075. 心配事 1/4 ― 大人の階段 (大地)


 湖月こげつ家の本邸にたどり着いた。夏期休暇を利用して遊びに来た。


(あ~、いてえ)


 道中たくさん眠れたのは良かったが、体のアチコチが痛くなった。


 お嬢様がにこにこしながら近づいてきた。


「グルグルして!」


「できないって、わかってて言ってるだろ?」


 馬車から降りた俺は、荷物を抱えていた。グルグルできる状態ではなかった。


 お嬢様は去っていく馬車と俺を見たあと、周りを見回した。黒国丸くろくにまるがいないことに気づくと不思議そうな顔をした。


「黒国丸は?」


「実家にいる。暑い時期に長距離は、もう……な。それに、俺も今回は眠りながら来たかったんだよ。馬車のほうが楽で良かったんだ」


「もう年なの?」


「まあな。黒国丸は――」

大地だいちが!」


「なんで俺なんだよ!」


「馬より馬車なんでしょ?」


「仕事で疲れてんの! 忙しいの!」


 お嬢様が荷物に手を伸ばしてきた。


「あ、いや、いいよ。大丈――、重っ!」


「あはは! はやく荷物置いて、グルグルしてよ。とりあえず、中に行こう」


 俺が疲れていると言ったから、荷物を持ってくれようとしたのかと思った。そうではなかった。俺の手首を両手で掴むと、体重をかけてきた。不意打ちで腕が抜けるかと思った。


 お嬢様は体重をかけたまま、玄関のほうへ押し始めた。


「重いんだけど」


「騎士なんだから、大丈夫!」


「いや、普通に重い」


「重くないっ。……黒国丸は元気なんだよね?」心配そうな顔で見上げてきた。


「ああ。元気だよ」


 玄関に入り荷物を置くと、奥から黒羽くろはが出てきた。お嬢様に、ねえ、と腕を引っ張られたのでかがむと、耳打ちされた。


「黒羽ね、大人の階段のぼっちゃったんだよ? 知ってた?」


「はっ!? 大人の階段!?」


 俺が驚愕きょうがくすると、お嬢様は目を見開いた。俺の反応が嬉しかったのか、にっこり笑って、うんうん、とうなずいた。


「う、嘘だろ……」近づいてくる黒羽に顔を向けた。


(黒羽が大人の階段を? この一年の間に? 一体誰と……。お嬢様がそのことを知ってるってことは、お嬢様となのか!? いや、そんなまさか!? ……ん?)


「あれ? 黒羽、なんかでかくな――」

「大地、暇なの?」


 黒羽は立ち止まると、ジトッとした目でにらんできた。お嬢様が俺の腕にくっついているからだろう。相変わらずだ。


(それよりも……)


「なんだ、その声……」


「ね! ね! すごいでしょ? っていうか、やっぱり変わった? 毎日一緒にいるとわからなくなってきちゃって!」


 お嬢様は、俺の腕を掴んだまま飛び跳ねるようにかかとを何回か上げたあと、顔をのぞき込んできた。


「ほどほど! 離れてください」


「大人の階段って?」お嬢様に顔を向けた。


「声変わりだよ」


「あ……、ああ、なるほど……。そういうことか……」


 脱力した。てっきりアレを卒業したのかと思ってしまった。


「はやく、離れてください」


 俺とお嬢様を引き離そうと、さらに近づいてきた黒羽の頭に手を置いた。


「やっぱり! でかくなったな!」


「一年ぶりだからでしょう」


 グリグリとなでてやると、手を掴まれ下ろされた。


「いや、そうだけど。結構伸びたんじゃないか? お嬢様と随分差がついたな」二人を見比べた。


「わ、私はこれから伸びるの!」


「もしかして、隼人はやとを超えたか?」


「どうだろ? 三月に見送ったときは、隼人のほうが大きかったですけど……」


 黒羽は思い出しているのか、少し上に視線を向けた。


「隼人……」お嬢様が呟いた。


「どうした? 隼人がいないことに、まだ慣れないのか?」


 お嬢様は首を横に振ると、そうじゃない、とうつむいた。頭をなでてやると、見上げてきた。


「大地じゃ、ね……」と、ため息をいた。



 用意してもらった部屋に荷物を置き、忠勝ただかつさんや使用人のみんなに挨拶を済ませ、道場に移動した。お嬢様にグルグルしてやるためだ。そのあと、黒羽と剣術の稽古をする。教えてくれなくていいから見ていてほしい、打ち込み稽古の相手をしてほしい、と頼まれた。


