第6話 食後にりんごをかじりながら
「う....ん.....」
ハジメは目を覚ました。彼は夢を見ていた。バンドを結成して世界ツアーをするほど有名になるが、メンバーの浮気スキャンダルで人気が急降下し曲が売れなくなり、女プロデューサーにゴミを見るような目で見下される夢だ。一体なんの暗示なんだろうかとハジメは思う。承認欲求と将来への不安と性癖がごちゃ混ぜになったような夢だ。ハジメはプロデューサーに見下されているところで妙に興奮したのを覚えていた。
「あ....?」
ハジメは身を起こす。毛布をかけられソファで寝ていたらしい。応接室で眠りに落ちてそのままだったのだ。見回せばカナタとツカサの姿は無かった。目に入った時計の時刻は午後7時半だ。外はすっかり暗い。一時間と少し寝ていたというわけだった。
ハジメはソファから立ち上がり軽く伸びをした。気分は良かったがこれからどうしたものか分からない。部屋から出たものか、勝手に出て良いのか分からなかったがとりあえず出ることにした。
ノブを回してドアを開ける。廊下を見ても誰も居なかった。この館に住んでいるのはツカサだけだという話だし、客はハジメとカナタだけなのでこの広い館に今居る人間は3人だけだというわけだ。探すのも難儀だった。ハジメは喉が乾いていたのでとりあえずツカサを見つけて水でも貰いたいところだった。
廊下に出て歩く、人気は無いがどこか遠くからなにかの物音がした。それとどことなく料理の良い匂い。誰かが調理をしているらしかった。ハジメはそれを辿って歩いていく。玄関のエントランスに出て、その向こうの部屋が匂いの出処だった。そこがキッチンになっているらしい。ハジメはそこを覗いた。
「うーん。ちょっと濃いかなぁ。あー、ツカサ。これ大きいわよ。もっと小さく切らないと」
「これが私の限界です。これ以上攻めると私の手を切ってしまう」
「慎重にやれば大丈夫だって。まぁ、もう出来ちゃったから今更どうしようもないけど」
そこではカナタとツカサが料理をしていた。二人してコンロの上の鍋に向かっていた。状況から見るとどうやらもう完成間近らしい。煮物の良い匂いがしていた。
「おや、ハジメさん。目が覚めたのですか。ちょうど夕食にするので起こしに行こうと思っていたところです」
「はぁ、そりゃどうも。ごちそうしてもらえるんですかね」
「ええ、ここで食べていってください」
「いやぁ、ありがとうございます。今日だけとはいえ申し訳ないです」
「ていうか、今日からしばらくここで生活すんのよあんた」
「え?」
言ったカナタの言葉にしばし固まるハジメ。
「外に出たらすぐにでも残罵が襲ってくるんだから。ここなら安全だからあんたしばらくここで匿われなきゃならないのよ」
「なんだって!?」
目覚めて早々驚愕の事実を知らされるハジメだった。
「が、学校はどうすりゃ良いんだよ」
「しばらく休むしか無いわね」
「し、しばらくっていつまでだよ。魔導書の契約破棄出来るまで待ってたら何年かかるか......」
「ははは。大丈夫よ大丈夫。すぐに見つかるんだから」
カナタの言葉はどこか狂気を含んでいた。揺るがない現実を前に狂ってしまったものの雰囲気があった。なのでハジメはそれ以上言うまいと思った。
しかし、ハジメ的にはこれは困ったことだ。契約破棄しない限りここから出られないということは、契約破棄しない限り学校に行けないということだ。つまり、不登校になるということであり、そのままでは留年することになるということだった。日常が崩壊するということだ。
「ほぅ.....」
ハジメは小さく漏らした。把握した状況に納得したのだ。とりあえず余裕ぶらないとやってられなかったのだ。現状はどうやら全然うまくないらしい。ハジメが思っていたよりはるかに厄介なようだ。
