◆050. お菓子の箱
三日前、父に強制的に
今にも触れてしまいそうな、キスしてしまいそうな格好のまま、しばし呆然としていた。そんな状態のところに、飲み物をもらいに行っていた
大地が騎士団に入団する旨は、私が倒れて眠っている間に、父から
昨日の夕方、大地が帰ってきた。夕食後に、改めて大地の口から、春になったら出ていくと打ち明けられた。
(今がチャンス!)
大地と
「あ~、あれな。うまいこと言っといたから大丈夫」
慶一と慶次に見られてしまった不自然な格好は、私の具合が悪そうだったから顔色を見ていたと説明したらしい。
「実際に倒れたし。信じてたよ」
「ほ、本当? 良かった! お父様には?」
「普通に、氣力が漏れたって伝えたけど」
「それは知ってる。そうじゃなくて、原因は? 漏れた理由は、なんて言ったの?」
「気になるのか?」
「なるよ!」
「ふーん」大地はニヤニヤしている。
「はやく教え――」
「大地、
「げ……」
「てぇ!? お、お父様……」
休みで家にいることは知っていたが、いつの間にか近くに立っていたことに驚いて変な声が出てしまった。
なぜあんなことになったのか、と理由を聞かれた。大地からは聞いたが、二人揃っているときに再度確認しようと思っていたのだそうだ。
「俺とのお別れが悲しくて、だよな」
大地が
(なるほど。隼人たちにしてたのと同じ説明を……)
にこっと微笑むと、大地はホッした顔をした。父のほうを向いて、大地よりは正直に話した。
「突然のことに驚いて、氣力が漏れたら、それを大地がおもしろがって……むぐ~」大地の手に口をふさがれた。
「何言ってんだよ」
「大地」父が大地を睨んだ。目が光ったような気がした。
大地の力が緩んだので、両手で大地の手を口元から外した。
「ぷはっ。おもしろがって煽ってきて、頭にきて、一気に漏れて倒れました~」
父に
「裏切ったな!」
「裏切ってない!」
「大地は氣力が漏れるところが見たいのか?」
「えっと、まあ、見たい……けど」
「そんなに見たいなら、私に言いなさい。いつでも見せよう。ただし、見せるに値する強さを示してもらう」
「え? いや、今日は……。っていうか、別にいいっていうか……」
「遠慮するな。さあ、行こうか」
「え、いや……、う、嘘だろ……」
大地は着替えさせられ、裏庭に連れていかれた。しばらくしてから、隼人と黒羽と三人で、裏庭に見学をしにいった。一方的、という言葉が頭に浮かんだ。
「お父様って強いね」
「天罰……」黒羽が呟いた。
「ええ、天罰ですよ」隼人が
昼食のとき、父は平然としていたが、大地はボロボロになりへばっていた。「こうなりそうな感じがしたから、今まで見せてって頼まなかったのに」と、大地はぼやいていた。
「僕がカードを配るね」
父に連れてこられたが、父はいない。小清水伯爵と出かけた。私を小清水邸に降ろし、伯爵を拾っていった。
「はい。どうぞ」
慶一がトランプを差し出してきた。慶一の手札から一枚抜いた。ジョーカーだった。
慶次に手札を向けると、慶次が一枚抜いた。慶次の手札にペアができ、場に二枚カードを捨てた。手札を慶一に向けた。
慶一と慶次、私の三人で、ババ抜きをしていた。
(なんで、慶一様がいるんだろ……)
私に気をつかってくれて、今日も使用人はいない。でも、慶一はいる。
慶一とは、まともに話をしたことはないが、顔を合わせてはいる。知らない人ではないという判断なのかもしれない。
(それに、お兄ちゃん大好きだもんね)
