◆110. 湖月下の三人 3/3


 久しぶりに黒羽くろはと踊ってみると、前と違うような気がした。


「背伸びた?」


「どうでしょうか? 春に測ったっきりなので」


(うーん? 背は、私も伸びてるし。私のほうが伸びて差が縮まった、とか?)


 ステップの記憶がかなり怪しかったが、なんとか踊れた。黒羽のリードが上手なのかもしれない。


「学園って、社交ダンスの授業があるんだよね?」


「そうですね。必修です」


「相手は決まってるの?」


「いえ、毎回違いますよ」


「そうなんだ~。いろんな人と踊ってるから、上手なのかな? タイプの――」ハッとして言葉を飲み込んだ。


「タイプの?」


「タイプの……違う人と踊ると、ダンスの経験値が上がりそうだよね!」


「そうですね。でも、私は菖蒲あやめ様とだけ踊れればいいです」


「はいはい」


 笑顔を作って、「もう一回」とお願いした。


(危なかった。タイプの女の子はいた? って聞くところだった)


 余計なことを聞いて、黒羽の中で芽吹くかもしれない気持ち、すでに芽吹いているかもしれない気持ちの邪魔をしてしまったら大変だ。黒羽が学園にいる間、そういう質問はしないと決めていた。


(黒羽が教えてくれたら、話を聞く。私からはしないって決めてたのに。……タイプの話だなんて、迂闊うかつすぎる)


 黒羽は『好きになった人』がタイプらしい。


 お茶会で、女の子のたちからの質問にそう答えていたと、慶一けいいちが教えてくれた。慶一はその質問に、「私も同じです」と、黒羽と同じと答えたそうだ。だが、慶一の答えは建前だった。女の子たちの前で具体的なことを言うと面倒なことになると言っていた。

 黒羽の答えも建前かもしれない。でも、建前でなかったとしたら、タイプの女の子の話は、そのまま好きな人の話になってしまう。


(サラッと、タイプの女の子がいました、気になる人ができました、って教えてもらえるならいいけど。まだ気持ちが変わってなくて、私の話になっちゃったら……。それは、ちょっと……嫌、だな)


(っていうか、今日のこの感じだと、変わってないような……。いや、でも、本人も気づいてないほどの小さな変化が、こう、胸の内で、いろいろと起こってるかもしれないし……)


「……あっ! ご、ごめんね」


「大丈夫ですよ」


 黒羽の足を踏んでしまった。一瞬だったが悪いことをしてしまった。


(本当にごめんね、黒羽。私、悪いこと考えてる。あの日のことは、いい思い出になったって。私はそう思ってるけど……。黒羽はどう思ってる? あの告白も、返事を保留にしてることも、今もまだ続いてる?)


 黒羽に学園で好きな人ができて、あの告白が過去のことになってしまえば、返事をしなくて済むと思ってしまっている。

 私の答えは決まっている。黒羽の望む答えではない。できれば言いたくない。可能な限り、保留のままにしておきたい。


 黒羽の気持ちを、と思いつつ、自分に都合の悪いこともけようとしている。


(ズルいよね。こんな私じゃ……ね。黒羽、見る目ないよ……。私の何にかれたの?)


 黒羽は生まれたばかりの私に一目惚れをした。一目惚れという表現が正しいかどうかはわからないが、たぶん一目惚れに近いものをしたのだと思う。


(私って、生まれ変わる並みの変化? をした……よね?)


 五歳のときに前世の記憶を思い出してからの私は、それまでの私と、同じと言って良いのだろうか。黒羽が一目惚れをした私は、私なのだろうか。


(うーん。元々あったものを思い出しただけだし。記憶は私の中にあったもの、なわけだから。私は私のような?)


 黒羽の気持ちは、私が記憶を思い出した前後で、変わらなかったようだ。私は私のままか、黒羽にとって中身は関係ないかのどちらかだと思う。


(中身が関係ないとなると、外見……。見た目がタイプってこと? まあ、美形が美形を好むとは限らないし。人それぞれだから……。かわいいって口癖みたいに言うし。中身じゃなくて見た目が好きって言われたほうが、黒羽の場合は納得できるかも)


(子どものときと、大人になってからで、雰囲気変わる人っているけど。もし、そうなったら、思ってたのと違ってた、とか言われたりするのかな。私はお母様に似てるから、だいたい想像つくけど。必ずお母様みたいになるとは言いきれないよね。見た目が安定するのって、いくつくらい? 十八歳? 二十歳はたちとか? もっと? いやいや、それって何年後の話。そんな先まで……)


(……生まれたときとか、五歳前後とか、何年後とか、関係ないか。あのときの私を、あのとき好きって言ってくれたんだから)


(…………でも、きっと、その気持ちもあと一年か二年――)


「――あっ!」


 足を滑らせてしまった。


 道場で靴を履くわけにはいかないので、靴下で踊っていた。滑るので脱いだほうが良かったのだが、床が冷たかったので脱がなかった。気をつけなければならなかったのに、ごちゃごちゃと考え事をしていた。


「っと……。大丈夫ですか?」


「あ、ありがとう。大丈夫」


 黒羽が支えてくれたので、しりもちをつかずに済んだ。あと三十センチほどで床にお尻がつくところだった。黒羽は、私のことを床に下ろし、二の腕を下から掴むと、引き上げるように立たせてくれた。


