053. せいせいする(黒羽)


「手紙は?」


「面倒くさい。俺には無理」


 談話室から声が聞こえてきた。お嬢様と大地だいちが話をしている。ずっと前にお嬢様と隼人はやとが話をしているのを、大地と一緒にこっそりと聞いていたときのように壁に寄り、二人から見えない位置で立ち止まった。


「電話かけてこいよ」


「電話はやだ。まず知らない人が出るでしょ」


「普通に話せよ。俺に代わって、って言えばいいだろ」


「え~、無理~。恥ずかしい」


「何が恥ずかしいんだよ……」


 どうやら、大地が出ていったあとの連絡手段を話し合っているようだ。お嬢様は手紙が、大地は電話がいいと言っている。


「あ……、またかよ。本当によく泣くな」


「大地と隼人が我慢するなって言うからでしょ。それに……、もう明日なんだよ。ううっ」


「夏には遊びにくるって」


「それでも、うっ……。いつも一緒にいたのに~」


「隼人と黒羽くろはがいるだろ。大丈夫。すぐ慣れる」


黒国丸くろくにまるもいなくなっちゃう。湖に遊びに行けなくなっちゃう」


忠勝ただかつさんに頼んで、馬でも馬車でも出してもらえよ」


「気が向いたときにいけない」


「まあ、それは仕方ないだろ」


「グルグルもしてもらえなくなっちゃう」


「それこそ、忠勝さんに頼めばいいだろ。隼人だっていいだろ」


「グルグルは大地の担当なの!」


「なんだよ、その担当は」


「うう~、大地のバカ~」


「なんでバカなんだよ。ひどいな。もう、泣きやめよ。鼻拭け、鼻を。ほら、ティッシュ」


 ティッシュを箱から数枚取る音が聞こえた。お嬢様が鼻をかんでいる。


「う、ううっ。無理。我慢できない。ううう~」


「はあ。我慢するなって言ったのは俺たちか」


「うわっ。ちょっと、何?」


「いいよ、もう。このまま泣いとけ。明日お別れだしな」


「お、お別れ、とか、ううっ、大地~」


 お嬢様の声が、泣き声が、こもったような気がした。


(またって、よく泣くって。そんなに泣いてたんだ)


 大地がここを辞めると聞いてから、お嬢様がそのことで泣きそうになったり、泣いているのを、何回か見たことがあった。目頭を押さえたり、こぼれた涙をこっそり拭いたりしていた。今のように、声を出して泣いているのは見たことがなかった。

 大地と隼人に我慢するなと言われたと話していた。大地と隼人の前では泣いていたらしい。


(あ……)


 ずっと床に視線を落として、話を聞いていた。顔を上げて、ふと談話室のほうを見た。隼人と目が合った。談話室を挟んで向こう側から、隼人がこちらを見ていた。隼人は微笑むと、僕のことには触れず、二人に話しかけた。


「お嬢様、また泣いてるんですか?」


「は、隼人~」


「本当によく泣くよな」大地が少し笑いながら言った。


「ううっ。今日はしょうがないでしょ」


「今日は?」


「き、昨日も、今日も、明日も~。バカ大地~」


「はいはい、もうバカでいいよ」


「ふふ。そのまま大地さんの服で、鼻でもかんじゃえばいいんですよ」


「あ、おい。やめろよ! そんなことのために、胸を貸したんじゃないからな!」


(胸を貸した……?)


 こっそりと談話室をのぞいた。


(な……)


「何してるんですか!」談話室の死角から出ていった。


 お嬢様と大地は、ソファーに並んで座っていた。大地は片腕をお嬢様の肩に回し、その手をお嬢様の後頭部に添えていた。お嬢様は大地の胸に抱きつき、そこから隼人を見上げていた。


