちやの会では、こうした緑茶の飲み比べセットがよくふるまわれる。五月は、新茶の季節なので、他の月よりも飲み物の緑茶率が高い。


「そういえば、慶一けいいち様が入学して一ヶ月経ちましたけど。連絡とかはしてるんですか?」


「してないよ」


「してないんですか?」


「うん。使用人も一緒だし。何かあればすぐに連絡はくるから。心配もしてないよ」


「そうでした。一人暮らしではありませんでしたね」


「菖蒲ちゃんは? 黒羽くろはさんからの手紙は相変わらず? お茶会で二人きりになっちゃダメ、とか、そういうの?」


 前のときみたいに、ちょっとだけ怒ったような困ったような顔をして、黒羽は心配しすぎ! と言うと思った。


 菖蒲ちゃんの反応は思ったのと違っていた。


 黙ってしまった。視線を落として、紙コップを見つめていた。


「菖蒲ちゃん?」


「……あっ。えっと~、そう……ですね。書いてはあったんですけど、ちょっとでした。食べすぎ飲みすぎに注意してくださいって。やっと、そんなに心配しなくても大丈夫って、わかってくれたみたいです」


 菖蒲ちゃんは、にこっと微笑むと、立ち上がった。


「お茶をいっぱい飲んだので、ちょっと……。慶次けいじ様、どうしますか? そろそろ向こうに戻りますか?」


「ううん。ここで待ってるよ」


「それじゃ、急いで行ってきちゃいますね」


「ゆっくりで大丈夫だよ。転ばないでね」


「はい」


 菖蒲ちゃんは、空いた紙コップを重ねて手に持ち、お手洗いに向かった。途中で捨ててくると言って、僕の分も持っていってくれた。


 戻ってきた菖蒲ちゃんは、冷たい緑茶ラテを二つ持っていた。一つを僕の前に置いてくれた。もう一つを自分のところに置くと、会場の中央に顔を向けながら、椅子に腰を下ろした。


「みんな……。ずっと立って話をしてて、疲れないんですかね?」


「意外とみんな休憩してるんだよ。兄様にいさまもこっそり休憩してたみたいだから」


「慶一様は、そういうの上手じょうずそうですね。慶次様も、ですね。こうして休んでますしね」


「休んでないよ。これもちゃんとお茶会してるの」


「そうなんですか!?」


「そうなの!」


 菖蒲ちゃんがわざとらしく目を見開いたので、僕もわざとらしくにらんでみせた。顔を見合わせて、同時に口元をゆるめた。


 ふと考える素振そぶりを見せた菖蒲ちゃんは、キュッと口を結ぶと、座り直し背筋を伸ばした。


「慶次様……。謝ろうと思っていたことがあって。本当は、その日のうちに謝るべきだったんですけど。あれから何回も会ってるのに、なかなか言い出せなくて」


「なんのこと?」


「この前、家で遊んだときのことです……」


「あ~、ああ……。一加いちかさんと一護いちごさん、元気?」


 少し首を傾けながらたずねた――。



 三月に湖月こげつ邸に遊びに行った。


 一加さんと一護さんを紹介してもらった。


 二人は、僕たちがリバーシをしたり、お喋りしているのを、参加せずに見ていた。そばにいて、飲み物がなくなるとおかわりを用意してくれたりと、いろいろと動いてくれた。

 おとなしくて気がく人たちだな、と思っていた。出会って一時間くらいまでは。


 二人は、おとなしくはなかった。


 最初に、一護さんが僕とリバーシで勝負したいと名乗りを上げた。何回か対戦すると、今度は一加さんが手を挙げた。一護さんと遊んでいるときは一加さんが、一加さんと遊んでいるときは一護さんが、菖蒲あやめちゃんにピッタリとくっついていた。

 二人に勝負を挑まれつづけた。何度か菖蒲ちゃんが「私も」とやりたそうにしていたけど、くっついているほうに阻止されていた。僕も断れなくて、勝負しつづけた。


 しばらくして、菖蒲ちゃんが怒った様子で二人を部屋から追い出そうとした。二人はあわてて、四人で遊ぼう、と説得をしはじめた。

 それからは、みんなで遊べるゲームをして遊んだ。とても賑やかな時間を過ごした。



(――菖蒲あやめちゃんと二人……。仲良かったなあ)


「元気です。……すみませんでした」


「そんな、謝らないでよ。楽しかったよ」


「そう言っていただけると……。ありがとうございます。でも、知らない人が苦手って伝えていたのに。なんだか嘘をいたみたいになってしまって」


「嘘だなんて思ってないよ。最初は、それっぽかったよ」


「それっぽいって。ふふ」


 菖蒲ちゃんは弱々しく微笑むとストローに口をつけた。一口飲んで、はあ、とため息をいた。


「二人は知らない人が苦手……だと思ってたんです。勝手に思い込んでました。私、二人のこと、わかったつもりになってたみたいで……。黒羽のときも最初は静かで、急に、その、仲良くなったんですけど。でも、黒羽のときは、きっかけ? のようなものがあって。私も黒羽の話をよくしていたので、会う前から親しみを感じてたのかなって」


