コーヒー色と背伸び



 カランコロンとドアベルを鳴らして喫茶店に入ると、テーブルは全て満席のようだった。あたしと同じく突然の雨に降られてしまったお客であろうか。


 音を聞きつけてやって来た女性店員に相席でもいいかと問われ、あたしは一瞬迷ったが、状況も状況なので、やむを得ずうなずいた。


 通された窓側のテーブルには、中学生くらいだろうか、少女が一人ぽつんと座っている。少女が着ている水色のパーカーの肩部分が少し濡れているので、おそらくあたしと同じ理由で店に入ったのだろう。


 店員は、注文が決まり次第机のボタンを押してお呼び下さい、と言って、忙しそうに奥へと入っていった。


 注文といわれても、と思い、あたしは窓越しに外を見た。雨脚は弱まることなく、窓ガラスにいくつもの雫を貼りつけている。空も暗いままだし、まだ止みそうにない。また妹に迷惑をかけてしまうと思うと、ため息が自然と出てしまう。


 とにかく、何も頼まず居座るのはそれこそ迷惑だろうから、あたしは店員を呼び、適当にコーヒーを頼んだ。少々お待ちください、という店員の声のすぐ後に、向かいから声がしてそちらを向いた。


「コーヒー、飲めるんだ」


 少女は頬杖をついてこちらを眺めている。声のわりに仕草がどこか大人っぽい。


 たぶんこれはあたしに言ってるんだよね。チラッと周りを確認して、あたしは言った。


「うん。けど、ミルクと砂糖は必須だけどね」


 あはは、と自分でもヘタクソか! と突っ込みを入れたくなるような愛想笑いをすると、折よく、あたしが頼んだコーヒーが運び込まれた。以上でよろしいですか、と伝票を渡す店員にうなずくと、ごゆっくりどうぞ、とちっとも思っていなさそうな決まり文句を置いて行こうとする。そこで、店員の背中に声がかけられた。あたしの向かいの席の少女が呼び止めたのだ。


「私もコーヒーください」

 言うと、店員は急いで新しい伝票をとり、かしこまりましたと奥へと消えていった。


 随分と図々しい子だな、と少女を一瞥すると、彼女はさっきからあたしを凝視しているようだった。睨まれてる? なんで? 心を読まれた? あたしは緊張しつつ、平静を装って手元のコーヒーにミルクと砂糖を入れていく。一口啜ると、口いっぱいに苦味と酸味が広がった。やっぱりもう少し甘くしないとだめだな。


 何気なく少女を見てみると、まだあたしを睨んでいるようだった。なんとなくその視線が嫌で、あたしは窓ガラスの方に顔を向けた。そろそろ妹が気をもんで外に飛び出す頃だろう。今度は二本、傘を持ってくるといいのだけど。


 そうこうしていると、少女が頼んだコーヒーが届けられた。ミルクが入ったプラスチック容器一つと、砂糖が入ったスティックが一つ。彼女はそれらに目をくれることなく、ブラックのままのコーヒーを一口啜った。え、大丈夫? と咄嗟に口に出たのは、その前にこのコーヒーの苦味と酸味を体感していたからだった。


 直後に、少女はその口許にコーヒーの小さな滝を作り出した。ボタボタと机にコーヒーが広がっていく。あたしは、あわてておしぼりで机を拭いた。少女は目の前でゴホゴホしている。


「大丈夫?」再び訊くと、少女は不貞腐れた顔をして、

「いつもなら全然飲めるの」

 と少しだけ怒ったように言った。


 たぶん嘘だろう。簡単に予想はついたけど、あたしは何も言わなかった。代わりに少しおかしくて、小さく笑ってしまった。


 少女はそんなあたしを見ると頬を膨らませて、なによ、と呟いた。


「ううん。ごめんね。けど、なんか懐かしくて」


 あたしは眦についた涙を人差し指で払った。


 実はあたしも中学生の頃に無理してブラックコーヒーを飲んだことがある。もちろん全て飲み切ることはできず、余ったのを妹に渡すと、彼女はミルクも砂糖も入れずに平気な顔をして飲み干してしまった。確か、妹に劣等感を抱いたのはその頃だったと思う。けれど、今はそれも懐かしい思い出の一つだ。


 ピン、と何かが脳裏を走って、あたしは窓の外を見やる。目の前の通りを、心配そうな顔をした妹が、傘の下でキョロキョロと辺りを見回しながら歩いている。やっぱり。来なくてもいいって言っておいたのに。


 あたしは苦味も酸味も薄れたコーヒーを飲み干して、伝票をとって席を立った。


「え、ちょっと」

 と少女の呼び止める声が聞こえる。


「もう行くの?」


「うん。妹が迎えに来てるみたいだから。それじゃあね」


「ちょっと待ってよ。私これ飲めない」


 少女は机上のコーヒーを指した。なんだかどこかで聞いたセリフだ。


 あたしは過去の経験をもとに、苦味と酸味のお化けとの闘い方を少女にアドバイスする。


「ミルクと砂糖をいっぱい入れなよ。それでゆっくり飲めばいい。あたしもそうして少しなら飲めるようになったから」


 じゃあね、と再び言うと、少女は呆けたように、え? と固まってしまったようだった。


 がんばれ少女。あたしには君を応援することしかできないよ。


 お会計を済ませ、ドアベルを鳴らして外に出る。


 バチバチとアスファルトを叩く雨の中、あたしは妹の背中を追って走った。


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