第13話  残罵対ツカサ

「うわぁあ...!」

 ハジメは叫んで後ずさった。見上げた先には残罵が器用に枝の上にしゃがみこんでいた。そして、それは、先の方の実に細い枝で到底人間が乗れるはずのないものだった。

「驚いてるな。少年も、そこのお嬢ちゃんも」

 残罵は二人を見下ろしながら言った。ハジメはもちろん驚いていた。目の前に突然残罵が現れたからだ。しかし、その後のツカサはハジメ以上に驚愕していた。なぜなら、残罵がここに居るからだ。それはあり得ないことだからだ。この『歳星館』はツカサが許可した人間だけが門と、隠れた裏門から入ることが出来るからだった。ここに残罵が居るはずが無いのだ。

「ふむ」

 そして、残罵は細枝の上から降りてきた。スムーズに地面に着地する。そして、パーカーのポケットに両手を突っ込みながら二人と対峙した。しばし、黙ってふたりを見つめる。対する二人も黙って残罵を睨むしかなかった。ハジメの右手のスマホではカナタが何か言っている。しかし、動けない。目の前の不和残罵がどんな動きをするか分からないからだ。

「さて、俺が何しに来たかは分かると思うが」

 そして、残罵は言った。

「とりあえず少年と、あの魔導書を貰いに来たわけだ」

「むざむざ渡すとお思いですか」

 その残罵にツカサは怯むことなく言った。

「まぁ、それはそうだろうな」

 残罵はポリポリ頭を掻いた。緊迫感というものは無かった。

「なるべく穏便に済ませたかったがなぁ」

 そして、残罵はぐい、と右腕の裾をまくった。びっしりと呪文が刻まれた右腕があらわになる。それを見た瞬間ツカサが動いた。

「春燈の式」

 ツカサが言うと、とたんに残罵の立っていた辺りに淡い光の玉がいくつも浮き上がった。赤い小さなビー玉のような玉。しかし、残罵はそれを右手を振るって吹き飛ばした。

「っ!」

「俺を拘束しようってのか。だが、これくらいじゃ無駄だぜ」

「あなた、その右腕...」

「気づいたか。だが、呪文を刻んでんのは右腕だけじゃねぇ。全身くまなく刻んである」

「なるほど、あなたの肉体自体があなたの魔導書だというわけですか」

 ツカサはギリ、と奥歯を噛んだ。ひとつ目の術が通じなかったことが悔しかったらしい。しかし、この『歳星館』は巨大な魔導書だ。術式はまだまだある。ツカサはとりあえず、時間を稼ぐことにした。

「ふむ。噂に違わぬ狂いぶりのようですね。それにしても、魔導書だけでなく彼も連れていく理由は良くわかりませんが」

「隠したって無駄だ。その少年が魔導書と契約してるのは分かってる」

「だったとしたら分かるでしょう。魔導書を持っていこうが、ハジメさんを連れていこうが無駄ですよ。あなたが『ディアン・ケヒトの魔導書』を使うことは出来ません」

「ああ、大丈夫だ。その辺は知恵と工夫でなんとでもなる」

 残罵の言葉にツカサは眉をひそめる。残罵の言っていることが良く分からないからだ。

「大体、この魔導書を使って何をしようというのですか。あなたの目的が良く分かりません」

「ああ」

 その言葉を聞くと残罵は空に指を向けた。高く高くを指差している。

「怪獣を作るんだよ」

「は?」

 ツカサは残罵がなにを言ったのか分からなかった。聞き取れなかったのではなく意味が分からなかった。むしろ、聞き間違いかと思った。

「怪獣だよ怪獣。怪しい獣。ガジラとかゴメラとか聞いたことあんだろ。でっかい、化け物だ」

「なにを言ってるんですかあなたは。本気で言っているのですか?」

「本気も本気だ。ずっと夢だったんだよ、ビルみてぇにでけぇ怪獣作って操るのがよ。俺だけじゃ一番でかい使い魔でも3階建てのビルくらいが限界だった。それ以上になるとカテゴリーの高い魔導書がどうしても要るらしいんだよな」

