第15話 築き上げるは鋼の巨獣

「ん....」

 ハジメは目を覚ました。なにか妙な夢を見ていたのを覚えていた。エアコンを買いに行く夢だった。自分の部屋のエアコンが壊れ、電気屋に買いに行くのだが全て数百万の値段であり恐れおののきながら値切り交渉をするのだ。しかし、千円単位でしか下がらず絶望していると、あまりにしつこいとかで事務所に連れていかれた。そして、強面のスーツの黒人と女帝のような赤いドレスの店長に睨まれ土下座させられそうになったところで今目が覚めたのだった。女帝店長に無理矢理土下座させられそうになり罵詈雑言浴びせられているのは妙な快感があったのもハジメは覚えていた。一体なんの暗示なのだろうかとハジメは思う。

「よぉ、目が覚めたな」

 そんな寝起きのハジメに上から声をかけたのはへのへのもへじのふざけた仮面だった。それを見てハジメは今まであったことをはっきり思い出した。自分は残罵に捕まったのだと。そして、なんらかの原因で意識を失い今目を覚ましたのだ。ハジメはビルの上に居た。ここは繁華街の真ん中だ。バスターミナルに隣接するデパートの上だった。付近のビルより小さい3階立てで横に広いタイプのデパート、ハジメはその屋上の縁に転がっていたのだ。体は縄でぐるぐる巻きだった。動けそうにない。

「なんなんだよ...俺をどうしようっていうんだよ!」

「別にどうもしねぇさ。ただ、お前はこの魔導書と契約してる。だから、必要なのさ」

 残罵は右手にディアン・ケヒトの魔導書を持っていた。ハジメも覚えている。歳星館とそこを包囲していた超対はこれから生まれた魔術によって制圧されたのだ。

「それで、ここが目的地だ。駅前の交差点、ここが一番良い」

 残罵は片足を屋上の縁にかけ、下の交差点を見下ろした。時刻はもうすっかり夜だった。歳星館での攻防から2時間以上が経過したのか。遠くでパトカーの音が響いている。人通りもまばらだった。恐らく超対が非常事態宣言をこの街に出したのだ。もう、ツカサが残罵の目的を超対に話しているだろう。彼らは血眼になって残罵を探しているはずだ。『怪獣』を作らせないために。

 しかし、ここに超対は居なかった。まだ、残罵を見つけられていないのだろう。

 そして、残罵はディアン・ケヒトの魔導書を開いた。

「さて、始めるとするか」

 そして、それを見てハジメはついに叫んだ。

「なんなんだ....なんなんだよお前は! そんなことしてなんになる、なんの得にもならないだろう! 少なくともあんな大犯罪行為を犯して、いろんなものや人を傷つけて、それが『怪獣を作るため』だって? どうかしてんじゃないのか!」

 ハジメの素直な感想だった。目の前の人物は狂人だと糾弾したのだ。

 その叫びに残罵は手を止める。そして、ハジメを見た。仮面の向こうから嬉しそうにハジメを見ているのが想像出来た。それだけのふざけた雰囲気が溢れだしていたのだ。

「得はねぇさ。意味も特にねぇ。ただただ、俺がやりたいだけだ」

 残罵はしゃがみこんでハジメを見下ろした。残罵の気色悪い仮面が目前に迫り、ハジメはたじろいだ。

「昔から怪獣が好きだった。まぁ、あくまで個人的に好きだっただけだがな。だから、いつか実物を作ってみてぇと思ってた。良いだろう少年、バカでかい怪物を思いのままに操れるんだぜ? 怪獣映画みてぇによ。とてつもなく面白いだろうが。面白いのは良いことだ」

「そのワケわからん目的のためにどんだけの人が被害を受けると思ってんだ。それで良いと思ってんのか。世の中舐めてんのか」

「まぁ、それに関しては申し訳ねぇと言うしかねぇわな。だが、それで止まってたら東京23区の金丸々強奪なんてしねぇよ。少年、残念だがお前の目の前に居るのは不和残罵だ。お前さんの常識ってやつはまったく通用しねぇぞ」

