第14話 ディアン・ケヒトの魔導書、起動

「もがぁあ!」

 ハジメはうめく。その全身が球体の怪物の中に取り込まれてしまったのだ。頭から足まですっぽりだ。球体の中はゲル状で身動きが取れなかった。

「いつの間にマーキングを...。さっきの攻撃ですか」

「そういうこった。さっきのレレドの腕で少年に触れてたのさ。マーキングすりゃあ他人でも転移の対象に出来る。あとはこの通りだ」

 残罵は笑いながら怪物を小突く。中にはハジメ。

「そんでレレドには魔力の凝縮体って以外にももうひとつ役割がある」

 残罵が言ったと同時だった。怪物の体から一筋の糸が伸びたのだ。それはツカサの術式さえ越えどこまでも伸び廊下の向こうに続いていく。何かに向かって一直線といった感じだった。

「それは、因果を可視化しているのですか!」

「そういうこった。どれだけ探知対策してもこれだけは隠せねぇ。この少年とあの魔導書が契約しちまってる以上はな。あとはこの糸を辿れば良いってだけの話だ」

「くっ!」

 ツカサが術式を発動しようとする。しかし、

「かはは!」

 その前に残罵は自分達の周りを覆っているヴェールに触れた。そしてそれは、触れたところからバチバチと激しく発光し穴が空いていった」

「く...もう術式を!」

「そら!」

 残罵がそう言った瞬間だった。明らかにハジメの気配が消えた。怪物の中から聞こえていた呻き声がまったく聞こえなくなっていたのだ。

「転移で...っ!」

「そういうこった。少年はもう飛ばさせてもらった。道筋は出来てるからな。あとは魔導書だ!」

 残罵は駆けた。魔導書の元に向かって一目散に。

「く! 野分の大式!」

 その瞬間、突如突風が巻き起こった。館の中全体が揺さぶられるような暴風。まるで大嵐が起こったかのように荒れ狂っている。館が軋みを上げている。

「かははは!」

 しかし、残罵はそれさえものともしない。気づけば姿が消えている。転移を行ったのだ。

「第三機構駆動! 配置変換!」

 ツカサが言うと館が大きく揺れた。いや、今度は風で揺れたのではない。館が確かに地鳴りを上げて揺れたのだ。見れば館の部屋が廊下が、天井が音を立てて動いている。めちゃくちゃに組変わっている。屋敷の構造が侵入者を撹乱するために変化しているのだ。

 ツカサは走る。もう、場所はばれている。あの糸は魔術や館の配置転換では切れなかった。なので、残罵は変わらず糸を辿るだけだ。

 このままでは魔導書は奪われてしまう。

 その時だった。ツカサは見た。館の外を囲む塀。強固な術式で組まれた防壁。そこが強烈な勢いで赤く赤熱、いや、燃え上がっているのを。そして、そこには小さな、人ひとりが通れるくらいの穴が空いた。そして、そこから現れたのはカナタだった。

「カナタ!」

 ツカサは叫んでいた。館の中からでは聞こえるはずも無かった。しかし、カナタは確かに叫んだツカサの方を見た。そして、そのままツカサの元まで文字通りブッ飛んできたのだ。ガラスを砕き、室内に侵入してくるカナタだ。

「大丈夫ツカサ! 明らかに館の様子がおかしいじゃないの」

「残罵です! ハジメさんが拉致されました。そして、今ディアン・ケヒトの魔導書のところに向かっています!」

「あの野郎! 許さない! ていうかハジメもなに間抜けなことになってんのよ!」

「やつは今....く、リビングに向かっています」

「リビング? なんでそんなとこに? 蔵書室じゃないの?」

「いいえ、あそこに魔導書があるのです! 配置転換!」

 ツカサが言うと、一気に廊下が一直線に並んだ。その先にはリビングのドアがある。ツカサは残罵の居る廊下を離れた場所に並べかえた。これでなんとか、残罵より先にリビングに...!