 そして、残罵はそのふざけた仮面をハジメに向ける。

「で、ようやくカテゴリーの高い魔導書を見つけた。そして、それは怪獣を作るのに適してる。だから、今こうしてここに来てるわけだな」

「はぁ...まったくなにを言っているのか理解出来ませんね。あなたは魔導書をおもちゃかなにかだと思っているのですか。これは、先人の叡知の結晶であり、失ってはならない宝物であり、そしてのちの世に受け継ぐべき遺産です。それを、そんな子供の遊びのような発想で...。言語道断ですよ」

「まぁ、そう言われても仕方無いわな。自分でも訳分かんねぇこと言ってると思うけどよ。でも、どうしても楽しそうだからな。ずっと、夢だったからよ。そんで、きっと実現したらとてつもなくおもしれぇ。だから、やるしかねぇのさ」

 そう言いながら残罵はつい、と指を動かす。すると、

「お、おわぁああ! 動かない、体が動かないですツカサさん!」

 ハジメは喚く。ハジメは体をピクリとも動かせなくなっていた。

「夕凪の式!」

 ツカサが叫ぶ。見た目に何か起きたわけではない。しかし、確実に空気が変わった。だが、ハジメは相変わらず叫んでいる。

「どうなるんですか。このままじゃ、俺」

「落ち着いてくださいハジメさん」

 そう言うツカサだったがその表情に余裕は無い。今の術が効かなかったからだ。

「ここらの魔力を停滞させる術式か。だがまぁ、上手く発動するわけはねぇよ」

「なにを言っているのです」

「そら、時間稼ぎには十分付き合ってやったからな。今ごろ正門には魔女のお嬢ちゃんが来てるはずだぜ」

「っ!」

 全てばれていた。残罵はツカサの動きを見透かした上で付き合っていたのだ。

 ツカサは館に張ってある結界で、どこにどんな人物が居るかはある程度感知出来る。そして、残罵の言う通り館の前にカナタが居るようだった。電話の向こうからただならぬ気配を感じてすっ飛んできたのだろう。

 カナタさえ来れば状況はましになる。ツカサはカナタへ門を開こうとする。しかし、

「何故です。門が開かない」

 ツカサが門の前の人間に許可を与えることで門は開く。しかし、ツカサの命を門が受け付けない。カナタを中に入れられない。

 そんな様を見て残罵が「かはは」と笑った。

「まぁ、そういうわけだ。お嬢ちゃんならもうそろそろ気づいてきてるんじゃねぇのか」

「な...いえ、ですがそんなはずは」

 ツカサは想定外のことがらへの驚愕と、その現実の理解不能具合にたじろいだ。

「まさか、あなたはこの館の術式を完全に把握したというのですか」

 残罵はまた「かはは」と笑った。

「全部じゃねぇさ。大体だ」

「バカな。この館は100年の歴史を持つ『歳星館』という名の魔導書のようなものです。術式そのものはさらに古い。それを解析するなんてそんなことが...」

「まぁ、一週間かかったけどな。ここに入れねぇとどうにもならなかったからよ。ザザムをけしかけて、ついでにちょっくらこの館の魔術を見させてもらったってわけだ。あとは地道に解読するしかなかったけどな」

「バカな。この館の術式を1週間で。あり得ません、あり得ないそんなこと出来るはずがない」

「悪いけど出来るんだなこれが。いや、ほんとに悪いけどよ。自慢の魔術をこんな風に破っちまって」

 残罵は本当に申し訳なさそうに頭を掻いた。

 ツカサは屈辱だった。この『歳星館』の魔術を使えるようになるまで、本当の意味で館の主になるまでツカサは血の滲むような努力をしてきたのだ。子供のころから訓練や学習を山のように行ってきたのだ。それを、残罵はたったの一週間でこなしてしまったというのだ。ツカサは信じられなかった。そんなことが現実にあり得るはずが無いと思っていた。

