第16話 一体全体何故なんだ
「なるほど、マンホールか。歳星館の昔の脱出経路でも使ったか。ああいう施設は戦時中にそういう道を地下に伸ばしてたって話を聞いたことがある」
カナタはなにも答えない。
しかし、実際残罵の言う通りであり、カナタはツカサが指示した地下経路を通りこの大通りまで直通で来たのである。地下に昔に作られた通路、それは魔術的な隠蔽を施されており、雑兵のカエル兵では見つけられなかったのだ。
カナタは魔導書に手をかざす。炎がいくつも残罵の周りで巻き起こるがムカデに傷ひとつつけることは無かった。やはり、圧倒的だ。カナタの魔術がまるで効かない。
残罵は肩を揺らして笑っている。
良く響く舌打ちをするカナタだ。
「あんたがその魔導書を使えるネタも割れてるわよ。ハジメを魔導書として自分の支配下に置いたんでしょ。とどのつまり、魔導書の操作に関してだけハジメをラジコン代わりにしてるだけ。大した話じゃないわ」
「ああ、その通りだ。だが、ネタが割れても」
残罵は手に持っているディアン・ケヒトの魔導書をタンと叩く。
「こいつなら魔術に耐性のある機械も作り放題だ。悪いがお嬢ちゃんじゃもうどうしようもねぇ」
「うるさいわね」
カナタは再び舌打ちだ。そして、また感情のままに爆炎を残罵に見舞った。当然効かない。
「どうするお嬢ちゃん。ここまで来てもらってなんだがよ。お嬢ちゃんに出来ることはなにもねぇぞ。お嬢ちゃんの魔導書じゃ俺にもこの機械どもにも傷ひとつつけられねぇ。それでもやるのか?」
「当然でしょ。その魔導書を返してもらわなくちゃなんないんだから!」
カナタの上に炎の矢が数えきれないほど出現したのだ。それは雨のように残罵に飛んでいった。そして、ミサイルのように爆発を起こし続けた。辺り一帯を吹き飛ばしていった。
「なるほど。引く気はまったくねぇってわけだな。これだけの差を見せつけられても気は変わらねぇってわけだ。良いね、良いぜお嬢ちゃん」
爆炎の向こうで残罵が言う。
そして、次の瞬間。残罵の顔はカナタの真ん前に迫っていた。転移魔術だ。
「なら、その気概に応じるのが礼儀ってもんだろうな」
カナタが眼前に迫ったへのへのもへじのふざけた仮面を睨み付けた。
残罵の側に機械の怪物は居ない。残罵はどうやらカナタと真っ向勝負をする気らしい。カナタの負けん気に応じたということなのだろう。
両者はしばし睨み合った。その頭上では着々と怪獣が組み上がりつつあった。
「っ!」
瞬間、カナタは魔導書に手をかざし、魔術を行使した。巻き起こる炎、それが残罵に襲いかかる。しかし、残罵はその炎の中には居ない。とっくに転移でかわしているのだ。
何発も何発もカナタは魔術を見舞うが、やはり当たらない。当たるはずがない。残罵は全てかわしてしまう。
「ああ、クソ。全然当たんないじゃないの!」
カナタの魔術をかわしながら残罵は実に楽しそうだった。そもそも、ディアン・ケヒトの魔導書を抜きにしても残罵とカナタの間には魔術の腕に差があるのだ。
なので、まともにやりあっても本来カナタの方が分が悪いのである。
それでも、カナタは真っ向から戦うことを選んだ。それは、勝てる見込みを感じてのことなのか、本当にただの意地なのか。
「あー! もう! イライラする!」
カナタの爆炎は雪崩のように巻き起こり辺り一面を火の海に変えていく。
「かははは! 苛ついてるな」
魔術が発動するたびに飛び回る残罵が笑う。
「あああ! 腹立つ! なんで私がこんなことしなくちゃなんないのよ!」
逆ギレするカナタだ。不条理の連続でここまですることになり、どんどん怒りが湧いてきたのだ。そして、一向に好転しない状況にも同様に憤っている。
そして、街灯の上に転移した残罵が器用にしゃがみこみ、カナタを見下ろした。
「まぁ、仕方のねぇ話だ。なにせ相手は俺なんだからな」
「うざいっ!」
