第12話 残念ながらどん詰まり
状況は悪かった。歳星館に籠城しているのは良いものの出口が見えないのだ。条件は分からない。契約破棄は出来ない。前進していく気がしない。事態は停滞の一言に尽きる。このままではいつまで経っても変化が起きないのは目に見えていた。それほど、手のつけようが無いように思われたのだ。なにか方法は無いか。突破口は無いか。苦心した3人だったがどうも上手くいかない。
そうして、それから瞬く間に一週間が経過してしまった。
3人はとにかく色々試した。思い付いた仮説を試し、試した仮説を組み合わせてさらに試し、組み合わせた仮説から消去法で仮説を立ててまた検証し、それを山ほど繰り返した。しかし、そのどれもがなんの結果も出さず、無意味に終わってしまった。
試しては愕然とし、その合間にカナタは残罵を探し、ハジメは気晴らしにツカサの書類仕事を手伝ったりした。その時間があまり実益のあるものでは無いと知りながらも行うしかなかった。現実を直視したくないのだ。ハジメはもうカナタのあの狂気を含んだ笑顔の下の感情が良く分かった。
「ダメですね」
「ダメですね...」
二人は力無く漏らす。場所は『歳星館』の裏庭。時刻は夕方。今日は一週間前のあの事件の当日と同じ天気だったので同時刻で検証を試みたのだ。一応、譲渡、そしてカナタが置いていった即席使い魔(ぶなしめじを元にしたかわいいモンスター)を横に置いての複数条件下での検証だった。最近は数打ちゃ当たるにかけていくつもの条件を同時に行って検証しているのだった。しかし、結果はやはり失敗だった。
「どうにもならないですね」
「ええ」
ツカサは小さくため息を吐いた。見るからに憂鬱そうだ。
「もうそろそろ潮時でしょうね」
「潮時ですか」
「ええ、『ディアン・ケヒトの魔導書』を超対に引き渡します。あなたの身柄も同時に」
「もう、カナタのことを待ってはいられないってことですか」
「ええ、仕方ありません。あなたの実生活のこともありますから。これ以上は続けられないでしょう」
タイムリミットだったのだ。一週間で限界は見えた。続けようと思えば死ぬまで続けられてしまうであろうこの作業だったがそんなことしているわけにはいかない。このままではハジメは、残罵が諦めない限りずっと『歳星館』に居なくてはならないのだ。ハジメの人生がないがしろにされ過ぎる。
「そうですか。そうですよねぇ...」
ハジメは少し残念そうだった。
「どうしました。ずっとこの終わりのない作業を続けたかったですか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど。なんだかんだ一週間続けてきたことが結果が出ないまま終わるのが少し悔しいっていうか、そんな感じです」
「そうですか。素直な感想ですね」
普通と言われなかったことが少し嬉しいハジメなのだった。
「じゃあ、明日にでも超対のところに行けば良いってことですか」
「ええ、そうなりますね。これで、この問題は一区切りです」
「そうですか...」
名残惜しそうにハジメはため息をつくのだった。
「色々頑張ったんですけどねぇ」
「まぁ、初めから勝ち目のない試みではあったと思いますよ。少なくとも一週間ではとても」
「ですねぇ」
ハジメは思い返す。この一週間で試みた238の検証を。困難と努力、そして敗北を。この一週間を一言で言うなら『まったく上手くいかなかった』であった。こんなに物事が上手くいかないのは初めてだったハジメであった。ある意味貴重な体験だった。ハジメはトライ&エラーを何年も繰り返す科学者ってすごい、とこの一週間で思ったのだった。
「カナタにはなんて言えば良いんですかね」
「あの子には言いません。言ったらどんな行動を取るか分かったものではありませんから」
「確かに」
深くうなずくハジメだ。カナタはなにがなんでも金が欲しいのだ。カナタは何がなんでも魔導書を自分のものにしたいのだ。もう諦める、魔導書を超対に渡す。そんなこと言ったなら魔導書を持って失踪しかねない。カナタには言わないまま秘密裏に引き渡しは行わなくてはならないのだった。
「では、明日。カナタが出ていった。今ぐらいの時間に行くとしましょう」
「はぁ、残罵は大丈夫ですかね」
「それはそうですね。いまいち出方が読めませんから」
残罵はこの一週間なにも仕掛けてはこなかった。あの怪物をけしかけて以来なにひとつ歳星館に手出ししてこなかったのだ。予兆すら無い。明らかにディアン・ケヒトの魔導書に固執していたはずなのに静かすぎた。残罵といえど歳星館の術式は破れないはずなので当たり前だが、ぞれにしても静か過ぎた。3人は気味が悪いと話していたのだ。
「一応先に超対に連絡を入れましょう。そうすれば向こうから迎えが来ると思いますから」
「信用出来ますかね」
「さて、信用するしか無いでしょう。超対とて世間で言われているような能無し組織ではありません。私から見れば対魔術部隊の中では世界でもトップクラスの実力を持っています」
「そうだったんですか...」
