◆052. 梅花見の会
(あ、いい香り)
梅の香りが漂ってきた。『
基本的にお茶会は春と秋に催される。会場は必ずしも主催者のお屋敷というわけではない。ホテルの宴会場やレストランで開かれることもある。
今日は今年に入って初のお茶会だ。大きな公園の一角にある庭園が会場となっている。庭園の周りには、梅の木がたくさん植えられている。とても綺麗だ。
(あと少しで
大地が騎士団に入団するのは四月からだが、その前に実家に帰るため、十日前には出発してしまう。今日は三月六日だ。一緒にいられるのは残り二週間くらいだ。
大地の実家は王都にあるそうだ。今まで聞いたことがなかったので知らなかった。王都は、
もう一つ、大地のことで知れたことがある。名字だ。名字は今までに何回も尋ねていたが、自分の名字が嫌いだからと教えてもらえなかった。それを、もういいか、と教えてくれた。
大地が教えてくれたので、
いつもみんなのことを下の名前で呼んでいる。ついうっかり忘れしまうのも、仕方のないことだと思う。
(あれ? もう、ない……)
会場の端で梅の花を見ながら、もらったクッキーを食べていた。大地と隼人のことを考えていたら、いつの間にか食べきってしまっていた。
(うーん。あったかいお茶はどこかな?)
少し肌寒いので、温かいお茶が欲しくなってきた。給仕している使用人か、飲み物が置いてあるテーブルを、歩きながら探すことにした。
庭園には人がたくさんいる。ぶつからないように気をつけながら、ゆっくりと歩いた。
「
「お久しぶりです。慶次様」
「それでは、私はこれで。失礼します」
「行っちゃうの?
サラッと退散しようとしたが、慶次に引き留められてしまった。慶次だけならのんびり話していられるのでよいのだが、慶一が厄介だ。慶一も黒羽ほどではないが、周りに女の子が集まってくると聞いた。それに本人も面倒だ。
「慶一様、お話したい方がたくさんいらっしゃるみたいですよ?」
「そうかな?」
「そうですよ。遠慮せず、どうぞ」慶一の正面から横にずれ、道を空けた。
「男の子同士がいいですか? でしたら、あちらに」手の平を上に向けて、男の子たちがいる方向に差し出した。
「邪魔だと思ってる?」
「まさか、慶一様。そんなこと、思うわけありませんよ」敢えて笑顔は作らなかった。
「思ってるよね」
「慶一様、ご存知ですよね? 私が苦手なの」
慶一が見下ろすように
「まあ、知ってるけど。私には関係ないから」
「ひどいですね」
「だいたい私より黒羽さんのほうがすごい」慶一は黒羽のいる方を向いた。
「だから、一緒にはいません」
「ドライな関係なんだな」
(ドライか……。あんなに囲まれてるのに、私が何をしているのか、ほぼ把握してるんだよね)
黒羽に目を向けた。私から黒羽のことはよく見えないが、黒羽は女の子たちよりも背が高いので、あそこにいるということはわかる。
私が初めてお茶会に出席したとき、黒羽目当ての女の子たちに囲まれた。私には耐えられなかった。女の子たちの視線が黒羽に向いているとわかっていても、ついでに飛んでくる視線が嫌だった。黒羽に、一緒にいるのは無理だ、と訴えた。
黒羽は、お茶会で女の子に囲まれているときは離れている、と約束してくれた。お茶会のあと、帰ってから黒羽のことを慰めるという条件付きだったが、一緒にいることを強要せず、引いてくれたことが嬉しかった。
納得の上の交換条件だったが、変だなと思うことがあった。後日、黒羽だけが出席したお茶会のあとに、慰めてください、約束です、と言われた。
一緒に出席したお茶会のあとはわかる。でも、別々に出席したお茶会のあとは関係ないのではないかと思った。
