第3話 夜はどこまでも甘く

(予想はしていたけど、今日も盛りだくさんだったな……)

 私は心中でそう呟いた。

 彼はサプライズが異常に好きな人間だ。今日だけでも、玄関でのクラッカー、花束、部屋の飾りつけ、誕生日ケーキ、と大量の仕込みをしていることからもそれがわかるだろう。……ああ、メスシリンダーもある意味ではサプライズだったけど、それはとりあえずおいておくことにする。

 私と出会った頃から、彼は何かにつけて私を驚かせようとしていた。誕生日や何かの記念日はもちろん、クリスマスやハロウィンなどのイベントごとでもサプライズを欠かしたことは無かった。サンクスギビングデーとかいうアメリカの方の謎イベントまで網羅してきた時はもはや何がしたいのか分からなかったけど。

 だから今日も何かしらのサプライズがあるだろうとは予想ができていた。そのため今日のサプライズも、最初のドア開けクラッカー以外は腰を抜かすほどの驚きは無かった。全く驚かなかったと言っても過言ではない。

 それでも、私が驚いたふりをするだけで、彼が笑ってくれるなら私は満足だ。あの無邪気な笑顔を見せてくれるなら、それで。

 とはいえ、彼のサプライズのパターンが枯渇してきているのも問題だとは思う。プレゼントを渡しておくかスイーツを食べさせておけば私は喜ぶ、とでも彼は思っているのだろうか。彼にはあまり乙女心が分かっていない節がある。……まあ私にも男心なんて分からないからおあいこか。

 ともかく、彼にはもう少し努力をしていただきたい。せっかく驚かせてくださるのなら私も心から驚きたいというものだから。

 私はそう思いつつ、リビングの隣の寝室にちらりと目をやる。

 彼は私に気づかれていないと思っているようだが、押入れの奥に彼が隠している、サプライズ用品を詰め込んだ謎の箱の存在に私は気付いている。箱の上から少し見た限りではかなりの品が入っているようだったけど、私はそれが使われているのをあまり見たことが無い。ピエロの帽子、効果音を出せる謎のミニスイッチ、あとはクリスマスのサンタの格好くらいしか見覚えが無いのだ。あの中の品々を使えばもっとバリエーション豊かなサプライズができるはずなのに。もったいない。

「はい。お皿に乗せておいたよ。どっちにする?」

 私がそんなたわいもないことを考えている間、彼はカチャカチャと食器を動かしケーキを食べる準備をしてくれていた。

 どっちがいい、なんて言いつつカウンター越しに彼が手渡してきたのは、イチゴのショートケーキとモンブラン。どちらも種類の違う甘い香りで食欲を誘ってくる。

「ん~どっちにしようかな~」

 一応、迷っているふりをしておく。

 私はケーキを出された時点で、いやケーキの中身を見る前からどちらを選ぶかを既に決めていた。それは彼の食の好みを知っているからでもあり、普段のケーキの買い方を知っているからでもあるのだが、そうでなくても私と同じ立場に立った人は私と同じ選択をするだろう。

「じゃあ、こっちで」

 そう言いつつ、私が手にしたのはモンブラン。同時に、彼はほっとしたように笑みをこぼす。

 だってしょうがないじゃん! あんなもの欲しそうな目でチラチラとショートケーキの方を見てたらそりゃ誰だってモンブラン選ぶよ! 私は心中で叫ぶ。

 彼はイチゴのショートケーキが大の好物だ。普段から二人でケーキを食べに行くと、必ずと言っていいほどショートケーキを注文する。他のケーキを頼んでいるのを私はほとんど見たことが無い。そのため、私の機嫌が良い時は彼のためにショートケーキを作ることもしばしばだ。

 こう見ていると、彼はやはり子供っぽい所が多いなと改めて感じさせられる。これが母性をくすぐられるという奴なのだろうか。

 テーブルに向かい合って座り、お互いにケーキをほおばる。疲れた身体にマロンクリームの独特な甘みが染み込んでいく。蕩けるように優しい味だ。

 彼もまた幸せそうにショートケーキを口に運んでいる。むにむにと動く口、口の端に付いた生クリーム。可愛い。

 私の視線に気づいたのか、彼が口を開く。

「夜ご飯、どうする? これ食べちゃってから言うのもなんだけど」

「んー……。別に食べなくてもいいかな。そんなにお腹もすいてないし。あなたは?」

「僕も要らないかな。実は君が帰ってくる前にお腹空いてカップ麺食べちゃってたし」

「そっか」

 私が夕飯を食べると言ったらどうするつもりだったのだろうか、彼は。

「お風呂は?」

「あなたが先に入って。私は部屋着に着替えたいし、メイクも落としたいし。それから入るから」

「……うん」

 彼の返事は何やら不満げだ。さっきまでパクパクとケーキを口に運んでいた手も、その動きを止めている。

「どうしたの?」

「せっかくだからさ。明日休みだし……」

「一緒に入る?」

「……いいの?」

「いいよ。私も今日はそういう気分だったし」

 なんとも分かりやすい男だ。一緒に入りたいなら素直にそう言えばいいのに。同棲しているってことはつまり、私もある程度そういうことを許容してるってことなんだから。

「やった! じゃあ先に入って待ってるね!」

 ケーキを食べる速度がぐんと上がる彼。確かに求められることは嬉しいことだな、とふと思った。

 私がモンブランの最後の一口を食べ終えたころ、廊下の先からシャワーの音が聞こえてきた。口の中で後を引く甘さが、次に訪れる甘さを予感させた。

 私は急いで着替えを手にし、脱衣所へ向かう。普段より可愛い下着の準備も万全だ。

 浴室に入り、彼と二人、水の音に紛れる。

 桃色の余韻を残しながら、二人の影は初夏の夜空に溶けていった。


 私の誕生日から一か月が過ぎたころだ。

 私の気持ちを酌んで新たなサプライズを狙っていたのだろうか。確かに今までとは違うパターンの驚きを私は感じることになった。

 梅雨の始まり。薄暗く仄かにじめじめとした日。


 彼は死んだ。

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