出会いと呼ぶにはまだ怖い?
湖が静けさを取り戻してから少しの時が経った頃、俺はなにをするでもなくダンジョン内をただ徘徊していた。
「これからどうしよう」
心の底からから信じていた仲間達に襲われたのでミイラ種が暮らしている愛しのモンスターハウスに帰ることも出来ない。
「はぁ……」
このまま歩き続けていると体力がなくなって動けなくなり、冒険者や強力なモンスターの格好の餌食になってしまう。
本来ならあのまま湖のある部屋で休んでいたかったんだけれど、黒い鎧を身に纏った4人組が来たせいで移動するしかなかったのだ。
弓を持っている奴も居たから逃げている最中に後ろから射られやしないかとひやひやした。
「まぁ、気付かれずに逃げ切れただけで良かったと思おう」
1人で4人も相手にするなんてミイラ男(仮)の俺には荷が重い。うん。仲間も重かったしな。
「…………」
た、多人数相手に戦うならせめてスパイスサーペントぐらいの戦闘力が欲しいな。
スパイスブレスで相手を麻痺させてから丸飲みとか強そうだ。
人型モンスターの俺としては人間を丸飲みにはしたくないけど。
「にしても結構長い間
どこにでもいるはずのスライム達すら見かけないのはちょっと不気味だ。
「なんか変なのに
若干の不安を抱えつつ、俺は安全地帯を求めて再びダンジョン内を探索し始めた。
この後漆黒のドラゴンに出会うことになるとは露知らず……。
「痛っ! なんで部屋に入ってすぐ壁があるんだよ!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
はい。状況は戻ってドラゴンさんに食べられるまで2秒前。
自我が目覚めてまだ1日目。
経験したことといえば心の底から信じていた仲間達に裏切られたり、ミルキーバットが美味しく食べられるのを遠巻きに見ていただけだ。
せっかく自我が目覚めたのにそれだけで死ぬなんて嫌だ。
本能が放棄したはずの生への執着が唐突に帰還する。
俺はその本能に従って、一歩だけ後退った――
ガチンっ!
鼻先で激しい音がする。
ドラゴンの生暖かい鼻息が全身を包む。
「あ、危なかったぁ……」
あとちょっと後退るのが遅かったら目の前の牙に身体を挟まれていたかもしれない。
すぐに身体を動かしてくれた本能に感謝しよう。
本能さんありがとうございます!
さて、脳内で本能に深々とお辞儀をしてお礼はしたものの未だ命の危機であることに変わりはない。
いや、むしろさっきよりも悪い状況だと言える。
だって生への執着と一緒に、死の恐怖が帰ってきて、身体が全く動かないんだから。
「よ、よくも避けおったな。貴様が避けたせいで歯が痛いではないか! もう本当に許さん!」
さらに酷いことにドラゴンさんが3割増しで怒っていらっしゃる。歯を痛めたのは自業自得だろうに理不尽なドラゴンさんだ。
「今度こそ食ってやる!」
深紅の瞳をギラつかせ、ドラゴンは再び俺を胃袋へと押し込もうと大口を開けた。
「っ……!!」
喉の奥の暗闇を見て、恐怖に飲まれる。
まるで紐で縛られたように固まって身動き1つとれない。
もうダメだ……。
鋭く尖った牙が俺の身体を貫こうと襲いかかってくる。
俺は死を覚悟し目を瞑った――
だが、その牙が俺に届くことはなかった。
「ん、んがぁ!! んががぁぁ!!」
変な声がして目を開くと、そこには予想外の光景が広がっていた。
「んがぁ! ふがぁ!」
俺を噛み殺すはずだったドラゴンが口を開けたまま、じたばたと身悶えていたのだ。
「な、なんで? んん?」
あれ、よく見るとドラゴンの口になんか絡まってるな。
んん〜? あれ? なんか見覚えがあるような……。
って、あれ俺の包帯じゃない?
