母と呼ぶにはまだ早い?
「それじゃあクローナちゃん、私達の紹介も終わったことだし今度は私達にマシロさんの紹介をしてくれる?」
「わかったのだ」
仕切り直すようにクローナさんはエレナさんから離れてワンピースの皺を伸ばす。
「マシロが気を失っている間に軽く紹介したがもう1度言うのだ」
今度はクロノスさんとエレナさんに向き合うよう俺に背を向けるクローナさん。
「この男はマシロ。負けたことを認めたくはないが私を倒して私のつがいになった
「えっ! マシロさん、クローナちゃんを倒したのですか?」
エレナさんは驚いたように目を見開く。どうやら俺がクローナさんを倒したことは聞かされていなかったらしい。
「ま、まぁ。で、でも運が良かっただけですよ」
勝手に包帯が動いて守ってくれていなかったら俺は今頃クローナさんのお腹の中だ。優秀な包帯が巻かれていて本当に運が良かったよ。
「運が良くてもクローナちゃんに勝つなんてすごいですよ! だってクローナちゃんはクロノス君よりも強いんですよ?」
「えっ!?」
クローナさん、ダンジョンマスターのクロノスさんより強いの!?
「ち、違うのである! わ、我はクローナが娘だから手加減をしてやっているだけで本当は我の方が強いのだ!」
さすがに聞き捨てならなかったのか、言われた通りに黙っていたクロノスさんが慌てて反論する。
「クロノス君、嘘は良くないですよ?」
「そうなのだ父上。手加減してあげているのはいつも私なのに嘘は良くないのだ」
「なっ!? う、嘘である……。ま、まさかクローナに手加減されていたなんて……み、認めないのだ! 我は絶対認めないのだぁぁぁ!」
だが冷たい目をした妻と娘にすぐ論破されたクロノスさんは叫び声を上げながら天井へ向かって飛んでいった。彼の目の端から流れていた滝は見なかったことにしよう。
「あの大丈夫なんですか? あのままじゃクロノスさん天井にぶつかるんじゃ……」
「ああ、別に大丈夫なのだ。この部屋の天井にはダンジョンの外に繋がる魔法陣があってそれに触れてもダンジョンの外に出るだけなのだ」
「へぇー」
そんな便利な魔法陣があるんだ。
「それにしてもクロノスさんが泣き叫びながら飛んでいったていうのに2人ともすごい冷静ですね」
「「いつものことだからの(ですから)」」
2人は声を揃えて答える。
「へ、へぇー」
クロノスさんいつも泣かされてるんだ。
衝撃的な事実を知らされ、俺はもう一度飛んでいくクロノスさんへ視線を向ける。
最初に威圧感を覚えた巨大な図体がどんどんと小さくなっていく。
俺はその様子に猛烈な哀愁を感じて少し泣きそうになってしまった。
乾いているから涙は出ないと思うけど……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
クロノスさんが飛び立ってからすぐ、俺とクローナさんはエレナさんに導かれなぜか部屋の一角に用意されていた人族用の椅子に座っている。
「あの、どうしてここに人族用の椅子と机があるんですか?」
俺は隣に座るクローナさんに尋ねる。
ドラゴンが人族用の椅子に座るとは思えないんだけど……。
「母上を見ていればすぐにわかるのだ」
「えっ? それはどういう」
クローナさんにそう言われ、よくわからないまま向かい側の椅子の後ろに立つエレナさんの方を見てみる。
すると、さらによくわからない事態が目の前で起こった。
「よいしょっ」
「は……?」
椅子の後ろに立っていたはずのエレナさんの姿が消え、長く尖った耳と艶やかな黒髪を持つ褐色の女性が椅子に座っていたのだ。
「く、クローナさん! ひ、人族が、人族がいますよ! ど、どうしましょう!?」
隣にいるクローナさんの肩を掴んで揺さぶる。
「うぬあっ! あ、危ないからやめるのだ! 倒れてしまうであろうが!」
背もたれに身を預けゆらゆらと椅子ごと揺れていたクローナさんが焦った様子で怒鳴る。
「で、でも人族が!」
「ちゃ、ちゃんと説明してやるから落ち着くのだ! ま、まず顔が近いわ! 離れるのだ!」
「で、でも」
すぐそこに人族がいるのに落ち着いてなんていられないよ!
「ああもう鬱陶しい! 落ち着けと言っているであろう!」
「あたっ!」
クローナさんの鋭い手刀が俺の頭を襲う。なぜか今回は包帯の自動防御は発動しなかった。
「ど、どうしていきなり叩くんですか?」
「落ち着けと言っているのに落ち着かないマシロが悪いのだ」
「でも人族が」
「だから説明してやると言ったであろうが、このバカたれめ。貴様が急に顔を近づけるから危うくキスしそうになったではないか」
「えっ?」
今、クローナさんがすごいこと言った気がしたんだけど……。
「な、なんでもないのだ! い、いいから黙って説明を聞くのだ!」
「は、はい!」
お、俺の聞き間違いだよな? ま、まぁ! 今は、とりあえずちゃんと説明を聞こう!
