◆088. 双子 2/5 ― 変調


 十月になった。一加いちか一護いちごが我が家に住むようになって、約半年が過ぎた。


 一加たちとの仲は変わっていない。三人で一緒にいても、二人が小さい声で話をしているような状況が続いている。


 最初の頃は、お茶会ではしたことのない仲良くなろうとする努力をしていた。二ヶ月くらい頑張ってみたが、うまくいかなかった。その後は、無理に話しかけて嫌われるよりはよいだろうと、話しかけられるのを待つことにした。なんとなく、話しかけてもらえなそうだなと思っていた。案の定、二人が話しかけてきてくれたのは、家の用事があるときだけだった。


 二人は姉弟だ。三人同時に知り合って、私だけが仲良くなれなかったわけではない。本来だったら、気にすることはなかったと思う。しかし、私は湖月下こげつしたになった二人と仲良くなりたかった。話しかけることはあきらめたが、機会があれば仲良くなりたいと思っていた。だから、心のうちで仲良くなれないことを悩んでいた。


 だが、最近はその悩みも薄れてしまった。二人の態度に慣れてしまったということもあるが、一番の要因は、もう仲良くなれなくてもいいかな、と思っていることだ。


 本邸に住みはじめた頃、隼人はやとが私に気を使ってくれた。新しい生活に馴染めるように、手を貸してくれた。嬉しかった。だから、私も二人にそうしたかった。

 二人と出会ってから、もう半年経っている。問題なく生活しているように見える。私が手を貸す必要も余地も、もうなさそうだ。


 二人がいると私の生活に不都合があるということもない。他のみんなには、変わらず仲良くしてもらっている。

 てつ理恵りえとは黒羽くろはの話をよくする。小夜さよは、出勤時にあったことなどの話をしてくれる。悠子ゆうことは本の話をする。悠子は私にさらにれてくれたようで、話すときにどもることが少なくなった。律穂りつほとは、庭のはずれのベンチに座って、アメを舐めながらボーッとしたりしている。


 一加と一護との距離感は、最初から今まで変わっていない。二人にとって、私との距離はこの距離がよいということなのだろう。


(まあ、だったら、このままでいいよね。無理に近づくより、お互い過ごしやすい距離がいいよ)


 私は二人と今以上の関係になることをあきらめた。悪化だけはしないよう、気をつけることにした。



 家庭教師の時間が終わり、一加と一護とともに、先生を見送った。私たちは三人一緒に教えてもらっている。


 自由時間になった。天気も良いし、庭のはずれに行くことにした。手提げ袋を持って玄関へ向かうと、叫ぶような声が聞こえてきた。


「やめてくださいっ!」


 一加が知らない男性に腕を掴まれていた。


「騒ぐな! おとなしくしろ!」


「は、放して……」


「旦那様に会わせろ!」


「放して!!」一加は腕を振りながら後退あとずさりした。


 男性は逃れようとする一加を引き寄せ、苛立ったような声で、「騒ぐな」「旦那様に会わせろ」と繰り返した。


「あの~、何かご用でしょうか?」


 一加を掴んでいる男性の手と、一加の肩に手を置き、笑顔を作って尋ねた。


 男性も一加も、私に気づいていなかったらしく、体をビクッとさせた。男性の手が一加から離れた。


「あ、お、おじょ、う、うぇ、おぇ……」


 一加は、両手で口元を押さえあごを引いた。今にも吐きそうだ。

 急いで手提げ袋を逆さにし、中身を床にぶちまけた。一加の顔の前で、袋の口を広げた。


「ここにしちゃえ! いいから、ほら。無理しないで」


 この手提げ袋の表側の布は、撥水はっすい加工されている。少しの間なら持つだろう。持たないにしても、床にそのまま吐くよりはマシなはずだ。


 一加は限界だったらしく、すぐに袋の中に吐いた。


「一加!!」


 一護が血相を変えて駆け寄ってきた。


「トイレに連れてってあげて」


 一護に声をかけたが、それどころではないらしく、こちらを見ることも応えることもしなかった。一加が袋に顔を半分入れたまま、少しだけこちらに顔を動かした。それを見た一護は、ハッとした様子でこちらを向いた。

 再度、トイレに、と頼んだ。一護はうなずいた。


 一加は一護に支えられ、なんとか歩いていった。手提げ袋は二人が持っていってくれた。


「申し訳ございません。体調が悪かったみたいで。少々こちらでお待ちください」


 男性に笑顔を向けた。引きつってしまっていたかもしれないが、にこにこしながらその場を離れた。男性から見えなくなったところで、台所へ走った。今日の台所担当はてつだ。あの男性の相手は、男の人がよいと思った。今、父と律穂りつほは出かけていていない。


 てつと一緒に玄関へと戻った。徹が男性の相手をしている間に、床に散らかした物を拾い集めた。


(壊れてたら、どうしよ)


 先ほど台所に向かうとき、足元に気を配れず、ゲーム機を蹴っ飛ばしてしまっていた。壊れていないか心配だ。


(心配……、一加ちゃん……)


 ゲーム機よりも、一加のほうが心配だ。吐くほど具合が悪かったとは思わなかった。仲良くして、顔色をちゃんと見ていれば気づけたのではないかと少し反省した。


 男性は何かの製品の売り込みをする人だった。チャイムを押しても誰も出てこなかったため、勝手に玄関を開けたらしい。

 すると、ちょうどそこに一加がいたので、なぜすぐに対応しない、と男性は注意をしたそうだ。


(あれが、注意!? 一加ちゃんのこと掴んで、お父様に会わせろとか言ってたよね!)


 壊れていると言われたチャイムを押してみた。普通に鳴った。鳴らなくても、玄関のドアを少し叩いたり、声をかけたりすればよいものを、男性は短気だったらしく、すぐに玄関を開けたようだった。


 一加は、突然、家に入ってきた知らない人に、わけもわからず怒鳴られてしまった。体調もとても悪かったようだ。さぞかし落ち込んでいることだろう。


(売り込みなら下手したてに出るものなんじゃないの!?)


 勝手に玄関を開けて怒鳴り散らした男性を、ひどく憎らしく思った。

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