「ですので、全力を上げればあなたの護送ぐらいは出来るはずです。各地にある超対の対魔導結界保有施設に入りさえすれば残罵も手出し出来ませんからね」
「なるほど」
ハジメには良く分からなかったが上手く行く可能性も十分にあるということらしかった。カナタには悪いがここらが限界だ。学校には季節外れのインフルエンザと言ってあるが一週間以上それでごまかすのは無理があるように思われた。ハジメもいつまでもこの館で油を売っているわけにはいかない。将来ある若者なのだ。
「超対に預けられたらどうなるんですかね」
「まず、あなたと魔導書の関係を断つ術式を試されるでしょう。ここの地下のものより大規模な術式です。それでダメなら私たちがやったのと同じような検証です。ただし、スパコンと連結した魔導書で逆算して予測するのでここよりずっと見つけるのは早くなると思います。社会的な後ろ楯がありますから問題なく学校を休めるでしょうし。最悪の場合魔導書を破壊してくれると思います。遅くとも解決までふた月はかからないでしょう」
「す、すごいですね。ここじゃ一生かかっても分からないかもしれないのに」
どうやら、超対に行きさえすればとりあえず上手くことが運ぶことは確からしかった。
「じゃあ、そういう感じで行きますか。これで、一応一件落着になるんですかね」
「油断は出来ませんけどね。一応は」
締まりの無い話だったが仕方が無かった。到底ハジメたち3人の力でどうにか出来る問題では無かったということだ。なので、この話はここでお仕舞いというわけだ。
「.....」
ハジメは押し黙った。なんだか寂しかったからだ。面白いことが始まったと思った。面白いことの最前線に関わることも出来た。めちゃくちゃなやつと色々めちゃくちゃな目にも遭った。この先もう体験することのないであろう経験だった。危険もあったし苦痛もあったが、楽しいとも思った。しかし、これで全部終わるのだ。
と、そこでハジメのスマホが音を立てた。見れば着信、カナタからだった。
「カナタから着信ですね」
「タイミングの良いことです」
聞かれたくない話をしている時に限ってというわけだ。
『あ、ハジメ? ちょっと確認なんだけど。卵って要るんだっけ?』
「え? 要るだろ。今日オムライスにしようと思ってるんだから。今ある分じゃ足りないよ」
『ああ、そう。なら買っとくわ』
カナタは今日も気晴らしと称した残罵の捜索と、そしてついでの夕飯の買い出しをしているのだった。今、彼女はスーパーに居るらしい。後ろで安っぽい音色のスーパー『コウエー』のテーマソングが流れていた。ちゃぽちゃぽ音もする。缶コーヒーかなにか飲んでいるらしい。休憩スペースにでも居るようだ。
夕飯はこの一週間主にハジメが作っていた。ハジメが料理が得意であることが露見し、コックのように扱われていたのである。
「あと、鶏肉はモモだぞ。今日は贅沢にするからな」
『はいはい、了解ですよ料理長』
と、ハジメはツカサを見る。ツカサは首を横に振っていた。話すなということらしい。事前の打ち合わせ通りである。
『なに? どうしたの、変な間作って。なにかあるの?』
「え、いやいやいや。なんにもねぇよ、あるわけねぇだろ、ははは」
『ふーん...』
ハジメは大慌てで取り繕う。そして、カナタは明らかに疑っている様子だ。カナタは恐ろしい女である。恐ろしい勘である。察知している、ハジメに隠し事があることを。
ツカサを見れば両拳を握ってハジメを応援していた。
「そんなことより、アイスも買ってきてくれよな。もう暑いしさ。はは」
『アイスは良いけど。なんか、気になるわね』
カナタは電話の向こうで、「ふむ」と唸る。
『まぁ、良いわ。で、ちなみにそっちはどう? ちょっとでも手応えあったかしら』
「無しだ。そっちは」
『無しね。もう、どこに居るんだかてんで分かんないわよ』
二人は揃ってため息をついた。もはや打つ手無しといった感じが強かった。
「いったいどうすれば良いんだろうな。もはや、俺たちに出来ることは無いんじゃないのか」
『あるに決まってるでしょう。まだまだこれからよ。億よ億。諦められるわけないじゃない』
ハジメは遠回しにそれとなくカナタに諦めるように促す。しかし、カナタの欲は鋼のようだった。一週間前からまるで声の調子が変わらない。ハジメにはどうやったらここまで欲の皮が突っ張るのかまるで分からなかった。
「いや、諦めようぜカナタ。おかしいって、良く考えろ。検証する条件の組み合わせはほぼ無限だ。俺たちが想像もしないことが条件の可能性だってある。無理だって。見つかるわけないってば」
『うーん。まぁ、そうなんだけど。でも、なんか引っ掛かるのよね』
「いやいや、気のせいだって」
ハジメは必死だ。ここでカナタが諦めればことは穏便に進むのだ。いや、まったく諦める感じを受けないハジメではあったが。このままでは一応欺くことになるので良心の呵責が若干あるのだった。
「もうどれだけ試したと思う? 238だぞ、238。たったの一週間でだ。一日平均34個。人間の活動時間が18時間とすれば1時間あたり約1.9個だ。頑張っただろう俺たちは」
