ヤミ喰い
初めて
わたしと羽帯時雨はSNSで出逢った。つぶやいた内容の返答が進み、後に趣味や好みの物の話で意気投合し、彼女からの誘いで、お互いに応援している音楽グループのライブを観に行くことになった。
始めは勿論不安はあったけれど、会う前に執拗な性別の確認で同性であることは知っていたし、実際に会ってみても、羽帯時雨はSNS上の彼女そのままで、ライブが終わる頃にはまた会いたいと思っていた。
しかし、そんな矢先、陽が沈んだ最寄り駅までの帰路で、羽帯時雨はとんでもない行動に出たのだった。
「あたしと一緒に死んでください」
羽帯時雨は右手で持つ小型のナイフをこちらに突きつけ、低いトーンでそう言ったのだ。
わたしは動揺の前に、何が起こっているのか頭で理解することができなかった。けれど、何故か異常なほど冷静でいられた。
とにかく彼女の気持ちを理解しなくては。初対面の相手にそんな危険な行動をとるのには、必ず理由があるはず。
わたしは周囲を見渡した。幸いにも道にはわたしと羽帯時雨しかいない。目撃者がいたらそれこそ大変なことになる。
彼女を見据えてわたしは言った。
「わかった。けど、ここだと他の人に見られてしまうかもしれないから、場所を移動しよう。少し離れた所に小さい公園があるんだ。そこなら人気はないし、シグレが望むようにできる」
わたしは彼女に背を向けて屈んだ。
「遠いから背負っていってあげる。勿論、心配ならナイフを持っていてもいい」
始めは拒否していた羽帯時雨だったが、わたしが無理強いするので、やや経ってから折れて、彼女はわたしにおぶさった。視界の下には彼女が持つナイフの刃がちらついている。しかし、妙に落ち着くことができていた。
しばらく歩き、目的の公園に着いた。敷地に入り、わたしは羽帯時雨を背中から下ろした。彼女はトントンと後ずさった。
わたしは立ち上がって彼女の正面に立つ。
「さ、どうする?」
羽帯時雨は問いに答えなかった。
「ヤルならわたしは抵抗しないよ」
わたしは両手を大きく広げて抵抗しない意思をみせる。ややあって、羽帯時雨はその手からナイフを落とした。静寂な公園に、物体の衝撃音が短く鳴った。
「なんでですか……」
羽帯時雨は呟いた。俯いていてこちらからは表情が見えない。
わたしは両手を下ろし、彼女に言う。
「なんでって、そんな危ないことするような子だとは思ってなかったから」
「そんなことわからないじゃないですか」
「わかるさ」
羽帯時雨は顔を上げた。その目は不思議そうにわたしを見ていた。
「だって、わたしを殺すチャンスなんて今日いくらでもあったじゃない。けど、シグレはそんなことしなかった。ここに来る時だって、そんな素振り見せなかった」
わたしは一拍置いて、
「なにより、シグレ、今日楽しそうだったじゃない」
と笑顔でそう言った。
途端に彼女の目から涙が溢れてきた。声を殺すが、時々嗚咽が漏れている。
わたしは彼女に歩み寄り、その小さな身体を優しく抱きしめた。わたしの体温よりもずっと温かい。彼女はわたしの胸に顔をうずめて、泣き続けた。
どれほどか経って、不意に羽帯時雨はわたしから身体を離した。
袖で目を拭く彼女に、わたしは優しく問いかける。
「落ち着いた?」
彼女は小さくうなずいた。
「よかったよ。ねえ、どうしてわたしを殺そうとしたの?」
大きくかぶりを振る彼女の口から出た話は、驚くほどに残酷だった。
羽帯時雨は以前もSNS上で知り合った人物と実際に会ったことがあるそうだ。
わたしの時と同じく趣味話で意気投合し、その頃は見ず知らずの人物に会う危険性も全く考えていなかったようだった。
待ち合わせ場所に行ってみると、その相手は彼女が想像していた人物像とは相違していた。どう見ても、見た目は三十代男性のそれだった。今まで彼女が見てきた相手のつぶやきは、同い年か少し大人な印象の女子的な内容であったが、それは全て作り物にすぎなかったのだ。
人通りの少ない場所での待ち合わせも災いして、羽帯時雨になす術はなく、その男性の脅しに応じる他なかった。
それ以降は聞くに堪えない悲惨な状況で、わたしは内容を頭に入れないようにするのに精一杯だった。
羽帯時雨の涙は止まりそうにはなかったが、それでも彼女は内に溜まっていた汚れを吐かずにはいられないようだった。
「あたしの身体は傷だらけで汚れてる。あんなことが起こってすぐは立ち直ろうと思っていたけど、日に日に汚い自分の身体が忌まわしく思えてきた。こんなもの捨ててしまいたい。死にたい。だったらいっそのこと、あたしを汚したSNSで出逢った人、できれば女の人と一緒に死んでやろうと思いました。復讐の意味を込めて」
わたしは合点がいった。だからこうして会う前に、わたしの性別を必要以上に訊いてきたのか。
ごめんなさい、と謝る彼女に、わたしは静かに首を横に振った。
「謝らなくていいよ。なんとなくそんな気はしてた。シグレのつぶやきを見ればわかるよ」
そう。彼女の呟きを見ていれば、どれほど危険な思想を持っているのか判然とする。
自らを卑下する内容のつぶやき、明らかなマイナスの考えや不平。いわゆる「病み」という思考を抱えた少女が、羽帯時雨だった。そして、そんな彼女とSNSで出逢ったわたしも同じように。
わたしは羽帯時雨の手をとった。小さく柔らかい、温かく滑らかな指先。危うく幼い彼女の容姿は、電灯の光で一層それを際立たせていた。まるで、カルミアの中でもあえかな白色の花姿である、エルフのようだとわたしは思った。
彼女と目が合って、わたしはゆっくり口を開いた。
「もう殺そうとしたり、死のうとしたりしない?」
「……わからない」
静かで弱々しい声だった。背中がゾクリとする。ああ、もう堪えられない。
握った手に自然と力が入る。彼女もそれに気がついたようだった。
「だめだよ、大切にしないと。その調子だと今日は一人で帰せない。どこかに泊まろうか。いいね?」
羽帯時雨は困ったようだったが、最後にはうなずいた。
わたしたちはその後、近くのホテルまで行った。休日だというのに運よく一室だけ空いていて、わたしたちは同じ部屋に泊まることになった。
その夜、彼女が寝息を立て始めたのを見計らい、わたしは静かに彼女に近づいた。小暗くともわかる彼女の儚さ。無防備な姿に、わたしの身体は熱くなる。気がついた時には、わたしは衣服を脱ぎ棄てていた。
終夜、わたしは羽帯時雨の身体を愛撫した。彼女はそれを予想していたのか、抵抗することはなかった。
弱っていて不安定な少女を狙って犯す。
「病み喰い」。それがわたしの正体だ。
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