当然のように発動した炎をかわし、そして残罵はカナタの目前に再び転移した。一歩近寄れば鼻がぶつかる近距離。両者は睨み合った。残罵は余裕で、カナタはその頭の中で事態の打開策でも考えているのだろう。
「さぁ、どうする。タイムリミットはもう間近だ。もうすぐ完成しちまうぞ。あれがよぉ」
残罵はそう言って、着々と組上がっていく『怪獣』を見上げた。巨大な体躯、恐ろしい牙、ごつい尾、夜の摩天楼に照らされたその姿は迫力満点だった。もはや、完成寸前だ。あと数分であの怪物は動き出すのだろう。そうなれば終わりだ。もはや、超対だろうが、カナタの魔術だろうがどうしようもなくなる。あんな巨大な化け物は怪獣映画さながらに自衛隊が総力を上げて対応しなければどうにもならないだろう。
あと数分以内にカナタはこの状況をどうにかしなくてはならないのだ。
「いやぁ、良いな。たまらん。見てみろあの鋭い牙をよぉ。そして、このデカさ。やっぱ怪獣ってのは良いぜ。ようやく夢が叶うっつーわけだからワクワクが止まらねぇんだよ」
残罵はそれを見上げて心底満足げだった。まさしく、長い間見てきた夢が叶ったのだから当然か。両手を掲げて『怪獣』を見上げる。カナタから目を逸らしても平気なのは慢心というよりは絶対の確信があるからだろう。魔術が当たらないという。
そんな残罵を見て、カナタは聞こえるように思い切り舌打ちをかました。
「ぜんっぜん分かんないわね。何が良いのあれ。なんであんなに腕太いの。バランス悪くない?」
「ああ? てめぇ、俺のロマンにケチ付ける気かよ」
「生憎だけど、ただただ忌々しいとしか思えないわね」
そう言ってカナタは再び魔術を発動する。当たらないと分かりながら。
残罵は転移し、カナタから数mの距離を取った。
「まったく、いけねぇな。ロマンとか夢とか忘れちまったらお前、生きる楽しさ7割減って感じだろうが」
「知らないわね。私はお金があって、欲しいものが手に入ればそれで良いのよ。そもそも怪獣とか興味無いし。大体、あれが動いたら私大損害なのよ。何が何でも壊さないとなわけ」
「ははっ。まぁ、そうだろうな。あんなもんが動いた日にゃあ、警察から軍隊から全部出動だ。まるで怪獣映画さながらにな。いや、良い。良いなおい。たまらねぇ」
残罵の言葉や態度に警戒心は無かった。もはや、万事は上手く運び、後は予定通りに進んでいく物事を眺めるだけなのだという自信に満ちていた。そして、実際このままではそうなる。
「ちっ、さすがに余裕ね」
「ああ、余裕だとも。まったく負ける気がしねぇな。お嬢ちゃんじゃ逆立ちしても俺には勝てねぇよ。諦めな諦めな」
ひらひらと手を振る残罵。そこに、巻き起こる業火だ。
そして、残罵が次に転移するのは信号の上。
「弱ったお嬢ちゃんだ。なら、良識ある大人として付き合ってやるとするか」
そうして、残罵は空中をその拳で殴り付ける。
「凄絶驚異の怪物門」
残罵の後ろにその背丈を越える大きさの魔方陣が浮かび上がる。そこから現れたのは長い腕、長い牙、そして燃えるような赤い瞳の怪物。歳星館を襲撃したあの怪物だ。
「ザザム、余興だ。あのお嬢ちゃんの相手をして差し上げろ」
『Garrrrrrrrrrrrr!!』
怪物は吠える。轟音で辺りの石ころが細かく揺れた。
カナタは怪物を睨む。
「そいつならもう勝ってるはずだけど。リベンジマッチなわけ」
「おい」
「まぁまぁ、こいつも悔しかったらしくてな。色々反省して、それを活かしてまた戦いたいんだそうだ」
「おい!」
「まぁ、何度でも消し炭にしてあげるわよ。さっさと来なさいよ」
「おいおい!」
「ああ、吠え面かくのはお前だけどな。そら」
残罵が指を上げる、しかし、
「おいって言ってんだろ!!!」
唐突な第三者の絶叫に二人は動きを止めた。ハジメだった。看板から簀巻きにされ吊るされたハジメが叫んだのだ。ハジメも怒りを露にしていた。全ギレだ。助けに来たはずのカナタがここまで丸っきりハジメを無視して残罵と戦っていたためである。