「く...!」

 しかし、そのツカサとカナタの目の前、まさしくリビングのドアの真ん前に残罵が現れた。転移したのだ。残罵は挑発するようにヒラリと手を振って、そしてドアノブに手をかける。

 しかし、そこですかさずカナタは魔導書を開き業炎を巻き起こし残罵に見舞った。

「ちぃ...!」

 遠くで残罵は舌打ちする。その前には巨大な板が立っていた。黒い板。残罵の召喚した新たな怪物だ。それがカナタからの魔術を防いだのだった。

 そして、残罵はリビングへと入っていった。

「させるかってのよ! それは私のなんだから!」

 そのままカナタは突っ走り、リビングへと突撃していった。目の前に立ちはだかる壁の怪物。しかし、その怪物の立つ廊下がガコンとずれた。そして、別の廊下に入れ替わる。ツカサがカナタの障害を取り払う。カナタはそのまま部屋へと入ろうとするが、

『Gaaaa!』

 その手をかけたドアを突き破ってまた怪物が現れた。それは大きな蟲の怪物だった。甲虫と蜘蛛を足して割ったような見た目。赤い複眼がカナタをとらえている。怪物は大きな足を振るいカナタの行く手を阻んだ。その怪物の向こう、怪物が突き破った壁の向こうではまさに残罵が一冊の本を手に取っているところだった。

「くっ....!」

 ツカサが悔しげに歯噛みする。それが答えだった。

 その本はなんの変哲もなかった。分厚いがただの本だった。有名なファンタジー小説だったのだ。しかし、残罵はそれを見ると満足げに肩を震わせ笑った。

「なるほど、擬態の魔術か。まぁ、こういう施設ならそういう術式のひとつもあるわな。気配もばっちり消えてる。完璧な擬態だな。正攻法じゃまず見つからなかった」

 そして、残罵はそれを開き、手をかざした。バチリ、と音が鳴り、そしてただのファンタジー小説だったものはみるみる姿を変えた。そして、それはディアン・ケヒトの魔導書になった。とうとう、残罵の手にディアン・ケヒトの魔導書が渡ってしまった。

「さて、もうここには用はねぇ。邪魔したなお嬢ちゃんたち」

「ふざけんな! クソ泥棒! 私はあんたに用事が大有りよ!」

 カナタは魔術を連発する。しかし、そこへ戻って来た壁の怪物が立ちふさがった。だが、だんだんと壁の怪物の表面が溶け始めた。壁の怪物も館の壁と同じく魔術に耐性があるようだったがそれさえ破られつつある。

「あんまりゆっくりしてるとやられるなこれは。とっととおいとまするとしよう」

 残罵は蟲の怪物に指示を出す。怪物は巨大な足で天井を突き破って上っていった。そして、残罵はその怪物の体に捕まり、そのままリビングから出ていった。このまま館から脱出するつもりらしい。

「ツカサ!」

「ダメです。妨害術式が止められました。この脱出の間だけ発動する式が組まれたようです」

 さながらコンピューターウイルスのようなものだ。残罵は脱出を確実なものとするとするために館の術式に細工をしたらしい。

「く! ツカサごめん。屋根まで吹っ飛ばすわ!」

「分かりました。あなたの上だけ障壁を解除します」

 ツカサが言うが早いか、カナタの真上から火柱が発生し天井から屋根までをぶち抜いた。カナタはそこから一気に上まで上がる。屋根の上まで出てカナタの目に入ったのはさっきの蟲の怪物、その上に壁の怪物、そして、蟲の怪物の上に立つ残罵だった。しかし、残罵はこのまま脱出するはずなのにそこで止まっていた。怒りをあらわに魔導書を向けるカナタ。だが、残罵はカナタを見ていなかった。その視線は館の下に向けられている。そしてそこには、いや、そこだけではなかった。館の周り一帯、ぐるりと囲むように停まっていたのだ。大量のパトカーが。歳星館は完全に警察に包囲されていたのだ。




「おうおう、こりゃあ大所帯だな」

 残罵はそれを眺めてクツクツと笑っていた。超対だ。先日、ツカサは超対の刑事を上手く巻いたつもりになっていたが彼らは変わらず歳星館をマークしていたのだ。そして、歳星館で起きた異常を察知し、超特急でここに集まって来たのである。

「残罵! お前は完全に包囲されてる! おとなしく投降しろ!」

 拡声器から発せられた声は先日ツカサのところに来た刑事のものだった。見ればパトカーの群れの中心、正門の前に壮年の刑事、一木の姿があった。今日もニコチン、タールゼロの電子タバコをくわえていた。

「その台詞は聞きあきたぜおやっさん!」

 そんな、超対に向けて残罵は言った。超対たちは巨大な蟲の怪物が屹立しているのを見てもそれほど動じていない。新入りらしき若い刑事がおののいている程度だ。この程度の光景は慣れ親しんだものなのだろう。彼らはライフルや魔導書を構えて残罵に対していた。

