第3章 ② 本邸 11歳

◆108. 湖月下の三人 1/3


 部屋のソファーに座り、髪をとかしてもらっていた。窓の外では、雪がちらほらと降っている。


「あの二人、どうしたんですか?」


「この前、帰ってきたときにもいたでしょ? 一加いちか一護いちご黒羽くろはの後輩だよ」


「それは知ってますけど。夏に帰ってきたときとは、違いますよ」


「夏のときにいたのも、一加と一護だよ」


「そうだけどそうじゃなくて……。手紙が……。内容が……。あれじゃ、ちょっと……。こんなの……」


 黒羽はぶつぶつと呟きながら、私の髪をすくった。



 学園は三日前から冬休みに入った。


 学園の長期休みは、夏と冬と春にある。夏休みは七月中旬から八月いっぱい。冬休みは十二月中旬から一月いっぱい。春休みは三月中旬から四月の一週目までの約三週間だ。

 休みの間、丸々帰省してくるわけではない。休み中でも、倶楽部くらぶによっては活動している。夏休みのとき、帰ってきていたのは、学園と家の往復を含めて三週間くらいだった。この冬休みは、往復含めて四週間の予定だ。


 帰省は夏と冬ではなく、夏と春が良いのではないかと思った。雪道を馬車で行き来するのは大変そうだし、危ないと思ったからだ。でも、帰省をするなら夏か冬だと、一加と一護以外のみんなに言われてしまった。

 春休みは入学式があったりと混雑する時期なので、特に用がないのであれば控えるのが常識らしい。学園から入学前に配られる概要にも、その旨が記されているそうだ。


 今回の帰省は、律穂りつほが馬車で黒羽を迎えに行った。ついでに王都にあるレストランに行くと、ニヤーッと嬉しそうにしていた。安くて量が多くて美味しい店があるらしい。律穂は大食漢だ。とにかく、たくさん食べる。


 黒羽を拾ってから行くと言っていたので、帰ってきた黒羽に、久しぶりに律穂が食べるところを見てどうだったかと聞いた。黒羽は、見ているだけでお腹がいっぱいになったと、遠くを見つめた。

 おや? っと思った。黒羽は律穂の食べるところを見て、いつも「すごい」と感心していた。


 少しだけゲンナリしていた理由は、帰ってくる日が一日遅れたことと関係していた。


 黒羽は今日のお昼に帰ってきた。予定では、昨日の夕方に帰ってくるはずだった。雪道なので、ゆっくりと馬車を走らせたからだと思っていたが違った。ゆっくり走らせる分の時間は、予定に組み込まれていた。

 遅れたのは、律穂が寄り道をしたせいだった。目星をつけていた飲食店の他に、良さげな店を見つけては立ち寄り、大量に食べていたそうだ。

 黒羽は、それを間近で見続けて、疲れてしまっていた。


 前回の休み、夏休みのときは、遊びに来る予定だった大地だいちと一緒に帰ってきた。馬車は大地が手配してくれたそうだ。

 黒羽の帰ってくる日と、大地の遊びに来る日が一緒だなとは思ったが、まさか一緒に帰ってくるとは思わなくて少し驚いた。


 大地は上級騎士になっていた。上級騎士になると、学園への出入りが簡単になるらしい。その特権を使って、黒羽にちょいちょい会いに行っていると、大地が言っていた。

 黒羽からの手紙に、《大地が――》とよく書かれていたので、会っていることは知っていたが、上級騎士の件は知らなかった。父たちも教えてくれなかった。本人の口から、という配慮だったのだと思う。


「上級騎士って、なるの難しいんだよね? 中級騎士から、何年もかかるんじゃないの? こんなに早くなれるものなの?」


「コネ、実力、コネ、コネ、コネ。ほとんどコネですよ。大地はすごくないです」


「実力、実力、実力、コネ、実力、だ。コネはあっても数パーだって言っただろ。俺はすごいんだよ」


 私が質問すると、黒羽と大地は言い合いをはじめた。黒羽の寝顔の写真のことや、普段会ったときの態度のことなどでも言い合っていた。



「ふふ」思わず声がれた。


「どうしました?」


「仲良しだな、と思って」


「そう、仲良しなんですよ。前は、一加ちゃん、一護くんって呼んでましたよね」


「よく覚えてるね」


 黒羽は大きくうなずきながら「もちろん」と言ったあと、「まあ、手紙でもそうなってましたし」とボソボソッと続けた。


 一加と一護に、敬語はナシ、呼び捨てで、と言われてから二ヶ月ほど経った。

 敬語ナシには、割とすぐに慣れた。呼び捨てに、なかなか慣れることができなかった。ついうっかり、『ちゃん』と『くん』を付けて呼んでしまうことが多々あった。そのたび指摘され、言い直しを要求された。二人は厳しかった。


(まあ、人のこと言えないけど)


 夏に、大地と黒羽に、もう使用人ではないのだから『お嬢様』と呼ぶのをやめてほしいとお願いした。いっぱい名前を呼ぶ練習をしてもらった。


 大地は「俺、何しに来たんだろ」とぼやいていた。とりあえず大地には、『菖蒲あやめ』と呼んでもらうことにした。大地に、『菖蒲ちゃん』『菖蒲さん』と呼ばれるのは、なんだか気持ち悪い。父の前でのみ『さん』付けも可にした。


 黒羽は、お茶会などで名前呼びをしてもらっていたのでスムーズだった。「様じゃなくていいよ」と言ったら、「旦那様にお世話になっている身ですので」と返された。

 なるほど、と納得していると、「他の呼び方は、時が来たら試しますね」とニヤニヤしていた。どういうことかと尋ねると、「内緒です」と教えてくれなかった。


(大地は、ぶーぶー文句ばっかり言ってたなあ。女たらしなんだから、呼び捨てなんて朝飯前のくせに。私のことだって、頼んでもいないのに、名前……、呼び捨てにしたことあるくせに)


(あんな、あんな……声で……。しかも、耳元で……)


菖蒲あやめ様。何か考えてますね?」


「え?」


「……のことですよね……」


「なに?」


 声が小さくて聞き取れなかった。聞き返したが、黒羽は答えてくれなかった。その代わりかどうかはわからないが、髪を編んでいた手の動きが急に速くなった。編み込んだ髪をゴムで結ぶと、私の隣に座った。私の頬と腰に手を回し、引き寄せた。


 ふにっ、と頬にやわらかいものが触れた。


「ダメ!」


「聞こえません」


「聞こえないわけないでしょ」


 黒羽が繰り返し頬に触れてくる。抵抗しているが、全くと言っていいほど意味がない。座っていて、さらに横からなので、押し返しにくい。ほとんど顔しか動かせない。


 顔を動かしてけようとしたが、触れる位置が頬からズレるだけだった。目元に触れたり、耳元に触れたりしてくすぐったい。


「ほどほど!」


「で、あの二人なんですけど」


 私のことをギュッ抱きしめると、黒羽は顔をベッドに向けた。


「夏には、菖蒲あやめ様に興味なさそうだったのに……。仲良くなったとは、手紙にありましたけど。私への敵意を感じるんですけど」


 黒羽は、自分のことを『僕』ではなく『私』と呼ぶようになった。夏の時点では、『僕』と『私』が交じっていたが、すっかり『私』に慣れたようだ。


「た、たぶん、気のせいだよ」


(敵意……ではないはず……)


 私も視線をベッドに向けた。ベッドの足側には、一加と一護が並んで座っている。

 一加はこちらをにらんで頬を膨らませていた。一護は一加のことを見て、困ったような顔をしていた。

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