074. いいのか? 3/3(徹)


「なっ!!」


 思わず声が出た。


 昼食の準備をするため、台所に向かっていた。廊下の角を曲がると、菖蒲あやめ黒羽くろはがいた。黒羽が菖蒲あやめの腰に手を回し、頬に手を添え、キスをしていた。


 二人は視線だけ俺に向けて、固まっている。


(ほっぺにだけど。菖蒲あやめは嫌がってる?)


 菖蒲あやめは黒羽の腕から逃れようとしているように見えた。


(これはなんか言ったほうがいいのか? 見なかったことにしたほうがいいのか?)


 しばし動けず、二人と見合っていた。


「こ、これは!!」


 最初に声を発したのは、菖蒲あやめだった。


「な、仲直りなの! ちょっと喧嘩しちゃって! 小さいときから仲直りは、ほっぺにチュウなの!!」


 菖蒲あやめは黒羽から一旦離れ、顔を掴むと引き寄せた。


「黒羽、ごめんね! これで仲直りね!」黒羽の頬にキスをした。


「本当! 本当だから! ただの仲直りだから! 喧嘩はもう大丈夫だから!」


 俺にそう言いながら、菖蒲あやめは黒羽の腕を掴み、引きずるように連れていった。


(な、なんだ~、あの顔~~)


 焦りまくっている菖蒲あやめをよそに、キスをされた黒羽は満面の笑みを浮かべていた。ニヤニヤ、デレデレしていた。


「ぐっくっ、くくく」


 二人の様子が可笑しくて、後ろ姿を見送りながら笑ってしまった。それに、昔、似たような場面に出くわしたことがあった。それを思い出して、さらに可笑しくなってしまった。


 昼食のとき、菖蒲あやめはなぜか疲れた様子でため息をいていた。黒羽はいつもの表情に戻っていた。だが、かすかにニヤついたのを俺は見逃さなかった。



 夕方、書斎で忠勝ただかつの仕事を手伝っていた。忠勝の机とドアの間に、低いテーブルが一台、それを挟むようにソファーが二台置かれている。そのソファーに座り、テーブルに書類を広げ、整理していた。


「忠勝は、菖蒲あやめと黒羽のことはいいのか?」


 手を止めて、机で仕事をしている忠勝のほうを向いた。


「いいとは?」


「すっごい仲良しだろ~?」


「ああ」


「へ~、意外」


「そうか?」忠勝も手を止めて、こちらを向いた。


菖蒲あやめすみれミレちゃんにそっくりだし、かわいくてたまらないだろ~? 寄ってくる男は、全員蹴散けちらすのかと思ってた」


「そんなことはしない」


「黒羽以外でも?」


「ああ」


「くっくく。ぐくくくく」


 菖浦あやめの焦りようと、黒羽の顔を思い出して、笑いが込み上げてきた。


「どうした? 気持ち悪い」忠勝が眉間にシワを寄せた。


「いや、ちょっとおもしろいことがあって。そうそう、それに、むか~し廊下で忠勝がミレちゃんにせまってたのを思い出しちゃって。忠勝は平然としてたけど、ミレちゃんは焦ってたよな。たまたま通りかかった俺に見られちゃって。一生懸命いいわけしてて、おもしろかったなって」


 忠勝とミレちゃんは、互いに想い合っていた。ミレちゃんが離婚したあと、二人の間を阻むものは何もなかったが、ミレちゃんが逃げ腰の時期があった。そのときは、忠勝が熱心に口説いていた。


(忠勝の場合、口説くっていうより……。まあ、いいか)


「黒羽もあんな感じなのか? 忠勝みたいに強引なのか? 血は繋がってないのに、一緒に過ごしてきたから似たのか~?」


 菖蒲あやめは黒羽をかばっていたが、あれはたぶん無理やりしていた。


「もしかして……。だからか? 自分に重ねてるのか? ミレちゃんに迫ってた自分みたいで、応援せずにはいられないのか~?」


てつ」忠勝が指で、トントン、と机を鳴らした。


「あ~、はい。これ以上はやめておきます」


 両手を胸の辺りに上げ、降参のポーズをした。忠勝は視線を机の上に戻した。

 この話は終わりかと思ったが、忠勝が口を開いた。


菖蒲あやめと黒羽が、そういう感情をいだいたときは……。口出しはしないと約束した」


 誰と約束したのかは、聞かずともわかった。


「へ~、すごいな。そんな前から、こうなるって予想がついたのか? それともあれか? ミレちゃんお得意の妄想か~? 妄想好きだったよな~」


「……そうではない。菖蒲あやめと黒羽の間でなくてもだ。助けを求められたら、助言はするかもしれないが、基本的には何もしない」


「なるほどな~」


 忠勝とミレちゃんは、俺が思う普通の恋愛より遠回りな恋愛をしていた。二人でそんな話をしていても、おかしくはない。


「そういう約束なんだが……」忠勝は机にひじをつき、口元を片手でおおった。


「少し黒羽に肩入れしてしまうな」俺に視線を向けて呟いた。


「ああ、ははっ。やっぱり、応援しちゃうのか。まあ、気持ちはわかるけどな~」


 菖蒲あやめと黒羽は、恋人同士ではなさそうだ。忠勝の口振りもそんな感じだ。黒羽は菖蒲あやめに振り向いてもらおうと、頑張っているところなのだろう。


 華族かぞくの娘と孤児院出の男の子の、身分差故の悲恋になるのではないかと思ってしまっていた。娘の父親は、忠勝だ。身分差で悲恋になるわけがなかった。そんなことを気にするやつではない。


 子どもが恋愛している姿に、驚いてしまったところもあった。でも、思い返してみれば、自分も同じくらいのときに同じように恋愛していた。


(ほっぺにチュウの件は黙っといてやるか。菖蒲あやめかばってたしな~)


 年下の菖蒲あやめが、黒羽に思いのままにされてしまうのではないかと案じていた。俺が見た限り、そんなことはなさそうだ。


(それにしても……、俺と悠子ゆうこさん以外の柔軟さ。あの二人の関係をアッサリと受け入れちゃって。いや、悠子さんもか。受け入れてるからこそ、黒羽は菖蒲あやめにとって良くないとか言ってんのか~)


 忠勝が黒羽よりの気持ちになってしまうのはわかる。俺なんて完全に黒羽側だ。

 俺も昔、理恵りえに対してそうだった。振り向いてほしくて必死だった。他の誰にもとられたくなくて、交際を迫った。


「なんかちょっと、昔を思い出して、甘酸っぱい気持ちになるな。俺たち、頑張ったよな~」


 俺がそういうと、忠勝は少しだけ目を見開いた。そんな忠勝に、だろ? と笑いかけた。忠勝は、そうだな、と口元を緩ませうなずいた。


 今夜は理恵と、などと考えながら、視線をテーブルの上に戻し、作業を再開した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る