054. 変な決まりごと(黒羽)


「ソフトクリーム食べたい」


「少し寒くないですか?」


「寒くても食べたい。あとで、あったかいの飲めば大丈夫。ね、黒羽、お願い」


(かわいい)


 お嬢様と僕は、百貨店の屋上から町を眺めていた。


 今日は、旦那様が買い物に連れてきてくれた。お嬢様は本を五冊買ってもらって上機嫌だ。旦那様と隼人はやとはまだ買い物中で、お嬢様と僕は屋上で待っているようにと言われた。屋上は、ちょっとした遊具や、休憩場所が設置されている。軽食も売っている。


「ね。味は選ばせてあげるから。ソフトクリーム買いに行こう」


 お嬢様がつないでいる手をグイグイと引っ張り、ソフトクリーム売り場へ向かおうとする。素直についていってもいいが、可愛らしいので少し抵抗した。


「風が冷たいですよ」


 今日は暖かいが、風が吹くと屋上は肌寒かった。


「大丈夫。大丈夫だから、ね。お願い」


 お嬢様はつないでいた手を離し、腕にしがみついてきた。腕を組んで、引っ張りはじめた。


(かわいい)


 お嬢様が僕にここまでお願いをするのには、理由がある。屋上で何か食べるようにと、旦那様からお金を渡されたのが僕だからだ。お嬢様はお金を持っていない。


「仕方ないですね」


「やった。じゃ、行こう。なんの味にする?」


 お嬢様は腕にしがみつくのをやめ、僕の手を握り歩きはじめた。


「お嬢様は、どれがいいんですか?」


「決められないから、選ばせてあげる」


「それは、選ばせてあげるとは……」


「黒羽の食べたいのが、食べたいな」僕の手を引っ張りながら、にこっと微笑んだ。


「かわいい」呟いた。


「なに?」


「かわいい」目を合わせて、はっきりと言った。お嬢様は、眉間にシワをよせ身構えた。


「ここでは、抱きつかないでよ」


「いいじゃないですか」


「よくない。ダメ」


「じゃあ、帰ったら」


「覚えてたらね」


「覚えてるに決まってるじゃないですか」


「わ、た、し、が、覚えてたらね」


「ズルい。ソフトクリーム買いませんよ」


「ズルくない。それとこれとは話が別!」


「いらっしゃいませ~。ご注文は?」


 ソフトクリームをだしにして、甘えさせてもらおうと思った。失敗した。歩きながら話していたので、店の前についてしまった。


「黒羽、好きなの注文していいよ」お嬢様が耳打ちしてきた。


「それじゃ、温かい紅ち――いてっ」背中を叩かれた。お嬢様がブスッとした顔をしている。


「ソフトクリーム、ひとつください。バニラとチョコのミックスで」


「は~い。スプーン、いくつ付けますか?」


「ひとつでいいです」


「はい、どうぞ、お兄ちゃ……、あ、弟くんが持つのかな?」


 ソフトクリームを手渡そうとした店員に、お嬢様が手を伸ばした。弟くんと呼ばれたお嬢様は、うなずいてソフトクリームを受け取った。


 僕がお金を払い終わると、再び手をつなぎ、空いているベンチへと歩きだした。


 お嬢様のことを、弟くん、と呼んだ店員を、目が悪いんじゃないかと怒ったりはしない。店員が弟だと思ったのは、仕方のないことだ。お嬢様は男の子の格好をしている。髪の毛もひとつに結び、キャスケット帽の中にしまい込んでいる。


 お嬢様が買い物に出かけるときは、いつもこんな感じだ。男の子に見える格好をする。


 四月になってから、たまに本邸に行くようになったのだが、そのときも同じような格好をしていく。しかもなぜか、表門から入ったり、裏門から入ったりする。


 お嬢様は動きやすいと喜んでいるが、変な決まりごとだなと思う。


「はい、黒羽。一番上、パクッといっちゃっていいよ」


 ベンチに座ったお嬢様が、ソフトクリームを差し出してきた。上の部分を一口食べた。美味しいが、冷たくて少し寒くなった。


「美味しい? 私も~」僕が食べたところと同じところをパクッと食べた。


「ん~、美味しい。でも、ちょっと、寒いかも……」


 お嬢様は少し身を震わせると、二口目からはスプーンを使って食べはじめた。バニラだけ食べたり、チョコだけ食べたりしている。


「お嬢様、僕にも」


「どこ食べたい?」


「どっちもで」


「わかった。はい、あーん」


 お嬢様は、バニラとチョコの部分すくうと食べさせてくれた。


 買い物のとき、いつもお嬢様と二人でこんな風に過ごしているわけではない。二人きりなのは、今回が初めてだ。

 今までは、大地だいちか隼人が必ずいた。そして、必ず手をつないでいた。つながされていた。離すと怒られていた。お嬢様がトイレのときは、トイレの前で待ち、出てくるとすぐに手をつないでいた。


 お嬢様が僕と手をつないでいたのは、そのくせがあるからだ。今はソフトクリームを食べているのでつないでいないが、食べ終わったらまた手をつなぐ。お嬢様からつないでくると思う。


(今回が初めてといえば……)


 今日は旦那様が一緒だ。今までは、一緒に出かけてきても、一緒に買い物をしたことがなかった。店に着く前にいなくなり、買い物が終わると合流していた。それも、お嬢様がいるときは、だ。お嬢様がいないときは、普通に一緒に買い物をする。