「い、いいか! よ、よく聞くのだ!」
「は、はい!」
少し動揺しているのかクローナさんは声を震わせながら椅子の上に立つ。
俺も相当動揺しているのか、ミイラなら乾ききっているはずの心臓が激しく脈打った気がした。
「向かい側に座っている女性は私の母上なのだ! そして母上は人族ではなくてダークエルフなのである! わかったら母上に謝るのだ!」
「でもエレナさんはドラゴンなんじゃ」
「違ぁぁぁぁう!」
「へぶしっ!」
質問しようとしただけでクローナさんに平手打ちをお見舞いされる。またも包帯は俺を守ってくれなかった。
「い、痛いじゃないですか!」
「うるさい! 母上は怒るとすっごい怖いのだぞ! なのにマシロは母上を人族なんかと間違えて、貴様は死にたいのか! 怒った母上ならマシロなんて小石ぐらい簡単に粉砕できるのだぞ! わかったらすぐに謝るのだ!」
珍しく焦った様子のクローナさんは、椅子に座っていた俺の手を引っ張るといともたやすく俺の身体を持ち上げて机に正座させる。
て、手が千切れるかと思った。
「さぁ早く、早く謝るのだ! 母上でないと母上に一瞬で消されてしまうのだ!」
クローナさんは机に片足を乗せて、後ろから俺の頭を掴んで押さえつけてくる。確かに、よく見るとエレナさんの耳は尖っていて人族のものより長い。
あと、今さら気づいたけどクローナさんの耳もエレナさんと同じく尖っていて長かった。
「く、クローナさん、痛いです! か、顔が机にめり込んじゃいます!」
俺はドラゴン自慢の怪力により問答無用で頭を下げさせられる。
「なにをしているのだマシロ! 早く母上にごめんなさいって言うのだ! 人族なんかと間違えてごめんなさいって!」
「え、エレナさん、ごめんなさい。ひ、人族なんかと間違えてしまってごめんなさい」
顔を机にぐりぐりと押し付けられながら、俺はクローナさんの言葉通りに謝罪する。
すると、今まで黙って俺達の様子を見ていたエレナさんが口を開いた。
「クローナちゃん」
「は、母上? な、なんなのだ?」
優しく穏やかな声で名前を呼ばれたはずなのにクローナさんは声を震わせながら返事をする。
怯えているのか俺の頭を掴んだ手も僅かに震えていた。
「ちょっとそこに正座してくれるかな?」
エレナさんはにっこりと微笑んで告げる。
不思議とエレナさんの背後に禍々しいオーラようなものが見えるけれど、あれはきっと見間違いなんだ。ものすごくはっきりと見えているけど見間違い。うん。絶対に見間違いではないとわかっていても見間違いなのである。
「は、はいなのだ!」
大きな声で返事をすると、モンスターの中でも最速と名高い電撃ラビットもびっくりな速度でエレナさんが指差した俺の隣に正座するクローナさん。
「クローナちゃん」
「ひぃっ!」
エレナさんが再び名前を呼ぶと彼女の背後に広がっていた禍々しいオーラの一部が火の玉のような丸い固まりとなって飛び、クローナさんの身体の周りをぐるぐると回り始める。
余程エレナさんのことが怖いのだろう。俺を守ってくれると言って頼もしかったクローナさんはびくりと身体を震わせて情けない悲鳴を漏らしていた。
「ま、マシロォ、助けて欲しいのだぁ……」
泣きそうな顔で助けを求めてくる。
つがいになったクローナさんが助けを求めているのに救わないわけにはいかない!
俺は意を決して言葉を紡ぐ。
「あの!」
「あっ、マシロさんはもう普通に座って下さいね」
「あっ、はい」
つもりだったけれど、エレナさんに言われたとおりに机の上から椅子へ移動し、静かに座った。
「クローナちゃんが突然乱暴をしてしまってごめんなさい。クローナちゃんには私がちゃんとお仕置きをしますのでどうか許してあげて下さいね」
「い、いえ、俺は別に。で、出来ればエレナさんもクローナさんのことを許して」
「ふふふっ、いくらマシロさんの頼みでもそれはできませんよ。だって私、すっごく怒っているんですから」
エレナさんは俺の言葉を途中で遮り告げる。
彼女が怒気を発したのに合わせて背後のオーラもさらに禍々しくどす黒いものになっていく。
「そ、そうですよね。あは、あははははは」
「そうですよ。ふふふふ」
そんな鬼神のようなオーラを放つエレナさんに出来損ないのミイラもどきが逆らえるはずもなく、俺はただクローナさんを見捨てて愛想笑いをすることしか出来なかった。
ちらりと机の上で正座するクローナさんの顔を見ると眼力だけで呪い殺さんばかりに俺を睨んでいた。
俺は、そっと静かに目を閉じた。
「は、母上やめ、やめて、ふぎゃぁぁぁ! ま、マシロ助け、マシ、うぎゅぅぅぅ!」
エレナさんに生尻を叩かれるクローナさんの醜態を見ないようにするために……。
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