◆023. 父ゆずり


 目を開けると、自室のベッドの上だった。


「起きたのか」


 モゾモゾと動くと、父の声が聞こえてきた。父がベッド横の椅子に腰かけ、本を読んでいた。


「えっと~」


 どうしてベッドにいるのかよくわからず、思い出そうとしていると、父が説明してくれた。


「食堂で倒れたんだ。先生には帰ってもらった。今は夜中で、みんなは眠っている」


 そうだった、と飛び起き、ベッドの上に正座をし、父に向き合った。


「お父様、私はひな先生が苦手です。どうか、先生を代えてください!」


 両手をつき、土下座をした。この世界に、土下座があるのかはわからない。何かで見たような気もするが、それが前世なのか今世こんせなのか、判断できなかった。でも、前世の日本とほぼ一緒だ、きっとある。なくても、土下座しか思いつかない。


菖蒲あやめ、すまなかった」


 父は、ベッドに腰かけ、私の上半身を起こした。


「先生はもう来ない。あの人は、菖蒲あやめに会いに来ていた。菖蒲あやめとやっていけるかどうか」


(え? それって、もしかして……)


「お父様、再婚するの?」


「するつもりはなかったんだが、菖蒲あやめには母親が必要だと押し切られて」父は顔をしかめた。


「お父様の好きな人じゃないの?」


 返事はなかった。好きな人なら娘が嫌ってしまったので言いにくいだろう。好きでもない人ならそれはそれで言いにくいと思う。


 私は、父が政略結婚をよく思っていないことを知っている。母を苦しめたからだ。母は家の都合で結婚させられ、とある理由で離婚した。そのあと、母は父と再婚した。時間をかけて、父と母のことをいろいろと聞き出した。

 政略結婚でないにしても、私のためだけに結婚するのだとしたら、似たようなものだろう。


(就職は就職でも、永久就職のほうだったか)


「お父様、結婚したかった?」


「いや」


「私は、お父様が再婚したい相手がいるならとめないよ。明らかに悪い人だったら、とめるけど。私のために結婚するのはやめて」


「わかった。すまない」


 父の大きな手が頭をなでた。正座していた足を崩した。


「苦手だから代えてくれ、か。他に言いたいことはないのか?」


「みんなに何か聞いたの?」


「全て」とうなずいた。


黒羽くろはは、なんて言ってた?」


菖蒲あやめをいじめないかわりに、自分を好きにしてかまわないと」


(そっか。それも話したんだ……)


「お父様、一番の被害者は黒羽だよ。私が、お父様に先生のこと聞かれたときに、嫌だって言えば良かった。私のせいで黒羽はあんなこと……」下を向いて、布団を握りしめた。


菖蒲あやめのせいではない。全て、私の責任だ」


 父は、両手で私の耳の下あたりを掴んで、顔を上げさせた。お風呂で私に質問してきたときのように。


「わかってた。菖蒲あやめは普通と言ったが、そうではないことはわかった。顔を見て、目を見れば」父は、私の目をジッと見つめている。


菖蒲あやめが嫌だと言わなくても、大地たちからの報告で、断ることに決めていた。だから、菖蒲あやめに聞いたあと、すぐに断った」


「え?」


 父の手がゆるみ、顔から離れた。


「でも、せめて半年間は先生を続けさせてほしいと頼まれた」


(断られてから、いじめ始めたってこと?)


「あと一、二ヶ月だった。家庭教師としての経験を積みたいとのことだったから、了承した」


(それでアレなの? 再婚話断られたから、その娘に攻撃して。助けようとした黒羽にあんなことして)


(いや、そもそも、言いたかないけど、色目使いまくってたよね。お父様の再婚相手として来ておいて、アレはないよね!)


 怒りが込み上げてくる。また、体が熱くなるような感じがした。


「やめなさい」父の手が背中をさすった。


(声に出てた?)


菖蒲あやめ、これを見なさい」


 父は胸のポケットから、平べったい棒のようなものを取り出した。縦三センチ、横十五センチ、厚さ五ミリくらいだろうか。

 両端三センチほどが銀色で、間は白いプラスチックに棒状の温度計のようなものが埋め込まれている。温度計のような部分にはしるしが十箇所、等間隔についている。左から二つ目までが青色、三つ目から九つ目までが黒色、一番右は赤色のしるしだ。

 角は丸くなっていて、両端の銀色の部分が少しくぼんでいた。


「これは、氣力きりょくをはかる『氣流計きりゅうけい』だ」


 父が両端のくぼんだ部分に左右の親指をあてた。すると、温度計のような部分の左端にあった赤い線が右へと動いていく。九つ目のしるし辺りで赤い線が止まった。指を離すと、赤い線がゆっくりと左端に戻っていく。