(ほどほどで何が何でも諦めさせるしかないな)
ハジメは思った。契約破棄が無理ならカナタに諦めてもらうしかない。
というか、ハジメはもう一つの解決策も一応浮かんではいたので頭の隅に置いておいた。
あとで聞いてみる所存のハジメだ。
何はともあれ、
「ええと。じゃあ、やっぱり俺はここで厄介になるしか無いってことなのか」
「仕方ないじゃない。街だの学校に行ったら行ったとこが残罵との戦場になるんだから」
「ああー」
ハジメは学校や繁華街で夕方のような戦闘が起きるところを想像し、恐ろしい思いになった。
「ちなみに警察に言うって選択肢は無いのかよ」
「そんなことしたら一瞬で魔導書回収されるでしょうが。論外よ」
「俺の日常より金かよ......」
あんまりだと思うハジメだった。これだけの思いをさせられたのだ。もし、魔導書が金に代わったら絶対に分前を貰おうとハジメは思ったのだった。
日常はメチャクチャだしカナタの人格もメチャクチャだ。全部放り出して警察に飛び込むという選択肢もハジメにはあった。カナタの言い分など無視すればいいだけの話だ。
しかし、ハジメは純粋に少し面白いと思ったのだ。これは、中々刺激的な出来事だぞ、と密かにほくそ笑んだのである。残罵のような犯罪者から隠れること。魔導書の契約破棄の方法を探すこと。全て普通の高校生が経験出来ることではない、と思ったのだ。しかも、この館の中に居る限り安全と来ている。
非常に軽率な思考回路だ。刺激に飢えた、普通が嫌な高校生の愚かな選択だ。しかし、ハジメはそう思った。
なので、あんまり続くようならとんずらするが、しばらくは付き合ってみることにするハジメなのだった。
「まぁ、そういうことなら仕方ないか」
「分かってくれたみたいね。そういうことだから何がなんでも契約破棄の条件を探すわよ」
「合点だ」
「決まりね。なら、ご飯にしましょうか」
「ええ、もう腹ペコです」
「おう」
そういう風に話はまとまり、ようやく夕食に入るのだった。3人はそれぞれ皿を並べ、料理を取り分けた。料理は筑前煮と焼き魚だった。それに菜っ葉のおひたしとご飯と味噌汁。純和食だ。『歳星館』は洋館だったのでなんとなく意外なハジメだった。
「なんか野菜が大きいな」
「全部ツカサが切ったのよ。目が覚めたときにはもう煮込んでたからどうしようも無かったわ」
「これで良いのです。この方が良いのですよ」
料理を眺めながら感想を言い、3人は席についた。合掌し、3人はご飯を食べ始めた。唐突に訪れた美少女たちとの会食というイベントをハジメは十分に堪能したのだった。
そうして、3人で夕食を取り、カナタとツカサが何気ない会話をして、ハジメに何気ない質問が飛び、そんな風に3人で話しながら食べ終わった。カナタは「味が濃いわよ」と苦言を呈していた。ツカサはこれで良い、と頑として譲らなかったがハジメも若干濃いと思ったのだった。
そんなこんなでもう9時前だった。ハジメは今、食後のデザートで出されたりんごを食べているところだった。場所はリビングに移っている。リビングもやはり馬鹿に広かった。ハジメはなんとなく居心地の悪さを感じながらもふかふかのソファにゆったりと座り、切られたりんごを食べてテレビを見ていた。向かえの席にはカナタが座っている。ツカサは今風呂だった。
「ああ、ニュースになってるな」
テレビでは日中のカナタと残罵の戦いがニュースになって流れていた。
『今まで都心ばかりに出没していたわけですが今回は地方都市なわけですね。もはや節操など無いわけです。これからは日本中、世界中の都市に不和残罵に襲われる危険が出てきたということでしょう』
『それは不和容疑者の心境に何らかの変化があったということでしょうか』
『さて、どうでしょうかね。みなさんもご存知の通り常軌を逸した性格をしていますから.....』
