第17話 炎の魔女は境界を焼く

 熱風が辺りを立ち込めている。道路も、ビルも、看板も、全部焼けている。街が燃えていた。全部カナタが放った火が元だ。一体被害総額がどれだけになるのか想像も付かない。しかし、これ以上燃え広がらないのは魔術による炎なためだろう。カナタがある程度操作しているのだろうと思われた。

「は? なにがなんだって言うの」

 カナタは残罵の言葉がいまいち聞き取れなかったらしい。

 しかし、ハジメにはしっかり聞き取れた。ハジメはなにを言い出したのかと思った。

「条件が面白くねぇって言ったんだよ、お嬢ちゃん。どうもな。カテゴリー5にしちゃあなぁ」

 残罵は思案するように宙を見ていた。

「カテゴリー5だってんなら、もっと面白い条件があっても良いだろ。感情にしたってもっととんでもねぇ感情とか、なんかすげぇ場所じゃねぇとダメとか、一年のある日だけとか。『思いやりの心』ってのはなぁ。なんか道徳の教科書みてぇっていうかよぉ」

 それが純粋な残罵の感想らしかった。

 しかし、カナタはあまり興味が無さそうだった。

「どうでも良いでしょそんなもん。条件がなんだろうが。むしろ手頃な条件で助かったってもんよ」

「なるほど、確かにそれは意見だな。まぁ、そういう見方もあるだろう」

 残罵は顎をさする。

「でも、やっぱり面白くねぇかなぁ。どうにもぶっ飛んでねぇ。普通だ」

「なに言ってんのよこいつ」

 カナタは残罵が何を言い出したのか分かりかねていた。突然、契約の条件に関して難癖を付け始めたのだから当然だろうと思われた。

「お嬢ちゃんはどう思う。面白いお嬢ちゃん、普通じゃないお嬢ちゃん。面白くねぇと思わねぇか?」

「なんでそんなこと言わなくちゃなんないのよ!」

 カナタは魔導書に手をかざし、残罵に魔術を見舞う。当然当たらないわけだが。残罵は電柱の上に転移する。

「普通なのは面白くねぇ、そう思うだろお嬢ちゃんも。面白くないってのはいけねぇことだ。つまらないってのは良くねぇことだ。そいつは可能性を狭めるってことだからな。人間、つまらないことより面白いことの方が興味を持つ。興味を持たれやすいってことはそれだけ人が関わるってことだ。関わる人が多いってことはそれだけ物事が進んでいくってことだ。結果的に世の中のためになるわけだな」

「へぇ、そいつは結構ね!」

 カナタの放つ魔術は当たらない。

「だから、俺は面白いことを好む。俺は面白いことをして世の中でバカ騒ぎするのが好きだ。まぁ、結局犯罪なんだがよ、なにか面白いことがあって変化があるってのは良いんじゃねぇかと思うところもある。いや、別に世のため人のためにこういうことしてるわけじゃねぇけどよ。結局自分のためなんだがよ。だが、やっぱり面白いと思ってる。少なくとも俺は満足だ。そんで、世の中のやつもどうやら楽しんでる部分もあるって聞いてんだよ。やっぱり面白いってのは良いことだ」

 残罵はかはは、と笑う。実際、残罵の犯罪をエンターテイメントのように楽しんでいる風潮は少なからず存在している。残罵の犯罪は社会的影響は尋常では無いが、直接的な死者が出たことはないし、怪我人もあまり出ない。安全な犯罪なのだ。大衆からすれば見世物としてこの上無いのである。

「なぁ、お嬢ちゃんはどう思う。面白い普通じゃないことについてどう思う。つまらない生き方はどう思う」

「...ふん」

 しかし、カナタは忌々しげに顔をしかめて答えない。

「なぁ、少年。お前も聞きたいだろう。このお嬢ちゃんの意見をよぉ」

「な...」

 唐突に話を振られて動揺するハジメだ。

「さっき、少年は俺が普通だって言ったらかなりのブルーになってたよな。お前さんもこの話題には興味津々なところだろう」

「う....」

 ハジメは口ごもる。興味はあるハジメだった。普通とか普通じゃないとか。面白いとかつまらないとか。ハジメも常々考えていることだ。ハジメの同年代も常々考えていることだ。いや、思えば今回のハジメが巻き込まれた事件そのものがそういった意味合いを含んでいた。魔導書の話に乗っかったことがそもそもハジメが面白そうだと思ったからだった。歳星館に居ようと思ったのも面白そうだったからだった。ハジメはつまらない日常が嫌だったのだ。面白いことが起きないかとずっと思って生きてきたのだ。そして、とうとうそれが訪れた。それがハジメにとってのこの騒動だった。そして、いつだってその中心に居たのが残罵であり、そしてカナタだった。