「くそ、いかれてやがる。普通じゃねぇ」

「ああ、そうだとも。俺は普通じゃねぇ。普通じゃねぇってのは面白いってことだ。だから、俺はこれで良いんだ」

 ハジメは目を剥いて残罵を見る。残罵は続ける。

「少年だって、思ったことあるだろう。いや、俺の見立てじゃ少年は確実に思ってる。普通が嫌だ、退屈な毎日が嫌だ、面白いことが起きないか、ってな。それは俺と同じ感覚だ。俺の場合、思って行動出来るってだけだ。そんで行動の規模がでかくて常軌を逸してるだけだ。根っこはお前さんと変わらない」

 ハジメは唾を飲む。緊張のためだ。何せ、残罵の言っていることがある程度理解出来てしまったからだ。それはまさしく、ハジメが普段思っている感情だったからだ。

「だが、少年。、今、お前さんが口にしたのは一般論だ。そいつは普通だ。退屈の側にあるもんだ。確かに生きる上じゃ間違いなく必要な知識なんだろう。だが、やっぱり普通だ。面白くない。俺は嫌いだ。それはどうも、物事の見方を狭める」

 残罵は立ち上がる。ハジメはショックを受けた。

 いや、この局面でそんな感情になるとは思いもしなかった。今まで忘れていたのにここで思い出すことになるとは思いもしなかった。

 また、普通だと言われた。大悪党不和残罵に言われてもショックだったのだ。ハジメ自身も驚いた。それだけ、普通が嫌だったのだ。つまらない人間になりたくなかったのだ。少なくとも自分はそうじゃない側に居ると信じたかったのだ。だが、残罵は結局『お前は普通だ』と言ったのだ。

「少年、これは完全な俺個人の意見だが、そのまんま普通のこと言ってたらこの先もずっと普通の人生だぜ」

 ハジメは肩を揺らした。

「普通が嫌だったら、どこかで『まとも』から脱出しなくちゃならねぇ。今まででかいことしてきたやつはみんなそうだ。元々『普通』じゃなかったか、もしくはなんとか『普通』から抜け出した。そういうやつばかりだ。少年はそのままじゃそういう連中の一員にはなれねぇよ」

 それは宣告だった。この先のハジメの人生を決める宣告。

「くそ...」

 だが、ハジメに言えるのはそれだけだった。なにも言い返せなかった。だってそうだ、思ってしまったのだから。『そんな風にはなれない』と。残罵のように、とは思わなかった。だが、言っていることはなんとなく分かったのだ。今、目の前に境界線があると。別に残罵みたいになる必要なんてないが、それでももっと何か言える人は居るのだ。こんなことを言う残罵を完全論破出来るような、こんな普通の言い分ではない、もっと目の覚めるような鮮烈な言葉で残罵を打ちのめせるような人が居るのだと。常識の外側の悪党に、常識を越えた善き言葉で対抗出来るやつが居るのだと。それが、境界線の向こう側。常識に囚われない、普通じゃない人たちの世界。だが、それがハジメには分からなかった。さっき言った以上のことは分からなかった。そして、その常識の外に出たいとも思わなかった。この、極限の状況でハジメは完全に理解してしまったのだ。自分は普通だ、と。ここで踏み出せない自分は一生普通のままなんだと。ハジメはそれが、とてつもなく悔しかったのだった。

 ハジメはただ打ちのめされ、うなだれるしかなかった。

「なんだ? ずいぶん落ち込んじまったな、おい。多感なお年頃ってやつか?」

 残罵の言葉にももはやハジメは返すことは無かった。どの道今ぐるぐる巻きにされているハジメに出来ることなどない。抵抗するだけ無駄だ。それにハジメは今精神的ダメージが大きかった。どうしようもなかった。

「やれやれ、ようやくおっぱじめようってのにせっかくのオーディエンスを思いきりブルーにしちまった。しまったぜ。言い過ぎた。仕方ねねぇな。少年はほっぽいてやるとするか」