コメンテーターたちが会話をしている。画面には残罵とカナタが戦う様子が映像として流れていた。あそこに居た誰かがスマホで撮影したらしい。
それを見てカナタは面倒そうに表情を歪めていた。
「弱ったわね。全国ニュースになってるなんて」
「そりゃなるだろ。残罵が絡んでるんだから」
『超常犯罪対策課も動いているとの発表もありますね』
『因縁の相手ですから、超対も躍起なのでしょう。そのために情報が欲しいようです』
『えー。警察は引き続き、残罵と交戦した魔術師の方を探しています。決して逮捕等を行うわけではありません。ぜひ、名乗り出て捜査に協力してください』
『.....はい。それでは次のニュースです。センター街で起きた交通事故......』
「ばっちり、見られてるわね」
「そりゃあ、あんだけ写ってればな」
警察は残罵の動向を少しでも把握するために襲われたカナタを探しているのだ。カナタを襲った理由を元に残罵を探そうとしているのだろう。警察はカナタの協力を求めているのだ。
「さっさと協力した方が良いんじゃねぇのか」
「嫌よ。協力したら絶対魔導書押収されるじゃない。まだまだ諦められ無いんだから。大体私が協力したところであいつを捕まえられるわけ無いじゃない。超対はいつもそうよ」
超対とは『超常犯罪対策課』のことで警視庁の部署のひとつだ。主に超常犯罪、つまり魔術を使った犯罪への対応を責務としている。魔術絡みの事件なら全国どこにでも行く彼らだが、日本の人々にはもっぱら残罵を追い回す部署として認知されていた。そして、残念ながら彼らの捜査が上手く行っているとは言いがたかった。超対が出張ってきたところで残罵を捕まえられないというのは悲しいかなハジメも同意見だった。
「ていうか、お前あれだけ公園の柵やら何やら燃やしといて逮捕されないんだな」
素朴な疑問をハジメは口にする。残罵もメチャクチャをしていたがカナタも大概メチャクチャをしていたのだ。もう、欄干を溶かすわそこら中火の海にするわ被害総額を考えただけでも計り知れない。普通、警察の厄介になる。
「そりゃそうよ。私は正式な資格を持った魔術師だもん」
「魔術師って資格とかあったのか」
「当たり前でしょ。魔術って悪用したらとてつもなく質悪いもの。まさしく残罵が良い例よ。だから、魔術って基本的に資格を持たないで使用したらその時点で警察に捕まるの」
「そうだったのか」
「そうなのよ。それで、資格を持った魔術師はそういった犯罪に魔術を使っている人間と交戦した時、それで出た被害では罪にならないのよ。資格魔術師は全員そういった違法魔術師を捕まえるために警察と協力関係にあるってことになってるの。魔術に対抗するのに一番有効な方法は魔術ってわけね。だから、私が残罵と戦って倒そうとしたのはあくまで捜査協力。それで、よっぽどの損害とか人的被害が出た場合はまた別だけど、あの程度の器物破損なら大目に見られるのよ」
「なんか、すごい理屈だけどな」
残罵みたいな違法魔術師を倒そうとしている限り、警察に協力しているという形になりそれで出た損害については罪に問われないということだった。なのでカナタがこのままでは警察に捕まる、ということは無いのだ。
「ていうか、魔術ってなんでもっと広まらないんだ。残罵があれだけ派手にやってたら模倣犯みたいのも出てきそうなもんだが」
「残罵並に魔術を使えるやつなんてそう居ないわよ。あいつ魔術の天才だもん」
「そんなすごいのかあいつ」
「家柄もなく、積み上げてきた魔術の研究成果があるわけでもない。二十歳そこそこで暇つぶし程度で始めてあそこまで行ったって話だから。普通の魔術師があそこまでの魔術を習得しようと思っても無理ね。一生かけても無理でしょ。あいつは正真正銘の天才。それでその才能を犯罪に悪用してる最悪なやつよ。正直存在自体が全世界の魔術師を馬鹿にしてんのよ」