対するカナタは白けた顔でハジメを見た。
「なに、今大変なんだけど」
「ああ、まったくだ。流れってもんがあんだろ少年」
「知ったこっちゃない。こっちはこっちで大変なんだ。ていうか早く助けろよ! お前俺を助けに来たんじゃないのかよ。ベラベラとそいつとやり取りしてんじゃねぇよ」
「助けに来たわよ。でも、こいつがあんまり攻撃避けるもんだからイライラしちゃって。つい、ムキになったのよ」
「そんなもん気にすんな。そんなやつ気にすんな。自分のやるべきことを思い出せ」
「はいはい、分かってるわよ」
カナタはぽりぽりと頭を掻いた。
残罵は訝しげに小首をかしげる。
「なんだ? 奥の手か?」
残罵が上げた指を振る。すると側の怪物が吠え猛り、カナタに襲いかかった。カナタは素早く術を発動、巨大な火柱が怪物を襲った。前の戦いで怪物を葬った術だ。怪物はあの時と同じように苦悶の雄叫びを上げる。しかし、
「クソ。確かに強くなってるみたいね」
怪物は叫びながら一歩ずつ、火柱の中を歩き始めたのだ。以前はただ焼かれるままで成す術もなかった怪物だった。しかし、今やある程度の耐性を付けたらしい。残罵が何かいじったのかもしれない。
カナタは飛び退き安全な位置まで距離を取る。
「そら見ろ。もう、こいつは簡単には倒せねぇ。そんで、頭の上じゃ俺の傑作が着々と構築中。どうだ。もう、打つ手は無いだろ。とっとと諦めろ」
残罵はそのふざけた仮面の下では歯を見せてニヤついているであろうことがありありと伝わってきた。状況は圧倒的に残罵が優勢だ。もはや、カナタにはじりじりと敗北に近づいていく以外の手が無いかのように見える。しかし、ハジメが叫んだ。
「いや、まだ手はある!」
ハジメはカナタが言っていた言葉を思い出す。
「おい、分かったんだろうな」
ハジメは言う。
「分かったんだろう契約破棄の方法は!」
カナタは渋々といった調子で顔を上げる。
「ええ、分かってるわよ。その条件から何から、全部が全部ね」
歳星館でカナタは確かに、契約破棄の方法は分かったというようなことを言っていた。無数に見える選択枝、その中からカナタは直感でその答えを感じ取ったのだろう。根拠は無いかもしれないが、確信しているのだカナタは。そして、ハジメはそのカナタの直感にある程度の期待を寄せていたのだ。
「や、やったじゃんかよ」
ハジメはミノムシのようにゆらゆら揺れて喜びを表現する。
しかし、カナタはそこで突然口をつぐんでしまった。しかめ面でそれ以上言葉を発さなくなったのだ。
「どうしたんだよ。契約破棄しろよ。上のあれを作ってる魔導書との契約破棄を。そうすればこいつに勝てるんだろ!」
それでもカナタはしゃべらなかった。
「どうしたってんだよカナタ! 契約破棄の条件を言えよ! そのための行動をしろよ!」
この状況を残罵は面白そうに見守っていた。火柱は消えたがそこから現れた怪物も動かない。
カナタはそれらの視線を浴び、状況の中心にありながらまだ黙る。なにかの感情を押さえつけているような、もしくはその感情に戸惑っているようなそんな雰囲気だ。
しかし、カナタはようやく口を開いた。
「嫌だ!」
カナタは一言だけ言った。
「....は?」
ハジメは驚愕でようやく一言だけ言葉を漏らした。
「え、な、なに言ってんですか...カナタさん...」
そして、ハジメは続けた。謎だったからだ。対するカナタは口をつぐんでいた。また、しゃべらなくなってしまったのだ。
「い、いや、全然良く分からない。どうして、そうなるんだよ。お前が契約破棄すればそれで全部解決なんだぞ。それに、『無理』なら分かる。『嫌だ』というのはどういうわけなんだよ」
カナタは黙りこくっている。
「おいおい、どうしたってんだカナタ。ここに来て一体なんでだ」
