第2章 ② 別邸 8歳

◆042. お茶会 1/2


 八歳になって、三ヶ月が過ぎた。


 小清水こしみず伯爵邸の庭園で開催されている『十五夜の会』にやってきていた。

 『十五夜の会』といっても、今は昼だ。九月に催されるお茶会のことをそう呼んでいる。


 小清水家の長男が十二歳で、同じくらいの年齢の子どもとその親が招かれた。見せてもらった招待状には、気軽なものですのでご兄弟姉妹もどうぞ、と追記されていた。

 湖月こげつ家で招待されたのは、父と黒羽くろはだ。私はおまけだ。おまけだが、私にとっては初めてのお茶会だ。黒羽はすでに何回か経験している。


 黒羽の名字は『湖月下こげつした』という。援助されている間は、援助者の名字+『下』を名乗る。


 『下』付きの子が、援助者より格上の華族かぞくのお茶会に招待されることはまずない。伯爵家から男爵家が援助している子に招待状が送られてくるのは、とても珍しいことだ。

 それなのに黒羽には、格上華族からのお茶会の招待状がよく届く。


 その理由は父にある。


 父は学園で三年間、剣術部と体術部を掛け持ちした。卒業後、二年間だけ騎士団にいた。そのときの繋がりが、今も活きている。


 小清水家の男子は特別な理由がない限り、剣術を習い、騎士の資格を取り、騎士団に入団する。小清水伯爵と父は懇意こんいな間柄だったため、今回招待された。

 小清水家以外にも、招待状を送ってくれる華族がいる。ほぼ、倶楽部くらぶか騎士団関係者だ。


(お父様ってすごいんだな……。まあ、『鬼神きしん』なんて二つ名が付くくらいだもんね)



 父と黒羽と一緒に、小清水伯爵に挨拶をした。緊張していて、どう振る舞ったのか記憶があいまいだが、普通に挨拶できたと思う。

 招待された人におまけが加わり、広い庭園は賑わっている。庭園の広さに驚いたが、人の多さにも驚いてしまった。


(華族っていっぱいいるんだなあ)


 父にピッタリと寄り添ったまま、庭園を見渡した。お茶会と聞いて想像した通りの雰囲気だった。

 気軽なものとは書いてあったが、私が普段着ているような軽装の人はいない。ピアノやバイオリンの発表会みたいな格好の子がほとんどだ。男の子の服は落ち着いた色が多い。女の子の服はカラフルだ。緑の多い庭園によく映えている。


(うわあ。みんな可愛らしいな~)


 父は、あの傷隠しを着用し、仕事に行くときのような格好をしている。

 黒羽は、白いシャツにグレーチェックのベストスーツを着て、ネクタイをしめている。髪も整えている。いつもはよい意味で無造作ヘアだ。今日は斜めにわけて、少ないほうを後ろに流している。普段とはまた違う雰囲気だ。


(黒羽が髪の毛をいじってるところ、初めて見たかも……)


 私も可愛らしい格好をしている。白色のフリルのブラウスに、菫色すみれいろのボリュームのある膝丈のスカートを穿いている。ブラウスと、ハーフアップにした髪の毛に結んである白色のリボンは、去年の冬に隼人からプレゼントしてもらったものだ。

 いつもより少し動きにくい今日の服装を、隼人と黒羽は可愛らしいと喜んでいた。


(お父様もか。大地以外だな……。みんな喜んでるんだから、大地も喜べばいいのに)


「私は挨拶がある。せっかくだから、同じ年頃の友だちを作りなさい」


 父はそういうと、私の頭をなで、大人が集まっているところに行ってしまった。


「ええ~。無理~」立ち去ってしまった父に、少しだけ手を伸ばして呟いた。


「おじょ……、菖蒲あやめ様、向こうでお菓子でも食べましょう」


「うん」


 黒羽は、お嬢様、と呼ぼうとして、菖蒲あやめ様、と呼び直した。このような場所では、お嬢様と呼ぶのはやめてほしいとお願いした。父も、それがいいだろう、と言ってくれた。


(なんか……、変だな……)


 黒羽が、私のことを名前で呼ぶことに対して、違和感をいだいたわけではない。スカートに囲まれているような気がする。


 周りを見てみると、私より年上の女の子がたくさんいた。二人、三人組の女の子たちは、ヒソヒソと何か話している。一人でいる子は、チラチラとこちらを見ている。


(え? 何これ。どういうこと? 女の子の密度が……)