 お嬢様は道場の鍵を開けて、中で待っていた。何回かグルグルしてやった。


「黒羽、遅いね」


「そうだな。着替えるだけなのにな。最近は稽古してないのか?」


「前と同じくらいやってると思うけど。一人でだから、内容は減ったのかな? あの頑張って打ち込むやつとか、練習試合みたいなやつとかはやってないよ」


「まあ、二人いないとできないやつはしゃーない」


「私もお手伝いしてるんだよ」


「お嬢様が?」


「時間計ったりとか。隼人がいるときからだけど。たまにね、隼人に言われた通り、黒羽に内緒で時間を長めにとったりしてるの」


「あ~、なるほど」


「これがねえ。諸刃の剣なんだよ」


「なんでだよ」


「結構な確率でバレちゃうんだよね。時間誤魔化してるの。そうすると、黒羽に追いかけ回されて。捕まると汗つきの頬ずりしてくるんだよ!」


「それは嫌だな」


「なんで人ごとなの!?」


「人ごとだろ」


「元はと言えば、大地のせいでしょ! 大地が黒羽にやってたから!」


「たま~にだろ」


「たまにでも、やってたことには変わりないでしょ。黒羽は大地のマネしてるの」


「で、そのマネしてる黒羽は、何やってんだろうな。トイレか?」


「そうかも」


 俺が床に腰を下ろすと、お嬢様も隣に座り込んだ。


「隼人は来れなくて、残念だったな」


 夏はどうするのかと、隼人に連絡した。今年の休みは実家で過ごすと言っていた。

 隼人は俺と違って、何年も家族に会っていなかった。俺も実家にはずっと帰っていなかったが、家族には会っていた。


「うん。隼人に会いたかった」


 お嬢様は、はあ、とため息をいた。先ほどは、名前を呟きうつむいていた。相当会いたかったらしい。


「来年には――」

「それじゃダメなの! 鉄は熱いうちに打たないと!」


「は?」


 寂しがっているのかと思いきや、お嬢様は怒ったような顔をして、右手を胸の前でグッと握りしめた。


「どういうことだよ。隼人に会って、何がしたいんだよ」


「黒羽のこと、注意してほしいの!」


「注意?」


「そう注意!」


「なんで?」


「なんでって! 黒羽がところ構わず、いろいろしてくるから!」


「いろいろ?」


「そう、いろいろ! この前なんて、てつさんに見られちゃうし」


「なにを?」


「なにをって――」お嬢様はハッとしてこちらを向いた。


「――内緒」と言い、顔をそらした。


(そこで内緒にされると……)


 お嬢様の顔に両手を添えた。頬を親指で押すようにつまんだ。


「気になるだろ。教えろよ」


「ないひょ~」


「隼人には言うつもりだったんだろ? 俺にも言っちゃえよ」顔を近づけて、ジッと見つめた。


(おっ)


「髪が……」


 お嬢様の髪の毛が、少しだけ浮いている。


「みょ~! だいひのはか~」


「なんだ、髪が浮くほど腹立たしいことがあったのか?」


「はにゃひてぇ~」お嬢様が俺の腕を掴んで、顔から外そうとしている。


「何してるんですか!」


 道場の出入り口から、黒羽がこちらをにらみつけていた。


「お~、遅かったなあ」


「離れてください!」


 黒羽は一礼して中に入ると、駆け寄ってきた。お嬢様を俺から引き離し、抱きついた。お嬢様の髪の毛はまだ浮いている。


「もー! 大地のせいで氣力きりょくが!」


「なんで俺のせいなんだよ。だいたい制御できるようになったんじゃないのか?」


氣力流出過多症キリカの制御とはまた違うの!」


「へ~。どんな感じなんだろうな。俺にはわからないからな」


「お嬢様」黒羽はお嬢様の頬にキスをした。


「おい――」

「あ! もう、黒羽! やめてって言ってるでしょ」


「氣力がれてますから。気をそらさないと~」


 そういうと、黒羽は頬へのキスを繰り返した。お嬢様は黒羽の腕の中でジタバタしている。


「は、隼人~。隼人がいれば~。ちょっと、大地、止めてよ~」


「黒羽……、ほどほど……」


 黒羽は俺のことをキッとにらむと、また頬にキスをした。長い。頬にくっついたまま離れない。


「やっぱり、大地じゃダメか。隼人じゃないと」


 お嬢様はキスをされたまま、ため息をいた。浮いていた髪の毛は、いつの間にかおさまっていた。

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