ハジメにはまったくカナタの考えが理解出来なかったのだ。カナタは契約破棄の方法を知っているという。ということは、ディアン・ケヒトの魔導書を止められるということで、つまり残罵の野望を食い止められるということだった。残罵本人に勝てるかどうかは分からないが、魔導書さえ止めればこの騒動は終わる。カエル兵に止められた超対の部隊がこちらまで来ればあとはどうとでもなるとも思われた。つまり、契約破棄さえすれば残罵に勝てるのである。
なのにカナタはそれを行うのが『嫌だ』という。これいかにといったところだ。
「契約破棄か。そいつは弱るな」
黙ったカナタの代わりに口を開いたのは残罵だった。
ハジメは息を飲む。今、状況は残罵が圧倒的に優勢。正直まともにやりあっても勝てる見込みは無い。純粋な戦闘力は元より、ディアン・ケヒトの魔導書も手中に入れている残罵はもはや一個大隊クラスの戦力を持っていると言えるだろう。そんなものがハジメの言葉を受け、危機を感じ、そして阻止に回ったならひとたまりも無いのだ。
今更ながら感情に任せて叫んだことを後悔するハジメだ。残罵が本気でカナタを倒しにかかれば全ておじゃんだ。
「かはは、『嫌だ』ってのは面白いな。お嬢ちゃんはやっぱり面白い」
残罵は笑った。
「ひょっとして、ただのはったりか?」
「ち、違うわ! 本当に知ってんだから!」
「バカ! はったりってことにしとけば少しは煙に巻けるのに!」
「あ、そうか」
カナタはしまったとばかりに口に手を当てていた。呆れるしかないハジメだ。
しかし、残罵的にはどうでも良いらしかった。
「無駄だぜ。はったりだろうがなかろうが、お嬢ちゃんを倒せば全部一緒だ」
「ほら。そもそもあんたが契約破棄とか大声で言ったのが悪いのよ」
「な、なにおぅ!」
ハジメは図星を突かれいきり立つしかなかった。この局面でもお互いの沸点の低さは健在だった。すでに半分喧嘩状態だ。そんなことをしている場合ではない。
「契約破棄、契約破棄。ディアン・ケヒトの魔導書の契約の条件ねぇ」
そこで残罵がぶつぶつと言った。
「考えなかったわけじゃねぇ。でも、やっぱり分からなかった。俺の頭でも分からなかった。これでもおつむには自信があんだけどよ。それをお嬢ちゃんが分かったってのは少しばかり悔しいな。その条件ってやつを教えちゃくれねぇか」
「教えるわけないでしょうが。そもそも、無理よあんたには。あんたみたいな極悪人にはね」
カナタは残罵を片目で睨む。
「ふむ。それで、お嬢ちゃんは嫌、なんだったな。お嬢ちゃん、ひょっとして嫌なのは恥ずかしいからじゃねぇのか?」
「な、なんでよ!」
「はは、ムキになってやがる。やっぱり図星だな。お嬢ちゃんみたいなひねた性格のが恥ずかしくて嫌がる、そんでディアン・ケヒトの魔導書だ。やっぱり『慈愛』に関わることが条件らしいな」
「....!」
残罵の言葉にカナタは息を飲んで押し黙った。驚いているのだ。
「図星か。まぁ、詳しい条件までは分からないが。やっぱりその辺だったか」
残罵は肩を震わせて笑った。
ハジメもかなり驚いていた。残罵は実物を持って検証したわけではない。なのに、カナタの挙動と自分の知識だけでカナタの知る条件の概要を特定したのだ。頭が良い。恐らく今まで会った誰よりも頭が良い、とハジメは思った。
それと同時に妙に思ったハジメだ。結局、カナタが見つけた条件は『慈愛』に関わることらしい。ハジメはあの公園で契約した時、確かにカナタを助けたいと思った。しかし、それに関わる検証はもう、かなりの数をこなしていたのだ。なのに今さらになってまた出てくるとは。
ハジメはカナタが間違いを犯しているのではないかと疑った。しかし、声には出さない。残罵に情報を与えるべきではなかった。下手すればこの男はそこから確信に迫ってしまう。
「『慈愛』か。思いやりの心ってわけだ。大事なことなんだろうがどうも面白味に欠けるな。どうにも普通だ」
そして、残罵はそう言った。
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