028. 適任(隼人)

※『025. 十年後の約束』の夜の話。



 ピチャッ、ピチャッ


 お嬢様が水鉄砲の練習をしている。今日は大地だいちさんがいるので、本来は大地さんがお嬢様の風呂当番だ。そこを代わってもらった。


「お嬢様」


「なあに」


「謝りたいことがあるんです」


 お嬢様は、水鉄砲の練習をやめて、私のほうを向いた。


「何を?」目を大きく開いて、パチパチとまばたきをした。


黒羽くろはを捜しに行かせてしまったことを。嫌な思いをさせてしまいましたね。すみませんでした」


 私が謝ることによって思い出させてしまい、また嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないとは思った。でも、謝らずにはいられなかった。夕方に、お嬢様の気持ちを聞いたときに謝れば良かったのだが、タイミングがなかった。


「ああ、昨日のこと? なんで? 隼人はやとが謝ることなんてないよ?」


「お嬢様に頼まずに私が行けば良かったんです。すみません」


「だから、謝ることなんてないよ」


「いえ、私が――」


 バシャッ!


「わっ」お嬢様にお湯をかけられた。


 顔にかかったお湯を手で払うと、目の前に人差し指が立てられていた。いつも離れて湯船に浸かっているので、こんなにお嬢様が近づいてくるのは珍しい。


「もしも、捜しに行ったのが、大地だったら! きっと、服を脱いでた先生に見とれちゃって、違う意味で大変だったと思う。先生が、大地に何かされました、とか言い出したら、先生の言うこと信じちゃうかも」


「もしも、隼人だったら」人差し指で、頬を押された。


「優しいから、先生に丸め込まれちゃったと思う。あれよあれよという間に、先生の思うつぼ。いいようにされちゃってたかも」


「その点、私だったら」お嬢様は、手をパーにすると自身の鎖骨辺りにあてた。


「同じ女性だし。先生が、何かされました、とか言っても、小さいから先生に腕力で勝つのは無理。だから嘘ってわかるし。恨みがあるから丸め込まれないし! ちょうどいいよね!」にこっと笑った。


「何気にひどいことを……」


「ふふ、冗談だよ。私は、私があの場にいれたこと、本当に良かったと思ってる。だから、隼人が気に病むことは何もないよ」


 そう言いながら、後退こうたいしていった。いつもの距離に戻った。


「良かった、ですか?」


「うん。良かったよ。もしかして、お風呂入る前から変な顔してたのは、このこと?」


「変な顔してましたか?」両手を頬に添えた。自分ではわからなかった。


「してたよ。お父様みたいに、眉間にシワよせちゃって」


 お嬢様は、両手の人差し指を眉毛にあてて、左右に動かした。


「お父様といえば。あの場にいたから、お父様と同じ体質だって、知ることができたんだよね。やっぱり、あの場にいれて良かったよ」お嬢様は二度小さくうなずいた。


「倒れちゃって、みんなには心配かけちゃったけど」


 そういうと、またピチャピチャと、水鉄砲の練習をしはじめた。


 お嬢様は、あの不愉快な現場に居合わせたことを良かったと、私に気に病むことはないと言っている。無理をして言っているようには見えない。


(見えません……けど……)


「本心、ですよね?」呟いていた。


「本心だよ! 嘘なんてつかな……、あ! あ~、みんなに、気持ちを隠したり、嘘ついてたね。ごめんね。みんなを信用してなかったわけじゃないんだよ。なんていうか、こうなっちゃってて」


 お嬢様は、目の辺りに両手の平を添えて、その手を前後させた。前方しか見えない、というジェスチャーをした。


「ふふ。今度からは不満もちゃんと教えてくださいね」


「うん。できる限り」


「できる限り……」ジッとお嬢様を見つめた。


「う、だって、こうなっちゃってたらわからないし」また同じジェスチャーをした。


 確かに、自分ではわからないこともある。お嬢様が話してくれるのを待つだけでなく、私もお嬢様がおかしいと思ったら気持ちを聞くようにしよう。


(黒羽も。黒羽にも聞くようにしましょう。でも……)


「黒羽は、私に心を開くでしょうか」口をついて出ていた。


 風呂当番を代わってもらうときに、大地さんから聞いた。私と黒羽が食堂に向かったあとに、大地さんとお嬢様が何を話したかを。


 私が誰に対しても優しいと思っていてくれてること。黒羽の兄のような存在でいてほしいこと。黒羽の相談相手になってほしいこと。お嬢様が黒羽のことを見守ると決めたこと。一緒に見守ってほしいと思っていること。


(誰に対しても優しいわけではないんですけどねえ)


 お嬢様はジェスチャーをやめて、浴槽のふちに両手をおき、その上にあごを乗せた。


「私はすでに開いてると思ってるんだけど」


「開いてますか?」


「うん。隼人たちと一緒にいる黒羽を見てると、心を閉ざしてるって感じはしないかなって。となると、やっぱり時間かな? それか、お嬢様が関わると閉じちゃうのかな?」考え込みながら、小さい声になっていった。


「あ! ああ、そうだ。たぶん、黒羽もこうなっちゃうんだよ」


 お嬢様は、片手の指を丸め、筒状にすると、それをこちらに向けた。片目でその筒を覗き込み、もう一方の目をつむった。


「お嬢様が関わると、こうなっちゃうの。他のことが見えなくなっちゃうの。……それは、困るな。いったい、どうしたら……」また考え込んでいる。


「ふふふ」その様子がなんだか可愛らしくて、思わず笑ってしまった。


「っていうか、大地に聞いたんだね? 頼りにしてるよ、お兄ちゃん」にこっとこちらに笑顔を向けた。


「お兄ちゃん……」


 思わずお嬢様に近づいていた。お嬢様が、私にお湯をかける体勢になるのを見て、ハッとした。


(あ、危ない。キュンとしてしまって抱きしめるところでした。さすがにお風呂では変態になってしまいますね)