変だと感じたことを、そのまま黒羽に伝えた。怒られた。最初からそういう条件だった、忘れないでください、と。
約束をしたとき、私は女の子たちの視線にさらされずに済むと舞い上がっていた。ちゃんと話を聞いていなかったらしい。ごめんね、と謝った。黒羽はにっこりと微笑んで、もう忘れないでくださいね、と抱きついてきた。
「どうしたの? 黒羽さんが気になる?」
慶一がニヤニヤしながら冷やかしてきた。私が黒羽のほうを向いたまま、固まっていたからだ。
「気になるといえば、気になりますね。楽しんでるかどうか、気になります」
「楽しんでてほしくないってこと?」
「いえ、逆です。楽しんでてほしいです」
「ふーん。本当に二人はなんでもないの? あんなことしてたのに」
「あれは、鼻水が出てたから舐めただけですよ。母親が赤ちゃんの鼻を、ティッシュで拭くとかぶれるから、そうすると同じです」
前世の記憶にある。赤ちゃんの鼻を拭きすぎてかぶれるのが可哀想だから、舐めてすすって、最後にちょっとだけ拭くという記憶が。ティッシュがガサガサで、赤ちゃん用品が豊富でもなかったころの話だと思う。もしかしたら、一般的な話ではなく、私の育った家庭がそうだっただけなのかもしれない。
「赤ちゃんじゃないし。他人だし。汚ないし。そんな話、聞いたことない」バッサリと切り捨てられた。
「そういわれましても。事実なので」
「僕、お茶もらってくるね」
にこにこと私たちの話を聞いていた慶次が、お茶を配っている使用人を見つけて言った。
「私も飲みたいので、私が行ってきますよ」
「じゃあ、一緒に行く?」
「なら、私も行く」
結局、三人でお茶をもらいにいった。ついでにお菓子とケーキをもらった。空いていた丸いテーブルに、お茶やお菓子を広げた。椅子が四脚置いてあった。慶一と慶次が向かい合い、私は空いているところに座った。
失敗したと思った。庭園側を向いて座ってしまった。逆側に座り、背を向ければ良かった。
慶一目当ての女の子たちが視界に入った。少し離れたところでヒソヒソしている。
(まあ、私は慶次様と同い年だから、慶一様が弟たちの面倒をみているように見えてると思うけど……)
「今日は慶一様と慶次様、一緒なんですね」
お茶会で一緒にいるところを見るのは初めてだった。
「うん」
慶次は
「
慶一が小さい声で呟くように言った。ケーキを食べる慶次を優しい目で見ている。
「っていうかさあ」慶一はフォークでケーキを一口サイズに切りわけた。
「兄弟って、そんな一緒にいるもの? 四つ違うし、遊ぶ内容とか話とかあわなくない? 私だって、友だち付き合いがあるんだけど」切りわけたケーキにフォークを刺した。
「そうなんですか?」
今の私には兄のような人たちはいるが、弟はいない。黒羽は弟っぽくもあるが、話があわないと感じたことはない。話が通じないと思ったことはあるが。
前世の記憶も自分自身、家族については真っ白だ。自分がどうだったかがわからない。ただ前世も女性だったことは覚えているので、弟がいたとしても兄の気持ちはわからなかったかもしれない。
「菖浦ちゃんには弟も妹もいないから分かんないか」
「好きとか嫌いとかではないんですね」
「そういうのは考えたことないけど。まあ、面倒だと感じたり、かわいいと感じたり、いろいろだよ」慶一はケーキを食べはじめた。
(なるほど。慶一様はそんな風に思ってたのか)
慶一が普通に遊ぶには慶次はまだ小さい。慶一は友だちもでき、自分の世界が広がってくる。でも慶次はまだまだ慶一と一緒に遊びたい。その差が慶次の感じている、兄との間には距離がある、ということなのだろう。
(泊まりにきたときは、仲良さそうに遊んでたもんね)
慶次に目を向けた。
(あれ?)
