本能を捨てるにはまだ早い?
俺はクローナさんの手の感触を味わいつつ、ある疑問を覚える。
「あれ、これからよろしくってことはクローナさんは俺と一緒に居てくれるんですか?」
「あぁ、一緒に居てやるのだ。だが別に私がマシロと一緒に居たいと思っている訳ではないのだぞ。マシロに負けたから仕方がなくなのだからな! 勘違いするでないぞ!」
クローナさんは語気を強めて念を押す。
わざわざ一緒に居たい訳じゃないとか言わなくても……。悲しい。
「でも俺に負けたからってどうして一緒に居てくれるんですか?」
「ま、負けたって言うでない!」
「今さっき自分で言ったんじゃないですか」
「う、うるさい! 人から言われるのと自分で言うのは違うのだ! それぐらいわかれ! バカ!」
いきなり大声で怒鳴られ罵られる。理不尽だ。
「それに私が負けたのはマシロが卑怯な不意討ちをしてきたからであって、本当なら私の方が強いのだ! だから私は負けてないのだ!」
「卑怯な不意討ちって、クローナさんもいきなり襲ってきた癖に、俺に負けたのはクローナさんが油断してたのが悪いんでしょ!」
「だから負けたって言うなぁ! ドラゴンを負かすことがどういうことかも知らない癖に私に負けを認めさせようとするなぁ!」
なんかクローナさんが駄々っ子のような話し方になってる。ちょっと可愛い。
でも今は話の続きが気になる。
「ドラゴンを負かすとなにかあるんですか?」
「私の心をこれだけ荒らしておいてよくも冷静に質問が出来たな、この鬼! 鬼畜! 畜生!」
話しかけたらずっと罵倒が返ってくるんですが、泣いていいですか?
俺が涙を堪えている間もクローナさんは話し続ける。
「いいか? ドラゴンを負かすということは負かしたドラゴンと一生添い遂げる覚悟が必要なのだ! なのになんの覚悟も無しに私を負かしおって、責任を取れ! 責任を!」
「責任って言われましても……」
もとはといえば急にクローナさんが襲ってきたのを返り討ちにしただけで、そんな覚悟をする時間も、余裕も無かった。
勝ったのだってたまたま包帯が有能だったからだし、俺にとっても予想外の出来事なんだよなぁ。
「そもそもなんでドラゴンを負かすと一生添い遂げる必要があるんですか?」
「そ、それは……」
突然クローナさんの歯切れが悪くなる。
そんなに言いたくない理由なのか?
「…………ょ」
「えっ、なんて言いました?」
声が小さすぎてなんて言ったのかわからなかった。
「だから……だよ」
ダメだ。全然聞き取れない。
「あのもう少し大きい声で」
「だからぁ、ドラゴンの本能がマシロを求めるんだよ! 私がこんな姿になったのも本当はマシロとエッチなことをするためなのだからな!」
「えっ」
真っ赤な顔で俺の言葉を遮ったクローナさんは声を荒げながら宣言する。
その内容があまりにも突飛すぎて俺はすぐに理解することが出来なかった。
クローナさんが俺とエロいこと? ドラゴンとミイラ(仮)なのに? はっ? えっ?
「いいかよく聞け! さっきマシロが私を負かしたことで本能がマシロをつがいとして見初めてしまったのだ! そしてドラゴン種は基本的に本能には抗えない! つまり私にはもうどうすることも出来ないのだ! こんちくしょうめ!」
激しい勢いで説明したかと思えば、足元に落ちていた砕けた壁の欠片に怒りをぶつける。
蹴られた欠片は唯一無傷だった壁にぶつかり粉々になって消えた。
壁には傷ひとつ付いてはいなかった。
「あの壁すごいな」
形態が人型になっているとはいえドラゴンが蹴りあげた石をぶつけられたのに無傷とは、凄まじい防御力だ。
「今、そんなことどうでもいいであろうが!」
「へぶっ」
壁に感心していたらクローナさんにビンタされてしまう。
俺の包帯に自動防御機能がなかったら首が吹き飛んでいたかもしれない恐ろしいビンタだった。
それより強いであろう衝撃に耐えたあの壁はやっぱりすごいな。
「また壁を見て、ちゃんと私の話を聞くようにもう少し殴った方がいいかもなぁ?」
狂ったように薄ら笑いを浮かべたクローナさんが拳を作って脅しをかけてくる。自暴自棄が行き過ぎて他人を傷付けだしてるじゃん。
「ちゃ、ちゃんと聞くから、殴らないで下さい!」
無慈悲に鉄拳を振り下ろしてきそうな彼女に逆らうことは俺には出来なかった。