 しかし、目の前に広がる光景が、発動しない術式が、確かにそれが事実だと告げていた。

「あり得ない。そんなはずは...これが不和残罵...」

 ツカサは屈辱で頭が焼けただれそうだった。

「悪ぃな。俺は魔術の適正が恐ろしく高いんだよ」

 残罵は申し訳なさそうに言った。それがなおツカサのプライドを傷つけた。

「天才、というわけですか」

「いやいや、違う。適正が恐ろしく高いんだ。才能なんて言葉はまやかしだと思うぜ俺は」

 ツカサにとってはいちいちいらつく言い方だった。

 しかし、実力はやはり本物だ。歳星館の術式はほぼ全て残罵に掌握されているのだ。門は開かない。カナタは入れられない。だが、

「ですが、全ての術式を奪われたわけではなさそうですね」

「んん?」

「寒露の式!」

 残罵の体が白く光った。いや、残罵の体に刻まれた呪文が光っているのだ。

「ちっ」

 残罵は一瞬で飛び退いた。体の光も弱まる。

「今のは魔導書の機能を撹乱する式です。どうやら、あなたの体を魔導書と仮定するならせいぜいカテゴリー3といったところのようですね。そして、まだいくつか私が使える術式もある。あなたはこの館の魔術を全て把握したのは間違いないのかもしれませんが、掌握した範囲は限定的。門、そして恐らく魔導書の奪取と逃走に関わる術式だけ。まだこの館の所有権は私にある。なら、まだ戦いようはあります」

「かはは、さすがに魔導蔵書館の主は手強いな」

 そして、残罵は浮かび上がった。そして、空中を拳で叩きつけた。

凄絶驚異の怪物門モンスターゲート

 空中に魔方陣が浮かび上がる。そこから現れたのは真っ黒な球だった。

「柊の式」

 ツカサが言うと球体の輪郭がわなないた。しかし、すぐさま持ち直し形を取り戻す。

「魔力の流れを止めようってわけか。さすがにこういう施設は魔導書対策は万全だな。だが、無駄だぜ。このレレドは超凝縮された魔力の塊だ。こいつそのものが魔力源。こいつのそばに居る限りそういった術式は受け付けねぇ。俺はお嬢ちゃんみたいな力業は出来ねえからな。こうやって対策を打つわけだ」

 そうして、その球体の怪物はそこから3本腕を伸ばした。腕、と言っても先が二股に割れているだけのものだ。それから怪物はそれをぐるり、と高速で振るった。

「くっ!」

「うわぁああ!」

 二人の前の地面がえぐり取られた。舞う土ぼこり。そして、それが晴れた時、

「くっ、逃げた!?」

「いえ、魔導書を探しに館に入ったのです」

 残罵の姿は無かった。すぐさまツカサは館に向かう。残罵はハジメより先に『ディアン・ケヒトの魔導書』の回収に向かったのだ。

「ツカサさんが思ってたよりすごかったからびびったんですかね」

 ハジメもあとを追う。

「それは楽観論ですよ」

 二人は裏口から館に入る。館の中は静かだ。物音ひとつしない。

「静かですね。本当に残罵は居るんでしょうか」

「居るのは間違いないでしょうね。そして、今魔導書を探している」

「くそぅ...」

 ハジメは正直恐ろしくてならない。世界最高峰の犯罪者がまさしく今自分が居るのと同じ建物の中に居る。さっき間近にした時も恐ろしかったが今自分から立ち向かうのも恐ろしかった。

「震えていますね」

「は、はい。正直怖いです」

「申し訳無いですが、私の側が一番安全なのです。そして、私は残罵と戦わなくてはならない。辛いでしょうが堪えてください」

「いいい良いですよ。あいつに魔導書を渡したらダメだ。さっきの話を聞く限り」

 ハジメは怪獣を作りたいだの意味不明なことをのたまっていた残罵にディアン・ケヒトの魔導書は絶対に渡すべきで無いと思った。それに、

「あれはあいつの持ち物だ。奪われるのを黙って見てるわけにはいかないですよ」

「そうですか。あなたはいい人ですね」

 いい人という評価はあまり良いものはないと聞き及んでいるハジメだ。しかし、この時ばかりは別に悪い気はしなかった。素直に嬉しく思ったのだった。

 と、その時だった。館の奥の方、蔵書室のあたりでどかん、と大きな音が鳴った。

「な、なんだぁ。あいつ、なにかやってますよ。急がないと魔導書を奪われる」

「ふむ」

 しかし、その音を聞いてもツカサは動かなかった。ハジメにはなんのつもりなのか分からない。今まさに、残罵は『ディアン・ケヒトの魔導書』を探して暴れているというのにだ。