(黒羽は裸足だったとは言え、前だったら二人で転んでたかも……)


 厳しい剣術部で頑張っているだけのことはあるなと、黒羽のことをしげしげと眺めた。ふと目が合った。黒羽は、表情を変えずに、私の二の腕を掴んでいた両手を背中に回した。腰を落とし、私のお尻の下で腕にグッと力を込め、そのまま立ち上がった。足が床から離れ、体が浮いた。


「うわっ、うわわ」


 黒羽の両肩に手をついた。


 グルッと黒羽が一回転した。


「すごい! 大地だいちみたい!」


「ふふ。そうですか?」


 ゆっくり何回転かしたあと、下ろしてくれた。


「ありがとう!」


「大地みたいに腕にぶら下げて、とかは無理ですけど。これくらいなら」


 黒羽は私の頬に手を添えた。


「笑顔になりましたね。そんなに深刻なことではないんですか?」


「え?」


「踊りながら何か考えてましたね? 眉間にシワが寄ってましたよ。さあ、何を考えていたか教えてください」


 黒羽はジッと私の目を見つめている。答えるまで逃がさない、という顔をしている。


「……黒羽のことだよ」


「私……、ですか?」黒羽は目を丸くした。


「髪、どれくらい伸ばすのかな? って。隼人はやとも長かった、って言ってたから、切る前の隼人くらい伸ばすのかな? って」わざと眉間にシワを寄せた。


「いえ、そんなには。後ろを一つに結べるくらい……。あと、二、三センチくらいの予定ですけど……」


 黒羽は探るように目を細めた。


「本当に、私の髪のことを考えて――」

「ワタシたちも踊りたいっ!」


 一加いちか一護いちごを引きずりながら、近寄ってきた。


「じゃあ、一加は黒羽に教えてもらう?」


「お断りします」

「嫌で~す」


 黒羽と一加は、互いにそっぽを向いて拒否した。


「それじゃ~。一護だけでも、私と踊る?」


「ボク、踊ったことないよ」


「遊びだし、適当でいいよ」


 一護の手を取り、腕に手を添えた。一護はそっと私の腰に手を回すと、少しだけ引き寄せた。


「ダメです。離れてください」


「ダメじゃない! お嬢様と一護が踊るのはいいの!」


 一護の腕に添えていた手を肩に置いて、耳打ちした。


「質問なんだけど、黒羽はまだ大人に入らないよね? 背とかは大人と変わらないけど、まだ十六歳だし。一加も平気そうだし。どこから大人になるの?」


 夏に大地が遊びにきたときは、どうだっただろうか。あのときは、事情も知らなかったし、よく見ていなかったので覚えていない。


「学生は大丈夫のはず。たぶん、二十代でも見た目が若ければ。逆に学生でも……。うーん。いくつとかは意識したことない。あやふやでごめん」


(それって、一加と一護に拒否反応が出たら、老けてるってこと? いや、そういう問題じゃない)


 二人にとって大変なことなのに、不謹慎なことを考えてしまったと反省していると、後ろに引っ張られた。五、六歩後ろに下がった。一護の腕がするりと腰から離れた。


 私のお腹には、黒羽の腕が回されていた。


「近づきすぎです! ほどほど!」


「ぶはっ!」


 黒羽が一護に『ほどほど』と注意したことが可笑しくて、また吹き出してしまった。ツボに入ってしまった。


(大地や隼人にも言ってたけど。年下の、後輩の一護に言うのは、なんかおもしろい!)


 お腹に回された黒羽の腕に支えられながら、笑い転げてしまった。支えがなかったら、ひざをついていた。


 一加と一護に目を向けると、不思議そうな顔をしていた。


「あはは、あはっ、はあ……。ご、ごめんね。一人で笑ってて、ごめん。黒羽、近づいたのは私だから。一護は悪くないよ。ふふふ」


 振り向いて、黒羽の顔を見てみると、ブスッとしていた。


「それはそれで、悪いんですけど」


「は~、お腹痛い。大地と隼人の役を、今度は黒羽がする番だね」


 笑いすぎて涙が出たので、指でぬぐった。黒羽の腕から抜け出して、三人の顔を見回した。今度は、可笑しさではなく、嬉しさで笑みがこぼれた。


「みんなで仲良くやっていこうね」


 私が笑顔でそう言うと、三人は一斉に応えた。


「え~」


「え~」

「はあ」


 黒羽は嫌そうな顔をした。一加は黒羽のことをにらんだ。一護はため息なのか返事なのかわからないような声を出した。


「も~! なんでそこで、黒羽と一加がハモるの! やめてよ、お腹痛い」


 三人の様子が可笑しくて、しばらく笑いが止まらなかった。


 ひとしきり笑ったあと、一加と手をつないでなんちゃって社交ダンスを踊った。一護とも踊った。ステップも何も気にせず、好きなように踊った。腕の下をくぐらせてみたり、くぐってみたりした。一加も一護も、とても楽しそうだった。

 黒羽は床に座って、私たちのことを眺めていた。目が合うたびに、優しい顔で微笑んでくれた。

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