 残罵は再びディアン・ケヒトの魔導書を開いた。そして、その古いページに刻まれた文字を指でなぞった。

「そら、始めろ」

 残罵が言ったとたんだった。人の居ない繁華街のスクランブル交差点、そこでぐるりと光の輪が回った。そして、その輪の中でがちゃがちゃと音が鳴る。様々な金属が、様々な部品が濁流のような勢いで溢れだしているのだ。それらは吹き出し、舞い上がるとあらかじめ決められていたように整然と並んで落ちてくる。そして、次々とその部品たちは組上がっていった。

 始まったのだ、怪獣の製作が。

「身長150m、体重5万トンって感じで行くか。ビルにサイズで負けてたら迫力が出ねぇからな。大きめに作っとかねぇと」

 組上がっていくパーツたちが徐々に形になっていく。それは足だった。ごつい爪、いかついかかと。それだけでかなりの大きさになっている。この足から推定される出来上がりのサイズは確かに残罵の言うような巨大なものになる。

 と、そこで、

「お、超対の連中気づいたか」

 遠くで、いやそこいら中でパトカーのサイレンが鳴り響き始めた。館の前で残罵が蹴散らしたが、まだ増援は残っているのだ。

 そこで、残罵はまた魔導書に手をかざした。

 すると、残罵の前でまた部品が大量に現れ、そして組上がって形を成した。それは二足歩行のカエルのようだった。手には銀のマスケット銃を構えていた。

「行ってこい」

 そう言うとカエル兵はすさまじい勢いで飛び上がった。砲弾のようだ。残罵は超対の迎撃を行うつもりなのだ。そして、カエル兵たちは残罵の前で次から次へと製造されていった。そして、出来た側からサイレンの方へぶっ飛んでいく。先程、歳星館で残罵が言った通りにほぼ無尽蔵に産み出せるらしい。残罵の魔力の枯渇も無い。怪獣のような巨大な構造物を作りながら、カエル兵を無尽蔵に産み出し続ける。およそ、普通の魔導書には不可能な芸当。これが、カテゴリー5の魔導書だった。

「かはははは! 良いな。良い感じだぜ!」

 残罵は笑っていた。その足元のハジメは奥歯を噛み締める。残罵は異常だった。ハジメは普通だった。どうすることも出来なかった。




「ええい!」

 カナタは巨大な火柱を発生させる。それが焼くのは先程から虫のように沸いて出てきたカエル型の機械兵だった。周りには超対が居る。いや、超対だけではない。特殊部隊の姿まである。警察はかなりの勢力を注ぎ込んでいるらしかった。それらが残罵発見の一報の元、現場へ向かおうとしところでこのカエル兵が大量に襲ってきたのだ。こっそり超対に引っ付いていたカナタも一緒にその被害を受けることとなった。

「全然効いてないわね」

 火柱の中から現れたカエル兵は、しかしまったく傷を負っていなかった。これが問題だった。カエル兵はそのひょうきんな見た目に反して恐ろしく強かったのである。動きの早さ、力の強さ、耐久性、どれを取っても最上級の使い魔のレベルだった。それが、雑魚かなにかのように大量に出てきたのだ。現場はパニック状態だった。

 そして、カナタもそれに行く手を阻まれていた。いまだにカエル兵を一体も倒せない。カナタの火力ではカエル兵の耐久力を上回れないのだ。

 しかし、超対の通信で残罵の位置は分かっていた。繁華街、駅前のスクランブル交差点。そこにディアン・ケヒトの魔導書とついでにハジメも居るのだ。なにがなんでも行かなくてはならない。

 繁華街の方では光輪が光り、機械の部品が吹き出している。そして、明らかになにかが組上がっていた。

「なによあのへんちくりんな物体は!」

 カナタはぶちギレた口調でわめく。カナタはツカサに事情を聞いていた。残罵は怪獣を作るつもりだと。はっきり言ってぶちギレたカナタだ。そんなアホな目的のために自分の大切なお宝が奪われたのかと。いかれているとは思っていたがこんな理解不能なことをするとは想像もしていなかった。とにもかくにもカナタは一発ぶん殴らなくては気が済まなかった。

