第11話 各々のダメ元

 というわけで、見事にしてやられたハジメであったがそんなこんなで時刻は2時となっていた。ドッキリはカナタの勝ちであり、ハジメの負けであり、見事な出来映えに終わったのであるがその実事態は何一つ進まなかったのだ。つまり全体で見ればカナタとハジメは二人揃って敗北したわけである。カナタは上機嫌で昼食のナポリタンを食べ、ハジメは意気消沈で同じようにナポリタンを食べたわけだが、食後のコーヒーを飲んでいるあたりから二人でその事実に気づき始めた。そして結果として、ハジメだけでなくカナタも意気消沈することとなり現在に至るのだった。

「はぁ、どうしよう」

 カナタはぼやいた。

「くそ...くそ...どうして見破れなかった....」

 ハジメはハジメでまだドッキリのことで呻いていた。後に引きずるタイプの男のハジメだ。しかし、手はコーヒーと並べられた茶菓子をしっかりとローテーションで口に運んでいた。見た目ほど心のダメージは深くないらしい。

「行けると思ったんだけどなぁ。感情が条件だとして、『ディアン・ケヒトの魔導書』にふさわしいのはどれだって言われれば『慈愛』はしっくり来るから。うーん、振りだしか」

「そうだよ...二度あることは三度あるんだ。なんで、そうやって警戒出来なかったんだ...」

「あんた。いつまでも悔しがってんじゃないわよ。女々しい」

「いや、これはお前への一種の腹いせだから」

「性格悪いわね」

 カナタはいらだたしげに眉をひきつらせた。

「まぁ、とにかく。あの条件ははずれだったってことだろ。じゃあ、他を探すしかないな」

「そうね。そうなるのよ」

「他の条件か...」

 ハジメは呆然とする。さっきみたいな調子でこれからひとつひとつ検証するのだとようやく実感出来たからだ。これから、少なくともしばらく。カナタが諦めるか、ツカサが止めに入るか、ハジメが逃げ出すかのどれかが行われるまでだ。なんてことだろうかとハジメは思う。気が遠くなる。柄の無い真っ白なジグソーパズルをこなす方がまだ楽だと思われた。こなしていればいつかはピースが合いパズルは完成するのだ。しかし、この条件を探す作業は下手すれば無限に近いピースが存在している。自分の置かれた状況のどうしようもなさがじわじわ理解出来てきたハジメだった。