まさかとは思いつつ、俺は自らの両手を確認する。
右手首の包帯がほどけ、ドラゴンの上顎へと伸びている。
その包帯は上顎をぐるぐる巻きにした後、左手首まで伸びてきて絡まり、さらに左手首からドラゴンの下顎へと伸び、同じくぐるぐるに拘束し、最後に右手首まで戻ってきていた。
「すごいな俺の包帯」
無意識で守ってくれるなんて有能過ぎるよ。
裏切られた時の印象でミイラは体当たりししか攻撃手段を持っていなかったのではと錯覚しそうになったけどやっぱり包帯使えるんじゃん。
しかも良く伸びて頑丈だ。
包帯の強度を確認しようと手を動かすとドラゴンの顔も同じ方向へ着いてくる。
「んがががぁぁあ!」
ドラゴンは不快そうに吠えた。
だが俺はドラゴンの顔があっちへこっちへと動くのが面白くてつい動かしてしまう。
「んががぁ! んがぁ! んががぁぁあ!」
動かす度にドラゴンは悔しそうに唸りながら尻尾をバタつかせる。しまいには目に涙を溜め出したのでさすがに可哀想になって動かすのを止めた。
「あの、拘束解いても俺のこと食べたりしませんか?」
完全に戦意喪失したように見えるけれど、もしものことがあるので一応尋ねる。
「んがぁ、んががぁ」
するとドラゴンは弱々しく唸った。
たぶんだけれど「あぁ、しない」と頷いた気がした。
◆◆◆
薄暗くも広い部屋の中。
俺は引き続き漆黒のドラゴンと向き合っていた。
さっきまでと違うのはお互いの関係性だろうか?
最初の獲物と狩人から現在は勝者と敗者の関係に変化している。
正直俺としては勝ち負けとかよりも今ここに生きて座っていられることがなによりも嬉しかった。
「それでドラゴンさん。俺はこれからどうすればよろしいんでしょうか?」
「そんなこと私が知るか! 貴様が勝ったんだから煮るなり焼くなり好きにすればいいであろうが!」
うわぁ、完全に拗ねてらっしゃる。もはや自暴自棄になってるよ。
「あ、あの俺は別にドラゴンさんを食べたいわけではなくてですね……」
「ドラゴンさんと呼ぶでない! 私にはちゃんとクローナという名前があるのだ!」
あっ、女の子だったんだ。顔が凶悪過ぎて絶対男だと思ってたよ。でも確かに自分の呼び方も我から私になってるな。
「じゃあクローナさん」
「貴様なんかに名前で呼ばれたくないわ!」
「俺にどうしろと!」
「うるさい! この真っ白男!」
言われた通りに呼び方を変えたのになんで罵倒されなくちゃいけないんだ。
「俺が真っ白男ならあなたは真っ黒女ですよ!」
「ま、また私を馬鹿にしおって!! くそぉ、私はどうしてこんな奴に負かされてしまったのだ! 食って、食ってやりたいのにぃぃ!!」
怒気のこもった言葉を吐きながらクローナさんは恐ろしいことを口走る。
尻尾で何度も壁を叩いてあちこち凹ませている割には俺に対して攻撃してくる素振りが一切ない。
どうやらしっかり約束を守ってくれる良いドラゴンさんのようだ。
「はぁはぁ……す、すっきりしたぁ」
クローナさんはようやく暴れるのをやめて息を整える。
部屋は嵐が通り過ぎた後のように荒れ果てていた。
「お疲れ様でした」
「う、うるさい! 貴様なんかに労われても嬉しくないのだ!」
「えー」
落ち着いたと思って声をかけたのにまた怒られてしまった。
「それで、貴様の名前は?」
「えっ、なんですか?」
どうすれば怒られずに済むかを考えてて聞いてなかった。
「だから貴様の名前を聞いているのだ。まさか私にだけ名乗らせて自分は名乗らないつもりか?」
「ああ、俺の名前ですね。えっと俺の名前は……あれ、俺の名前ってなんだっけ?」
おかしい。自分の名前が思い出せない。
「き、貴様……まだふざけるのか?」
俺の言葉を聞いたクローナさんがわなわなと身体を震わせ鋭い眼光で睨んでくる。
「ち、違います! 本当にわからないんですよ! だって俺、今日自我に目覚めたばっかりなんですもん!」
「……はっ? そ、それじゃあ私は生まれたての貴様に負けたと?」
「そうですね。厳密にいうと生まれたてというよりは目覚めたての俺にですけど」
「…………」
あれ、クローナさんが口開けて固まったぞ。
「あのクローナさん?」
「…………」
「おーい」
「…………」
深紅の瞳の前で手を振っても反応がない。鼻でも触ってみるか。
「ほっ!」
手が届かなかったのでジャンプする。
だが、それが思いもよらぬ悲劇を生むことになった。
「ぬあぁぁぁぁぁぁ!!」
「えっ? ぐふぉぉ!」
突然叫び声を上げて暴れ出したクローナさんの尻尾が腹部を強襲する。
俺は後ろへ吹き飛ばされ、壁に激突する。
「ぐふぅっ!」
手首の包帯が再び自動で衝撃を和らげてはくれたが、それでもドラゴンの攻撃の威力を完全に抑えることは出来なかった。
「へぶっ!」
壁から剥がれ、床で顔を強打する。
やばい。意識が……。
「あっ、すまぬのだ」
薄れ行く意識の中、最後にクローナさんが軽い口調で謝るのが聞こえた。
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