 しかし、道は閉ざされていた。

 だが、

「ツカサ!?」

 そこに現れたのはツカサだった。路地の影からカナタに手招きしている。

「ちぃ!」

 カナタは爆発を起こしてまとわりついているカエル兵をひとまず吹き飛ばすとツカサの元に走り寄った。

「こんなところでなにやってんのよ!」

 カナタが言うと、しかしツカサ黙ってあるものを指差したのだった。



 ディアン・ケヒトの魔導書による怪獣の建造はかなりの速度だった。もはや頭も完成に向かいつつあり、全身が完全になるまであと10分とかからないだろう。

 その姿を、偉容を残罵は満足げに眺めていた。むふぅ、などと満ち足りた鼻息まで漏らしている始末だ。

「どうだ、少年。ブルーな気分はもう晴れたか? 見ろよこの有り様をよぉ」

 残罵が言った先にはハジメが居た。デパートの屋上、そこに取り付けられ看板からロープで宙吊りにされているのである。ハジメもさすがにいつまでもショックでうなだれているほどガラスハートではない。曲がりなりに大人に片足突っ込んでいる身分である。圧倒的にテンションは低かったが目の前にそびえ立つ物体を凝視することぐらいは出来た。目の前にそびえ立つ怪獣を。

 ごつい手足だ。ゴリラとティラノサウルスを足して2で割ったような見た目。たくましい牙が2本、下顎から延びている。腕はアンバランスなぐらいに太くだらりと地面に付いていた。ゴリラのような姿勢のは虫類といった感じだ。

 まるで、幼稚園児がチラシの裏に夢想したような怪物がそこに居た。

「素晴らしいね。やっぱりでかいってのは良いもんだ。でかいってだけで良いもんだ。それが怪物ならこの上ないってのが良く分かる」

 残罵は唸りながら怪獣をまじまじと下から上まで見ている。精緻な芸術品を眺める芸術家のようでもあり、新しいおもちゃを貰った子供のようでもあった。大興奮でもあり、しみじみと感動しているとも言えた。とにかく、残罵は今とてつもなく満たされているようだった。

 ハジメもわからないでもなかった。実際、これだけ巨大なものが生物の形をしているなんていうのは少しばかり感動する光景ではあった。子供の頃は怪獣映画を見たり、ヒーローものの怪獣を見て楽しんだりもしたハジメだ。なので、いざ怪獣を目の前にして残罵の気持ちがまったく分からないでもなかった。

 しかし、それでもやはり同意は出来なかった。

 残罵は恐らく完成すればこの怪獣を動かすのだろう。それはこのハジメの住む町がめちゃくちゃに破壊されるということだった。

 どれだけの被害が出るだろうか。建物も経済も、そして人も。想像も出来ない。明らかに災害クラスの事件になる。『大混乱の金曜日事件シャンブルズ・フライデイ』以来の大騒ぎになるだろう。そんなことはとてもハジメには理解出来なかった。そんな怪獣を作って喜ぶなんてことはまったくハジメには分からなかった。

 しかし、今ハジメはロープでぐるぐる巻きであり、残罵はディアン・ケヒトの魔導書を使い放題であり、つまるところやっぱりハジメに打つ手は無いのだった。

 ハジメには無かった。だから、誰か他の人にすがるしかない。

 なんとかしてくれ、とハジメは思った。

 誰か、この馬鹿げた企みを阻んでくれとハジメは思った。

 そして、その誰かは唐突に現れた。

 ごとり、とスクランブル交差点の横のマンホールが動いた。ハジメは吊るされていたから良く見えた。しかし、残罵は怪獣に夢中でそれに気づいていなかった。

 そこから手が伸び、手には赤い魔導書が掴まれていた。そして、その魔導書に手がかざされた。上で、残罵のいる地点で巨大な火球が発生した。残罵は完全に火球に飲み込まれたのだ。完璧な不意打ち。しかし、

「ち。全然ダメじゃない」

 舌打ちと共にマンホールから出てきたのはやはりカナタだった。

 そして、

「おいおい、良くここまで来れたなお嬢ちゃん」

 火球が消えると巨大な金属のムカデがとぐろを巻いていた。そしてその向こうから残罵が言ったのだった。

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