「別れを惜しんでるだけだけど」


 大地は手の位置を、お嬢様の後頭部から腕の辺りに変え、ポンポンと叩きはじめた。


「だ、だから、別れとか~」お嬢様の目にみるみるうちに涙がまった。


「はい、お嬢様。ティッシュ」


「ありがと~、隼人」


「離れてください!」


 お嬢様は、大地から離れ、隼人からティッシュを受け取り、涙と鼻水を拭いた。


「お茶にしましょうか。いっぱい泣いた分、水分補給しましょう」


「そうだな。俺がいれてやるよ」大地は立ち上がり伸びをした。


「結構です。私がやります」


「大丈夫だって」


「いいえ、結構です」


 大地と隼人はどちらがお茶をいれるかをめながら、食堂へ向かった。お嬢様はまだ涙を拭いている。鼻をかむと、はあ、ため息をいた。


「お嬢様」


「なあに」


 ソファーに座っているお嬢様の前に立ち、頭を引き寄せて抱きしめた。


「大丈夫だよ」


「大丈夫じゃありません。僕の前で泣いてくれればいいのに」


「そしたら、黒羽も泣いちゃうでしょ」


「僕は泣きませんよ」


「そう?」


「そうですよ」


「そっか」


 お嬢様は「私たちも食堂に行こう」と言って立ち上がろうとした。でも、僕が抱きしめたまま離さなかったので、立ち上がれなかった。

 お嬢様は、離れてとも、ほどほどとも言わなかった。「ほらね」と僕の背中に手を回し、抱きついてきた。僕のことを抱きしめてくれた。



 コンコン


「どうぞ」


「入るぞ」


「なんだ、大地か」


 そろそろ眠ろうかと思っていると、紙袋を持った大地が部屋に入ってきた。


「これやるよ」


 ベッドの横に紙袋を置くと、ベッドに腰かけた。ベッドの上にいた僕は、四つん這いで近づき、紙袋をのぞき込んだ。


「なんですか、これは……」


「プレゼントだよ」


「プレゼントって。処分に困っただけなんじゃ……」


「処分したやつもある。これはちゃんと黒羽のために選んだんだから、プレゼントだよ」


 紙袋からプレゼントを取り出した。本だ。紙袋の中には、本がたくさん入っている。

 パラパラとページをめくった。


「これのどこが、僕のために選んだことになるんですか……」


「好きだろ?」


「別に好きじゃないけど」


「なんで? つい手に取って見ちゃうくらいは、好きなんだろ?」


「あれは、テーブルの上に置いてあったから!」


「でも、一回じゃないだろ。恥ずかしがるなよ。好きなのは普通のことだろ」


 確かに、大地の部屋に用があったときに、放置されていた本を手に取ったのは一回ではなかった。

 僕が手に取った本、大地がプレゼントとして持ってきた本は、男女のアレコレの本だ。興味はあるが、好きかと聞かれると微妙だ。


「……で、何してるんですか? 用が済んだなら、部屋に戻れば? 明日のために、はや――」

「黒羽と話をしようと思って」


「僕と? 別に話すことなんて――」

「そうやって、最近ろくに目も合わせないだろ」


「大地の気のせい」


「じゃあ、こっち向けよ」


 本に落としていた視線を、大地に向けることができなかった。


「俺のこと、忠勝さんから聞いたときは、すごく喜んでくれたんだってな。ありがとうな」


「あれは、別に……」


 旦那様から大地が騎士団に入ると聞いたとき、少しだけはしゃいで喜んだ。すごいと思った。でもはしゃいだのは、純粋な気持ちからではなかった。


(そうしないと、僕が……)


「俺はここを出ていくけど、黒羽との関係を終わらせるつもりはない。忠勝さんとも、隼人とも、お嬢様とも。だから、これからもよろしくな」


「悩み事とか、何かあったときは、隼人に相談しろよ。忠勝さんに相談したっていいんだからな。援助してもらってるからとか気にすんな。忠勝さんは、ああみえてすごく優しいから」


「お嬢様のこと、ほどほどにな。押すのはいいけど、お嬢様が倒れるほどはやめとけよ。たまには引いてみろ、と言いたいところだけど。黒羽には無理か。お嬢様もなあ、引いたらそのまま受け入れそうだしな」


