Extra Chapter
何でもない日
「切らないのですか」
ある日の昼下がり、ベッドで寝ころんでいたゼラがそんな事をのたまった。
「ああ、そうだな……」
俺は生返事をしてから、読書を再開する。
今日は安息日、よって剣術の授業もお休みだ。
ボリス先生から頂いた美茶を、冷やして頂く。芳醇な香りと苦み、そしてほのかな甘みが素晴らしく美味で、図書館から借りてきた戯曲に彩りを持たせてくれる気がする――
「いったい」
浸っていると、ゼラが俺の背中を平手で叩いた。痛い。
「何すんだ。前々から思ってたが、すぐに暴力に訴えるのはお前の悪いところだ」
「はぐらかさないでください。切るか切らないか聞いたのに、答えになっていません」
「主語を明確にしろ。いったい何を切るって話だ」
「これです、これ」
ゼラが掴んだのは、俺の襟足だった。
「ああ⋯⋯、これね」
――髪を切るか、切らないか。
最近、髪の長さが気になっていたのは確かだ。修行終わりや風呂上りなど、湿気を含むと鬱陶しくて仕方がない。後ろ髪など背まで伸びてしまっているので、普段は適当に結っている。
何故、このままにしているか。それは――
「切りに行くのは面倒くさいし、金もかかる。かといって自分で切ると変になる。だからこのままにしているんだ。分かったか」
「なら、私が切ってあげましょう」
「お前に任せるくらいなら、その辺のカミキリムシに頼む。おい、短剣をしまえ、バカ、やめろっ」
両手で短剣の柄を握るゼラから距離を取る。
それは"切る"というより"刺す"時の持ち手だ。怖いわ。
「安心してください、私はウイングの髪も切ってあげていました。実績があります」
「ああ、だからウイングは常に帽子を被ってたんだな……かわいそうに……」
「私が切ってあげると言っているのだから、大人しく切られればいいのです」
「暴君か。いいよ……いや、"いい"ってのは遠慮するって意味だ。短剣を置け」
「ダメです私が切ります」
常日頃から面倒くさい奴だとは思っていたが、ここに来て本領発揮だ。
しかし、こいつがここまで強情になるのは、何かワケがあるに違いない。
聞かねばなるまい、俺の安全のために。無表情で刃物を向けて来るの怖いし。
「……
「なんですかそれは」
「俺の髪を切って、鬘にして売ろうとしてる?」
「ちがいます」
否定された。羅生門的な理由でないとすると、他に何があるだろうか。
「なら……髪なんて食ったら腹壊すぞ?」
「ぶちますよ」
「ぶつな。じゃあ……なんでだ?」
「ただ切りたいだけです」
「ただのやべー奴だよ、それじゃ」
にじり寄るゼラの肩を掴み、「まあまあ」と宥めて椅子に座らせる。このままでは俺の髪どころか命が危ない。なんとか落ち着かせなければ。
「落ち着け、お前をそこまで破壊衝動に駆りてるものは一体なんだ? 腹減ったのか?」
「私の行動理由のすべてにご飯が絡んでいると思わないことです。逆に聞きますが、なぜそんなに切りたがらないのですか」
切りたがらないというか、ゼラに切らせたくないだけである。
「……えー、そうだな」
俺はひとつ咳払いをして、遠い目をした。
「俺の髪は⋯⋯姉さんが切ってくれてたんだ。姉さんと再開できたら、また切ってもらおうと思っててな……。まあ、願掛けみたいなものだ」
「なぜ髪を切らないことが願掛けになるのですか」
「えっ? ⋯⋯えー、そうそう、俺の出身地の
「そうだったのですか。ウイングたちと何年か西大陸には滞在してましたが、知りませんでした」
ちなみに、いま考えた嘘である。
どちらかと言うとアンジェリカは俺が髪を切ろうとすると、
『シャーフの髪、綺麗なのに切るだなんてもったいないわ……ね、せめてお姉ちゃんと一緒の長さにしない?』
と、引き留めて来る側であった。
その目を掻い潜り、年に一度、パティの父親であるスミス氏に切って貰っていた。あまりに切り過ぎるとアンジェリカがしょげるので、丁度いい長さに。
「というわけで、せっかく申し出てくれたところ悪いが、しばらくはこのままだ」
「そのわりにはお風呂から出ると『かー、あっちー、そろそろ髪切りてえなー』とボヤいています。そしてパティ子から『シャーフの髪はうちのお父ちゃんが切ってたんだよ』と、以前聞きました。よって今の話はウソです」
「…………ああそう、悪かったな。なんでそこまでして俺の髪を切りたいんだ。それを教えてくれたら、散髪権を与える事を考えないでもない」
ゼラは少し黙り、口を開く。
「もうちょっと伸ばしたら、私と同じ長さになってしまいます。それがなんかイヤです」
「イヤとか言うなよ……。というかそんな理由か……」