「うーん...やっぱり、完全なはずれだとは思えないんだけど...」

 そんなハジメに気づくことなくカナタはぼそり、と独り言を漏らした。そして、ハジメの方もそれに気づくことはない。

 二人は揃ってクッキーをひとつ手にとってかじった。

「じゃあ、あれか。他の条件で目ぼしいものというと、魔力量と魔導書を手渡すことか」

「あとは使い魔ね。まぁ、使い魔はさっき使ってたから一応検証はしたことになるかしら」

 即席だとか、使ったのが敵ではないとかはあったので完全では無いが一応検証にはなったわけである。結果は外れだ。

「魔導書を渡すくらいは簡単だけど、魔力量ってなると難しいんじゃねぇかな」

「一応この屋敷には魔術の術式が組み込まれてるから魔力を発生させることは出来るわ。まぁ、言ったらこの『歳星館』自体がでかい魔導書みたいなもんだから」

「そ、そうだったのか。すごいな」

「だから、あとでツカサに頼んでどうにかしてもらいましょう。さて、なら私も行くかな」

 そう言ってカナタは立ち上がった。

「は? 行くってどこへ。お前にはやることがあるんだぜ?」

「別に逃げ出そうってわけじゃないわよ。これも作戦行動のうちなんだから」

「なんだ。何をしようっていうんだよ」

「残罵を探すのよ」

「なにぃ?」

 ハジメは目を丸くした。予想外の言葉だったからである。しかし、密かにハジメが昨日から思っていたことでもあった。

「だってそうでしょう。残罵に見つかる前に条件を探し出すのも大事だけど、元凶の残罵を倒せば全部解決なんだから。あとはゆっくり条件を探せば良い」

「ええ!? いや、でもお前相手は世界的第犯罪者だぞ。いくらお前が強いって言ってもそんな簡単な話じゃないだろ」

「でも、そうするしかないのよ。真っ向勝負だと手こずるだろうけど、不意打ちなら行けるはず。探し出して後ろからズガンといってやろうってわけ」

「ええ。いや、まず見つかるのかよ。超対でも見つけられないんだぞ」

「ええ、だから半分ダメ元よ。そんで気分転換の意味合いもあるわ。ずっと館のなかに居たら気分が落ち込むから」

「な、なるほど。ちなみに俺は」

「あんたはここで待機よ。残罵に襲われたらどうすんのよ」

「だよなぁ...」

「ここで、考えられる条件を検証しといて。ここに書いといたから」

 そう言ってカナタはピラリと紙を一枚取り出した。メモだ。そこには箇条書きでいくつもカナタが思い付いた条件が書かれていた。

「ああ、さっきなんか書いてるかと思ったらそういうことだったのか」

「そ。だから、あとは頼んだわよ」

「なんだろなぁ。なんか釈然としないなぁ。俺は待機で作業続行。事態の張本人のお前は気分転換に外出かぁ」

「気分転換はついでよ。ちゃんと残罵は探すんだから」

「なんだかなぁ」

 納得行かないハジメだった。どちらかといえばカナタが中心になって動かなくてはならないはずだ。ハジメは補佐のはずだ。そうハジメは思う。カナタはダメ元とか言ってしまっていたし。ハジメは若干の理不尽を感じていた。

「理不尽だと思うならカナタに用事を頼みましょうか」

 と、そこで奥の部屋の戸が空いてツカサが姿を見せた。仕事に一区切りついたらしい。

「な、なによ用事って」

 ツカサはごそごそと棚を開けて中のものを取り出した。それは、手提げ鞄だった。中は銀色の保温仕様だ。つまりこれは、

「買い物鞄じゃないのそれ」

「ええ、あなたには夕飯のお使いをお願いします」

 ツカサは真顔で言うのだった。

「い、いや。曲がりなりにも私は残罵と戦いに行くんだけど」

「ですから、そのついでに」

「いや、あんたが行けば」

「私が残罵に見つかって人質に取られたらどうするのですか」

「えぇ...」

 カナタは何も言えなかった。ツカサの言い分はどこか正しく、そして緊迫感に欠けていたからだ。言い返せないのと呆れているのとが合わさっているのだ。

「とにかく頼みましたよ」

 ぐい、と買い物鞄を押し付けるツカサ。もはや、受け入れるしかないカナタだった。




「はあ、さて目ぼしいところを探してみるか」

 カナタはぼやく。カナタはバス停に立っていた。今降りたところだ。上着のポケットを探るカナタ。ポケットに買い物袋をねじこんでいた。

「面倒がひとつ増えたわね」

 不満げなカナタだ。

「まぁ、泊めてもらってるしご飯も貰ってるし文句ばっかりも言ってられないけど」

 ギリギリ最後の常識というものはカナタにも存在しているらしかった。

 カナタはそのまま歩き出す。街中だが、平日の昼間なので人通りはさほど多くは無い。カナタが目指すのはひとつだ。それはカナタが始めに残罵と戦った運河沿いの公園だった。

 バス停から歩くこと5分弱、目的の公園に入ったカナタは戦闘した場所に一日ぶりに戻ってきた。しかし、そこは黄色いテープで立ち入りが制限されていた。見れば超対の捜査員が現場検証を行っているところのようだった。

(まぁ、当然よね)

 カナタも予想していたことだ。超対の捜査員たちの何人かは手に魔導書を持っていた。カナタにはそれが魔力の種類を図ったり、残滓のあとから追跡を行うための魔導書だと分かった。超対の捜査員の中には魔術師も何人も居るという。中には捜査のためにわざわざ魔術を習得するものも居るという話だった。

(まぁ、あんな簡単な魔導書じゃ残罵は見つけられないだろうけど)

 しかし、超対が持っているのはちょっとした魔術師が使えるようなカテゴリーの低い魔導書ばかりなのだった。

 カナタはそれには目もくれず、現場から少し離れた位置のベンチに腰かける。そして、感覚を研ぎ澄ませた。魔導書を使うまでも無い。カナタほどの使い手になれば自分の感覚だけでその場で魔術を行使した相手について色々分かるのである。

 ちなみに今日カナタは地味目の服装で伊達メガネをかけ、ウィッグを装着しているので見た目にはカナタと分からないようになっている。

(ふん。まあ、魔力の雰囲気は割りと平凡ね。回し方も素人臭さが抜けてない。本当に頭とセンスだけで魔術を使ってんのね)

