最終話 父と娘とじゃっじゃ~ん

 記憶を辿っているうちに、瑠花はすっかり興味を失ってしまったらしい。先ほどまで左手の薬指に熱心に注がれていた視線は、今や目の前のホールケーキにくぎづけだ。

 さ、あとはイチゴを盛りつければ完成だ。

 イチゴを冷蔵庫から出すついでに私は食器棚から平皿とフォークを三つずつ取り出す。

「あ! ママ、フォークは瑠花がはこぶ~」

「あらお手伝い? ふふ。ありがとう」

 じゃあお願い、とフォークを手渡す。瑠花はてとてとダイニングテーブルへ向かっていく。危なっかしいが、それでもきちんと成長してくれているようで何よりだ。

 瑠花がテーブルの上にフォークを並べたその拍子に、卓上のサルビアの花が、少し揺れた。

 ……ねえ、あなた。私ちゃんと素敵な人、見つけたわよ。とっても優しくて落ち着きのある人。あなたのことを話したら、あの指輪をつけることを許してくれたほど心の広い人よ。またとない幸運だわ。

 それに娘だって生まれたわ。親に似たのかしらね、とっても優しい子よ。お手伝いも積極的にしてくれるわ。四歳になって言葉も覚えてきたのかしら。おしゃべりが楽しくなるばかりで毎日飽きないわ。まあ、変な言葉遣いまで覚えちゃってるのが玉にキズだけどね。

 パパもイクメンぶりを発揮してくれて助かってる。幼稚園のお迎えにもよく行ってもらってるし、週末には瑠花と遊んでくれてるしね。幼稚園では他の家の子供にも懐かれてるみたい。妻として鼻が高いわね。

 だから、安心して。あなたの我儘ちゃんと叶えたから。幸せに、なったから。

 私は完成したショートケーキを包丁で切り分ける。初めて作ったときから、だいぶ手際が良くなったものだ。

「あ、パパだ~!」

 玄関のがちゃがちゃという音を聞きつけ、瑠花が駆けていく。いつもの光景だ。

「ただいまー」

「おかえり~‼ パパ~だっこ~‼」

「おー、瑠花。今日も元気だなー」

 よいしょ、という声が聞こえてくる。どうやら瑠花は今日もパパの腰にダメージを与えることに成功したらしい。

「おかえりなさい」

「ただいまー……って、ありゃ」

 片手で瑠花を抱えながらリビングに入ってきたパパの手元を見ると、ケーキ屋のパッケージらしい白い箱があった。ちょうどホールケーキが入っていそうな大きさだ。

 何やらきまりが悪そうな表情を浮かべたかと思うと、パパは瑠花を床に下ろし箱を開けてみせた。

「かぶっちゃったか」

 中に入っていたのは丸々としたショートケーキ。キッチンに鎮座する私が作ったケーキに対し、堂々と存在感をアピールしてくる。

「あ、パパもママとおなじのもってるー」

 二つのケーキの存在に気づいた瑠花が、楽しそうに声をあげた。

「パパもママもなかよしさんだね」

「ん? ふふ、そうね」

「そうだな」

 三人で顔を見合わせて、笑った。何が可笑しいのか分からなかったけど、心の底から湧いてくる温かいもののなすままに、笑った。


 話し合いの末、今夜は私が作った方のケーキを消費することに決まり、パパは買ってきたホールケーキを大事そうに冷蔵庫にしまった。

「ねえ、パパ」

 冷蔵庫の扉を閉めるときに見えた横顔に、私は声を掛ける。

「結婚記念日でもないとこんなこと恥ずかしくて言えないけど……いつも感謝してるわ。今まで四年間もありがとう」

「どうしたのさ、急に。そんなの夫婦なんだからお互い様だろ? こちらこそ感謝してもしきれないよ」

「そう?」

「そうだよ」

「ね、パパ」

「ん?」

「これからもよろしくね」

「ああ、よろしく」

 二人して、はにかんだ。

「……って、ありゃ? 瑠花どこ行った?」

「ん? あら、本当ね」

 言われてリビングを見渡してみるが、そこに小さな娘の姿は無かった。

「トイレにでも行ったんじゃないかしら」

 そう言いつつも、少し不安になり隣の寝室を覗き込む。すると、リビングから漏れる光のほかは真っ暗なその空間で、何やらガサゴソと怪しげな音がしていた。

「瑠花ー?」

「あ! ママ! まだみちゃダメだよ‼」

 目を凝らしてみると、暗い寝室で物音を立てていたのはやはり瑠花だった。自分の幼稚園カバンを漁っている。

「みちゃダメだってば‼」

 お目当てのブツを発掘したのか、何やら白い物を片手に瑠花がこちらへ向かってきた。そのまま背中をグイグイと押し、私をリビングへと追い立てる。

「パパー! こっちきてー!」

 トイレの方を確認していたパパが、ほっとした表情で近づいてくる。

「なんだい」

「はい! これ!」

 ニコニコと笑いながら、瑠花は私たち二人の目の前に手に持っていた白い物を広げた。

「パパ、ママ、けっこんきねんび、おめでとう~‼」

 瑠花の手に握られていたのは、私たち一家三人が描かれた絵だった。画用紙いっぱいにクレヨンが走り、三人とも溢れんばかりの笑顔をこちらに向けている。

 驚きのあまり言葉も出ない私とパパを見て、瑠花はしたり顔でニンマリと笑った。

「じゃっじゃ~ん‼ どう? びっくりした?」

「おーすごいな! 上手に描けてるじゃないか!」

 パパはものすごく嬉しそうに、瑠花を抱き上げる。きゃっきゃとはしゃぐ二人の声が私の鼓膜にも届いた。

 ……ねえ、聞いた? じゃっじゃ~ん、ですって。

 やっぱり、血は争えないものね。


 テーブルの上のサルビアの花が、少し揺れた。

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