027. 〔22. 愚行〕(隼人)

※『22. 愚行』の、隼人視点。



 黒羽くろはの部屋の床に、毛布にくるまった先生がへたり込んでいた。


 暗い部屋の灯りを点けたため、先生は目をつむって顔を下に向けていた。目を開き、その顔をゆっくりと私たちに向けた。大地だいちさんと私は、ドアの前に並んで立ち、その様子を見ていた。


 先生の頬を涙が伝った。


「こ、怖かった。助けにきてくださったんですね!」


「何を言って――」私が一歩前に出ようとすると、大地さんの手に制された。


 大地さんは、ゆっくりと先生に近づき、片膝かたひざをついてしゃがみこんだ。


「何があったのか、教えていただけますか?」


 大地さんが、優しい声色で問いかけた。責められなかったことに安心したのか、先生は状況を説明し始めた。


「黒羽くんがわからないところがあるから教えてほしいと。部屋で教えてほしいと頼まれて。そうしたら、急に襲われて。子どもだと思って油断してしまって。子どもでも、男の子で、力も強くて! 私、怖くって!」両手で顔をおおい、頭を左右に振った。


菖蒲あやめさんが入ってきて。助けを呼びに行ってもらおうと思ったら、勘違いされてしまって。黒羽くんが、嘘を吹き込んで。菖蒲あやめさんはそれを信じてしまったみたいで」顔から手を離した。頬が涙で濡れていた。


「二人から何を聞いたかはわかりませんけど……。それは嘘なんです! 被害者は私なんです! 信じてください!」大地さんのことを見つめた。


「そうでしたか。恥ずかしいとは思いますが、黒羽に傷をつけられていないか、確認させてもらえますか?」


「え? ええ、かまいませんけど」先生が私をチラリと見た。


「私は後ろを向いていますので」


 私がドアの方を向くと、大地さんと先生が立ち上がった気配がした。「恥ずかしいです」と先生の小さな声が何回か聞こえた。


「怪我はないようですね。隼人はやと、もういいぞ」


 振り返ると、先生は毛布を羽織っていた。大地さんに先生の服を手渡した。大地さんが先生に手渡そうとすると、先生がそれを拒んだ。


「まだ怖くて。体が思うように動かなくて。手伝っていただけませんか?」先生が上目遣いで大地さんに頼んだ。


 襲われていたわりに、随分と余裕があるなと思った。だいたい、黒羽が先生のことを襲うだなんてありえない。黒羽が襲うならお嬢様だ。絶対にあってはならないことだが。

 お嬢様のことで先生に殴りかかった、ならまだありそうだ。でも、先生の言っている、襲う、とはそういう意味ではないだろう。


「はあ」思わずため息が出てしまった。


 先生にジロリとにらまれた。「後ろ向いてますね」と、またドアの方を向いた。少しの間、布のすれる音を聞いていた。


 服を整えた先生を応接室に通した。「温かいお茶をお持ちします」と大地さんを残し、食堂へ向かった。



「な! どうしたんですか!!」


 食堂に入ると、黒羽が床に座り込んでいた。うつ伏せ状態のお嬢様を抱きしめて、泣いていた。

 二人に駆け寄った。


「き、急に、倒れて! ど、どうしよう! また、あんなことになったら!」


 あんなこととは、お嬢様が高熱を出したときのことだろう。医者に、覚悟はしておいてください、と言われるほど危険な状態になった。


 お嬢様を仰向けに寝かせた。黒羽は「お嬢様」と呼びながら、お嬢様の手を握りしめた。


(熱は……、ない。呼吸……、安定してる。……寝てる?)


 スースーと寝息が聞こえる。脈拍も問題ない。

 黒羽に倒れたときの状況を聞くと、どこもぶつけたりはしていないようだ。動かしてよいものか迷ったが、抱きかかえてベッドへと運んだ。黒羽を部屋に残し、応接室へ急いで戻った。



「大地さん、ちょっと」


 応接室のドアを開け、手招きをした。お嬢様のことを話すと、大地さんは一目散に走っていってしまった。


(先生を一人にしておくわけにもいきませんし。仕方ありませんね)


 応接室に入り、ドアの前に立った。


「申し訳ございません。お茶をお持ちするはずが。少々立て込んでしまいまして」先生に向かって、にっこりと微笑んだ。


「もしかして、あの二人が何か? 私は何もしてません。されたほうです。隼人さんは信じてくださいますよね?」


 近づいてきた先生は、そっと私の腕に触れた。


「私は、私の見たことしかわかりませんので」


「体……、大地さんに確認していただきましたけど。隼人さんも確認しますか?」


 先ほどは、私を邪魔者のような目で見ていた。詰め寄ろうとしたり、ため息をいてしまったせいもあるかもしれないが。先生は、大地さん狙いなのだろう。それなのに、大地さんがいなくなると上目遣いで寄ってくる。切り替えの上手な人だと思った。ただ、あからさまだ。


狡猾こうかつな人でなくて良かった、と思うべきなのかもしれませんね……)


 何回も「信用してください」「体を確認しますか?」を繰り返してくる。腕に触れていただけの手が、腕に絡み付いてくるようになった。かわすのも疲れてきた。


(これは、めんどうですね。こういうのは大地さんに任せたい。早く大地さん戻っ――)


