125. 八十八夜の会 3/4 ― 大人っぽい (慶次)


 一番会いたかった人がいた。


菖蒲あやめちゃん!」


「ふふ。ビックリしました?」


「うん!」


「大きなため息でしたね。お疲れですか? どんなゲームをしてたんですか?」


「ゲーム?」


「ゲームしてたんじゃないんですか? 慶次けいじ様と一緒にいた女の子たちが、私の勝ち、とか、まだわからない、とか言いながらお手洗いのほうに向かったので。ゲームの途中でお手洗いに行きたくなって、休憩にしたのかなって思ったんですけど……」


「ただお喋りしてただけだよ。何か別の話じゃないかな?」


「そうだったみたいですね」


「僕が一緒にいた女の子たちのこと、よくわかったね。もしかして……、ずっと、その……僕のこと見ててくれ……、見てた?」


「少しだけ。ケーキを取りにきたら、慶次様を見つけたので。ケーキを食べながら様子を見て、女の子たちがいなくなったら声をかけようかな~、と思ってたら、ちょうど」


「そ……うだったんだね」


 菖蒲ちゃんは、一口サイズのケーキを六個、お皿に乗せて持っていた。


「ケーキ、美味しそうだね。一個もらってもいい?」


「いいですよ。どれでも、お好きなのをどうぞ」


 菖蒲ちゃんはお皿とフォークを手渡してくれようとした。


 受け取らず、自分の口を指さした。


「食べさせて?」


「周りに人がいっぱいいますから。ご自分でどうぞ」


 菖蒲ちゃんはお願いすると食べさせてくれる。でも、今はダメらしい。お皿とフォークを、さらにズイッと差し出された。


 受け取って、菖蒲ちゃんの一番好きそうなケーキにフォークを刺した。


「はい。菖蒲ちゃん」


 唇に触れそうなくらい近くにケーキを差し出すと、素直にパクッと食べた。食べてから、ハッとしたような顔をして口元を手で隠し、キョロキョロと周りを見た。


「美味しい? それじゃ、僕も」


 ちょっとだけ怒ったような顔をしている菖蒲ちゃんを横目に、ケーキを一個頬張った。



「本当に、あの女の子たちが戻ってくるの、待ってなくてよかったんですか?」


「うん。大丈夫だよ。待っててって言われてないし。他の人のところに行ったかもしれないし。もし、あの場所に戻ってきても、僕がいなかったらいなかったで、他の人とお喋りするよ」


 お茶とお菓子を持って、人気ひとけのあまりない場所に移動してきた。

 この場所は、会場の賑わっているところからはよく見えない。しかも、僕の座っている場所は、会場を背にしている上に物陰になっている。

 兄様にいさまに教えてもらった。兄様は、いろいろな会場の穴場を知っていた。学園に行く前に、全部教えてくれた。


「こうしてゆっくりお喋りするの、久しぶりだね」


「そうですね。今季……、初ですね!」


「そうだよ。初だよ。もっとお喋りしたいんだけどな」


 菖蒲ちゃんのことをジッと見つめた。スッと視線をそらされた。


「慶次様、モテモテだから仕方ないですね~」


「そんなにモテモテじゃないよ」


「大丈夫です。まだまだこれからですよ! きっと、これからもっと囲まれるようになります!」


「囲まれるのはもう充分だよ」


「そうですか? 慶一けいいち様と同じくらいか、あれ以上を目指しましょうよ」


「目指してどうするの?」


「う~ん……と~。慶一様に自慢する。とか?」


「鼻で笑われて終わりそう」


「目に浮かびますね」


 菖蒲ちゃんと目が合った。


「……あはは」

「……ふふっ」


 一瞬をおいて、同時に笑顔になった。


「兄様のこと、からかえなくて残念だったよね」


「そうですね。まさか、三月のお茶会に一回も出ずに、学園に行ってしまうとは……。盲点でした」


「菖蒲ちゃんが兄様に会ったの、あのお茶会が最後だったもんね」


「はい。あのお茶会……」菖蒲ちゃんはケーキに視線を落とした。


「あはは。ごめんね。僕が秘密の場所に誘っちゃったから。ふふ。僕のせいだね」


「慶次様のせいじゃありませんけど。笑うか謝るか、どちらかにしてください」


 菖蒲ちゃんは僕のことをジトッとした目で見ながら、ケーキを口に運んだ――。



 兄様にいさまが去ったあとは平和だった。秘密の場所に誰かが来ることもなかった。お手洗いなどで庭園に行ったときに、呼び止められるようなこともなかった。

 菖蒲あやめちゃんと二人きりでゆっくり過ごすことができた。兄様に嫉妬してしまったりといろいろあったけど、手に触れ合うこともできて大満足だった。


 終わり間際にお父様たちと合流した。すでに兄様は、お父様たちと一緒にいた。約束通り、口裏を合わせてくれていたけど、お父様たちにはバレていた。


 お父様はニヤニヤしているだけで何も言わなかった。怒る気配も、注意する気配もなかった。お父様と兄様のニヤニヤしている顔はすごく似ているな、と思う余裕が僕にはあった。