カナタは舌打ちしながらりんごを一切れかじった。よほど忌々しいらしく本当に表情を歪めていた。
「で、魔術が広がらないっていうのもそれに関係あって。とりあえず残罵並になれるのは1000年にひとりの逸材じゃないと無理。そんで私並になるのでも100年にひとりの逸材じゃないと無理ね」
「お前もすごいのか」
「すごいのよこれでも。まぁ、私並みの魔術を使うだけなら一生研鑽すればたどり着くやつは居るでしょうけど、この年でここまで使える人間は早々は居ないわね。それで、つまりそういうことなのよ。あんまり融通が効かなさすぎるのよ魔術は」
「ふーん....?」
ハジメは首をひねる。
「たとえば分かりやすく軍事兵器の話にすると、ナパーム並の爆発を生むのに一生かけてたどり着けるやつが何人居るか、って世界なのよ。時間と金を大量にかけて、それでも当たるかどうかって博打になるの。それなら、そこそこの知識と訓練で使えるナパームの方をみんな使うでしょ。つまりそういうことなのよ。汎用性がなさ過ぎて誰も使わないの。それこそ、昔の戦争のときとか軍事に転用しようと山程研究されたらしいわ。でも、出た結論がどうあがいても実用性皆無、だったのよ。その辺りから魔術は文明社会にはどうも見限られたみたいね」
「はーん....」
ハジメは目の前で魔術の応酬を見て、ビビリ倒しだったがやはりどこか感動もしていた。ああいう摩訶不思議な現象が実用性が無いというだけで広まらないとはどこか寂しく感じられるハジメだった。
しかし、なんとなく理由は分かったハジメだ。だから、魔術は広まらず、そして残罵が野放しになっているのだ。要するに残罵に対応出来るやつが全然居ないのである。
「まぁ、魔術ってのはそういうもので、私たちが戦ってる残罵はそういうとんでもないやつなのよ。だから、こうしてここに籠城してその間に魔導書をどうにかしようってわけね」
「どうにかなるのか」
「ふふふ。なるに決まってるじゃない」
カナタの目に再び狂気が宿ったのをハジメは見た。
「あ、ああ。そうだね」
ハジメは力ない笑顔で応じた。
「だから、その鍵はあんたが握ってんのよ。どうなのよ。何か思い出さないの?」
「い、いや....ハハハ....そうだな....」
ハジメはなんにも思い出せて居なかった。目が覚めてから楽しく晩飯に興じて今なのである。本当に楽しかったハジメだ。女の子と一緒に晩飯など夢のようだった。
しかし、それではカナタは満足しない。カナタはずい、とハジメに顔を寄せた。普通なた喜ばしいところだったがカナタの常軌を逸した笑顔を見ては脂汗を浮かべるしか無いハジメだった。
「思い出して。思い出すのよ。思い出しなさい」
「い、いやいや。待ってくれよ。そんなに詰め寄られたら思い出せるもんも思い出せねぇよ」
「そんなこと言ってる場合じゃないの。だって、このままじゃ一体何年かかるか分からないのよ? 全部あんたにかかってるの」
「な、何年かかるか分からないってちゃんと分かってるんじゃねぇか」
「うふふ。私は何も言ってないわ。全然言ってないのよ?」
カナタは笑いながらハジメの頭をむんず、と掴んだ。刺激を加えて思い出させようとしているのか。ハジメは恐ろしかった。
「や、やめて。助けてください!」
ハジメが叫んだ時だった。
ずどん、と鈍い音と衝撃が響いた。館全体が揺れていた。衝撃で棚の上の花瓶が落ち、割れてしまった。
「ああ、花瓶が! 高いぞあれ! ていうかなんだ!?」
カナタは忌々しそうに天井を見上げる。
「残罵ね」
そして、これまた忌々しそうに口にした。
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