 残罵は普通ではなかった。明らかに異常な人間だった。残罵はその異常性で世界をかき回しているのだ。

 カナタも普通では無かった。そもそも性格も行動もぶっ飛び過ぎだった。まともでない。それは残罵も認めるところ。

 ハジメは普通とか普通じゃないとか、そういったことについてどう思うか聞きたかったのかもしれない。カナタの口から。

 そして、もっと言えば。普通な自分についてどう思うか聞きたかったのだろう。

 ハジメはカナタを見た。黙って。

「え、なにこれ。答えないといけないの?」

「そうともお嬢ちゃん。少年も聞きたがってるぜ。少年は自分の人生について深く思い悩んでんのさ。この先についてもよぉ。そいつにちょっとした意見でも言ってやれば少年も喜ぶってもんだ」

「全然意味分かんないわね。興味も無いし」

 カナタは面倒そうに表情を歪めていた。

「そう言うな面白いお嬢ちゃん」

「ていうか、その言い方止めてくれない。面白いとか普通じゃないとか。失礼しちゃうわね。私はしっかり普通なんですけど」

「冗談は止せよ。お前さんほどぶっ飛んでるお嬢ちゃんは初めてなんだぜ」

「ふざけないでよ。私は普通よ。これっぽっちも変わってなんかいないわ」

「いやいや、そんなわけは無いぜ。さすがに自覚は少しはあるはずだろうが。世の中生きてて思わねぇのか。なんか自分は違うなとかよ」

「思うけど、全部些細なことじゃない。そんなに取り立てて話し合いするようなことじゃないわよ。おおむねにおいて私は他の色んな人と大して変わらないと思ってるけど」

 カナタは片目をすがめながら頭をぽりぽり掻いていた。

 残罵は小さく呻いていた。

 ハジメは衝撃を受けていた。正直ハジメにはカナタがなにを言っているのか全然分からなかった。だって、カナタはどう考えても普通じゃない。どう考えても自分とは違う。なのにカナタは自分は普通で、恐らくハジメとも大して違わないと思っている。ハジメにはどうしてそう思えてしまうのか分からない。分からなかった。

「さ、そういうことだから。この話はお仕舞いよ」

「ふぅむ....」

 残罵は口ごもっていた。あの残罵が口ごもっていた。なにか、明らかに、カナタは残罵の予想と違うことを言ったのだ。

 残罵はその疑問を、その齟齬を言葉にして問おうとするが、だが先にハジメが言ったのだった。

「そんなわけないだろ! お前ほどぶっ飛んだやつは居ない! お前はどう考えたって変人だ! どこも普通じゃない! 俺とか他のやつとは全然違うだろ!」

「なんですって! 変人!? ふざけんじゃないわよ、このオタンコナス!」

「変人どころか奇人だ! おかしいんだよお前は! こんだけおかしいのに普通って、頭おかしいんじゃないのかお前は!」

 ハジメの言葉にカナタはこめかみをマジでひくつかせていた。ガチギレ状態である。本当に怒っていた。カナタは変人呼ばわりが本当に腹立たしかったらしい。本当の本当にカナタは自分をなんの変哲もない普通の人間だと思っているのだ。

「言うじゃない。あんた、覚えときなさいよ。あとで足元からゆっくり炙ってあげるわ。ゆっくり丁寧にね。悲鳴上げようが失神しようが頭まで黒こげになるまで止めないから」

「ひ、ひぃ...。いや、そんなこと言うのも普通じゃない....」

「大体、あんただって変人でしょうが。普通の高校生はカテゴリー5の魔導書と契約なんてしないわよ。なのに平然と状況を受け入れてるし、異様に値切るし、性格悪いし、私とツカサを嫌らしい目で見てるし、ずっともの食ってだらしないし」

「ただの悪口じゃねぇか! 全部普通の範疇だろうが! 俺は普通だ! 普通なんだよ!」

 ハジメは半分絶叫のように叫んだ。

「なら私も普通よ! 発言を撤回しなさいよ」

「い、いやどうしてそうなるんだ。埒が明かないぞこのカナタさんは」

 揺れるハジメにカナタはため息ひとつ。

「私が高校に行ってないとか、私がお金大好きなこととか、魔術が使えるとか、こうやって危険を犯してまで残罵と戦いに来るとか、そいういったことが変わってるって言うんでしょ」

「ま、まぁ大体そんなところか」

「お金が大好きなやつなら世の中にごまんと居るわよ。魔術が使えるやつだって結構居る。残罵と戦うっていうなら超対の連中だって戦ってるわよ。ほら、べつに私を構成する要素が全部まるっきり特別ってわけじゃない。まぁ、少数派かもしれないけどね。どっちかと言うと少数派な要素が組み合わされてるから変わって見える部分もあるのかもしれないわね」

「い、いや変わってるだろ」

「でも、私もあんたと同じでバラエティ番組見て笑うし、好きなバンドはあるし、好きな漫画もあるし、晴れの日は気分が良いし、雨の日は憂鬱よ」

「そんなもん誰でもそうだろ」

「そうよ誰でもそうよ。そんで、私の少数派な部分と誰でもそうな部分を見比べると、結局誰でもそうな部分の方が多いのよ。だから、正直他の大多数の人と私は大して変わらないってわけよね。うんうん。自分で言って良い理屈だと思うわ」

