◆089. 双子 3/5 ― 悲鳴


 夜中に悲鳴が聞こえてきた。


 驚いて飛び起きた。女性の悲鳴だった。この家に住んでいる女性は三人だ。廊下に出ると、父がいた。私の顔を見ると、ホッしたような顔をした。父と一緒にてつたちの部屋に向かった。


 一加いちかの部屋の前に、てつ理恵りえが立っていた。閉まったドアの前で、中の様子をうかがっていた。悲鳴を上げたのは、一加だった。


「なんで中に入らないの?」父たちの顔を見上げた。


「それは、ちょっと……」理恵が口元に手をあて、目を泳がせた。


 てつが父に耳打ちをした。


一護いちご、少しいいか?」


 父はノックをして、ドア越しに声をかけた。一護の部屋は隣だ。悲鳴を聞いて、すぐに駆けつけていたのだろう。


 ドアが少し開き、中から一護が顔をのぞかせた。一加のこもった泣き声が、ドアの隙間から聞こえてきた。


「すみません。ご迷惑をおかけしてしまって。少し取り乱してしまって。あ、あの、今は、大人は……ちょっと、その……」


 父たちの顔を見回したあと、「すみません」と下を向いた。


「そうか。一護は大丈夫なのか?」


「僕は……、平気です」


「部屋の前に誰かいるようにする」


「そ、そんな! 廊下にだなんて、申し訳ないです! 大丈夫です」


(顔色が悪いような? 薄暗いせいかもしれないけど……。本当は平気じゃないんじゃ……)


 普段と変わらないと思っていた一加は、吐くほど具合が悪かった。いつも一緒にいる一護も、同じように具合が悪い可能性がある。風邪などのうつる病気だったら、すでにうつっているかもしれない。


「私が一緒にいるよ」


 父のそでを引いた。一護は、大人には部屋に入ってほしくないようなことを言っていた。父は、一加と一護だけでは心配のようだ。それならば、子どもの私が一緒にいればよいと思った。


「私で良ければだけど。何かあれば、私がみんなを呼びに行くよ。そうすれば、その間も一護くんは一加ちゃんについていられるし」


(ダメかな? 私にもうつるかもしれないし……)


 父たちが話し合いをはじめた。みんなが困っているようなら手を貸したいが、私にもうつって病人が増えてしまうかもしれない。無理に押し通すのはよくないと思った。父たちが結論を出すのをおとなしく待った。



「怖い……やだ……。助けて!」


「大丈夫。一加、大丈夫だよ」


 一加はベッドの上でうずくまり、頭から毛布をかぶって、「もうやだ」「怖い」「助けて」と泣いている。一護は隣に座り、毛布の上からさすりながら、「大丈夫」「怖くない」と繰り返している。


 部屋に入れてもらった私は、端に椅子を置いて座り、二人の様子を眺めていた。


(体調が悪い……、ではないよね。これは……)


 私にも病気がうつる可能性があるので、却下されるかもしれないと思っていた提案は、アッサリと受け入れられた。

 マスクをしたほうがいいかな? と顔を見上げた私に、父たちは困ったような表情で、しなくて大丈夫だと言った。父たちは、うつるようなものではないと知っていたらしい。


(怖いって……。夢でも見たのかな? そういえば、悲鳴を上げてた。もうやだ、ってことは、何回も見てるってこと?)


「――なんで? 大丈夫だって、言ってるじゃないか……。もう、大丈夫なんだよ」


 一加は、やだやだと声を上げて泣いたり、グスグスとすすり泣いたりを繰り返していた。ずっと優しく声をかけていた一護が、少し苛立ったような様子を見せた。


 時計をチラリと見た。


 私が部屋に入ってから、一時間ほど経っていた。泣き止まない一加に、業を煮やしたのだろう。


 状況のわからない私が、二人のやり取りに入っていってよいものか迷った。


(大きなお世話かもしれないけど……)


 椅子から立ち上がり、二人に近づいた。一護の背中にそっと手を置いた。一護がこちらを向いた。背中をゆっくりとさすった。


「お水を飲みませんか?」


 机の上に、水が入ったピッチャーとコップが三つ乗ったお盆が置いてある。部屋に入るときに、理恵が用意して渡してくれたものだ。


 一護は応えず、視線を私から一加へと移した。


 一加が泣き止んでいた。一護と二人きりだと思っていたところに、私がいたからだろう。一護をさすりながら、もう一方の手で一加の背中をさすった。


「灯りを点けるから、毛布から出てみませんか?」


 一加も一護も動かなかった。ゆっくりと二人をさすり続けた。


(反応がない。まあ、いいか)


