073. いいのか? 2/3(徹)


「ふあ、あ~ぁ」


(あ~、寝不足だ……。ん?)


 伸びをしながら廊下を歩いていると、曲がり角の手前に悠子ゆうこさんが立っていた。曲がった先の様子をうかがっているように見えた。声をかけたら驚かせてしまいそうだが、かけなくても驚きそうなので、声をかけた。


「悠子さん。何してんだ~?」


 声を上げて驚くかと思ったが、体をビクッとさせただけで、こちらを向いた。目を泳がせながら、口をモゴモゴとさせた。そばまで行くと、曲がった先に顔を向けたので、俺も同じようにそちらをのぞき見た。


 菖蒲あやめ黒羽くろはがいた。廊下に置いてあるソファーに座っている。二人はピッタリとくっつき、黒羽が開いている本を一緒に読んでいた。


「ちょっと、休憩~」


 菖蒲あやめがそういうと、黒羽は本にしおりを挟み閉じた。


「暑い……。くっついて読むの、辛い。別々の本を読もうよ」


 菖蒲あやめは黒羽から離れて、反対側に倒れ込んだ。


「お嬢様が別の本を読みますか?」


「ええ! やだよ。この本が読みたいの」


「僕もです」


「黒羽の嘘つき~。この本、途中読んでないでしょ?」


「お嬢様が居眠りしてる間に読みましたよ」


「そうなの?」


「はい。暑いなら、部屋で涼しくして読めばいいじゃないですか」


「それは、そうなんだけど。あ! 黒羽、そろそろ家庭教師の時間!」


「まだまだですよ。今、僕のこと追い払おうとしましたね!」


「バレたか」


「かわいい」


 黒羽が両手を広げた。菖蒲あやめが、待った、と片手で制した。


「ダメ」


「なんでですか! いいじゃないですか!」


「ダメ! 今日それやったら、一緒に本読まない」


「ええ~!」


(本当に仲がいいな。恋人同士……、う~ん、微妙だな~。黒羽がれてるだけか?)


「良くない……」


「え?」


 悠子さんがボソッと呟いた。視線は二人に向けたままだ。


「お嬢様は優しすぎます。黒羽さんは良くないです。あの顔ができる人は、絶対に良くない」


 意識が二人に向いているからか、どもることなく話している。


「あの顔って?」


「作り笑顔です。あんな作り笑顔をする人は、絶対に性格が悪いです。いい人を演じてます。騙されません」


(あ~、確かに。黒羽は良い子を演じてるよな)


 黒羽はいつもにこにこしている。仕事を頼めば、快く引き受け、そつなくこなす。家庭教師の先生も、真面目で飲み込みが早く、授業が楽だと言っていた。実に優等生だ。


 今のような菖蒲あやめとのやり取りを見ていなかったら、悠子さんの言っていることが、理解できなかったかもしれない。菖蒲あやめと二人でいるときの黒羽のことを知ると、普段俺たちと接しているときの黒羽は、建前を使っているいうことがよくわかる。


(まあ、建前は必要だと思うからいいんだけどな~。性格が悪い……かどうかはわからん)


「あああの。わ、私はそろそろ、し、仕事に戻りますね」


「お、おう。頑張れ」


 悠子さんは少し怒ったような顔をして、去っていった。二人に視線を戻した。楽しそうにお喋りしている。二人が再び本を読み始めたところで、俺も仕事に戻った。



 休憩中の小夜さよさんと、台所でコーヒーを飲んでいた。


「小夜さんは二人のこと、どう思う?」


「どの二人ですか?」


菖蒲あやめと黒羽のこと」


「ああ、仲がいいですよね」


「よ……、良すぎるとは思わない?」


 小夜さんは斜め上に視線を向けながら、考え込んだ。そのままコーヒーを一口飲み、マグカップをテーブルに置くと、ああ、と笑った。


「そういう意味ですか。仲が良すぎて心配なんですか?」


「まあ、少し。でも、理恵りえはほっとけって」


「理恵さんが? そうですね~、私もほっとくかな」


「そっか~。俺だけか~。気にしすぎなのか」


 マグカップに手を添えたまま、もう一方の手で頬杖をついた。


「お嬢様と援助されてる子だからですか? それとも~……、年齢としとかですか? てつさんは何を心配してるんですか?」


「何をって言われると、そうだな~。……どっちもかな」


「理恵さんとはいつ知り合ったんですか?」


「え? えっと、いつだったかな。学習学校でだから、十歳くらいか?」


「いつ好きになったんですか?」


「うーん。出会ってすぐかな」


「いつから、お付き合いを?」


「学園に入る前だな~。学園にはたくさん人が集まるし。誰にも、とられたくなくて」


「おお。やりますね」小夜さんはクスクスと笑った。


「私も似たような感じでした。もっといろいろと早かったですけど。夫と知り合ったのは学習学校で、十歳くらい。お互い一目惚れで、すぐに恋人になって。キスもその他も、学園に入る前には一通りって感じでした」


