123. 八十八夜の会 1/4 ― 友だち以上 (慶次)


 いつから友だち以上になっていたのかは、わからない。



菖蒲あやめちゃん……。今日は来てるはずだけど。どこにいるのかな?)


 少しつま先立ちをして、キョロキョロと会場内を見渡した。


 菖蒲ちゃんと僕は、出席するお茶会を教えあっている。前に会ったとき、次に出席するのはこのお茶会だと言っていた。


 できれば始まる前に見つけたかったけど、見つけられなかった。


湖月こげつ様と一緒のほうが見つけやすいのに……)


 始まる前、子どもと付き添いの大人は一緒にいる。始まると、子ども同士、大人同士でお喋りをする。子どもと大人が一緒にいる場合もあるけど、だいたいは別々だ。


 みんながおもいおもいに動きはじめる中、僕も菖蒲ちゃんと一緒に過ごすため、行動を開始した――。



 菖蒲あやめちゃんと出会ったのは、僕の秘密の場所だった。


 誰かがいるなんて思ってもみなかったので、とても驚いた。一瞬、妖精とか、人間じゃない何かかと思ってしまった。


 菖蒲ちゃんは、転んでしまった僕に、「大丈夫?」と手を差し伸べてくれた。僕に触られるのは嫌だろうな、と思った。だから、手は取らなかった。何人かの女の子に嫌がられたことがあった。でも、菖蒲ちゃんは、服についた土をはらいおとしてくれたり、お菓子を食べさせてくれたりした。

 僕のことを嫌がらず、優しくしてくれて、すごく嬉しかった。


 菖蒲ちゃんにダイエットをすすめられた。女の子に嫌がられて、痩せたほうがいいかな? と思ってはいた。ただぼんやりと思っていただけで、痩せるために何かしようとはしていなかった。

 菖蒲ちゃんは、具体的にどうしたらいいか教えてくれた。使用人がくれるお菓子を断るなんて、考えたこともなかった。せっかくくれるのに、断るのは可哀想だと思った。菖蒲ちゃんは断り方も教えてくれた。僕にもできる方法だった。この方法なら、断っても可哀想じゃないと思った。


 ダイエットすることにした。菖蒲ちゃんと話しているうちに、その気になった。それに、ダイエットしたら、次に菖蒲ちゃんと会ったときに、またお喋りができるんじゃないかと思った。

 菖蒲ちゃんは話の最後に、笑顔で握手をしてくれた。僕の手に、両手で触れてくれた。


 お菓子をもらわないようにした。お菓子をくれようとした使用人のほとんどは、断った僕に「頑張ってください」と微笑んでくれた。たまに、僕の言い方が良くなかったのか、怒ったような顔をする人もいた。


 菖蒲ちゃんは、少しだけ痩せた僕を見て、「痩せましたね。すごいです!」と褒めてくれた。それが嬉しくて、また頑張った。会うたびに褒めてくれた。

 つらいときは、菖蒲ちゃんの笑顔と握手をしたことを思い出すと乗り越えられた。


 菖蒲ちゃんと出会って、菖蒲ちゃんと友だちになれたこと以外にも、嬉しいことがあった。


 お父様と一部の使用人が、ダイエットしていることを褒めてくれた。前からいろいろと褒めてくれてはいたけど、自分から進んで頑張っていることを褒められるのは、また違った嬉しさがあった。


 一番嬉しかったことは、兄様にいさまとお喋りしたりすることが増えたことだった。


 僕は兄様が大好きで、いっぱいお喋りしたり遊んだりしたかったけど、兄様はそうではなかった。僕をけていた。いつもではなかったけど、僕が近づくと嫌そうな顔をした。兄様にあまり近づいたり話しかけたりしてはいけないんだな、と思っていた。

 それが、兄様から話しかけてくれるようになった。菖蒲ちゃんと友だちになってからだ。その他にも、遊んでくれたり、前より勉強を見てくれるようにもなった。


 菖蒲ちゃんのおかげだよ、とお礼を言ったことがある。菖蒲ちゃんは、僕がダイエットを頑張ったからだ、兄様のことはたまたま時期が重なっただけだ、と首を横に振った。


 それでも僕は、菖蒲ちゃんから嬉しいをいっぱいもらったと思っている。



(――嬉しいよ。嬉しいんだけどさ……)