 馬車の音が聞こえてきた。旦那様が帰ってきた。窓から外の様子をうかがうと、大地さんが馬車に駆け寄るのが見えた。


 まずはお嬢様のところへと向かうかと思われたが、応接室のドアがノックされた。先生は私に触れるのをやめ、私とドアから距離をとった。

 旦那様と大地さんが入ってきた。


「先生、大地から話は聞きました。他に話しておきたいことはありますか?」


 旦那様はソファーに座ることなく、立ったまま先生に話しかけた。


「大地さんと隼人さんにお話したことが全てです。……あ、そうですね。あと、授業中によく触られました。子どもでしたので気にしてなかったんですけど。今、思えば」


「そうですか。他にはありますか?」


菖蒲あやめさんのことを言うのは、気が引けますけど。少々、乱暴なところがあります。足を引っかけようとしたり。物を二階から落としてみたり。何回か痛い思いをしました」


「他には?」


「他には……、そうですね、特にありません」


「そうですか。今日は先生もお疲れでしょう。外に馬車を待たせてありますので」


 旦那様がそういうと、大地さんが先生の帰り支度を手伝いだした。


「詳しいお話はまた後日。気をつけてお帰りください」馬車に乗り込んだ先生に、旦那様は穏やかな声をかけた。


 旦那様は、先生に一度も謝らなかった。旦那様はお嬢様だけでなく、黒羽のことも信じている。


 馬車が出発し門を出ると、旦那様が振り返った。「はあ」とため息をきながら、片手でタイをゆるめた。目が光ったような気がした。いつも通りの険しい顔だ。いつも通りの眉間のシワだ。でも、いつも通りのはずの表情が、雰囲気がいつもと違って見えた。


 旦那様が、お嬢様の部屋に向かって歩き出した。


「隼人が、菖蒲あやめのこと運んでくれたんだな」


「ええ」


「どうだった?」


「眠っている、と思います。熱もありませんし。呼吸も脈も正常でした」


「そうか」



 お嬢様の部屋に入ると、黒羽はベッドの横にひざ立ちし、お嬢様の手を握りしめていた。「お嬢様」と呼びながら、しゃくりあげている。


 旦那様は黒羽の横に立ち頭をなでると、そのまま頭だけ引き寄せて抱きしめた。旦那様が頭から手を離すと、黒羽はお嬢様の手を体の横に沿うように置き、立ち上がってその場所をゆずった。


「確かに眠ってるな」お嬢様の頬に手の甲で触れ、そのまま頭をなでた。


「何か変わったことは? いつもと違う様子。何でもいい。気づいたことはないか?」


(変わったこと……。あったでしょうか?)


 思い当たらなかった。大地さんも首をひねっている。


「髪の毛が、ぶわあって浮いてました。先生もそれを見て驚いてました。部屋は暗かったですけど、間違いないと思います」黒羽がそでで涙を拭きながら答えた。


「そうか」旦那様は黒羽の頭をなでると、部屋を出ていってしまった。



「髪の毛が浮いてたんですか?」


 黒羽に確認すると、ティッシュで鼻をかみながらうなずいた。大分落ち着いたようだ。旦那様が冷静だったので、安心したのだろう。


鬼神きしん、か」大地さんが呟いた。



 戻ってきた旦那様は、手に氣流計きりゅうけいを持っていた。お嬢様の布団に入っていた方の手も外に出し、お嬢様の両手に手を添えて氣流計を握らせた。

 氣流計を見ていた旦那様が、ホッとしたような顔をした。


「そうだな。菖蒲あやめは眠っているだけだ。問題ない」


 お嬢様は大丈夫だとわかり、大地さんも黒羽も私も胸をなでおろした。旦那様が個別に話を聞きたいと、まずは黒羽を応接室に連れていった。書斎でないのは、ソファーに座って話をするためだろう。


 私は大地さんと食堂へ向かった。大地さんは、椅子に座ってテーブルに突っ伏した。私は台所で食事の準備を始めた。


 しばらくすると、黒羽が「次は、大地の番」と言いながら食堂に入ってきた。大地さんに、二人分のお茶をのせたお盆を渡した。

 黒羽にもお茶をいれた。黒羽の目元が濡れていたような気がした。


 私の順番になり、応接室に向かった。旦那様に見たまま聞いたままを話した。旦那様は「そうか。わかった」とうなずき、黒羽側の話を教えてくれた。


(黒羽、なんてことを……)


 最後に「全て私のせいだ。すまなかった」と旦那様は頭を下げた。


 旦那様による聞き取りが終わったあと、お嬢様抜きで食事を済ませた。風呂は誰ともかぶらないように入った。あまり喋らず、早々と部屋に戻った。大地さんにも黒羽にも話しかけられることはなかった。それぞれ思うところがあったのだろう。


 私は黒羽のこともだが、お嬢様のことを考えていた。お嬢様に頼まずに、私が黒羽を捜しにいけば良かった。小さい女の子を、ひどい現場に居合わせさせてしまった。時間を巻き戻せるなら巻き戻したい、そう思っていた。

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