とにかく数を出せばインパクトが出ると思っているハジメだ。
『うーん...』
「ついでにお前の残罵の捜索も音沙汰無しだ。打つ手なしですよカナタさん。ここまでだろう」
『うーん...。もう一度だけ状況を整理しましょうよ。なにか改めて分かるかもだし』
「ええい! じゃあ言うぞ。残罵が来た、お前が応戦した、そんで魔導書を俺に渡した、そして、残罵に追い詰められた、お前がヤバイ! なんとかしなくてはと思った、そしたら契約した。そんなところだ」
『うーん....』
「もうこの流れに関わることは全部やっただろう。使い魔も魔力量も譲渡も思いやりの心も水場も夕方も芝生の上も湿度54%も気温21度も全部やっただろう。諦めよ!」
『ううーん...』
カナタは明らかに電話の向こうで首を捻っていた。全力で頭を回転させているようだ。
「あとなにがある。いくらでもある! 川の中の石の配置、芝生の成長具合、飛んでる雲の数、下手すりゃあそこに居た老若男女の比率とかもあるんじゃないのか! どうなってんだ! そんでそれらが無限に近い組み合わせで俺たちの前に広がっているんだぞ、どうなってんだ!」
ハジメは一気にまくしたてた。
「終わりです。終わりなんですよカナタさん」
『うーん...』
しかし、カナタは諦めた様子が無い。往生際の悪さは相当なものだ。ハジメはやきもきするどころではない。だんだん怒り心頭となってきた。
「いい加減に諦めろよ! もう、どうしようも無いんだ。どれだけやっても無理なんだよ。気象、地形、状況、精神状態、色々あるがもう確かめようが無い。俺たちじゃ無理だ」
『精神状態、精神状態か....やっぱり引っ掛かるわねぇ。カテゴリー5は『感情』が鍵になってる場合が多いから...』
「聞いてんのか。俺の精神状態は検証した。あとは他の人間か。残罵か、お前か、それともその辺の姉ちゃんやおっさんか、それら全てを合わせた分布かも分からん。無理だ」
『残罵の感情、私の感情...。私の...。あ....』
「分かっただろう。だから、もう諦めろ」
『......』
ハジメが言いまくるとカナタは急に押し黙った。しかし、別にハジメに言いくるめられたという感じではない。実際カナタは全然ハジメの言い分など聞いていなかった。性悪である。ただ、自分の思考に埋没していただけだ。埋没した末にカナタは黙った、ということになる。
「どうした。急に静かになったな」
ハジメは言い過ぎたかと少し心配になるのだった。
『え? ん? いえいえ。なんでも無い。全然なんでも無いのよ? 別になにひとつ状況は変わってないんだから』
「ああ、そうだ。悪いまんまだ。俺の言うことは分かってくれたのかよ」
『ん? い、いえ。そうね。そうねぇ。うーん、そうねぇ』
カナタは慌てた様子でそうねぇ、と連呼するばかりだった。明らかに様子がおかしい。
「なんだ? どうした、なんか変だぞお前」
『なんのことやら、全然分からないわね。あはは』
作り笑いを浮かべたりなんかしているカナタだ。
『はぁ...。嘘でしょ....』
そして、意味の分からない独り言を漏らすのだった。
「とにかく、諦めることだからなカナタさん。絶対なんだぜ」
『...ていうかあんた。さっきからやけに私に諦めさせようとしてくるけど』
「おん?」
『あんたたち、私に黙って超対に魔導書持ち込もうとしてんじゃないでしょうね』
「たははは」
図星中の図星だったのでハジメはとっさにイエスともノーとも言えない笑いを漏らしてしまった。
『やっぱりそうねのね!』
「ちょ、ちょっと待てよ。今の『たはは』がイエスに聞こえたのかよ」
『絶対そうでしょ! 検証に限界が見えたから私に黙って全部終わらそうって魂胆なのね! なんてやつ』
「いや、俺だけじゃねぇ、ツカサさんだって言ってんだよ。もう諦めるべきだってよ。大体お前が諦め悪すぎるんだよ」
『やっぱりそうなんじゃないの』
「あ、しまった」
うっかり言ってしまうハジメだった。カナタの怒りのボルテージが上がっていくのが電話越しに伝わってくる。
『ぜっっっっったい! 行かせないからね! 待ってなさい、超特急で買い物済ませて帰るから。超対に電話かけても私の方が早いんだからね!』
「お、落ち着けよ。そんなに怒ることないだろ」
『そりゃ怒るわよ! だってようやく条件が分かったっていうのに!』
「え?」
カナタの言葉に耳を疑うハジメ。カナタはとうとうゴールが見えたと今言った。そこを詳しく聞こうとした時だった。
「よぉ、少年。盛り上がってるとこ悪いが、俺に付き合っちゃくれねぇか」
「は?」
声がした。頭上からだった。ハジメの前のツカサは驚愕で目を見開いていた。ハジメはその視線の先に顔を向けた。そこは丁度ハジメの横に立っている樫の木の梢だった。
「う....」
ハジメも驚愕した。
「一週間ぶりだな少年」
目が合ったのはへのへのもへじのふざけた仮面。不和残罵がそこに居たのだった。
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