 出そうになったため息を我慢した。


 僕の目の前には五人の女の子たちがいる。ため息をいたら、失礼になってしまう。


 菖蒲あやめちゃんを見つける前に、捕まってしまった。


 秋に菖蒲ちゃんに言われた通り、今季のお茶会から女の子に声をかけられ、捕まるようになった。

 声だけだったら去年の春からかけられていた。でも、そのときは兄様が一緒だった。兄様が目当てだろうと、少しだけお喋りをして、その場をあとにしていた。兄様だけではなく、僕も目当てなのかもしれないと思うこともあったけど、その考えは無視した。


(どうやって、話を切り上げよう……)


 この女の子たちとのお喋りが楽しくない、というわけではない。声をかけてくれて、ありがたいと思っている。

 でも、今日、このお茶会には菖蒲ちゃんがいる。


 僕は菖蒲ちゃんとお喋りしたい。菖蒲ちゃんと一緒にお茶会を過ごしたい――。



 菖蒲あやめちゃんと出会って、二年くらい経った頃だったと思う。


「今日の黒羽くろはさんもなかなかだったね。菖蒲ちゃん、認めちゃえばいいのに」


 あるお茶会のあと、兄様が黒羽さんと菖蒲ちゃんの話をしはじめた。その頃、二人の話は、お茶会あとの定番となっていた。


 一時期、兄様は、大地だいちさんと菖蒲ちゃんは恋人同士なのではないかと推測していた。

 二人がキスしようとしていたところを目撃したからだ。僕もその現場にいた。菖蒲ちゃんの顔が真っ赤だったのを覚えている。

 でも、僕たちが見たのはキスではなかった。具合が悪くなってしまった菖蒲ちゃんを心配して、顔色を見ていただけだった。事実、菖蒲ちゃんは倒れてしまった。


 それでも、あれはキスだったのではないか、恋人同士なのではないか、と兄様は怪しんでいた。菖蒲ちゃんが大地さんは恋人じゃないと否定しても、必死なところが怪しいとニヤニヤしていた。


 数ヶ月後、兄様はその推測をコロッと変えた。


 菖蒲ちゃんの恋人は、大地さんではなく、黒羽さんだと言い出した。恋人ではなくても、恋人に近い関係だと、ニヤニヤした。


 菖蒲ちゃんの相手を、大地さんから黒羽さんに変えたのには理由があった。

 黒羽さんが菖蒲ちゃんにキスをした。鼻にだったけど、充分だった。それに、黒羽さんの菖蒲ちゃんへの好意は、一度知ってしまえば丸わかりだった。


 僕は兄様の『黒羽さんと菖蒲ちゃんは恋人説』を、どこか本の中の出来事のように聞いていた。


 菖蒲ちゃんは男爵家の令嬢で、黒羽さんはだ。そんな二人が恋人同士だなんてない。だったら、大地さんのほうがよっぽどある。そう思っていたけれど、菖蒲ちゃんと親しくなるにつれ、兄様の説もあるのかもしれないと思うようになっていった。

 僕が当たり前だと思っていた華族かぞくと華族じゃない人との距離。それが菖蒲ちゃんにはなかった。


慶次けいじもそう思わない? あの二人って、どっちが…………」


 兄様が楽しそうに二人の話をしているのを、いつものように相づちを打ちながら聞いていた。すると、なぜか兄様は話の途中で黙ってしまった。

 顔を向けると、僕のことをジッと見ていた。兄様は、軽くため息をいてから、口を開いた。


「二人はまだ恋人同士じゃないよ。黒羽さんに聞いたことあるけど、にこにこして肯定も否定もしなかったから。恋人だったら、にこにこじゃなくて、ニヤニヤして意味ありげな顔をするよ。たぶんだけど」


 兄様は言い聞かせるときの顔をして続けた。


「菖蒲ちゃんのことが好きなんでしょ? 頑張ってみれば? 放っておこうかと思ったけど、そんな顔されるとね。もし、今、黒羽さんと菖蒲ちゃんが恋人同士だったとしても、これから先、どうなるかわからないでしょ?」


 菖蒲ちゃんのことは、もちろん好きだ。


 一緒にお茶を飲んだりお菓子を食べると美味しい。お喋りやゲームをすると楽しい。大切な友だちだ。


 兄様に指摘されて気がついた。


 友だちとしてだけじゃない。


 女の子としても好きになっていた。



(――本当に放っておいてくれたんだよね。それまでは……)


 それ以降、兄様は、定番の話題に加え、僕の話もするようになった。菖蒲あやめちゃんと、何をしていたのか、何か進展はあったのか、と立ち入ってくるようになった。しかも、とても楽しそうにからかいながら聞いてくる。


 兄様に励ましてもらえたことは嬉しかったけど、すごく面倒くさいことになってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る