まぁ、ちゃんと話を聞くだけだしそもそも逆らう必要もないんだけどね。
「確かつがいの話でしたよね?」
「あぁ、マシロに私のつがいになってもらうという話なのだ。そして不本意ではあるがこれはもう決定事項なのだ。マシロも諦めて私のつがいになるのだ」
クローナさんは遠い目をして告げる。
数秒前まで俺を脅していたのが嘘のように彼女は穏やかな表情をしていた。
「でも、俺とクローナさんはさっき会ったばっかりですよ? いくらドラゴンの本能が見初めたからってクローナさんが嫌ならそんなにすぐ諦めなくてもいいんじゃないですか?」
「甘い! 貴様はミルキーバットよりも甘いのだ!」
ミルキーバットがどのくらい甘いのかは臭い以外はわからないけれど、クローナさんの怒りっぷりからしてきっとすごく甘いのだろう。
「ドラゴンの本能というのは隷属魔法にも似た強制力があるのだ! 本能に抗おうとするとサンダーの魔法を浴びせられたような激痛が身体中を走るのだぞ!」
クローナさんは泣きそうな顔で訴える。
だからあんなに暴れていたのか。
てっきりむしゃくしゃして暴れだしたのかと思ったけど痛みを誤魔化そうとしてたんだな。
「それに身体だってこんなに小さくされて……ううっ。これだってマシロがつがいになってくれないともとの姿に戻れないのだからなぁ! うわぁぁぁぁ」
ついに声を上げて泣き出してしまう。
俺が勝ってしまったせいで泣いていると思うと、なんだかとてもいたたまれない気持ちになってくるな。
「あ、あのクローナさん」
「ううっ、わかってるのだ。ひぐっ、どうせ私のつがいになんて、いぐっ、なりたくないって、えぐっ、言うのだろ?」
クローナさんは弱々しくすすり泣きながら座り込み、膝を抱えていじけてしまう。
最初に彼女が放っていたドラゴンの威厳はもう一切感じられなかった。
「あ、あの」
「なんなのだ……?」
涙で濡れて微かに赤らんだ目元と潤んだ深紅の瞳。彼女は小さくなった身体をさらに小さくして丸くなっている。
そんなまるでドラゴンとは思えないほど弱々しくなってしまった彼女に見つめられたせいだろうか?
俺は自分でもおかしなことだとわかりつつ言葉を紡いだ。
「俺、クローナさんのつがいになりたいです」
「はっ? へっ?」
クローナさんが間の抜けた声を出す。
まさか出逢ったばかりの俺が彼女の申し出を受け入れるとは思っていなかったんだろう。
彼女はぽかんと口を開けたまま大きく目を見開いて硬直してしまう。
「あのクローナさん? おーい」
ダメだ。まばたきどころか呼吸すらしてない。
いくらドラゴンとはいえ息をしないままだと
死ぬじゃないか?
「クローナさ~ん。そろそろ戻ってきて下さいよ~」
顔の前で手を振りながら大声で呼び掛けるも一切反応はない。
こ、これは本格的にまずいのでは?
「あ、あのクローナさん!? ほ、ホントに早く戻ってきて下さいよ!? じゃないと死んじゃいますって!」
さすがに心配になって彼女の肩を掴んで激しく揺さぶる。
「……ん?」
よ、良かった。やっと反応してくれた。
「び、びっくりさせないで下さいよ。まったく、あのまま死んじゃうのかと思いましたよ?」
俺は無事硬直の解けたクローナさんを見て安堵し軽口を叩く。
「……」
だがクローナさんはなぜか俺を睨み付け、右手で拳を握る。
「あ、あのクローナさん? どうして拳を握るんですか?」
「わ、わわ、わた、わた」
そしてクローナさんは答えた。
「私をたぶらかすなぁぁぁ!!」
握った拳で俺の顎を撃ち抜きながら。
「がふぅぅぅぅ!」
俺は天高く飛び、ぐるぐると回転しながら部屋の中を舞う。
包帯の自動防御が仕事をしたのか、それとも痛みの限界を越えたのか、不思議と全く痛みを感じない。
「あっ、やばっ……」
回る視界の中、どんどんと遠退いていくクローナさんが罰の悪そうな顔をしてなにかを呟いているのが聞こえる。
「ぐふぅ!」
直後、俺は向かい側の壁にぶつかり、夢の空中飛行は終わりを迎えた。
「さ……さすが……奇跡の……壁……すご……いな……ぐはっ……」
俺は、俺がぶつかってもなお石粒すら落とすことのなかった屈強な壁を称え、静かに力尽きる。
クローナさん、おやすみなさい。そして、さようなら。
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