「まず、灯りを点けますね」


 二人から手を離し、部屋を明るくした。一加のもとに戻り、両手でそっと触れた。


「毛布を取りますよ」


 声をかけてから、ゆっくりと頭が出るように毛布をいだ。一加はひざを抱え、腕に顔をうずめていた。


「あ、そうか、ティッシュ」


 部屋を見回して、ティッシュを探した。見つけたティッシュの箱を一加の横に置いた。


 一加は、顔を上げずに手探りでティッシュを取ると、涙を拭いたり鼻をかんだりした。毛布の中で泣いていたので、汗もかいているようだ。


「お水、飲みましょう」


 ベッドの上にいた二人に、端に腰かけるよううながした。水をいだコップを二人に手渡した。


「お嬢様。バッグ、すみません」一加の声はかすれていた。


「バッグ? ああ、いいの。気にしないでください」


「でも、いつも持ち歩いてたのに」


「私ね、もし吐けないような場所で吐きそうになったら、バッグをひっくり返して中身を出して、バッグの中に吐こうって、ずっと考えてたんです」


 前世で、バスや電車の中で吐きそうになったら、そうしようと決めていた。実際にやったことはなかったが、思っていたように実行できて良かった。


(こんなことは覚えてるんだよね)


「だから、気にしなくていいですよ」自分のコップに水をいだ。


(飲み過ぎで気持ち悪くなって、終電を途中下車したこともあったような。もしかして、自分じゃなくて、ドラマとかかな? バッグにしようって思ってたのも自分じゃなくて、何かで読んだ? 曖昧あいまいだな……)


 水を一口飲んでから、一加と一護に尋ねた。


「怖い夢はよく見るんですか?」


「最近はあまり」一護がボソッと答えた。


 最近は、ということは、前は頻繁に見ていたということだろう。


「怖い夢を見たときって、どうしてたんですか?」


「一加と二人で……、一緒のベッドで眠りました」


「じゃあ、そうしましょう。少しせまいかもしれませんけど」


 汗をかいていた一加に着替えてもらい、二人をベッド寝かせて、毛布をかけた。何か言いたそうにしていたが、いいから、と押し切った。


 座っていた椅子をベッドの横に置き、灯りを消した。


「うるさかったら言ってくださいね。一人で喋ってるので」


 椅子に座り、小さい声で話をはじめた。少し音があったほうが、気がまぎれるかもしれないと思ったからだ。


「昔々あるところに、王子様が――」


 そらで言うことができる短い童話を選んだ。


「――めでたしめでたし」


 一加は、泣いてはいないようだ。二人が眠っているのか起きているのかはわからない。

 さらに声を落として、違う物語を話しはじめた。途中で眠たくなってしまった。話をするのをやめ、椅子に座ったまま目をつむった。


「……ん? う~、首が……」


 目覚めると、首がとても痛かった。ゆっくりと首を回した。部屋は薄暗くなっていた。夜が明けていた。


 ベッドに目を向けた。二人は眠っていたが、様子がおかしい。


(息が……荒い?)


 ひたいに触れると、熱かった。一加も一護もだ。部屋をそっと飛び出し、父のもとへと走った。


 医者を呼んで診てもらった。精神的なものだろうということだった。医者は大人だが大丈夫なのかと父に尋ねた。来てもらった女性の医者は、かかりつけなので問題ないらしい。


 一加と一護は、大人が苦手なのだそうだ。医者を待つ間、父が教えてくれた。誰も部屋に入ってほしくないではなく、大人には入ってほしくないだった。実際、私は入れてもらえた。なので、そうなのかなとは思っていた。予想は当たっていた。


(大人がダメでも、熱もあるし、診てもらわないわけにはいかないか。でも、看病は……)


 父にお願いをした。


 二人の看病を私にさせてほしい、私の部屋で看たいので二人を移してほしいと頼んだ。


 大人に近づきたくない、近づいてほしくない一加の看病は、私がしたほうが一加の負担にならないだろう。一加と一護は、一緒にいたほうが良さそうだ。そうなると、一加と一護の部屋のベッドでは狭い。


 私の部屋のベッドなら、大人でも余裕で二人から三人並んで眠れる。私のベッドはとても大きい。

 ベッドが二台ある客間もあったが、私の部屋のほうが過ごしやすい。どこに何があるのかわかっているし、合間に何かをするにしても、手の届くところにいろいろあってよい。


 一護は父に付き添われ、一加は私が支えて、私の部屋に移動した。枕が変わると眠れないかもしれないと思い、枕と毛布をそれぞれの部屋から運んだ。


菖蒲あやめ、残念だけど、これを使うからね。枕の出番はまだないわよ」


 水枕を二つ持った理恵が、枕と毛布を抱えている私を見て言った。水枕の存在を忘れていた。この枕と水枕を重ねると、枕が高すぎるかもしれない。枕はソファーに置いた。


 二人の体調が回復するまで、家庭教師の先生には有給休暇を取ってもらうことになった。家にやってきた先生に、父が状況を説明しているのを後ろで聞いていた。どうやら家庭教師に有休はないらしく、先生はとても恐縮し、普通の休みでよいと言っていたが、最終的に納得し帰っていった。

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