桜色の雨



 その日の学校帰りは急な雨に降られた。


「あーあ、びしょ濡れ。まさかこんな早くに降ってくるなんて、ついてないな」


 彼女は言って、身体に張りつくワイシャツを指先で摘まんでみせた。


 わたしたちは通りかかった公園に四阿があるのを見つけ、急いでその下に身を避難させた。運よくわたしたちの他に人は誰もおらず、しばらくの間は気兼ねなくここで雨宿りができそうだ。


 わたしは鞄からハンドタオルを取り出し、髪からワイシャツの袖まで、水滴を払い落とした。そんなわたしを、傍らにいる彼女は不思議そうに見ている。どうしたの? と訊くと、そんなことしてもあんま意味ないんじゃない? とハテナが返ってきた。


「きっとこのまま降り続くよ。天気予報で言ってたから」


 身体が冷えるといけないから、気休めていどに拭いてるだけ、と言うと、彼女は、ふうん、と四阿の際に立って雨垂れを手のひらに受け止めている。なんだか子どもみたいだな、とわたしは感想を浮かべた。


 そういえば、彼女とこうして二人きりになるのは久しぶりな気がする。

 わたしも彼女も帰宅部で、放課後の学校に縛りつけられることはないけれど、その代わりに、シフトが入っていればバイトに行かなくてはならない。ふと気になって彼女に訊いてみたが、今日はバイトの日ではないようだった。

 同じく、わたしもこの後は特に用事は入っていない。たまにはこういう時間もあっていいかもしれないな。


 わたしは後ろ姿の彼女の頭に、新しいハンドタオルを被せてやる。いいって、と断る彼女を気に留めず、わしゃわしゃと濡れた髪の毛を拭くと、ふわりとシャンプーの香りがした。わたしが使っているシャンプーと同じ香りがする。それだけで少し嬉しくなった。


 彼女の――ではなくて、天気予報士の言う通り、雨はその後も留まるどころか、雨脚を強めていった。徐々に身体も冷えていき、指先が冷たい。


 身震いしたわたしに気がついたのか、彼女は腰を上げて、そのまま四阿の外に出ていってしまった。


 風邪ひくよ、と注意するが、聞く耳を持っていないようで、袖をまくった腕を軽く広げて、眠たそうに雨滴を落とす曇った空を仰いだ。


「あ、意外な発見。あったかい」


 そんなことあるわけないでしょ、と言うと、ほんとほんと、と楽しそうにする彼女を見て、わたしも興味本位で四阿の屋根から腕を伸ばしてみる。あれ? と疑問符がわたしの頭上に浮かんだ気がした。


「あたしが言ったこと間違ってなかったでしょ? これはきっと桜色の雨だよ」


 え? とわたしは訊いた。


「ほら、桜の雨じゃ、花びらそのものが降ってるみたいだけど、桜色なら暖かいって感じするでしょ。桜イコール春イコール暖かい、じゃん」


 わたしは、そうかな? と返事した。どちらかといえば花冷えな気がするけど。

 しかし彼女は、わたしの意見を聞きもせず、振り向きざまに、ニコッと笑みを浮かべ、「早く来なよ」と誘ってきた。


 せっかく拭いたのに。あきれつつも、わたしの身体は四阿の外に出ていた。雨滴がわたしの身体に着地する。


あ。


 驚く声を聞いて、彼女は満足そうにまた天を仰いだ。


 身体の中心近くに雨があたれば、さすがに冷たさを感じる。けれど、わたしの指先に触れる雨粒は、過ぎ去った春を思い出させる桜色の、微かな温かさがあった。


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