106. お茶会での注意事項 2/3 ― 反撃したい


 慶次けいじがこちらに向かって歩いてきていた。誰がいるのかを確認しているのか、目を細めて、しかめたような顔をしている。

 ある程度まで近づくと立ち止まった。慶一けいいちと私の顔を交互に見たあと、視線を私たちの手元に向けた。


 慶一がとても小さい声で「ちょっと、ごめん」と言って手を引いたので、触っていた手を離した。


兄様にいさま……。何してたの? その……、手とか、つないで……」


 慶次はそう言いながら、私たちから視線をそらすようにうつむいた。


「マメのあとだよ」慶一は慶次に手の平を向けた。


湖月こげつ様や大地だいちさんと、マメの位置が一緒だって話してたんだよ。慶次もあとで見せてあげれば?」


「そうなの?」慶次は私に顔を向けた。


「そうですよ」


「そ、そうだったんだ……」


「それよりもさ、慶次。こんなところで、菖蒲あやめちゃん甘やかして……。あとで怒られるのは、菖蒲ちゃんなんじゃないの?」


「そ、それは、気分が悪くなった僕に、付き添ってもらってたことにするから大丈夫」


「は~。言い訳まで用意してあるんだ。その嘘を菖蒲あやめちゃんが上手につければいいけど」


「に、兄様にいさまこそ、こんなところで何してるの?」


「休憩だよ。女の子たちから逃げてきたの。お手洗いに行っても待ち伏せされるし。家が主催のお茶会だから、挨拶も多いし、気も使うし。少しの休憩くらい、見つからない場所でゆっくりしてもいいでしょ。まあ、もう戻るよ。ちょっとゆっくりしすぎたかな」


 慶一は立ち上がり、慶次の手元に目を向けた。


「そんなものまで、持ってきちゃって。今日はもうお茶会に出る気はないみたいだね」


 慶次は、たくさんのお菓子と、お茶のセット、ジュースをお盆に乗せて持っていた。


「そ、そんなこと……」


「口裏を合わせてあげるよ」


「え? ほ、本当?」


 慶一からの思わぬ申し出に、慶次は嬉しそうな声を出した。ばつが悪そうにさまよわせていた視線を、その声とともに慶一に向けた。


「本当。来年になったら、こんなことできないだろうし。場所はどうするの? ここでいいの? 慶次の部屋にしておく?」


「客間は確認されるし、僕の部屋はなんかちょっと……。あんまり無理してもバレちゃいそうだから、場所はここで」


「わかったよ。お父様たちに聞かれたら、そう答えておく」


 慶一は、慶次のそばまで寄ると耳元でささいた。それを聞いた慶次は、口をパクパクとさせた。慶一はニヤニヤしながらまた囁くと、お盆の上のお菓子の中からクッキーを一枚取り、自分の口に放り込んだ。慶次はあわてたような怒ったような様子で、囁き返した。勝手に食べないで、とでも言っているのかもしれない。二人は小さい声で言い合いをしている。私のいる場所からでは、何を話しているのか聞き取れない。


(前は、ただひたすら慶一様のあとを追いかけてるって感じだったけど……)


「ふふ」二人の様子に笑みがこぼれた。


(二匹のワンちゃんがじゃれあってるみたい。慶一様の後ろ髪って、結ばれてるとワンちゃんの尻尾みたいだし。尻尾髪とはよく言ったものだよね~)


 慶次も相変わらずワンちゃんのようだ。ただし、大型犬の仔犬感はなくなった。ダイエットに成功した。ぷっくりとしていた体は、今では慶一のようにほっそりとしている。こうして二人が並んでいるところを見たら、誰もが兄弟だと思うはずだ。


 慶次が気づいているかどうかはわからないが、今季のお茶会から女の子たちが騒ぎはじめている。

 年上らしき女の子たちが、「あんなかわいい男の子いたかしら?」と話をしているのが聞こえてきた。同い年くらいの女の子たちが、「あの人、素敵」と頬を染めていた。その子たちの視線の先には、慶次がいた。


 春の時点でも充分痩せていた。もしかしたら、春にも騒がれていたのかもしれない。私が気づいていなかっただけかもしれない。

 黒羽くろはのおまけではないお茶会に、なかなか慣れることができなかった。おまけ出席のお茶会中、ずっと黒羽と一緒にいたわけではない。ほとんど別行動だった。それなのに、黒羽がいないと妙に落ち着かなかった。一加いちか一護いちごと、どうしたら仲良くなれるかと悩んでいた時期でもあった。