慶次は、兄と遊べて嬉しそうだ。かわいい笑顔をしている。痩せてきたので、出会ったときの縁起の良さそうなぷっくりした笑顔ではなくなってきた。
(大型犬の仔犬感は健在だけど。それにしても……)
「慶次様、また痩せましたね」
「えへへ。そう?」
「この前、会ったときから、少ししか経ってないのに。すごいですね。……無理はしてませんか?」
「大丈夫だよ。あのね、運動するようにしたんだよ」
「そうなんですか。寒いのに、偉いです」
「寒いけど。
「慶次様が頑張ってるから、褒めちゃうんですよ」慶次につられて、私も笑顔になった。
慶次は、使用人たちがくれるお菓子を断るようになった。会うたびに痩せてきているのがわかった。
お菓子を断ることをすすめたのは私だが、きっと私にはできなかったと思う。お菓子をもらって食べてしまうと思う。
それだけでも偉いのに、さらに自主的に運動まではじめたらしい。頑張っていて、すごいと思う。
「うーんと、こっちかな?」
「あ……」
慶次の手札の最後の一枚がペアになった。私の手元にはジョーカーが残った。
「
慶次が部屋を出ていってしまった。慶一と二人きりになってしまった。非常に気まずい。
「ねえ、
「なんでしょうか? どちらでもかまいませんけど……」
「慶次が、
「では、そちらで」
「けどさ。大地さんの恋人に、ちゃん、もどうかと思いまして」
「は?」思わず素で返してしまった。
「違うんですか?」
「ち、ち、違いますよ! 大地は、恋人ではありません!」
「でも、呼び捨てだよ……ですよね?」
「そ、それは……」
使用人だということは、内緒と言われた。なんと返せばよいのだろうか。
「ち、小さいときから、遊びに来ていて。知り合いだから……」
(これで大丈夫かな? 余計なこと言ってたらどうしよ……)
「キスは? 恋人じゃないのに、キスするんですか?」
「キ、キスなんてしようとしてませんよ。具合が悪くなったのを、心配してくれていただけです。恋人ではありませんので、
笑顔を努めたが、できていたかわからない。顔色を見ていたということで納得したと聞いていたのに、話が違う。帰ったら、大地の
(心臓に悪い。逃げよう)
「お手洗いをお借りしますね」
慶一と二人きりの部屋から逃げ出した。廊下を歩いていると声が聞こえてきた。
「慶次様、お菓子はいかがですか?」
女性の声だ。どうやら、使用人が慶次にお菓子をあげようとしているところに遭遇したようだ。
廊下を左に曲がった先の方から声がした。左側の壁により、様子をうかがうことにした。なんとなく通りにくかったので、待とうと思った。
「ありがとう。でも、あなたが食べてよ。僕は気持ちだけで嬉しいよ」
慶次は断った。言葉がスラスラと出てきていた。断り慣れているのだろう。
「私のだけ受け取ってくれないんですか?」
「え? 違うよ! みんなから、もらってないよ」
「だって、前は受け取ってくれましたよね?」
「だから、ダイエットを始めたからだよ」
(……雲行きが怪しい?)
「何しているの?」後ろから慶一が来ていた。
人差し指を口の前に立て、声を出さずに、シーッ、と口だけ動かした。慶一はそれ以上喋らず、私のそばまでくると同じように壁によった。
「美味しいお菓子をあげますから」
「いいよ……。気持ちだけで大丈夫……」
「旦那様によろしく伝えてください。お願いします。ね?」
「え? お父様って?」
「そんな白々しい。再婚相手の候補のことですよ」
(再婚相手? 候補?)