 カナタは昨日の戦闘でははっきり感じられなかった相手のイメージをつかんでいく。カナタはこうして、これから戦う相手の情報を少しでも把握しに来たのだ。

(匂いは甘いわね。この手は完全に常識から外れてるやつばっかりだから、まぁその通りね。質感は水みたいに滑らかか。循環効率はかなりのものってわけか)

 カナタは自分なりのカテゴライズの仕方で残罵を分析していった。しばらくベンチに座ってそれを続けた。はた目からはボーッと座って午後の公園で休んでいる若い女性にしか見えなかっただろう。しかし、その間にカナタは相手の魔術の傾向とクセについて観察と予想を立てていった。

(あの転移魔術のからくりは良く分かんないわね。あれはあんまりにも上手くかわしすぎだったし。単に恐ろしく反射神経が良いのか)

 と、カナタはすくっと立ち上がった。

(まぁ、ここではこの辺にして。次は足跡をたどるかな)

 カナタは次は魔力の残滓をたどることにした。超対もやっていることだがカナタも行うのだ。結局巻かれるのだろうがやってみて初めて分かることというのもあるのである。

「まぁ、結局ダメ元なんだけど。やらないよりは良いわよね」

 そう言ってカナタは現場検証をする超対を尻目に歩き出す。残滓は繁華街へと続いていた。



「だめですね。これも」

「やっぱりダメですか」

 ツカサとハジメは難しい顔で唸っていた。今まさに3つ目の検証を終えたところだ。すなわち、一定以上の魔力量の状態を作り出すことである。ここは歳星館の一室、館中の術式を駆動させるための動力炉のような地下室だった。ここで地脈から魔力を吸い上げ術式を行使するのである。そして、その炉心たる魔方陣を少しいじって魔力を漏れ出させることで部屋中に魔力を満たしているのだった。しかし、結果ははずれだった。魔導書はうんともすんとも言わなかった。状況の特異性から結構期待していただけに二人の気分はすっかり落ちているのだった。

「手渡すのもだめ、水場の近くもだめですか」

「こんな調子じゃどれだけかかるか」

 カナタが出ていってから早2時間が経過していた。その間に二人は色々四苦八苦していたのだが上手くはいかなかった。

 そして、大がかりな仕掛けが必要な検証がひとつ終わり、それも徒労に終わったので二人はやる気が削がれているところだった。

「そもそも、条件をひとつひとつ検証することに意味が無いんですけどね。恐らくいくつかの状況の組み合わせで『契約の間』は発現するのでしょうし」

「ああ、そうですか。そうですよね。そんなこと言ってましたよ。じゃあ、やっぱり無限に近く検証しなくちゃなりませんね。はは...」

 ハジメは力無く笑った。

「だから、無駄なんです。止めましょうこんなことは」

「ええ。良いんですか。なんだかんだ、やらないよりはましな気がしますけど」

「もっと直接効果のある方法を試します」

「え? 直接効果のある方法ですか?」

 ハジメはツカサの言い出したことが分からなかった。なんなんだそれはと。今までどうしてそれを言わなかったのだろうかと。

「今まで言わなかったのはあまり効果を期待出来なかったからです。要するにダメ元ですね」

「ええ...ツカサさんもダメ元試すんですか...」

 それはカナタもつい2時間前に言っていたことだった。状況の煮詰まりを感じる瞬間であった。どうやら、正攻法で問題を解決するのが絶望的らしいことはひしひし感じられるハジメだった。とにかく従うしかない。

「で、それはどんな方法なんですか?」

「ええ、簡単に言えば無理矢理契約を解除します」

「え?」

 ハジメは目を丸くした。

「この部屋の術式を使います。強力な魔力を使って魔導書に過負荷を引き起こして一時的に機能を停止させるんです。その間にもうひとつ術式を発動させて契約の繋がりたる因果率を切断します」

「なに言ってるか良く分かんないですけど、そんな便利な方法があったんですか」

「ええ、ここは魔導書の蔵書館です。あなたのような状況も度々発生します。なので契約を無理矢理破棄する術式も備わっているのです」

「すごいじゃないですか! なんでもっと早く言わなかったんですか」

 なんということか。ツカサの言う通りだとすればまさしくジョーカーであり、そして状況は完全に覆る。問題はすべて解決するのだ。僥倖どころの騒ぎではない。しかし、ツカサにそういったような熱は無い。さっきと変わらないローテンションだ。