(大地がいなくなったからと言えなくもないけど……。そういえば、隼人が変なこと言ってたな)


 もう男の子の格好やめますか? と旦那様に聞いていた。たぶん、今日の話だと思う。旦那様は、念のため、と言っていた。


(する必要がなくなった? ってことは、今まではする必要が――)


「っ!?」


「あはは。ビックリした?」


 スプーンですくったソフトクリームを唇にあてられた。冷たくて驚いてしまった。


「はい、口あけて」


 口を開けると、ソフトクリームを食べさせてくれた。


「どうしたの? やっぱり寒くて、食べたくない?」


「まあ、少し寒いですけど。美味しいですよ」


「じゃあ、もっと、食べなよ。はい」


 ソフトクリームとスプーンを手渡された。ソフトクリームは、上の部分が七割ほどなくなっていた。もうスプーンは使わないと思い、近くのゴミ箱に捨てた。コーンの部分にかじりついた。

 お嬢様が少しだけ空いていた僕との間を詰めて、ピッタリとくっついてきた。


(かわいい)


「コーンは食べたくないんですね」


「そ、そんなことないよ。ソフトクリームもいっぱい残ってるでしょ」


「コーンの部分が近くなると、いつも誰かにあげようとしますよね」


「いつもじゃないよ」


「今日は寒いから、上の部分を多く残したんですか?」


「そんなこと……、あるけど」


 お嬢様は、「バレたか」と呟いた。ソフトクリームを持っていない方の手でお嬢様の手を握った。「あったかい」と言って、両手で僕の手を握りしめた。


「明後日は、また本邸だね」


「そうですね。嫌ですか?」


「嫌ってほどじゃないんだけど……」


「知らない人、ですか?」


「う、うん。でも、れないとね」


「使用人は平気なんじゃないんですか? お茶会のときは平気ですよね?」


「あれは、その場限りだから……。はあ」


「大丈夫ですよ。すぐに仲良くなれます。変な人はいな……」いないと言ってよいものか迷いながら、コーンをかじった。


「ちょっと、いないって言い切ってよ」


「いや、ひとりだけ。怪しいな、と」


「あ~、ふふ。確かに。でも、あの人はきっと大丈夫」


「あの人が大丈夫なら、みんな大丈夫なんじゃ」


「……それもそうだね。ふふ」


 本邸には、使用人が五人いる。普通の使用人が二人、旦那様の仕事も手伝う人が二人、庭師兼御者ぎょしゃが一人だ。

 お嬢様はれずに緊張している。本邸には、まだ数回しか行ったことがない。れるのはこれからだろう。


 ちなみに、僕が怪しいと言ったのは、庭師兼御者ぎょしゃの人だ。なんとなく見た目と雰囲気が怪しい。ここまで馬車できたので、その人も一緒に来ている。


 ビュウウッと強い風が通り抜けた。


「わわっ。さ、寒い~」


 お嬢様は帽子を手で押さえ、僕のほうを向いてくっついてきた。チャンスだと思い、急いで残っていたコーンを頬張った。コーンに巻いてあった紙を握って丸め、お嬢様からあまり離れないように、手を伸ばしてゴミ箱に捨てた。


「かわいい」


 ソフトクリームを持っていた方の手で抱きしめた。もう一方の手は、お嬢様の手を握ったままだ。


「食べ終わった? あったかいの買いに行こう?」


 お嬢様が腕の中でモゾモゾしている。ここでは抱きつくなと言っていたが、嫌がらずにおとなしくしている。寒いから容認しているか、忘れているかのどちらかだと思う。


(頬ずりしたいけど……。帽子が邪魔だな)


 取ってしまいたかったが、それはよくないような気がしたので、そっと頬を寄せるだけで我慢した。


「ねえ、買いに行こうよ」


「そうですね」


 体を離して、立ち上がった。お嬢様の好きそうな温かい飲み物を販売しているところを探そうと、並んでいる店を見回した。


「うう~、離れると寒い~」


 お嬢様がまたピッタリとくっついてきた。可愛らしいので抱きしめようとした。でも、お嬢様は、「あ!」と声を上げて体を離した。手も離そうとしたので、ギュッと握りしめ放さなかった。


「どうしたんですか?」


「隼人を見つけたから、迎えに行こうかと思って。ほら、あそこ」


 お嬢様が顔を向けたほうを見ると、確かに隼人がいた。誰かと話をしている。相手は見えなかった。話が終わったらしく、こちらに向かって歩きだした。


 お嬢様が手を振ると、それに気づいた隼人がにこにこしながら小走りで近づいてきた。


「お待たせしました。帰りましょう」


「はあい」


 三人で出入り口に向かって歩きはじめた。出入り口の近くまで行くと、「あ、お父様」と言って、お嬢様は駆けていってしまった。僕からも旦那様が見えたので、つないでいた手は素直に放した。


「はあ」


「どうかしました? 黒羽。ため息なんていて」


「なんでもありません」


「ふふ。お嬢様との楽しい時間が終わっちゃって寂しいんですね」


「わかってるじゃないですか……」


「まあ、黒羽のことですから」肩をポンポンと軽く叩かれた。


 お嬢様は旦那様に抱きついていた。旦那様は嬉しそうな顔をしていた。

 そんな二人を見て、僕もなんだか頬が緩んだ。隣で隼人が、ふふっ、と声をらしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る