 父は氣流計を裏返し、蓋を開け、何かをいじった。蓋を閉めると、私に氣流計を差し出した。


「握ってみなさい」


 両端の銀色のくぼみの部分に親指をあてると、赤い線が右へと動きだしたがすぐに止まった。左から一つ目と二つ目の青色のしるしの間くらいだった。


「お父様と全然違うね。お父様はすごいね」


「そうではない」父は頭を左右に振った。


「これは、体内にどれくらいの氣力が流れているかがわかる」


 父は私から氣流計を受け取ると、メモリを指さしながら教えてくれた。


「大人が一日、仕事や生活に氣力を使い、この計器ではかると、だいたいこの辺りに赤い線が止まる」四つ目のしるし辺りを指さした。


「特殊な仕事をしていて、もっと少なくなる人はいる。気をつけているということもあるが、倒れるなんてことは、ほとんどない」


「仕事にも生活にも氣力を使っていない子どもが、こんなに少なくなることはない」先ほど、私が握ったときに赤い線が止まった辺りを指さした。


「私は元からあんまり流れてないってこと?」


「多少個人差はある。元から少ない人もいることはいる」なぜか父は辛そうな顔をした。


「でも菖蒲あやめはそうではない。健康診断などで、どれくらい流れているか、定期的に確認している。この氣流計には、そのときの菖蒲あやめの数値を設定した。普通ならここら辺のはずだ」八つ目のしるし辺りを指さした。


菖蒲あやめ。今日、体が熱くなるような、冷たくなるようなでもいい。体から、何か出ているような感覚はなかったか? さっきみたいに」


 先ほどのような感覚。覚えがある。


「黒羽の部屋で、黒羽と先生を見つけて、理由を聞いたときに、頭にきて、全身が熱くなったような気がする」


「そうか。怒りか。菖蒲あやめが怒ったから氣力が全身かられ出てしまった」


「でも、今までも、黒羽と喧嘩したり、他にも怒ったことあったよ?」


「程度の問題だ。それだけ、今回は激しい怒りだったんだろう。体内の氣力がれ出て、極端に少なくなって、倒れたんだ」


「みんな怒ったり、何かあるとれちゃうの?」


「いや、珍しい。普通は、れたりしない。でも、制御できるようになれば、倒れるようなことには、滅多にならないだろう」


れ出てるのって、見てわかるの? 私、さっきれてた?」


 説明を聞いていて気になった。

 父は、やめなさい、と私をとめた。先生への文句を口にしたつもりはない。氣力がれていることが、視認できるのかどうか気になった。


「髪が。髪が浮き出していた。れ出た、全身から放出された氣力で、髪の毛や服のすそが浮く。特に髪だ。私と同じだ」


 父と同じ体質らしい。珍しい体質が遺伝したようだ。


 黒羽と先生の前でも、髪の毛や服のすそが浮いてたのだろうか。もしそうなら、先生が悲鳴を上げたのもわかる気がする。知らなかったら、驚きの現象だろう。


「一度れると、今後は以前よりれやすくなるはずだ。怒ったときだけでなく、他のことでもれることがある。気をつけていても、どうにもならないときもあるかもしれないが、できるだけ気をつけなさい」


 父が優しく頭をなでてくれた。その手を取り、私の頬に添えた。


「お父様に似てるところあったね。珍しい体質でも、お父様と同じなら、お父様が色々知ってるから、大丈夫だね」


「そうだな」と父は私を持ち上げ、膝の上に乗せ、優しく抱きしめた。


 父に「今から何かすることある?」と聞いた。もう眠るだけらしい。倒れた私が心配でついていてくれたのだろう。

 今日はこのまま一緒に眠ろうとお願いした。


 ベッドに横になり、父のほうを向いた。


「お父様、愚痴言ってもいい?」


 父は、片肘かたひじをつき、手に頭を乗せてこちらを向いている。もう一方の手は私の体の上に添えられている。


「私ね、先生がみんなにベタベタするの好きじゃなかったの。でもね、それは私の嫉妬かなって思ってたんだ」


 父の手が、ポンポンと一定の間隔で体を叩く。


「いっぱい悩んじゃったけど、先生に意地悪されて、悩むのがバカらしくなったんだ……」


「でね、次、意地悪されたら、言い返してやろうと思ってたの」


「黒羽の部屋でね、何か言ってやるチャンスだったのに」


「何も言えなくて、悔しくて……」


 先生が来てから悩んだことや、何か嫌みを言ってやろうと思ったことなどを話した。父は何も言わず、ただ聞いていた。話をしているうちに、まぶたが重たくなってきて、いつの間にか眠りに落ちていた。

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