◆109. 湖月下の三人 2/3


「まあ、私たちの間には、誰も入れませんけどね」


 黒羽くろはは体を離すと、結った髪を持ち上げ、上から毛先へと、ゆっくりとキスをしていった。


「も~! そういうことしないの」


 黒羽のひたいを叩いた。前髪で隠れていて、良い音はしなかった。


「ワタシたちのほうが仲いいっ!!」


 一加いちかがベッドから立ち上がった。こちらに来ようとしているのを、一護いちごが腕を掴んで止めている。


「一加、やめろって」


「だって、本当だし。ワタシたち、一緒のベッドで眠るもん!! おやすみのキスだってしてるもん!!」


(あっ! それは、そうなんだけど。まだ言ってな……くて……。それを言っちゃうと……)


「私たちって、どの範囲ですか?」


 黒羽が一加に向かって、にこっと微笑んだ。


「ワタシたち三人!!」


 一加は誇らしげに答えた。一護は「は~~」とため息をくと、一加の腕を引っ張り、ベッドに座らせた。


菖蒲あやめ様、今夜は一緒に眠りましょうか。おやすみのキスもいっぱいしましょう」


 黒羽は私に笑顔を向けたが、目は笑っていなかった。


 髪ゴムを一つ取り、黒羽の正面に立った。


「一緒に眠りません。一加と一護が同時に体調を崩したの。私が看病したかったから、ここを使ったんだよ。ここのベッドなら、二人で寝てもゆっくりできるでしょ? 私も自分の部屋だから居やすいし。ソファーで眠ってたんだけど、二人が気を使ってくれたの。一緒にベッドで眠らせてくれたの。それが最初」


 説明しながら、黒羽の目の下くらいまである前髪を、上に向かって結んだ。前髪が噴水のようになった。

 黒羽の頭を両手でなでた。黒羽は目を細めて嬉しそうな顔をした。


「二人と一緒に眠るのには、わけがあるの。お父様にもちゃんと話してあるよ」


 私たちは、もう何回も一緒に眠っている。父には、二回目があった次の日にこの事を話した。

 もしも、父たちが夜中や早朝に、一加と一護に声をかけるようなことがあったとき、部屋にいなかったら驚かせてしまうと思った。私たちはよく一緒にいる。一加たちが自分の部屋にいなかったら、私の部屋にいると思い当たるとは思うが、念のためだ。それに、一護は男の子だ。一応、父に話しておいたほうが良いと思った。

 話を聞いた父は、うなずいてくれた。


 おやすみのキスは、一ヶ月くらい前からするようになった。一加と一護の間で、頬にする習慣があったらしい。それにまぜてくれた。


「どう? わかった?」


 黒羽の頬を左右に引っ張った。黒羽は「ふぁい」と返事をした。

 おやすみのキスの件は、えて説明しなかったが、納得してもらえたようで良かった。


「それにしても、髪伸びたね。前髪、邪魔じゃない?」


 黒羽の髪は、前髪は目の下くらい、横と後ろは肩につきそうになっていた。伸ばしっぱなしではない。ちゃんと整えている。


「このほうが、都合がいいんですよ」


「そう? だって、倶楽部くらぶでいっぱい動くでしょ? 倶楽部中は結んでるの? 汗かいたら、頭から水かぶったりしない? 短いほうが都合良さそうだけどなあ」


 黒羽は剣術部に入った。少し意外だった。剣術部を選んだことが、ではない。

 父も大地だいち隼人はやとも剣術部だった。影響されたからか、自分から隼人に頼んで剣術を習いはじめた。隼人がいなくなってからも、一人で練習していた。ただ、強くなりたいとか、そういうのは感じられなかった。

 いくつかある剣術部の中で、父たちが所属していた剣術部を選んだことが意外だった。


「私は話題作りのために入ったようなものですから。それに、隼人も長かったじゃないですか」


「確かに隼人も学生のときから長かったって言ってたけど。話題作りって。だって、お父様や大地たちのいた剣術部って、騎士を目指すような人たちが入るところでしょ? 一番厳しいって聞いたけど……」


「そこじゃないと意味がないので」


「意味? 強くなりたいの?」


「……それなりには?」


(なんで疑問形。やっぱり、あんまり強くなろうとしてるようには見えない。見えないだけなのかな?)