「それは、なかなか」


「周りには、早いね、なんて言われましたけど。私にとっては普通でしたね。それに、夫は早くに逝ってしまいましたから。早くからやることやっといて良かったって思いましたよ」


 小夜さんは少し笑うと、結果的にですけどね、と言ってコーヒーを飲んだ。


「だから、というのも変ですけど。あの子たちにはあの子たちの青春がありますから。大丈夫ですよ」


「そう……だな。理恵と恋人になったのは、今の黒羽と同じくらいのときか~。そっか、そうだよな、恋くらいするよな」


 俺の言葉に、そうそう、と相づちを打ちながら、小夜さんはマグカップを流しに置いた。ごちそうさまでした、と言いながら台所を出ていった。



 パンパン


「ん~、どうした?」


 音を鳴らしたのは律穂りつほだとわかっているので、顔は向けずに返事だけした。


「ごっぢのゼリフ」


「いや~、この花壇、ハデだなって」


「ハデじゃない。げんぎ」


「元気?」


「お嬢様が、げんぎになるように」


 この前まで何も植えられていなかった花壇には、いろいろな種類の色とりどりの花が植えられていた。


菖蒲あやめはいつも元気だろ~?」


「ぞれでも。げんぎがなぐなっだどきに、げんぎが出るように」


「そういや、菖蒲あやめは庭にいるのか?」


「ざっぎ、黒羽いだ。たぶん、お嬢様もいる」


「それは、いるな~。律穂には、二人はどう見える? 仲良しか?」


 律穂のほうを向くと、驚いた表情をしてこちらを見ていた。


「なが悪ぐみえるのが?」


「いや、そうじゃなくて……、えっと……」


「ふっ。お嬢様が泣いで嫌がっだら助げる。黒羽のごどは怒ったあとなぐさめる。それだげ」


 俺が何と言うべきかと悩んでいると、鼻で笑われた。話の主旨は伝わっていた。


「……なんで、菖蒲あやめが嫌がる側で、黒羽が慰められる側なんだ? 逆かもしれないだろ?」


てつの目は、節穴が? あれはどう見でも、黒羽が追いがげまわじでる」


 律穂はしゃがみ込んで、花壇をいじり始めた。


「律穂の目にもそう映るのか」


「まあ、ぢょっどズルじだげど」


「ズル?」


隼人はやとがいるどぎに確認じだ。庭でよく抱ぎ合っでだがら」


「だ、抱き合ってたのか!?」


「言い過ぎだ。抱ぎづいでだ。黒羽がお嬢様に。お嬢様が困り果ででいるようだっだら、黒羽を注意じでぐれっで、隼人に頼まれだ」


「抱き合ってるのと、抱きついてたとでは、違うだろ~。驚かせるなよ。まあ、それなら俺も見たことあるな。お嬢様が困ってたら注意か。俺も覚えとくわ~」


「口で言っでわがらないどぎは、多少手荒ぐでもいいっで」


 律穂は立ち上がると、手についた土を払い落とした。


「律穂はやめておこうな~。手荒くするの。手荒くするときは、俺を呼べよ。黒羽が怪我したら大変だから」


「ぢゃんど、手加減ずる」


 ギロリとにらまれた。律穂は、邪魔だ、仕事に戻れ、と言わんばかりの顔をして、シッシッと手を振った。その動きがはたと止まった。同時に表情をゆるめた。


 菖蒲あやめと黒羽が、こちらに向かって歩いてきていた。黒羽は菖蒲あやめの手提げ袋を持って隣を歩いていたが、俺たちに気づくとほんの少しだけ後ろにさがり、微笑みを浮かべた。菖蒲あやめは黒羽に顔を向けていたが、黒羽の視線を追ったのか、こちらに顔を向けた。


 菖蒲あやめは近くまでくると、律穂の顔を見上げてにっこりと微笑んだ。


「とっても素敵な花壇になりましたね。見てるとなんだか、元気になります」


「うん。ぜいがい」律穂は満足そうにうなずいた。


「正解?」菖蒲あやめは首をかしげた。


「ごっぢの話」


「ぶっ」律穂の得意気な顔に、吹き出してしまった。


てつ……。手加減、試じでみるが?」


「は? いやいや、試さなくていいよ! 菖蒲あやめ、黒羽、中に入って何か飲もうな~」


 二人の背中を押しながら、そそくさとその場をあとにした。律穂の手加減を手加減だと思えるのは、忠勝ただかつくらいだ。

 律穂には気をつけろと、黒羽に忠告してやるかどうか迷った。そんな事態にはならないだろうと思い、しなかった。

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