「この数を揃えたの初めてだ。こちとら今回でお前をとらえるつもりだぜ!」

「なるほどな。まぁ、確かにこれだけの数が相手となりゃあちょいと面倒ではあるな」

 360度全方位から狙われている残罵はしかし、まだ余裕があった。自分の魔術を使えばこの場を切り抜けられる自信があるのだ。しかし、同時に残罵は思う。超対とて長い付き合いでポンコツ組織では無いことは分かっている。実際表沙汰にはなっていないが何回か捕らえられる寸前まで追い詰められたこともあるのだ。なんらかの隠し球を持っていると残罵は睨んだ。下手すればこの数の警察自体がブラフということもあり得ると残罵は思った。

「おとなしく投降しろ。さもなきゃ手荒い方法を使わせてもらう」

「うーん、なるほどな」

 残罵はぐるりと首を回して辺りをみた。そして、その目にようやくカナタが入った。

「なんだお嬢ちゃん。ここまで追いかけてきてたのか」

 カナタは答えない。ただ、黙って魔導書を構えている。ここまで来れば超対と一蓮托生する所存なのだろう。超対の動きに合わせて動き、残罵を捉えようというつもりなのだ。その後ディアン・ケヒトの魔導書を持って逃げるか何かするのだろう。

「釣れねぇな、やれやれ。さて」

 残罵は改めて一木を見る。

「仕方ねぇ。ちょっと予定は早まるが試運転だ。おやっさん、面白ぇもん見せてやるよ」

 そう言って残罵はパチンと指を鳴らした。すると、その傍らに縄でぐるぐる巻きのハジメが現れたのだ。

「何事だ!」

 ハジメは叫んだ。しかし、残罵がもう一度指を鳴らすとその口も猿ぐつわで防がれてしまった。

「あんた! そこでなにやってんのよ!」

 カナタが叫ぶがハジメは呻き声で答えることしか出来ない。そのハジメの背中に残罵は右手を当てた。

「さぁ、おっぱじめるぞ」

 バクン、と音が鳴った。そして、ハジメの服の背中に紋様が浮かび上がる。それはまるで文字で、まるでハジメが魔導書になったかのようだった。それらはパチパチと瞬きながら青い光を放っていた。

 そして、残罵はハジメの背中に手をかざす。すると、ハジメの紋様が光り、そして同時に残罵の手にあるディアン・ケヒトの魔導書も光輝いたのだ。それはすなわち、ディアン・ケヒトの魔導書が駆動したことを意味していた。

「なんですって! そんなバカな! なんであんたが使えんのよ!」

 カナタは叫ぶ。それに対して、

「かははははは! 驚いてるなお嬢ちゃん! 良く良く見て、考えることだ」

 笑う残罵。しかし、それを見て正門の一木が腕を振り下ろした。悟ったのだ。このままではろくでもないことが起きると。そして、一斉に銃器と魔導書による射撃が行われた。合わせて、カナタも魔導書を発動した。歳星館の屋根が戦場のような弾幕と爆発に包まれる。通常なら即死、残罵でも凌ぎきるのでやっとというような攻撃の嵐だった。少なくとも一木は今までの経験上そう読んでいた。

 そして、屋根の上の煙が晴れる。

 しかし、そこには、

「かははははは! 良いな! ディアン・ケヒトの魔導書! さすがカテゴリー5!」

 変わらず笑う残罵が居たのだった。しかも、残罵は守られていたのだ。銀色の翼に。それが巨大な鳥だった。白金の巨大な鷲だったのだ。その翼が全ての魔術と銃弾を防ぎきったというわけだった。信じられない強度だった。

 それを見て一木はまた手を上げた。しかし、今度は何回か形を変える。ハンドサインだった。すると、パトカーの何台かのパトランプが紫色で回りだした。それは、館の周りで等間隔で並んでおり、やがてそのパトカー同士を繋ぐようにその光が伸びた。

「結界か! ははぁ! ミサイル200発くらいなら耐えられるやつだな!」

 残罵の言う通りだった。館の周りをすっぽり覆う巨大な結界が発動したのだ。術式と物理的な脱出を阻害する結界、超対が今まで使ってきた中でも最大規模の『大仕掛け』だった。これで、残罵を脱出不能にして捕獲しようというつもりらしい。

