085. 出発前日(黒羽)
ドアをノックせずに、そーっと開けた。中を
昨日の夜、テーブルの上に新しい本が置いてあった。そういうときは、必ず夜更かしをする。そして、次の日の午後にウトウトする。
眠っているお嬢様にカメラを向け、シャッターを切った。音と光で起きてしまうかと思ったが、少し顔をしかめただけで起きなかった。
カメラとよく撮れた寝顔の写真を、テーブルの上に置いた。
お嬢様を起こさないように、隣に腰かけた。
この前、別邸に行った日。帰ってきてすぐ、お嬢様に部屋まで引きずってこられた。ベッドの上で正座をさせられた。お嬢様は僕の前で仁王立ちをした。
怒られた。あのようなことをするのはよくないと怒っていた。僕は謝らなかった。お嬢様の言うこと全て、言い返した。
今まで読んできた本や、お嬢様が言っていたこと、お茶会での体験談など、総動員して言い返した。お嬢様は、教育が難しいとか、お茶会で本当にそんなことがとか、落ち込んだり驚いたりしていた。
最終的に、お嬢様はベッドに倒れ込み、屁理屈ばっかり、と泣き出した。そんなに嫌だったんですか、と尋ねると、嫌に決まってる、と
お嬢様は、鼻水が垂れたことについて怒りはじめた。鼻水を拭こうとしているときに、僕がちょっかいをかけてしまったため、垂れてしまった。
僕は気にしていない。お嬢様のものならなんでも平気だ。そう伝えながら頭をなでた。
お嬢様は僕を見上げながら、私が嫌なの、と泣いた。しばらく泣いていた。
謝る気は更々なかった。でも、お嬢様があまりにも泣くので謝った。お嬢様は、驚いた表情をしたあと、首を横に振った。
「違うよ。そのことで泣いてるんじゃないの。それもあるにはあるんだけど。だって、鼻水が……。でも、違うの。これはそうじゃない。
お嬢様は僕の手を取ると、頬に添えてギュッと握り、また涙をこぼした。
(もう一回……)
眠っているお嬢様に、そっと二回触れた。寝顔を見つめていると、目がゆっくりと開いた。
「う~ん……、なに? ご飯?」
「違いますよ。まだ夕食の時間じゃありません。でも、もう起きたほうがいいと思いますけど」
「もうちょっと~」また目を閉じた。
「起きてください」
「あと五分~」
「お嬢様、起きてく――」
揺り起こそうとした手を、お嬢様に掴まれた。お嬢様は僕の手を両手でギュッと握ると肩を震わせた。
この間から、お嬢様は泣いてくれるようになった。僕は嬉しかった。
それまでは、泣いてくれなかった。
僕のことを想って我慢してくれていたのだとわかった。はっきりとは教えてもらえなかったが、ポツリポツリとこぼした言葉だけでも、お嬢様の想いが伝わってきた。
夜になり、みんなと楽しく夕食を済ませた。お嬢様の髪を乾かし、寝支度を調えたあと、泣きながらお喋りをした。
お風呂に入らないといけない時間になり、後ろ髪を引かれる思いで、お嬢様の部屋を出ようとした。
お嬢様に後ろから抱きつかれた。
「黒羽……、今まで楽しかった。ありがとう。何回も言ってるけど、元気で、体には気をつけて」
振り返り、お嬢様を抱きしめ返した。
「今までって。終わりじゃないですよ。夏と冬には帰ってきます。手紙も書きます。お嬢様も、体には気をつけてください。僕のこと、絶対に忘れないで……」
「忘れないでって。黒羽のことは、忘れたくても忘れられないよ。これは、絶対に、だよ」
お嬢様は、ふふ、と笑った。ギュッと抱きしめたあと、頬にキスをした。お願いをしていないのに、お嬢様もしてくれた。
いい雰囲気だと思い、調子に乗ってしまった。部屋を追い出された。ペチンと叩かれた
お風呂から上がり、荷物の最終確認をして、ベッドに潜り込んだ。
「う……、ううっ……」