 湖月こげつ様も菖蒲ちゃんに何も言わなかった。いつもの、今日も誰にも話しかけなかったな、もなかった。ただ無表情でジッと見つめていた。

 菖蒲ちゃんは頑張って目を合わせていた。一分間くらい頑張っていた。それから、にこっとしたり、「えっと~」と気まずそうにしたりを繰り返した。湖月様の表情を崩そうとしているようだった。

 残念ながら、湖月様は無表情のままだった。


 耐えきれなくなったのか、菖蒲ちゃんは湖月様の後ろに回り込み抱きついた。見つめられないように、背中側に逃げ込んだんだと思う。湖月様が体をひねったりしても、ギュッとしがみつき、離れないように頑張って動きに合わせていた。

 後ろにいた菖蒲ちゃんは気づいていなかった。湖月様は怒ってはいなかった。口元がゆるんでいた。



(――教えてあげてもいいけど。なんかおもしろかったから、教えなくていいかな)


「ごめんね。笑わないよ。謝る」


「も~。顔が笑っちゃってますよ。別にいいんですけどね。あの場所は本当に素敵で、ゆっくりできて良かったですし。やっぱり、あれが慶次様との最後のお茶会でしたし」


「さ、最後じゃないよ! 今、一緒にいるし」


「そうですか?」


 菖蒲あやめちゃんはツンとした顔で、お茶を一口飲んだ。


「菖蒲ちゃんの意地悪」


「慶次様こそ」


 僕が口を尖らせると、菖蒲ちゃんはにこっと微笑んだ。


「結局、菖蒲ちゃんの聞いた兄様の好きなタイプって、どんなのだったの?」


「知りたいですか? いつ機会があるかもわかりませんし……。教えあいますか?」


「うん。お互い知ってても、からかえるし」


「そうですね。私が聞いたのは、『かわいくて、やわらかくて、いい匂い』です」


「え? それって、女の子全員なんじゃ……」


「あと……、『頬を染めて見つめてくる』だったと思います。正確になんて言ってたかは、忘れてしまいました。『女の子のいいところだけを集めた女の子』って言ってましたね」


「広いようで、せまいような」


「いいところだけなんて理想が高いって言ったら、そうかな? って変な顔してました」


「へ~」


「慶次様には? なんて言ってました?」


「『気が強くて、品があって、できるだけ身分のいい人』、だって」


「ぜ、全然違いますね……」


「うん」


「どちらかが冗談……。うーん。どちらも本音、とか?」


「どっちも?」


「私が聞いたのは男の子として、で。慶次様が聞いたのは伯爵家として、とか?」


「そうかも! さすが兄様。家のことを考えてるんだ……」


「からかうときは……、私の聞いたほうでからかいましょう」


「そうだね。いいところだけ、とか……。ちょっとおもしろいよね!」


 菖蒲ちゃんの聞いた兄様の好きなタイプの話で盛り上がった。


 流れで、僕の好きなタイプも聞かれた。「やわらかくて、いい匂いがして、かわいいこ」と答えた。「兄弟ですね」と笑われてしまった。菖蒲ちゃんのことを菖蒲ちゃんとわからないように答えたら、そうなってしまった。「優しくて、一緒にいて楽しいこ」と追加するか迷った。誰のことを言っているのかバレてしまいそうな気がした。怖くなって言うのをやめた。


 菖蒲ちゃんにも聞いた。「好きになった人、じゃなくて、もっと具体的にないの?」としつこく聞いた。ないならないでもいいけど、あるなら聞いておきたかった。

 菖蒲ちゃんはうんうんと悩んだ末、答えてくれた。


「私のことをすっごく愛してくれて、浮気をしない人。が、いいですね」


 なんだか照れてしまった。『愛』だなんて、菖蒲ちゃんは大人っぽい言葉を使うんだな、と思った。

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