◆051. 雪遊び
お菓子の箱だった厚紙を父に渡してから、二ヶ月ほど過ぎた。私はお菓子の箱の秘密を忘れられずにいた。
あの厚紙には、名前や生年月日、身長体重などが書かれていた。他にも、職歴や資格、家族構成、特技、借金の金額まで、事細かに書いてあった。
小さな箱だったので、厚紙のサイズはそれほど大きくはなかった。そのたいして大きくない厚紙に細かい文字でビッシリと書いてあった。
呪われたらどうしよう、と怖がるには都合が良かった。
再婚相手として推してもらうために、
でも、変だと思われてもかまわなかった。私が理解できたのは、慶次がお菓子をもらっていた理由までとしておきたかった。
再婚相手になりたいのだから、釣書を渡すことは普通のことだと思う。ただ、書く紙と渡す相手が普通ではない。
良い印象を与えたいのであれば、お菓子の箱に書くのはおかしい。それを慶次に渡すのもおかしい。慶次は使用人がお菓子をくれる本当の意味を知らなかった。
ややこしい問題なのではないかと思った。私は知らないほうが良いと思った。
もう一つ、知らないフリをしたかった理由がある。アピールポイントだ。経験人数や、夜の営みについて可能なこと不可能なことなど、性的なことばかりが書かれていた。
父にその内容を読んだと知られるのは少し気まずかった。ビッシリ書いてある文字に驚き、書いてある内容には目を通していないことにしてしまいたかった。
知らないフリ、読んでないフリは、正解だったと思う。
厚紙を父に渡してから数日後。呪われはしないが良くないものだから、絶対に口外はしないようにと言われた。お菓子の箱をどうしたのかと聞かれたら、部屋に置いておいたら
バスッ
「あ、当たった。よけないから、当たるんだよ」
大地はこの間いない。ここで働いていることは内緒だからだ。大地も遊びに来たということにすればいいと提案した。絶対にボロが出るからと却下された。
父もいない。仕事が忙しいらしい。父も大地も、本邸に泊まるそうだ。
大地がいないので、
私もできる限りお手伝いしようと思う。
(後ろから投げられた雪をどうよけろと……。しかも、頭に当てた~!)
先ほどまで、かまくらを作ろうと雪を積み上げていた。隼人、黒羽、慶一に慶次、私の五人全員で頑張ったが挫折した。
一年くらい前に、大地と隼人が、かまくらを作ってくれたことがあった。かまくらは黒羽への誕生日プレゼントだった。とても大変だったんだなと、身をもって体験できた。黒羽のために、こんなに大変なものを二人が作ったんだと思うと嬉しくて、泣きそうになってしまった。
バスッ
「あ、また当たった」
今度は背中に雪玉が当たった。ゆっくりと振り返った。
「慶一様、約束覚えてますよね?」
「約束?」
「ええ、ルールですよ。遊ぶときの」
「手加減なし、みんな平等ってやつ?」
「そうです。それです。良かったです。覚えててくださって」にこっと笑顔を向けた。
「黒羽、雪!」
「はい、どうぞ」
隣にいた黒羽に手の平を差し出すと、雪玉を乗せてくれた。二人で顔を見合わせて
「それじゃ、投げますね。慶一様」
慶一に雪玉を投げた。届かなかった。
「あっ、あはは」
慶一が届かなかった雪玉を指さしながら笑った。しゃがみ込んで、雪玉を作り始めた。
チャンスだと思い、近づいて投げた。今度は当たった。慶一が距離をとって雪玉を作ろうとするたびに、近づいてぶつけた。
「そっちは二人って。これは平等って言わないんじゃないの?」
雪玉を作るタイミングがないと、慶一が不満を
「慶一様は私よりも体力がありますし、力もありますので。これくらいで、平等ですよ~」
「って」
投げた雪玉が、慶一の背中に当たった。慶一の背中に何回か、きれいに当てることができた。
(うん。ちょっとスッキリした)
隼人と慶次に目を向けた。黒羽も私の視線を追って、二人に顔を向けた。二人は雪ダルマを作っている。
「
「そうですね」
慶次のまだ少しふっくらしている頬が、赤みを帯びていてかわいい。隼人も穏やかな顔をしている。二人の周りは、まるでお花でも舞っているかのように見える。ほのぼのしている。
「ねえ、ちょっと」
「あ、お嬢様!」
「え?」
バサッ
「う、うわっ! 冷たっ!」
慶一に、雪の塊を頭の上から落とされた。雪が首まわりに入った。
「油断するからだよ」
「も~、冷た、いっ」しゃがんで慶一の片足を両手で掴み、立ち上がりながら持ち上げた。
「うわっ」
バランスを崩した慶一は、仰向けに雪の上に転がった。慶一の近くに
「ちょっと、休憩~」雪の上に正座をした。
「冷た~。卑怯じゃない?」慶一は体を起こして雪を払っている。
「卑怯じゃありません。油断するからです」
黒羽が私の隣に
(はあ、疲れ――)
「ねえ、大地さんとはどうなったの?」
「どうとは?」
私ではない。反応したのは黒羽だ。
「け、慶一様、どうにもなりませんよ! 違いますって言いましたよね!」
「そうはいうけどさ……」
「本当に違いますから!」
「あれは、恋人じゃないとしないって」
「だから、違うって!」
「それとも、恋人じゃなくても、しちゃうような仲なの?」
「恋人? しちゃう?」
黒羽は
「ま、待って」黒羽の腕にしがみついた。
「どうかしましたか? お嬢様」
「なんでもないよ。慶一様が勘違いしてるだけだよ」
「なんでもないなら、いいじゃないですか」にこっと微笑まれた。
「う……」
「慶一様。そのお話、詳しくお聞かせくださいませんか」
(無理か……)
黒羽をとめることはできないと判断した。黒羽の腕を離し、隼人と慶次のもとへと向かった。少しの間だけでも癒されようと思った。
(なんでまた、あの話を……。恋人に興味があるの? 行為に興味があるの?)