「再婚って?」
「あ、慶次様! お手洗いってどこでしたっけ?」
慶次と使用人から見える位置に、飛び出していた。再婚相手の候補と聞いて、体が勝手に動いてしまった。
使用人は、慶次の胸に箱を押しつけていた。
「わあ、お菓子ですか? 嬉しいな。お茶と一緒にいただきましょう」
「う、うん」
慶次がお菓子を受け取ろうと、お菓子の箱を掴んだ。どういうわけか、使用人はお菓子の箱から手を離さなかった。
「えっと、あの……」慶次が戸惑っている。
「やっぱり、これは……。慶次様のダイエットの邪魔に――」
「三人で食べるから大丈夫ですよ」
いつの間にか私の隣に立っていた慶一が、使用人に向かって言った。
「あ……、慶一様……」
「ありがとうございます」
慶一がお礼を言って微笑むと、使用人は箱から手を離し、そそくさと行ってしまった。
そのまま三人でお茶をもらいに行った。
(慶次様がもらっていたお菓子に、あんな裏の意味があったなんて)
「お手洗いは?」
「あ、そうでした。急がないと」
部屋に戻る途中、慶一に確認された。トイレに行きたかったわけでないので、忘れていた。一応、トイレに寄ってから部屋に戻ることにした。
トイレから出ると、慶一が待っていた。
(なんでいるの)
「さっきのは、どういうこと?」
「お菓子のことですか?」
慶一は、そう、と
「使用人の方々が、内緒でお菓子をくれるそうですよ。日によっては何回も。あれ? でも慶一様も経験あるのでは? 断ってるそうですけど」
「一度もないね」
「え? ないんですか? それじゃ…」
慶次は、慶一は断ってる、と言っていた。
「慶次様が断りにくいように、そう言ってたんですかね? 慶一様はもらってくれないけど、慶次様はもらってくれますよね? って」よくわからない状況に首を
部屋に戻ると、お茶とお菓子の用意がしてあった。先ほどもらった箱には、個別包装のマカロンが三つ入っていた。ちょうど一人一つずつだ。かわいいサイズのお菓子だが、一日に何箱も一人で食べていたら太るだろうなと思った。
(旦那様によろしく、か……)
「使用人の数……、多いですよね。名前って全員覚えてますか?」
「多いかな? 普通じゃない? 昔からいる人は覚えてるけど。出入りの激しい部分は、覚えてないかな」
慶次はお茶をすすりながら、慶一と私の顔を交互に見ていた。慶一が「慶次は?」と聞くと、「僕も」と
「さっきの人、お菓子をくれた人はどうですか?」
「知らない」
「僕も」
二人とも知らないらしい。名前も覚えられていないのに、お菓子を渡して意味があるのだろうか。
(再婚相手の候補か……)
再婚相手という言葉に、ひな先生を思い出して嫌な気分になった。
お茶を一口飲み、はあ、とため息を
「この箱って、捨てちゃいますか?」
「うん。
「はい」
「どうぞ。あげるよ」
「ありがとうございます」
慶次が箱を手渡してくれた。
かわいいサイズの箱だった。小物入れの仕切りにちょうど良いのではないかと思った。模様は好みではなかったが、そこはどうにでもなる。
小清水邸からの帰りの馬車の中で、バッグからお菓子の箱を取り出した。
(こういう厚紙を折って作られているような箱は、一度開いて、ひっくり返せば……)
好みではない模様を、見えないようにしてしまおうと思った。
破かないように、丁寧に箱を開いた。
(え? 何これ……)
厚紙になった箱を、呆然と見つめていた。
「
厚紙を見つめたまま動きを止めた私を不思議に思ったのだろう。父に声をかけられた。
「あ……、お父様、えっと……」
厚紙をどうすべきか
(いや、迷う必要ないか。これは、私にはどうしようもない……)
「お父様、見て。これ」厚紙を父に渡した。
父は受け取り、目を通すと、眉間にシワを寄せた。口元に片手をあて、しばらくの間考え込んでいた。
「
小清水邸で起こったことを父に話した。再婚相手という言葉に、父が少し反応したような気がした。気づかないフリをして説明を続けた。
「――で、模様が好きじゃなかったから、ひっくり返そうと思って。そしたら、文字がいっぱい書いてあって……」
「呪いとかだったらどうしよう!」父の腕にしがみついた。
呪いだなんて思ってはいない。ただ、私は書いてある内容を理解していない、と思われたほうが都合がよいと思った。
「そうか、大丈夫。呪われたりはしない。安心しなさい」
父が反対側の手で頭をなでてくれた。小清水家の再婚問題は、きっと父がなんとかしてくれる。そう思って、私はお菓子の箱の秘密を忘れることにした。
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