 だが、

「わりぃなおやっさん。この程度じゃ無理だぜ」

 残罵はディアン・ケヒトの魔導書に手をかざした。すると、残罵の足元の蟲の怪物、それが白銀の装甲で覆われていったのだ。

「やれい、ダダン」

 そう残罵が言うと蟲の怪物は勢いよく結界に突撃していった。そして、そのまま結界を食い破ったのだ。超対の切り札がいとも容易く破られてしまったのだ。そして、そのまま蟲の怪物は大暴れを始めた。超対を吹き飛ばし、そして歳星館の術式のほどこされた塀や門さえも簡単に食いちぎっていった。明らかに大幅に強化されていた。さっきまでの比ではない。

「かはは、やべぇなダダン。お前まるで神様みてぇだぞ!」

 残罵は大笑いだ。

「わりぃなおやっさん。今回も捕まらなくてよ。しばらく病院でのんびりしてくれ。さて」

 残罵はそして、その上に居る巨大な鷲に掴まった。横にはハジメを浮遊させて。このまま、ここを脱出するつもりらしい。

「待ちなさい!」

 カナタが叫んだ。魔導書を構えている。残罵はそれを見てまた肩を震わせて笑った。

「やるなお嬢ちゃん。もう、敵わねぇってのは見て分かるはずなのにそれでも向かってくるか」

「はぁ? なに言ってんのか分かんないわね。そんなもの瞬く間に消し炭に変えられるわよ」

「強がりか? それともマジでそう思ってんのか? まぁ、どっちでも良い。この局面で魔導書を向けてくるだけで拍手喝采だからな。だが、無駄だぜお嬢ちゃん」

 そう言うと残罵の前に機械の牛が一瞬で組み上がった。大きな牛だ。

「このちょっとした魔力で作ったもんでさえ、カテゴリー3以下の魔導書じゃ傷も付けられねえらしい。俺には分かる。そんで、今の俺はこれをほぼ無尽蔵に作れる。だから、とっとと引っ込んどけ」

 しかし、カナタは答えなかった。代わりに魔導書に手をかざした。火球が発生し機械の牛を包み込む。しかし、牛は身震いしてそれを払った。傷は付いていない。

 カナタは舌打ちした。

「腹立つわね」

 カナタは言う。忌々しげだ。残罵はそれを見て満足そうにまた笑った。しかし、そこにカナタはすかさず業火を放った。それも鷲の翼に防がれてしまった。カナタはまた舌打ちだ。カナタの魔術が通じなかった。

 そして、カナタは人差し指をずびし、と残罵に向けた。

「それは私の魔導書よ。返しなさいよ」

「おいおい、状況を見ろお嬢ちゃん。無理に決まってんだろうが」

「ふざけないで。この性能、カテゴリー5の中でもトップクラスと見たわ。完全に世界屈指のお宝魔導書よ。あんた、とにかく邪魔なのよ。それさえ売れば私は億万長者で大金持ちで一生遊んで暮らせるのよ。ふざけんじゃないわよ」

 カナタは切れているらしかった。

「ははは。やっぱり普通じゃねぇなお嬢ちゃんは」

 そんなカナタに残罵は言った。

「はぁ?」

「この状況でそんなこと言えるやつは普通じゃねぇ。良いね。普通じゃねぇっていうのは。やっぱりその方が良い。その方がおもしれぇ。普通のものは面白くねぇからな」

 残罵はくつくつ笑っていた。

「ふーん...?」

 その言葉がカナタには良く分からないようだった。そんな様を見て残罵はなお笑った。

「まぁ、良く分からねぇか。なお、普通じゃねぇな。やっぱり面白いぜお嬢ちゃんは」

 そして、鷲が大きく翼を叩きつけた。そして、ふわりと飛び上がった。逃げるようだ。カナタはまた業火をぶつけるがまったく効いていなかった。

「あばよお嬢ちゃん。その気があるなら俺を止めに来い待ってるぜ」

「首洗って待ってなさい。こっちは....こっちはその魔導書の契約破棄の方法はもう...!」

 その先の言葉は鷲の翼の起こす暴風によってかき消されてしまった。しかし、ハジメは思った。

(やっぱりだ! やっぱりあいつは契約破棄の方法を掴んだんだ! なら...) 

 ハジメはもがもがとさるぐつわを噛む。

(もう勝ったようなもんじゃないか!)

 そして、鷲は飛び去っていってしまった。カナタは忌々しげにその姿を見送り、そして館の下は崩壊した超対の部隊があった。歳星館での攻防はカナタたちの敗北であり、残罵の勝利だった。

 残罵はこれから怪獣を建造するのだ。

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