◆022. 愚行
「
今日は礼儀作法の授業が、随分と早めに終わった。父が帰ってくるまでは、まだまだ時間がある。各々好きなように過ごすことになった。
私は、隼人と食堂にいた。
(なかなかチャンスがないなあ)
授業中に間違っても、黒羽が同じように間違って、先生はそちらに気を向けてしまう。急に開いたドアにも、隼人に呼び止められてぶつかることはなかった。
唯一あったチャンスといえば、上から「きゃっ」と声がしたので見上げたら、大地が先生の手を握っていたときくらいだろうか。でも、あれは大地に文句を言ってしまいそうだった。
(でも、これって。もしかしてもしかしなくても、みんな助けてくれた? 大地のは、ただ手を握ってただけかもしれないけど)
そう考えると、先生にやり返してやろうという気持ちが薄れていく。とはいえ、やはり一度くらいは何か言ってやりたい。
(でもチャンスが来てもなあ。まだセリフが決まってない)
嫌みの内容を、考えてはいるが、なかなか思い浮かばない。チャンスが来たときに、ビシッと決まる短いセリフを考えたい。
「捜してきますね」
「私が行ってくるよ!」
今日の授業が終わったあと、隼人は黒羽と約束を、食堂に待ち合わせをしたそうだ。黒羽が、隼人を手伝いたいから待っていてほしいと頼んだらしい。
隼人が捜しに行こうとしたので、私がその役を買ってでた。
(筆記用具を持ってたし、部屋かな?)
黒羽の部屋のドアをノックした。
「黒羽ー、いるー? 隼人が呼んでるよ!」
返事はない。当てが外れたかと、
「黒羽? いるの?」
ドアの取っ手に手をかけ、そっと開けた。
「あっ」と声がした。私の声でも、黒羽の声でもない。
部屋を覗くと、夕方の暗い部屋に、落ちかけの夕日が射し込んでいた。
黒羽がいた。
横を向いて立っている。黒羽の前には、先生が
逆光で、二人は
非現実的な光景を、ボーッと眺めていた。
「なんで、鍵がかかってないのよ!」
「ご、ごめんなさいっ!」
先生のヒステリックな声で我に返り、急いでドアを閉めた。
(見てはいけないものを見てしまった! まさかあんな関係になっていたとは。だって、黒羽はまだ……。早い人は、早いけど、でも、まさか……)
(私がただのお邪魔虫なら……、それならそれでいいけど……)
(でも、もしも、もしも……)
心臓がバクバクと脈を打っている。手で胸を押さえて、深呼吸をした。
ガチャッ!
ドアを開け、部屋に入った。ドアを背に、仁王立ちをした。しっかりと踏ん張れるように。
「なっ、なにっ?」先生は、黒羽の胸に置いていた手を、再び自分の胸に戻した。
「黒羽、何してるの?」にっこりと微笑み質問した。
「ひな先生と遊んでいます」
部屋が薄暗いのと逆光で、黒羽の顔はよく見えなかった。
「黒羽、私はまだ小さくて理解できないかもしれないけど。この状況を説明してくれる?」
「ちょ」「出てってよ」と先生が騒いでいるが、無視だ。
「黒羽、絶対に嘘はつかないで。嘘をついたら一緒にはいられない。本当のことを教えてくれたら、黒羽のお願いを何でも一つきいてあげる」
「ほ……」黒羽がゆっくりと口を
「本当ですか!? お嬢様!」
薄暗くて顔が見えなくても、笑顔が想像できるような、喜んだ声が返ってきた。先生は驚いて、私に向けていた顔を黒羽に向けた。
「ひな先生はお嬢様のことが気に入らないそうです。男の人に囲まれて、みんなにチヤホヤされて。だからって、いじめるようなことはやめてくださいってお願いしました。そうしたら、僕のことを自由にさせてあげたらもうしないって約束してくれたんですよ」
黒羽は、先生の制止も聞かず、一気に話した。
「だから、ひな先生と遊んでたんです」
(遊びって)
「黒羽は、この遊びが、なんなのか知ってるの?」
「ひな先生と遊ぶのは今日が初めてなんです。これから、遊び方を教えてもらうところなんですよ」
(この人は……)
(私みたいな子どもに意地悪して)
(まだ子どもの黒羽にこんなこと)
(黒羽もこんなこと聞き入れて)
(私がグチグチせずにハッキリしていれば)
(みんなバカだ!!)
頭も体も怒りで沸騰しそうになった。全身が熱い。怒りが噴き出しているような気がする。何か言ってやりたいのに、言葉が出てこない。先生のことを
「ひっ」先生が小さい悲鳴を上げた。悲鳴を上げられてしまうくらい怖い顔をしていたのかもしれない。
少しの間、先生を
「黒羽、一緒に来て」
ドアを開けて、出るように
「ひな先生、少々お待ちくださいね」と言いながら、ゆっくりとドアを閉めた。
無言で廊下を進み、隼人のいる食堂へと向かった。黒羽も黙ってついてきた。
「黒羽、遅かったじゃないですか。何してたんですか?」
食堂に人が入ってきた気配で話しかけてきた隼人は、私たちを見て目を丸くした。私たちというより、黒羽が上半身裸だったからだろう。
「なんだ~、若いな少年!」後ろから、大地が入ってきた。ちょうど良かった。いなかったら、呼びに行こうと思っていた。
回収してきた服をテーブルに置き、黒羽と先生のものにわけた。女性の下着はなかった。少し安心した。
「先生が、黒羽の部屋で寒そうにしてるから、持っていってあげて」
先生の服をまとめて、隼人に渡した。
「え? 先生にですか? まあ、確かに今日着ていたような。でも、なんで……」
ハッとした様子で、大地と顔を見合わせた。大地もわかったようだった。
「大地も一緒に行って。絶対、二人で対応してね」
「わかった。行ってくる」
大地は
「黒羽、はいこれ、服」
「ありがとうございます、お嬢様」
黒羽は、笑顔で服を受け取り、着はじめた。
私は椅子に座ってその様子を見ながら、全力で考えていた。この気持ちをどう伝えたらよいのか。どんな言葉にしたら、伝わるのか。
(あんなこと、あんなことするなんて……)
「黒羽は、私がいじめられないように、ひな先生にお願いしてくれたんだね」
「はい」
「あの遊びが、一生、心や体の傷になるようなことだったら、どうするつもりだったの?」
「お嬢様のためだったら、かまいません。体を差し出すことくらい。かわいいかわいいって、触られたぐらいで済みましたし」
(体を差し出すって、あの遊びがなんなのか、わかってたんじゃ……)
「それに、お嬢様のために傷ついたら、お嬢様は僕とずっと一緒にいてくれますよね!」
黒羽は、いい考えでしょ、とでもいうような口調で言った。
「あっ、一応、保険はかけてたんですよ。隼人と約束して。捜しに来てもらえるように。お嬢様が来ちゃったのは、予想外でした」
「遊びの前に見つかっても、遊んだ後に見つかっても、黒羽はどっちでも良かったの?」
服を着終わり整えた黒羽が、こちらを向いて笑顔で答えた。
「お嬢様が、僕のものになるならどちらでも!」
バンッ!
テーブルを叩いて、椅子から下りた。
「バカなこと言わなっ、あ……、あれ……?」
カクンと
「お嬢様!?」
椅子に掴まりながら、ズルズルと崩れ落ち、床に手をついた。
黒羽の腕が、私と床の間に滑り込んできたところで、目の前が真っ暗になった。
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