 だいたい剣術部で話題作りとは、どういうことなのだろうか。父と倶楽部の話で盛り上がりたいのだろうか。

 そんなことを考えはじめたところで、思い出したことがあった。


「髪と隼人と言えば……。残念だったな~」


 ボスッ、とソファーに腰かけた。


「そうですね」


 今年の夏は、隼人が遊びに来てくれる予定だったのだが、流れてしまった。隼人は悪くないのに、謝罪の電話をくれた。

 隼人のいるところから、ここに泊まりで遊びにくるとなると、一週間から十日は欲しい。まとまった休みが必要になる。その休みが潰れてしまったのだから仕方がない。

 電話口の隼人は残念そうだった。そんな風に思ってもらえるだけで、充分嬉しかった。


(でも……)


「髪を切った隼人。見たかったな」


 最初にもらった手紙に、腰まであった長い髪を切ったことが書かれていた。もう随分前の話だが、見たことがなかった。隼人がここを出ていってから、まだ一度も会っていない。


「写真撮って、送りましょうか?」


「え?」


「春に、隼人が学園に遊びに来てくれることになったんですよ。大地と三人で会うんです」


「そうなの!?」


 私が驚くと、黒羽はにこっと微笑んだ。


「ええ。だから、会ったときに写真を撮って送りますよ。隼人の写真、欲しいですよね?」


「うん。欲しい!」


「それじゃ、お礼は前払いで! ……痛いんですけど」


 黒羽が頬を差し出してきたので、つまんであげた。


「写真が欲しいなら、頬にキスをしてください!」


「やだ! でも、写真は送って」


「ダメです。交換です。部屋なんだから、してくれたっていいじゃないですか!」


「だから、部屋だからいいとかじゃない。それに、一加と一護の前で変なこと言わないでよ」


「あの二人に見せつけるんですよ」


「見せつけるとかない」


「さあ、遠慮しないで。頬にしてください」


「遠慮してない」


「じゃあ、いいです。私がその分もしますから」


 黒羽に引き寄せられ、腕の中に閉じ込められた。黒羽は「かわいい」と言いながら、私の頭に頬ずりとキスを繰り返した。


「もう、無理っ!!」


 一加が大きい声を出した。目を向けると、立ち上がっていた。一護のことを振り払ったようだった。


「そこの……、黒羽! お嬢様から離れて!」

「一加、黒羽『さん』って言わないと」


「こんなやつ! 『さん』なんて付ける必要ない!」

「とりあえず付けておこうよ」


(一護……、とりあえずって……)


「うるさい双子ですね」


 黒羽はため息をくと、私の頬にキスをした。長い、なかなか離れないキスだ。


「やめてよ! お嬢様にそんなことしないで!」

「一加……」


「ワタシたちのお嬢様に触らないで!!」


 黒羽の腕に一瞬力が入った。頬から唇を離すと、一加のことをにらんだ。


菖蒲あやめ様は誰のものでもありませんよ」


(え?)


「ぶっ。あ、あははっ」


 思いきり吹き出してしまった。三人一斉に、こちらを向いた。みんな目を丸くしている。驚かせてしまったようだ。


(誰のものでもないって。『僕のもの』とか言ってたのに)


「ふふ。はあ~。ねえ、黒羽。久しぶりに踊りたいな。ずっと踊ってないから、忘れちゃった。また、教えてよ」


 黒羽は嬉しそうに微笑み、「いいですよ」と立ち上がった。両手を差し出されたので握ると、引っ張って立ち上がらせてくれた。


「道場に行こう。そうだ、言ってなかったよね? 黒羽がしてた道場の掃除、今は私がしてるんだよ。手が届かないところは、たまに律穂りつほさんが手伝ってくれるの」


「偉いですね」


「私がお手伝いしてるのは、それくらいだけどね。黒羽と一加と一護、三人と比べたら全然だよ」


菖蒲あやめ様は、私たちとは違いますよ」


「そうかもしれないけど。お仕事して、勉強もして、三人とも本当にすごいよ」


 一加と一護に顔を向けた。


「私たちは道場に行くけど、どうする? ここにいる? 部屋に戻る? 一緒に行く?」


「もちろん」

「一緒に行く」


「だよね。一緒に行こう」


 部屋から出ると、一加と一護が腕にギュッとくっついてきた。「ちょっと歩きにくいな~」と訴えると、逆にもっとくっつかれた。二人に両側から押されているような状態で道場に向かった。黒羽は私たちの後ろをついてきた。

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