菖蒲あやめ様、はい、どうぞ」


「あ、ありがとう……」


 黒羽が、テーブルに並べて置いてあった透明なビニールの袋を取ってくれた。袋の口はかわいいテープで閉じられている。中には種類の違うクッキーが五枚入っていた。

 黒羽は、自分の分の袋を開けると、一枚つまんで差し出してきた。


「あーん」と言われ、口を開けた。


 黒羽が嬉しそうに私の口にクッキーを入れた。周りがザワついた。


(ん?)


菖蒲あやめ様、僕にも!」


 袋を差し出してきたので、一枚取った。黒羽が口を開けたので、クッキーを入れようとすると、またザワついた。


(ま、まさか……、私たち? 見られてる?)


 動きを止めた私の手を、黒羽が掴んで引き寄せた。指ごと、パクッと食べられた。


菖蒲あやめ様が、ちゃんと口に入れてくれないからですよ」


 黒羽が、にこっと微笑んだ。


「きゃーー!」

「今のご覧になりました?」

「素敵な笑顔……」

「この前もお見かけして、今回もお会いできるなんて」

「是非、お知り合いになりたいですわ」


 抑えられてはいるが、周りの女の子たちから黄色い声があがった。


(そっか。私たちじゃなくて、黒羽か……)


 黒羽はかっこいい。美少年だ。黒羽目当ての女の子たちが周りに集まってきていた。十人以上はいそうだ。目が合うと気まずいので、見回せないが、目に入るスカートの数はそれくらいあった。


菖蒲あやめ様、もう一つ。あーん」


「じ、自分で食べられるよ」


 黒羽が差し出してきたクッキーを、指でつまんで受け取り、自分で口に入れた。黒羽が少し口を尖らせている。


「周りに人がいっぱいいるからね」黒羽にだけ聞こえるように、小さい声で言った。


「ああ、いつものことですよ。気にしなくて大丈夫です」


「いつもなの!?」


「はい。無視したいところですけど、それで旦那様にご迷惑をかけるわけにもいきませんので。それなりに対応してますよ」


「じゃあ、今日も……」


「今日は、菖蒲あやめ様のお茶会デビューの日ですからね。邪魔はさせません」


「邪魔って……」


「まあ、デビューとか関係なく一緒にいますけど。特に最初は大事ですから」


「そ、そう」


 おそるおそる周りを見回してみた。女の子たちは、黒羽のことをポーッと見つめているか、友だちときゃあきゃあ言いながら見ていた。私のことをにらんでいる人も三人くらいいた。


(こ、こわい。私が邪魔なんだろうな)


 使用人が視界に入った。少し離れたところで、ジュースを配り歩いている。


「黒羽、ジュースもらいに行こう」


「はい。いいですね」


 黒羽と一緒に、ジュースをもらうために移動した。周りの女の子たちもついてくる。


 使用人から、ジュースの入ったコップを二つ受け取った。一つを黒羽に渡した。


「それじゃあ、黒羽。私のお茶会デビュー、えっと、おめでとう?」


「おめでとう? ございます?」


 コップとコップを、音がしないよう静かにくっつけ、離した。コップに口をつけ、ジュースを一気に飲み干した。


「はあ、美味しい。もっとゆっくり飲めば良かった~。……じゃなくて!」


 コップに向けていた視線を、黒羽に向けた。


「黒羽、これで、私のお茶会デビューは完了したよ。周りの子たちと話してきなよ」


「お断りします。菖蒲あやめ様と一緒にいます」黒羽はジュースを飲みながら、ジトッとした目をこちらに向けた。


「そんなこと言わな――」

「妹さんですか?」


 知らない女の子が、私と黒羽の間に割って入ってきた。黒羽の機嫌が悪くなるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。


(いい笑顔……。ん? 作ってる?)


