虹を歩く



 さらさらと地上へ雫が降り注ぐ。薄くなった黄金色こがねいろの雲の切れ間から、定規で線を引いたような真っ直ぐな陽光が地上を照らした。


 わたしはすぐさま空を仰ぐ。じわじわと顔が雨に濡れていくのも気にならず、あるものを探して目を行ったり来たり忙しなく動かす。すると黄金色のキャンパスに薄く赤色が浮かんできた。


 あった!


 わたしは赤色のある方向をじっと見続けた。時間が経つにつれて赤は濃くなり、他の色が顔を出し始める。橙、黄、緑。そのあと寒色が浮かんでくると七色の半円が完成する。


 虹だ。


 空に浮かぶそれは異様で、神秘的で、見る者すべてに幸せを運んでくれるそんな気がする。


 わたしは虹を見ると中学生の頃を想い出す。まるで夢の中にいるように、わたしの身体はフワフワと宙に浮かんでいく。行く先には虹が見える。わたしは両腕を広げてバランスをとるようにして慎重に虹の上を歩いた。足の裏に感触はない。足を踏み出しても進んでいる感じもしない。けれど確実に虹の頂点へ向かっていた。


 遠い地上にはたくさんの家々が所狭しと並んでいる。ところどころにある木々は公園か神社だろうか。右側に視線を向けると、住宅地がある。平地と森の境目が何キロも先へ続いて、奥はぼんやりと霞んで見えなくなってしまっている。遠くに行けば行くほど青くなった。


 わたしは浮遊感に身を任せ虹の頂に辿り着くのを待つ。次第に水蒸気があたりを満たし始めて雲の中に吸い込まれていく。湿気を含んだ空気は心地よくわたしの肌を保湿してくれた。


 ぼんやりとした視界から抜けると、果てしなく続く冷たい空の青が目の前に広がった。ここが虹の絶巓だ。

 景色は変わらない。けれどとても幸せな気分だった。わたしは今虹を歩いているんだ。


 そのあともわたしは虹の果てまで歩いて地上に降り立った。フワフワと揺られて。

 現実に起こっていることの方がずっとふわふわしていた。忘れられないその日を、わたしは日記にもスマホにも誰かに話すこともせず、自分だけの想いでの中にしまい込んだ。


 今はどうだろう。両腕を広げれば虹を歩くことができるだろうか。わたしは虹に向かって心の中でそう言った。虹は無口だ。答えるはずもない。


 わたしはゆっくりと虹を視界から外した。今は大人になってしまった。あの頃のように浮遊できるほど軽くない。夢を見ることもほとんどなくなってしまった。地上を歩くのは疲れる。


「いつまでそうしているつもりだい」「うるさいな」


 わたしは虹を一瞥した。虹の端はすでに少し消えかかっていた。


 

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