「ツカサさん!」

「落ち着きましょうハジメさん。恐らくあれは罠ですよ」

「? どういうことですか」

 ツカサはじろり、と館の中を睨む。何かを探している。

「恐らくやつは私たちの近くに潜んでいます」

「ええ?」

「やつは魔導書の場所なんてまったく分からないはずです。分かるはずがないんです。そういう場所に隠しましたから。だから、やつは私たちが慌てて魔導書のありかに行くのをどこかから見ているはずです」

「な、でもそうじゃない可能性もあるでしょう。あいつはこの館の術式を全部理解したんでしょう」

「ええ、その可能性もある。だから、これは言わば博打です。このまま放っておいても魔導書は奪われるかもしれない。でも、奪われないかもしれない。分かりません」

 その時、また館の奥から大きな音が響いた。壁が崩れるような破砕音もだ。ハジメは焦る。しかし、ツカサは落ち着いている。

「ツカサさん! じゃあ、どうするんです」

「こうします」

 ツカサは右手を前にかざした。

「薫風の大式」

 ツカサがそう言った途端だった。屋敷が目映い緑色に満たされたのだ。その瞬間、屋敷の壁という壁、床という床、天井という天井、置いてある壺や絵画に淡い法陣が浮かび上がりでたらめに発光し始めた。屋敷全体が狂ったかのようだ。軋みを上げて揺れている。

「なんだこりゃあ!」

「この屋敷の中の魔術を暴走させる術式です。これで、残罵が使っている術式も...」

 そう言ってツカサは自分達が居る廊下の先、その角のひとつに目を向けた。

「ちぃ!」

 そこでは壁や天井とは違う光が漏れていた。屋敷の術式は純粋な大地の魔力で発動する。それと色が違うということは人体の魔力の通った術式が暴走しているということであり、そして残罵が居るということだった。

「さすがに甘くねぇな室尾司!」

「残雪の式」

 廊下に飛び出た残罵。そこに術式が発動する。残罵の肉体の端が氷ついていく。

「くそ!」

 残罵が腕を振るう。すると、ツカサの術式の動きが鈍った。干渉しているのだ。そして加えて転移してそれをかわす。しかし、ツカサはその転移先も察知する。この館の中はツカサの国だ。どこに行こうと把握出来るのだ。

「簾の式」

 と、残罵の転移が阻害される。十分に発揮されなかった魔術は残罵に反動として跳ね返る。魔力が体内でうねり、残罵は苦悶の声を上げながら転がった。横にはあの球体の怪物。しかし、サイズは半分以下になっていた。魔力の塊の球体は、暴走させられたために保有する魔力を一気に消費したのだ。魔力の流れを止める術式の対策に連れられていた怪物だったが、逆に魔力の流れを加速させる術式には耐性が無かったわけである。

「どうしました、不和残罵。その程度ですか?」

 残罵は瞬時に体勢を建て直し、立ち上がる。しかし、残罵、ツカサ、ハジメの居る通路は青い幕で外から遮断されていた。ツカサと残罵の距離、約6m。

「魔術の範囲を限定する術式か。ああクソ。この館の中じゃどうにも手強いな、クソ」

「当たり前です。ここは私の館。術式を全て把握したくらいで主に勝とうなどと思い上がりも甚だしいですよ。透過、転移、何をしても無駄です」

「かはは、弱ったぜこりゃ。仕方ねぇ、作戦変更だ」

 残罵がパチンと指を鳴らす。すると、

「ああ!?」

 声を上げたのはハジメだった。何故ならその体は残罵のすぐ側にあったからだ。転移だった。残罵に瞬間で移動させられたのだ。

「しまっ!」

 ツカサが術式を発動する間も無くハジメは球体の怪物に頭から飲み込まれた。

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