菖蒲あやめちゃん。それじゃ、私は行くから。慶次とゆっくりしてて」


「はい。ありがとうございます」


 慶一は、庭園に向かって歩きだしたが、数歩あるいたところで、はたと立ち止まった。振り返り、私のほうを向いた。


「そういえばさ。菖蒲あやめちゃんの好きな男の子のタイプは、なんだっけ?」


「好きになった人がタイプ、ですよ。無難でつまんないやつです」


「そうそう。そうだったね。ほらね、嘘じゃないでしょ。じゃ、お茶会が終わる頃に。湖月様に怒られてないか見に行くよ」


「嘘? じゃないですよ? 怒られません。今日は。たぶん」


「あはは。そうだといいね」


 そう言うと、慶一は駆け足で去っていった。慶次は下唇をみ、困ったような顔をして、慶一を見送っていた。



「はい、菖蒲あやめちゃん。どうぞ」


「ありがとうございます」


「ちょっと、ぬるくなっちゃったかも」


「飲みやすくて、ちょうど良いですよ」


 一口飲んでそう答えると、慶次は「良かった」とにっこり微笑んだ。


「ごめんね。戻ってくるの、遅くなっちゃって」


 私がここに逃げ込んで本を読んでいると、慶次がやってきた。慶次は、「今日はお茶会に出たくないんだ」と隣に座った。それから二人でお喋りをしていた。

 しばらくして、慶次はお茶とお菓子をもらうため、庭園に向かった。その慶次が戻って来たと思ったら、慶一だった。


「そんな。遅くなんてありませんよ。私のほうこそ、お言葉に甘えて、ここにいさせてもらったり、お菓子を取ってきてもらったり。すみません」


「ううん。僕が言い出したことだから。お菓子も、僕が食べたかっただけ。気にしないで」


「でも……、私がここにいたから、慶一様に怒られてしまいましたよね?」


「怒ったっていうか……、兄様にいさまはいつもあんな感じだよ。知ってるでしょ?」


「まあ、そうですけど」


「僕に、菖蒲あやめちゃんを甘やかしてるって言ってたけど。兄様も僕を甘やかしてるよね」


「ふふ。そうですね」


「来年度は、兄様にいさまは学園に行っちゃうから。そうなったら、僕がちゃんとあっちにいないとなんだけど……。兄様は兄様がいないから、ずっとちゃんとしてきたのに。僕の勝手を許してくれるし」


「優しいですね」


「うん。だから」


「大好きなんですね」


「うん」満面の笑みを浮かべた。


 慶次は、お菓子を食べながら、最近の慶一の話をしはじめた。剣術の稽古でいっぱい勝っていた、勉強でわからないところを教えてくれた、女の子から手紙をもらっていた、と誇らしげに話している。慶次の慶一話はいつもこうだ。とにかく慶一のことをすごいと嬉しそうに褒める。


(慶次様は、ホント、慶一様のこと大好きで、尊敬してるよね~。ただ優しいだけじゃなくて、言うことは言うし。必要なことは教えるし。良いお兄ちゃんなんだよね)


(私にとっても、悪い人ではない……んだけど。最初の、大地のことが尾を引いてるというか……)


「あ、あのさ、菖蒲あやめちゃん。その、兄様にいさまと好きな人のタイプの話をしてたんだよね?」


「はい。そうですね」


「なんでそんな話に? き、気になるの?」


「え?」


兄様にいさまのこと……」私の顔をのぞき込むように首をかしげた。


(慶一様のこと? 気になる? 私が? 気に……えっ!?)


「ち、違いますよ! 慶一様と黒羽が一緒に女の子に囲まれてたときに、どんな話をしてたのか聞いただけです。女の子たちからの、そういう質問に答えてたって。そういう話です」


「じゃあ、兄様にいさまのこと……」


 好きなタイプの話をしていた。慶一の手にベタベタと触っていた。勘違いされても仕方がないのかもしれない。


「慶一様のことが好きとか、それで好きなタイプが気になったとかではありませんよ! 誰かに聞いてきてと頼まれたわけでもありません!」


「本当に?」


「本当です! あ~、でも……。気に……ならないことはない、ですね」


「そ、そうなの?」


「慶次様も気になりませんか? 慶一様の好きな女の子のタイプ」


「な……るかも」


「なりますよね! 聞いてみたら、おもしろかったですよ」


「おもしろかった?」慶次は目を丸くした。


「はい。是非、慶次様も聞いてみてください。あ、そうだ。それで、私の聞いたのと一緒かどうか、確かめてみませんか? 慶一様の目の前で」


「目の前で言っちゃうの?」


「ええ、目の前で言っちゃいます。慶一様に、いつもそういうことでからかわれるので。逆にからかってみたいなって。大地のこととか、黒羽のこととか。違うって言ってるのに。たまには反撃したいです」


「……そうだね。僕も反撃したいかも」


「慶次様も、何か言われたりするんですか?」


「えっ? い、いや、えっ……と、菖蒲あやめちゃんが言われてるの聞いてるから、そんな気になっちゃって」


「ふふ。私の気持ち、わかってくださいますか? それじゃ、聞いておいてくださいね。二人で反撃できるの、楽しみにしてます」


「うん。じゃあ、はい」


 慶次が小指を差し出してきたので、小指を絡め、ゆびきりをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る