「え? なにかあるんですか?」

「はっきり言いますと。これでディアン・ケヒトの魔導書の契約が破れるとは思えません。これはせいぜいカテゴリー3までの魔導書用の術式です。条件が上手くかみあってようやくカテゴリー4のいくつかに干渉出来るかどうかといったものです。だからダメ元なのです」

「で、でも。やってみないと分かんないでしょう。このまま無限の選択肢に溺れていくよりましだ」

 ハジメは正直もう嫌になっているのであった。

「そうですね。ですが、もうひとつ懸念があるのです。心して聞いてください」

「なんかまだあるんですか」

 ツカサは若干良い淀み、

「これを使うととても痛いんですよ。具体的には魔力の溜まる肺や心臓と頭が痛みます。健康に害のある痛みではありませんが、結構痛みます」

「え、ええ。そうなんですか」

 ハジメは正直嫌であった。しかし、

「でも、それでもそっちの方法の方がましでしょう。やりましょうよ」

「...分かりました。では、こちらに」

 ツカサが指し示したのは部屋の隅に安置された椅子だ。しかもなにか厳めしい装置が後ろに控えている。ハジメは正直恐ろしかったが仕方がないので腹をくくって座った。

「ままよ!」

「いい覚悟ですよハジメさん」

 そう言いながらツカサはハジメの両手を椅子の手すりにバンドで固定するのだった。

「え、なんですかこれ」

「では、いきますね」

「え? 早くないですか? 早い早い。なんでこんなにトントン拍子なんですか?」

「白状しますと、初めからこの方法を行うためにこの部屋に来たのです。なのでとっくに準備は整っていました」

「ええ...」

 さっきまで、渋々といった感じで選んだ選択肢のようだったのに全然そんなことはなかったらしい。

「ちょっと待ってくださいね。息を整えますから。はぁー、はぁー。よし、OKです」

「行きます」

 そうして、ツカサは後ろの装置のスイッチを押した。淡く室内が光る。青い魔方陣が浮かび上がる。その途端だった。

「あだだだだだだだ! 痛い痛い痛い痛い!」

 ハジメの胸と頭がズキズキと痛み始めた。痛かった。とにかくハジメは痛かった。しかも、指すように激痛が走るというよりはそこそこの鈍痛がじんわり続くといった感じで不快感もプラスされていた。

「つ、ツカサさん。これいつまで続くんですか!」

「もうちょっとです」

 そう言っている間もハジメの痛みは続いていた。痛くて不愉快だったが、どうしても耐えられないといった感じではない。風邪の頭痛を少しましにした感じかとハジメは思う。胸も痛みの度合いはそんな感じだ。ハジメは歯を食い縛った。ツカサは黙って計器を見ている。ハジメは鬼の形相でそれを横目に見る。

 やがて、30秒ほどが経過する。

「痛い、痛い、クソ! まだなもんですかね!」

「もうちょっとです。頑張ってください。反応があります」

「本当ですか!」

 喜ぶハジメだ。ツカサはまだ計器を見ている。やがて1分が経過する。さすがにハジメも限界が近づいてきた。いくら耐えられる痛みとはいえ辛いものは辛い。終わるものなら早く終わってもらいたい。しかし、ツカサは相変わらず計器を見ている。

「まだですか! なにか起きてますか!」

「良い感じに見えます。あと30秒」

「さ、30秒!? ここから!? くそ! 分かりましたよ!」

 ハジメはひたすら堪える。このまま行けば契約が破棄されるかもしれないという期待を込めて。歯を食い縛る。希望の二文字だけを見つめて。

 やがて30秒が経過する。

「どうですツカサさん! 正直限界です!」

「うーん。そうですね」

 そう言ってツカサはまたスイッチを押した。途端にハジメの痛みは消え、魔方陣も消滅した。

「はぁー...はぁー...。どうですかね。上手くいったんですかね」

「失敗ですね」

「え...」

 頑張ったハジメは落胆した。

「もう少しで第一段階を越えられたんですが。あと少し足りません」

「ええ...ちなみに何段階まであるんですか」

「12段階です。このペースで行い続けると二日はかかりますね」

「俺ショック死しますよ...」

「普通の魔導書なら10秒ペースで越えて行きますから、やはりカテゴリー5は難敵のようです」

 ハジメは重ねて落胆した。やはり、そんなうまい話は無かったらしい。状況はなにも変わらなかった。

「はぁー。上手く行きませんね...」

「はぁ...そのようですね」

 ツカサとハジメはまた難しい顔で唸るのだった。状況は遅々として進まない。

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