髪は女の命と言うが、ゼラも複雑な乙女心が芽生え始める年頃ということか。正確な年齢は聞いた事ないが。
しかし、俺としてもゼラの我儘に付き合ってやる義理はない。
俺や身内の命が掛かっているのであれば喜んで丸刈りにでもするが、そうではないのだ。
「流石に俺も、お前ほど長くは伸ばさないよ。それでいいだろ?」
ゼラの髪は、当然ながら俺よりも長い。腰まで届く銀髪は、剣術授業の際は纏めているが、普段は下ろしっぱなしだ。
「ではもしシャーフの髪が私の髪の長さを超えたら、商業地区二番街の『ノクチュル』でケーキをたらふくごちそうしてください」
「はいはい、超えたらな」
「お財布が空っぽになるまでです」
「分かったって」
そんな取り止めもない約束を交わし、なんとかこの一件は収束した。
「⋯⋯あ。だからって、明日いきなりサッパリ短く切るなよ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「おい、なんとか言え。こっちを見ろ」
「お昼寝します」
「おい」
などと、いつもらしいと言えばいつもらしいやり取りがあった。
謎の『髪の長さチキンレース』が始まってしまったので、さっさと切ってしまおう――そう思いつつ、俺は結局、散髪を後回しにしていた。
そして後日、それを後悔することになるとは、この時点では知る由もなかった。
***
あくる日。朝から剣術の授業に向かう。
午前中は体力作りのメニュー、昼休憩を挟んで午後からはカシムさんと打ち合いだ。
「ふぅーむ……困りましたなあ……」
俺の剣を軽々と躱しながら、カシムさんは困り顔で溜息を吐く。心ここにあらずといった風だ。本気で打ち込んでいるのだが、相変わらずこの老人は人間離れしている。
「ぜぇあっ!!」
「ふむ」
俺が放った渾身の突きも、カシムさんはよそ見しているのに、簡単に往なされてしまった。大技を崩され、体勢を崩した俺の背中に、木剣が容赦なく叩き込まれる。
「困りましたなあ……」
頭上から再び溜息が降って来る。やっぱりこのジジイは化物だ。俺がいくら修行を積んでも、こうなれるビジョンが見えません。
「……なにかあったんですか」
地面に倒れながら、聞く。
わざわざ口に出して『困ったなあ』と何度もぼやくのだから、事情を聞いてほしいアピールなのだろうと察した。
「おお、これはこれは、口に出てしまっておりましたかな、ほっほ」
「白々しいですよ」
「そうですな、気になってしまって授業に身が入らぬのであれば、話しておきましょうか」
「
俺のツッコミは全て無視され、カシムさんは剣を置いて語り始めた。
「実は、私は教職の他に仕立屋を経営しておりましてな」
「ああはい、知ってます」
「手前味噌ではありますが、王都ウィンガルディアでは一番と知られた店なのですよ。光栄なことに、王族のお召し物や、この学園の制服の卸しも仰せつかっております、ほっほ」
「そうですか、すごいですね……」
なんだろう、この御仁は自慢するために授業を中断したのだろうか。
「来週、他店との
「へー、コンペ。そんなのあるんですか。面倒くさそうですね」
「いえいえ、競合してこそ商魂は磨かれるものですから、それ自体は大歓迎なのですよ。しかし、そこで依頼されたお題が、なんとも悩ましいものなのですよ」
「はあ。どんなお題ですか?」
「それは"少女服"です」
少女服。少女が着る服。また普遍的というか、平凡なテーマである。カシムさんの店でも扱っているだろうし、悩むような要素も見当たらないが⋯⋯。
「実はこのコンペは、クラウディア様の
クラウディア――確か、レイン王の腹違いの、年の離れた妹だったっけ。この国に来てから読んだ新聞に書いてあった。
つまり、王家のお洋服を作って競う大会か。それはカシムさんも気合が入ると同時に、頭を悩ませよう。
「はあ。頑張ってください、応援してます」
俺に出来るのは応援くらいだ。
カシムさんにはお世話になっているし、手伝えるのであれば手伝いたいが、針や糸や布なんて扱ったことがない。
「まあ、頑張るのは私ではなく、針子なのですがね、ほっほ」
「あー、まあ、そうですね?」
――後になって振り返れば、俺はここで仮病を使ってでも逃げるべきだった。
「話は変わりますがシャーフ君、いま身長はどれくらいですかな?」
「唐突ですね。えー⋯⋯正確には分かりませんが、150後半くらいです」
十一歳という年齢からすると、少々高めだろうか。と言うのも、村を出てから過酷な生活に身を置いていたおかげか、グングンと伸びていた。