「はあ」ため息が出た。
(思春期ってやつかな……)
慶一は十二歳だ。そういうことに興味のあるお年頃なのだろう。
隼人と慶次は、いろいろなサイズの雪だるまを作っていた。隼人が胴体を作って、慶次が頭部を作っている。今、作っているのは、大きめのサイズだ。慶次だけで頭部を胴体に乗せるのは難しそうだ。
慶次は一人で持ち上げようとした。やはり無理だったようで、隼人に声をかけた。隼人が手を貸し、二人で頭部を持ち上げた。
「お嬢様」
黒羽がこちらに向かって歩いてきていた。後ろに慶一の姿も見えた。
「話、聞いたの?」
「はい」
黒羽は目の前に立つと、私の耳の辺りを両手でガシッと掴み、少しだけ引き上げた。
「え!? なに?」
次の瞬間にはすぐ目の前に黒羽の顔があった。
ふにっ
黒羽にキスをされた。鼻に。
ドカッと音がした。呆然としていると、もう一度顔が近づいてきた。カプッと鼻に噛みつかれた。鼻筋をぬるっとした生暖かいものが通り過ぎた。
「しょっぱい」黒羽はペロッと唇を舐めた。
「そ、それは! 鼻水が出てるからでしょ!!」思わず叫んでしまった。
「な、な、な、何してるの? 話を聞いたんじゃないの? 何もしてなかったでしょ?」
「鼻がつくくらいの距離だった、と聞きました」
「でも、何もしてないよ!」
「同じではなく、少し先にいかないと」
黒羽の顔がまた近づいてきた。黒羽の腕を掴んで体を強ばらせていると、黒羽の唇は鼻ではなく耳元に寄せられた。
「おでこにキスされましたよね?」
「な、なんで、知っ――」
「されてるじゃないですか」
(かまかけられた!)
「他には?」ジッと見つめられた。
「他にも何も、なんにもしてないよ!」
「おでこにされてたくせに」
「そっ、それは……」
「……これくらいですかね」しばらく私のことを見つめていた黒羽は、そういって私の顔から手を離した。
黒羽の後ろで、慶一が片手で口を押さえて、目を見開いている。
横を見ると、雪だるまの頭部は雪の上で割れていた。慶次は目をまん丸にしている。
隼人が無表情で近づいてきていた。私たちのそばまでくると、手を振り上げて、バシンッと黒羽の頭をひっぱたいた。
「いった」
「こら! 黒羽! 何やってるんですか!」
隼人は綺麗な雪を拾い上げると、私の顔に押しつけた。
「ん~~!? 冷たっ! ペペッ。口に入った~! ふぐっ」今度はタオルが押しつけられ、そのまま上下に動かされた。
「痛い、隼人、痛いってば~」
「大丈夫ですか?」
私の顔からタオルを離すと、隼人は心配そうに
隼人は、
今の行為は、興奮してしまった私の気をそらすためのものだったようだ。
「
「いいえ。
「ふふ。何それ」
「焦りすぎましたねえ。ふふふ」
隼人と顔を見合わせて笑ってしまった。
隼人は黒羽に近づき、黒羽の肩をグイッと引き寄せた。
「小清水家の方々がいるのにやりすぎです。いなくてもやりすぎ!」
私たちにだけ聞こえるくらいの声で注意した。
「はい」
「反省してませんね。本当にもう!」
隼人は黒羽の顔に、正面から雪をグリグリと押しつけた。黒羽は、冷たい、痛い、と苦しがっていた。
翌朝、起こしにきてくれた黒羽はとても疲れている様子だった。どうしたのか聞くと、なんでもありませんと力なく微笑んだ。
食堂に行くと、上機嫌の隼人がいた。
「何かいいことでもあったの?」
「ええ。今日は、黒羽が雪かきを担当してくれるんですよ。朝も早くから頑張ってくれて。とても助かったんです」
「そうなんだ。だから疲れてるんだね」
黒羽に視線を向けると、黒羽がにこにこしながらとても小さい声で「鬼」と呟いた。
「そんな、鬼だなんて。私なんてまだまだですよ。期待に応えたほうがいいんですかね?」
「え!? いっ、言ってません。鬼だなんて言ってませんよ!」
黒羽は、隼人の言葉にあわてふためいた。聞こえるはずがないと思っていた呟きに、隼人が反応したので驚いたのだと思う。
朝食中、隼人はにこにこしていたが、黒羽は顔をひきつらせていた。慶一も慶次も変な空気を感じたらしく、二人とも首を傾げていた。
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