「ふふっ。慶次様、ほっぺたにクリームついてますよ」
「え? 本当?」
どうやってつけたのか、慶次の頬の真ん中にクリームがチョンとついている。
「とりますね?」
慶次が動きをとめたので、頬のクリームを指ですくい、舐めた。ポケットからハンカチを取り出し、頬に残ったクリームを拭いた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
慶次は恥ずかしそうな顔をしたあと、にこっと微笑んだ。私までつられて笑顔になった。
「嫌じゃないの?」
ケーキを食べ終えた慶一が、テーブルに頬杖をついた。
「何がですか?」
「慶次に触るの」
「嫌ではないですね」
「そうなの? 前に嫌がってる子いたけど」
「そういう人もいれば、そうじゃない人もいますよ。私だって、誰でも平気なわけではないです」
「そう? 菖浦ちゃんは誰でも大丈夫そう。前に嫌がってた子、ひとりじゃないけど。五人だったかな? 全員、握手を嫌がってたよ」
「たまたまだと思いますよ。それに、嫌ではなかったけど、周りに流されて嫌がってしまった人もいたのではないかと」
「ふーん」慶一はお菓子をつまんで食べた。
慶次はケーキを食べ終え、お茶を飲んでいた。カップを置いた慶次と目が合った。少し首を傾けた慶次は、にこっと微笑んだ。
(かわいい。美味しかったって、顔にかいてあるみたい)
「握手しなかった女の子たちは、後悔するかもしれませんね」
「どうして?」
「慶次様はダイエットを頑張ってますし、今にきっとかっこよくて素敵な人になりますよ」
「そんなのわからなくない?」
「わかりますよ。少なくとも十二歳くらいまでは」
慶次に向けていた顔を、慶一に向けた。
「慶次様は、慶一様とよく似ていますよ」
痩せてきた慶次は、慶一に似てきた。兄弟だと紹介されたら、見た目で納得できる。
「それって、私がかっこよくて素敵ってこと?」慶一が少し照れた顔で聞いてきた。
「え? あ、そうなるのか? 慶次様を褒めたかっただけなんだけど」考えが声に出てしまった。
「どういう意味?」
「えーと。慶一様はかっこいいですね。おモテになるのも、よくわかります」
ジトッとした目で見られたので、手の平を口の前で合わせて笑顔で褒めた。「わざとらしい」と言われてしまった。
(わざとらしくは言ったけど、嘘は言ってないんだよね。本当、モテるなあ)
慶一目当ての女の子たちをチラリと盗み見た。黒羽が視界に入った。
(あ……)
「慶次様、ちょっといいですか?」
「うん」
慶次に手招きをして、少しこちらに寄ってもらい耳打ちをした。
「何こそこそしてるの?」
そういうと慶一は、背もたれに寄りかかりながらお茶を飲んだ。私たちが何を話しているのかを聞いてはきたが、興味はなさそうだ。
黒羽がやってきた。慶一たちと挨拶を交わし終わるのを待って、話しかけた。
「黒羽、ここに座って」
私の正面が空いていたが、私の座っていた席に座ってもらった。
「これね、私がもらったケーキなんだけど。お腹いっぱいで、食べられなくて。食べてくれる?」上目遣いでフォークを手渡した。
「ふふ。可愛らしいですけど。嘘ですね?」
「え……?」
「お腹いっぱいになるほど、食べてませんよね?」
(本当、よく見てるな……)
「女の子たちに囲まれて、疲れてるだろうから……。甘いものを食べてもらおうと思ったんだけど」
「そういうことでしたら」
黒羽がケーキを切りわけ口に運んだ。口に入った瞬間に、慶次に合図を出した。
「今です!」
慶次と一緒に駆けだした。私たちがテーブルから離れると、すぐに女の子たちがテーブルを取り囲んだ。
「ふぅ」
「成功?」
「はい、成功です」
慶次と両手でハイタッチをした。
黒羽は一人でこちらに向かってきていた。でも、後ろから女の子たちがついてくるのが見えていた。
慶一狙いの女の子たちも、待ちきれなさそうになっていた。
つまり、慶次を連れて逃げ出したのだ。
「最近は、慶一様ともよく一緒に遊んでるんですか?」
「うーん、前と同じ。でも、
「そうですか。お喋りしたりはするんですか?」
「うん。前はね、
(共通の話題ができて、話しやすくなったのかな?)
ゆっくり散歩しながら、これまでに出席したお茶会や好きな本のこと、天気のことなど、他愛もない話をしていた。
すると、そこに父がやってきた。
挨拶をすると、伯爵が私の前にしゃがみ込んだ。目線が同じになった。慶次たちと同じ色の瞳が私のことを見つめている。伯爵は私の手を取ると両手で包み込んだ。
「なんのことか分からないだろうが、言わせてくれ。ありがとう、助かったよ」
そういうと私の頭をなで、立ち上がった。
(わかります! 再婚問題、解決したんだ!)
役に立ったようで、本当に良かった。これで慶次が、再婚問題に巻き込まれ、お菓子のことで悩むこともなくなった。よい知らせを聞いて、嬉しくてニマニマしてしまう。
慶次のほうを向くと目が合ったので、解決して良かったねの意味を込めて、にこっと微笑んだ。慶次は何回か
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