 元の位置に戻った私を見て、お嬢様もホッとしたようだ。


「ところでさ。私と誰が話すかで、一悶着あったって言ってたけど、何があったの?」


「ああ、それはですね――」



「誰がお嬢様と話をする? 三人、いや、俺と隼人で行くか?」


「なんで僕を抜くんですか!」


「無理だろ。黒羽は」大地さんは黒羽をにらみつけた。


 黒羽はたじろいだ。たぶん、大地さんは怒っている。黒羽の取った行動を、そしてそれを止められなかった自分自身を。


(わかりますよ。私も自分が許せない)


「私が話を聞きますよ。三人では警戒してしまいそうですから。黒羽だけ残して、話の途中で腰を折られても困りますし。大地さんは黒羽についていてください」


「だったら、俺が話を聞くから。隼人が黒羽と一緒にいろよ」


「いえ、私が」

「いや、俺が」


 互いに引かなかったため、じゃんけんで決めた。黒羽は、大地さんに睨まれたからか、のけ者にされたからか、少し目を赤くしていた。



(結局、話の腰を折ったのは、黒羽ではなく大地さんでしたね。まったく、あの人は……)


「どうしたの?」


「えーと、ですね。みんな、自分が話をしたいって引かなかったんですよ。それを一悶着と表現しただけです」


「ふーん。そうなんだ?」


「そうなんですよ」


「そっかあ。は~、もう、のぼせそう。出るから、あっち向いてて~」


 私が壁側を向くと、お嬢様はバシャッと浴槽から出た。シャワーを浴びた音がしたあと、脱衣室へのドアが開閉される音がした。


 壁側を向くのをやめ、浴槽のふちに腕を置き、頭を乗せた。目をつむり、お嬢様と黒羽のことを思い返した。昨日と今日の二人のことを。

 お嬢様が体を拭き終わるくらいの時間をおいて、お風呂から上がった。



「なんで隼人もくるんですか!」


「たまにはいいじゃないですか。私にやらせてください」


 お風呂から上がったあと、お嬢様の部屋までついてきた。二人きりの時間を邪魔するなと、黒羽が嫌そうな……、いや、思いきり嫌な顔をしている。


 お嬢様は「はあ」とため息をき、ベッドに座った。「黒羽、ここに座って」とポンポンと隣を叩き、「隼人、お願い」と私にドライヤーを渡した。


 お嬢様の髪を乾かす私を、黒羽がジトッと睨んでいる。そんな黒羽の頭を、お嬢様がヨシヨシと片手でなでた。右手でなでたり、左手でなでたり、両手でなでたりしている。黒羽は私を睨むのをやめ、嬉しそうに目を細めた。


「はい。できましたよ」


「ありがとう、隼人」


「どういたしまして」


「ぐえっ、くるしいぃ~」


 先ほど、お風呂で抱きしめられなかったので、抱きしめた。黒羽が「ほどほど」と引き離そうとするので、ある程度で腕を下ろした。


「隼人の髪、乾かしてあげる!」


「私の髪は大変ですよ? 長いので」


「大丈夫。黒羽もいるから」


「え~、お嬢様の髪じゃないなら……」


「一緒にやろうよ。お願い」


「やります」


 お嬢様と黒羽のやり取りを見ていると、黒羽の扱いは簡単に思える。でも、お嬢様のことになると、黒羽はとんでもない行動を起こしてしまう。お嬢様が言うように、お嬢様のこととなると周りが見えなくなってしまうことがあるのかもしれない。


(今回のようなことは、もうないと信じたいですが……。目が離せませんね)


 黒羽のことは目が離せないので、結果的にお嬢様の見守ってという願いを叶えていることになるのかもしれない、などと考えていた。


「あ! あれ? うわ、うわわ! 煙が出てきた」


「本当だ! 手、手を離してください」


「どうしたんですか?」


 騒ぎだした二人に目をやると、お嬢様の持っているドライヤーから煙が出ていた。考え事をしていて、見ていなかった。なかなか手を離さないお嬢様から、ドライヤーを取り上げた。


「大丈夫ですか?」


「うん。平気」


 お嬢様は手の平をこちらに向けて、怪我はしていないと見せてくれた。その手を黒羽が取って、本当に怪我がないかをじっくりと調べている。


(急に寿命がきたんでしょうか?)


 お嬢様の髪を乾かしたときは問題のなかったドライヤーに目を落とした。


「新しいドライヤーを買ってもらいましょうね。私の髪は、自分で乾かすので大丈夫ですよ」


 いつまでもお嬢様の手を取ったまま離さない黒羽を、「ほどほど」と言って引き離した。


 三人でお喋りをしていると、お嬢様がアクビをした。今日は午後の授業中に居眠りをしていなかった。その分、眠いのだろう。


「さ、黒羽、そろそろ行きましょうか」


「どうぞ、お先に。僕はまだいます」


「行きますよ」


 黒羽の腕を、逃がさないように、ギュッと掴んだ。


「い、痛い。腕が。ま、まだ、お嬢様と……」


「おやすみなさい、お嬢様」


「うん。おやすみ~」


 まだお嬢様といると駄々をこねる黒羽を引きずりながら、お嬢様の部屋をあとにした。

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