早く眠らないといけないのに、涙があふれてきた。
明日は馬車で長距離を移動することになる。初めてのことだ。馬車酔いをしないためにも、きちんと眠っておく必要がある。
(行きたくない。離れたくない。お嬢様のそばにいたい)
後悔しないように、できることはしてきた。いっぱいくっついてきた、いっぱい手や頬にキスをしてきた。お嬢様の大切なものを奪わせてもらった。できる限り、お嬢様の初めての相手を僕にしてきた。お嬢様の心の中に僕が残るように、刻みつけてきたつもりだ。
(お守りもある。頑張れる。頑張れるけど……)
僕がいないことに、お嬢様が慣れてしまうことが怖い。僕と同じ立場になる子たちに、お嬢様をとられてしまうかもしれない。
お嬢様に毎日泣いていてほしいわけではない。でも、毎日僕のことを想っていてほしい。
(三年間、離れるわけじゃない。まずは、三ヶ月。三ヶ月間離れるだけ。夏には帰ってくるんだから)
これ以上気分が落ち込まないように、楽しいことを思い浮かべることにした。お嬢様のことを思い浮かべたつもりだった。それなのに、お嬢様だけでなく、旦那様や大地に隼人、みんなの顔が、楽しかったことや辛かったこと、いろんなことが思い浮かんだ。
(なんだか急に、いろいろ気になってきた……)
(
(
「ふふっ」徹さんに対して、失礼なことを考えてしまったのに、なぜか笑ってしまった。
(
(
(
(大地は王都のどこら辺にいるんだろ? 学園から近いのかな? 休みの日に会いに行ってみようかな)
(隼人にも会いに行きたいな。ここからだと遠いけど、学園からなら日帰りできるかな? 今度、手紙で聞いてみよう)
(旦那様と二人旅。楽しみだな)
明日から入学式の次の日まで、旦那様が一緒にいてくれる。学園までついてきてくれる。
学園に向かう途中の町で、二日間観光することになっている。これまで旅行につれていけなかったからと、旦那様が日程に組み込んでくれた。
(これでお嬢様が一緒だったら最高なのに! お嬢様をバッグに入れて持っていきたい。寮にいてほしいな。毎日僕の帰りを待っていてほしい)
「これって閉じ込めてる? お嬢様に怒られそう……。あ~、でも、怒っててもかわいい」
両手で頬に触れた。お嬢様の唇の感触を思い出そうとしたが、つままれた感触を思い出してしまい、頬をさすった。
(でも、こっちはつままれてないから、ちゃんと残ってる)
唇に触れた。いっぱいお嬢様にキスをしてきた。
(学園に行きたくないけど、行ってしまえば……。三年後には……)
お嬢様は、僕が学園で誰かに恋をすると思っている。学園を卒業するまでは、僕とは恋人になってくれないと思った。だから、告白の返事は保留にしてもらった。
卒業後に告白したら、お嬢様は良い返事をくれるのではないだろうか。お嬢様は僕のことを嫌ってはいない。押しに押せば、首を縦に振ってくれるような気がする。
(あ~、そう考えると、はやく行きたいかも)
寂しくて悲しくてあふれた涙は、いつの間にか止まっていた。行きたくなかった学園に、逆に行きたくなってきた。
お嬢様と恋人になって終わりではない。その先もある。円滑に事を進めるためには、勉強を頑張って、
お嬢様を確実に落とす方法も考えなくてはならない。無理やり落としてもよいが、できれば自然に落ちてほしい。
離れている間も、お嬢様を僕のことでいっぱいにする作戦は続ける。いっぱいは無理でも七割くらいは僕で
(やることいっぱいあるな……)
お嬢様のそばを離れたくなくて眠れないかと思った夜は、学園生活をどう過ごすかを考えていて眠れない夜となった。
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