「妹では――」

「ジュース! もっとジュースが飲みたいな。それちょうだい」


 黒羽の言葉をさえぎり、コップを取り上げ、数歩下がった。


菖蒲あやめさ――」

「お兄様。不慣れな私にお付き合いくださって、ありがとうございます。もう、大丈夫ですから」


 黒羽は、キョトンとしている。


「ね、お兄様」


 首を傾け、にこっと黒羽に微笑んだ。黒羽は片手で口をおおった。口元は見えないが、目元がニヤニヤしている。


「私は一人でも大丈夫です。それでは、お兄様。またあとで」


 振り返り歩き出すと、後方が騒がしくなった。チラリと見ると、黒羽が女の子たちに囲まれていた。


(うわあ、すごい。モテモテだ)


 黒羽は、無理に私を追ってくることはせず、笑顔で対応している。


(偉いよ、黒羽。追ってこないことも偉いけど、その人数を相手に……。私にはできない。まあ、囲まれることなんてないけど)


 妹かと聞かれ、とっさに兄という設定にしてみたが、成功したようだ。周りに対してではない。黒羽に対してだ。以前、隼人に向かって、お兄ちゃんと言ったとき、とても喜んでいた。

 黒羽も喜ぶのではないかと思った。ニヤニヤしていたので、喜んでいたと思う。きっと、あの場から逃げ出した私を許してくれるはずだ。


 それに、私の相手ばかりしていてはいけない。黒羽だけが出席しているお茶会もある。そのときは、対応していると言っていた。それだけでも十分なのかもしれないが、チャンスは多い方がよい。


 黒羽にとっての運命の出会いが、いつ訪れるかわからない。私と一緒のお茶会のときに、黒羽が夢中になるような人がいるかもしれない。それを逃してしまっては大変だ。



(あ、あった)


 空いたコップの置き場所を見つけた。黒羽から取り上げたコップに、まだ半分くらい残っていたので、それを飲み干した。コップを二つ、テーブルに置いた。クッキーをどこで食べようかな、と思いながら振り返った。


 ドンッと体に衝撃を受けた。


「いたっ」


 振り返り一歩踏み出した際に、横から来た人にぶつかってしまった。転んでしまうかと思うくらいの衝撃だったが、転ぶことはなかった。


 ぶつかってしまった人が、抱きとめてくれていた。


「す、すみません。ありがとうございます」


「ん、平気。大丈夫?」


 顔を上げて見てみると、私より二十センチくらい背の高い男の子だった。黒羽と同じくらいの背の高さだ。

 招待されているのは、十二歳前後の子なので、私より四つくらい年上なのかもしれない。


「大丈夫です」


「そう。良かった」


(え!?)


 耳の辺りに、温かい息を感じた。抱きしめられていた。

 男の子は、おおいかぶさるように上からギュッと抱きしめ、耳の辺りに顔を寄せていた。


「えっと……」


「ぶつかってごめん。じゃ」


 男の子は体を離すと、振り返ることなく行ってしまった。男の子の髪色は茶色だが、太陽の光に透けた髪の毛は赤色っぽく見えた。


(キレイな色……)


(あっ! い、今の見られてないよね!?)


 ハッとして、キョロキョロと周りを見た。今の出来事を見ていた人はいないようだった。ホッと胸をなでおろした。コップ置き場が、庭園の外れにあって良かった。


 下に落としてしまっていたクッキーの袋を拾い上げた。開けていなかったので、散らばるようなことはなかった。数枚割れてしまっていたが、食べる分には問題ない。割れてしまっていたクッキーを二枚、一枚分を口に入れた。


 庭園に目を向けると、囲まれている黒羽が見えた。黒羽のことはよく見えないが、周りの女の子たちは楽しそうだ。


 自分の胸に手をあてた。


(イライラしてない)


 田中ひな先生が、黒羽にベタベタしているのを見たときは、イライラしていた。でも、今は女の子に囲まれている黒羽を見ても平気だ。むしろ、頑張れと思っている。先生のときと今の状況の違いは、わからない。


(もしかして、私がひな先生のこと嫌いだっただけ? それとも長期的になるとイライラするのかな?)


 とりあえず、イライラしていない自分にホッとした。やはり、視野が狭くなっていたのかもしれない。そうだとしたら、そのことに気づけて良かった。気づいたことで、イライラしなくなった可能性がある。



(さてと、これからどうしよっかな)


 クッキーをつまみながら、何をして時間を潰そうか考えた。周りに時間を潰せそうなものはない。美味しいクッキーを飲み込んでから、はあ、とため息をいた。

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