「急に?」


「ええ、急に。夏に帰省してきたときは、そのときの私みたいに、黒羽も二人と仲良くなれなくて。冬に帰省してきたときに仲良くなったんです。もう、爆発的に」


「爆発的……」


「……あ、そっか。慶次様の話もしていたので、最初から親しみはあったのかもしれないです」


「僕の話、してくれてたの?」


「はい。二人にお茶会の話が聞きたいって言われて。お茶会といえば、慶次様ですから。お茶会で慶次様と知り合ったんだよ、二人でマカロンを食べたんだよ、とか。慶次様の話、いっぱいしてました。ダイエットの話はしてないですけど……。ダメ……でしたか?」


「ううん。全然大丈夫。全然いいよ。ダイエットの話もして大丈夫!」


 僕のいないところで菖蒲ちゃんが僕の話をしていた、ということがなんだか嬉しくて頬がゆるんだ。


「は~、でも、まさか慶次様にまで……。黒羽とゲームしたときも、熱がすごかったんですけど。休憩なしで、一時間以上付き合わせてしまって」


「え!? そんなにやってた?」


「やってましたよ。黙々と。一護と一加、五回ずつ、交互に」


「気にしてなかったな」


 菖蒲ちゃんのことはチラチラ見ていたけど、時計は見ていなかった。


「勝敗もですか?」


「つけてたの?」


「つけてましたよ。二人と十回ずつやって、一護に七勝、一加に八勝。慶次様の勝ちでした。三周目に入るところで無理やり止めました。二人とも勝ち越すまで続けそうだったので。私も遊びたいのに、入れてくれないし」


 菖蒲ちゃんは、少し口を尖らせ、ストローでコップの中身をかき混ぜた。


「それで、怒ってたの?」


「慶次様のこと休ませてあげないし。私もって言ってるのに入れてくれないし。見てるだけがいいって言ってたのに……。一緒に遊ぶなら、四人で遊べるトランプとかにしようって言っても聞かないし。それじゃ、余った二人で何かゲームしようって言ったら、くっついてないとダメって言うし。……怒ってもいいですよね?」


「あはは。そんなやり取りしてたんだね」


 次回は何からして遊ぶ? おもしろそうなゲームはないかな? と楽しく話をしていると、お手洗いに行きたくなってきてしまった。今度は僕が、空いたコップを二つ持って、席を立った。


 席に戻りながら、並べられているお菓子をチェックした。結構飲んで食べたので、お菓子やジュースは持たずに戻って、相談しようと考えていた。新しいお菓子が増えていたら、こんなのがあったよ、と教えてあげようと思った。


 油断してしまった。


 あと十メートルのところで、五人組の女の子たちに捕まってしまった。この距離では、逃げ出して菖蒲ちゃんのところに戻っても、すぐに見つかってしまう。解決策を考えながら相づちを打っていると、会場をのぞき込んだ菖蒲ちゃんと目が合った。菖蒲ちゃんが少し吹き出したのがわかった。


(絶対、また囲まれてるって思ったよね。頑張れって思ってそう)


 菖蒲ちゃんは立ち上がり、テーブルと椅子を簡単に整えた。落とし物をしていないかの確認もしている。二人で過ごす時間は終了ということだ。


 確認を済ませた菖蒲ちゃんは、ニヤニヤしながら近づいてきた。わざと僕のすぐ後ろを通り抜けようとしていた。


 僕まであと少しのところでだった。


 菖蒲ちゃんの体が、ガクッと前に傾いた――。


「――危ないっ!」とっさに腕を伸ばした。


 低い段差があった。菖蒲ちゃんも何度かここを通っていたが、僕の顔を見てニヤニヤしていたため、足元を見ていなかった。段差に足を引っかけてしまった。


 菖蒲ちゃんは転ばなかった。


 僕の腕にしがみついていた。


 菖蒲ちゃんは、「は~~」と息を吐いた。「ビックリした」と小さく呟くと、ホッとした顔を僕に向けた。


「ありがとう。けい――じゃないっ」


 ハッとして目を見開くと、あわてて僕から離れた。


「ありがとうございます」


 菖蒲ちゃんは、僕に対して軽く腰を落とした。女の子たちと僕に謝ると、逃げるように去っていった。


 後ろ姿を見送っていると、女の子たちが騒ぎはじめた。菖蒲ちゃんを助けた僕のことを、キャーキャー言いながら褒めてくれている。


「反射神経がすごいですね!」


 左端の女の子が僕に一歩近づきながら言った。他の子たちも、すごいすごいとうなずきながら近づいてきた。


 反射神経はあまり関係なかった。


 実は待ち構えていた。段差に足を引っかけないかな? と思っていた。そのときのために、一歩出る準備をしていた。


(こんなこと思ってて、ごめんね。でも、でも、ごめんって思ってるけど、……嬉しい。菖蒲ちゃんに……、初めて抱きつかれちゃった!)


 一緒にいたら、危ないよ、と手を差し出して、菖蒲ちゃんの手に触れていたと思う。向かうときに、すでにそうやって触れていた。

 どちらも嬉しいことに違いないけど、やっぱり違う。手に触れてもらうのと、抱きついてもらうのなら、抱きついてもらったほうが嬉しい。


(もうちょっと体を出せてたら、腕じゃなくて体に抱きついてもらえたかな? ……ううん。腕でも充分!)


 腕に残っている菖蒲ちゃんの感触と喜びを噛みしめながら、女の子たちの話に相づちを打った。

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