「俺に連絡したいときは、忠勝さんに頼め。隼人でもいいけど。連絡先、知ってるから。ああ、手紙はナシな。俺、読むのも書くのも苦手だから」


「そういや、お嬢様が電話が苦手って。知らない人が出るからかけるの無理って。あれは、大丈夫なのか。お茶会でも、知らない人とは喋らないんだろ。あんなにお喋りなのにな」


 大地は立ち上がった。机の上に置いてあったティッシュの箱を手に取ると、またベッドに腰かけた。


「ほら、使えよ」


 大地がティッシュの箱を差し出してきた。受け取るために、大地に顔を向けた。


「うぅ、うう……。大地、おめでとう。騎士になるなんて、すごいと思う」


「ああ、ありがとう」


 大地に、おめでとう、と直接伝えたのは初めてだった。騎士団に入ることが決まったと聞いてから、今までずっと言えなかった。言ったら泣いてしまいそうだった。旦那様から聞いたときに、少しだけはしゃいだのも、そうしないと泣いてしまいそうだったからだ。


「大地がいなくても大丈夫だから。ううっ。家庭教師は、ほとんど隼人だし。勉強も剣術も、他のことも隼人が教えてくれるし」


「そうだな」


「う……、食事の準備は、大地は逆に邪魔だし」


「ひどいな」


「旦那様が優しくないのは、天罰を下すのは、大地に対してだけだし」


「天罰? ……もしかして、稽古のことか? あれは、一応、稽古だからな……。一応な……」


「お嬢様には、うっ、僕がいるから大丈夫。うう~」


「僕がいなくても大丈夫にしてやれよ。もう少し、交遊関係を広げないと。学園に行けばなんとかなるか。なるのか、あれは。まあ、まだまだ先か……」大地がぶつぶつ呟いた。


 ティッシュを取り、鼻をかんだ。涙と鼻水がいっぱい出てくる。もう一回、鼻をかんだ。


 大地が、はは、と笑った。


「なに?」


「いや……。黒羽にも、こんなに別れを惜しんでもらえるとは思わなかったよ」


「惜しんでない」


「そうかあ? 充分、惜しんでるだろ」


「惜しんでない!」


「照れるなよ」


「照れてない! 大地がなりたいものになれて……、出ていってくれて……」


 右手の甲で、目の辺りを左から右にグイッとぬぐった。大地と目を合わせて、言った。


「せいせいする!」


 大地は優しい顔でため息をくと、「いい意味で、だな」と言いながら僕の頭をポンポンと軽く叩いた。


 自分の部屋に戻る大地と一緒に部屋を出た。「なんだ一緒に寝たいのか?」と言った大地に、「バカじゃないの」と背を向けた。大地は笑いながら僕の頭をグリグリとなでたあと、部屋へと戻っていった。僕は、顔を洗うために洗面所へ向かった。



 翌朝、大地を見送るために、みんなで庭に出た。


 お嬢様はずっと泣いていた。庭に出ると大粒の涙をこぼした。僕は、隼人から渡されたティッシュの箱を持って、お嬢様の隣についていた。


 旦那様と大地と隼人で、少しの間話をしていた。お嬢様と僕は、並んで三人を見ていた。話が終わると、大地は僕たちに近づきしゃがみ込んだ。


「また、夏にな」


「うっ、うん。元気でね。絶対遊びにきてね。ううっ」お嬢様はティッシュで鼻を押さえながらうなずいた。


「黒羽……」大地の手が伸びてきて、僕の頬を拭った。


「だ、だから、せいせいするから大丈夫」


「そうだな」


 大地はニッと笑って、立ち上がった。お嬢様と僕の頭に手を置き、同時にグリグリとなでた。


 大地の荷物は、ほとんどがすでに送ってあった。少しの荷物を黒国丸くろくにまるに積み、自身も乗ると、旦那様と隼人に顔を向けうなずいた。お嬢様と僕に顔を向けた大地は、稽古に出かけるときのように「行ってくる」と言って旅立っていった。

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