「え、ええ...」

 困惑するハジメだったが、どこかで妙に納得する部分もあるハジメだった。確かにその理屈だとハジメとカナタはそんなに違わないのかもしれない。

「結局、私の少数派な部分が表に出た時に引き起こされる現象が派手だからあんたには私がとびきりの変人に見えてるだけなわけよ。たぶんそういうことよ。だから、私は変人じゃないわけ。きっとそういう理屈ね」

「そ、そんなあやふやな....」

 カナタはどうやら即席で理屈をでっち上げているらしかった。呆れるハジメだった。

「普通とか特別って言葉に大した意味なんて無いんじゃない。あんたは普通だとか普通じゃないとか気にしすぎなのよ。どうやったって私は私であんたはあんたなんだから」

 ハジメは黙って聞くしかなかった。

「それにあんたは自分で思ってるよりつまらないやつでも無いんじゃない? あんたと居て.......た、楽しい時もあったし...」

 最後の言葉はひどく小さくやっとかっと聞き取ったハジメだった。だが、嬉しかったハジメだった。

 ハジメはまた良く分からなくなった。自分が今まで考えていた普通とか特別とかいったことが根っこの部分から良く分からなくなったのだ。

 自分とすごい人たちは全然違って、その違いは決定的で、自分はそんな風な特別になれるはずは無いのだと思っていた。

 しかしたぶん、カナタには世の中で言うつまらないやつも、すごいやつも全部大して違っていないように見えているらしかった。

 それはまったく謎だった。しかし、ハジメにはそんな見方は清々しかった。

 今まで当てにしていたものが無くなった瞬間だった。だが、別に嫌なものでなく、妙に晴れ晴れしたハジメだった。

「だいたい、高校なんて行ってるやつどう考えたってまともじゃないわよ。それに関してはそっちがおかしいって断言出来るわね」

「結局それかよ、横暴だ」

 呆れるハジメだった。

 そんな二人の様子を見ていた残罵だったがずっと静かだった。黙って二人の会話を見届けていたのだ。そして、ようやく口を開いた。

「かはは、お嬢ちゃん。なら、俺はどうなんだ。普通か、特別か」

 そんな問いだった。

「決まってんでしょ。あんたは人類至上稀に見るクソ外道よ。奇人変人の頂点ね」

「かはは、かははははは! なるほどそうかそうか。それは良いな。それは面白ぇ」

 残罵は肩を震わせ、仮面を天に向けて笑っていた。本当に面白そうだった。

「お嬢ちゃん。面白いお嬢ちゃん。お前さんはやっぱりどう考えても普通じゃない。どう考えても今まで俺が会ってきた中でもトップクラスの変人だぜ。愉快だ、まったく」

 残罵は楽しそうに言うのだった。それは残罵にとっては清々しさのあまり、度を越えた高揚のあまり口から出た言葉だった。本心であり、そしてある意味では親愛の情さえこもっていた。

 しかし、その言葉を聞いたカナタは再び顔をひくつかせ、こめかみには青筋が浮かび、視線で殺せそうなほどの眼差しを残罵に向けていた。カナタはぶちギレていた。

「話聞いてた? 私はまともだって言ってんでしょうが」

「いやいや、お嬢ちゃんは面白い。お嬢ちゃんは変わってる。こんな変わってるのに会うのは久々だ。愉快で愉快で笑いが止まらねぇ」

「.....ああ、そう。交渉の余地は無さそうね」

 カナタはにっこりと笑ったのだった。あり得ないほどの綺麗な笑顔だった。

 ハジメは戦慄した。恐怖で背筋が凍ったのだ。あの笑顔が怒りが頂点を越えたせいで生まれたものだと分かったからだ。

 そして、そのカナタがその笑みを張り付けたままハジメを見た。ハジメは小便を漏らしそうという形容をこの時体感したのだった。

「ハジメ、気が変わったわ。契約破棄を行いましょう。何がなんでも行いましょう。そして、この男を跡形もなくなるまで焼きましょう」

「あ、はい」

 ハジメはそう答えるしかなかった。

 カナタは魔導書を開いた。カナタの持つ赤い魔導書、爆炎を起こす魔導書を。

 対する残罵も魔術式を発動する。ハジメを使って行使しているディアン・ケヒトの魔導書の術式を。

「お嬢ちゃんを本気で怒らせちまったか。そっちがその気なら、こっちも出し惜しみ無しで行くぜ。かはははは! 最終ラウンドってわけだ!」

 残罵はディアン・ケヒトの魔導書を発動する。カエル兵が現れる。白金の天使が姿を表す。鋼鉄のワイバーンがビルの屋上に舞い降りる。カナタの目の前に現れたのは一国の軍隊さえ相手取れる魔術界の至高の創造物たち。

 ハジメはミノムシのように吊るされながら状況を見守ることしか出来ない。

 そして、カナタは苦虫を噛み潰したような表情をしながら残罵を睨んでいた。

「火だるまになって懺悔して泣き叫びなさい、このクソ野郎!」

 そして、カナタが魔導書に手をかざし戦いが再開された。

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