「ふむ。また話は変わりますが、随分と髪が長いですな。直近で切る予定は?」
「髪ですか?」
昨日、ゼラにも同じ事を言われた。デジャブだ。剣術の邪魔になるから切れ、と言う事だろうか。
「特に予定はありません。切った方が良いですか?」
「いえいえ、それは結構。そしてまた話は変わりますが――女性服を着る事に抵抗はありますかな?」
「ありますね」
「⋯⋯⋯⋯おっと、すみませんな、年のせいか耳が遠くて。もう一度よろしいですかな?」
一陣の風が修練場を通り抜けた。夏も終わろうという季節に、汗ばんだ首筋を冷やしていく。
嫌な予感がしていた。以前、新聞に載っていた写真だか肖像画だかに描かれたクラウディア王女の髪は、俺と同じ色で、同じくらいの長さだった。
風が止んだのを見計らって、俺は口を開く。
「――抵抗、あります。着るくらいなら全裸で過ごす事を選びます」
「それはいけません。先達として忠告しておきますが、服を着なければ風邪をひきますぞ」
「それくらい先達から忠告されないでも心得てますよ。物の例えです」
「ほっほ。では改めてお願いするのですが、試着係になって頂けませんかな?」
「よくこの流れで改めようとしましたね? 完全に、且つやんわりと拒否したつもりでしたけど」
嫌な予感は的中した。この鬼畜ジジイは俺に地獄の修行をさせるだけでは飽き足らず、女装までさせようと言うのだ。
俺の前世では女装男子なるものが一部界隈では流行していた様だし、昨今では学校の文化祭などで女装する男子生徒も珍しくないだろう。
だが俺は嫌だ。何故なら恥ずかしいからだ。
「シャーフ君はクラウディア様と体格も髪色も長さも似ていますからなあ。適役だと思ったのですが⋯⋯」
「いやいや、適役は他にいるでしょう。主に性別の面で。学園内を探せば受けてくれる生徒もいるんじゃないですか?」
「悲しい事に、私も"シャーフ君と同じ"で気軽に話せる生徒が少ないのですよ。赴任して少ししか経っておりませんしなあ」
軽いディスを挟まれた気がするが、意外な事実が発覚した。剣術授業の生徒からは慕われている様に見えるし、俺をボコボコにしている時以外は普通の『おじいちゃん先生』しているからだ。
「まあ、子供は本質を見抜きますからね⋯⋯」
「ほっほ、最近遠慮が無くなってきましたな」
「とにかく、俺は遠慮しておきます。マネキンにでも着せて下さい」
「残念ですな。報酬も用意してますのに」
俺はそれでも首を横に振る。
譲れない、男の矜恃というものがあるのだ。
「仕方がありません、諦めますかな。ただ、夜道と月の無い夜には気をつけなさい」
「教師にあるまじき脅し文句ですね!?」
「いえいえ、誓って私からは何もしませんよ。ただ――」
「⋯⋯ただ? なんですか?」
「⋯⋯いえ、よしましょう。それよりも授業を再開しますよ、ほっほ」
めちゃくちゃ気にはなるが、この意地悪爺さんの事だ、どうせ脅しだろう。
その後、日が落ちるまで授業は続いたが、いつもよりも厳しかったと感じたのは、気のせいではないだろう。
ボロ雑巾の様になった俺が体力を回復して、帰路についたのは、すっかり辺りが暗くなった頃だった。
*
修練場の脇に備え付けてある水道で汗を流してから、再び汗臭い修練着に袖を通して小屋へと向かう。庭園を通り、城門を抜け、灯りのない脇の小径を歩けばボロ小屋に着く。
枝葉が絡み合った天井は、月明かりさえも遮る自然のトンネルだ。歩き慣れた道とはいえ、明かりがなければ目を閉じた様に暗い。
「フラッシュ――」
指先から白い光を発生させる。これで安心だ、そう思った瞬間、木々の隙間に何かが見えた。
光を反射するのは、紛れもなく抜き身の刃。それを構えるのは、鬼の様な形相をした人物――
「ヒッ⋯⋯⋯⋯?」
生来、怖い話が苦手な俺は叫びそうになった。が、その鬼の様な、または化物の様な顔には見覚えがあった。
「⋯⋯⋯⋯サンディさんですか?」
中間考査の折、鬼ごっこの『鬼役』で同じ仮面をつけていた、俺の姉弟子である。
「あら、よく分かったわね。あんたに用があって待ってたのよ」
「剣を構えて?」
「暴れられちゃ困るからね」
「その恐ろしげな仮面をつけて?」
「魔法で隠れられたら困るからね」
サンディさんは仮面を外し、剣を鞘に納めた。
どうやら、どうあっても俺を逃す気は無いらしい。この距離なら俺が暴れても、魔法を使っても捕らえられるという自信の現れだろう。
「⋯⋯疲れてるんで、明日でもいいですか?」
「なによ、私だって激務の合間を縫って来てるのよ? 明日も朝から忙しいんだから」
「それはあなたの都合でしょう⋯⋯ああもう、まあいいや、とりあえず小屋に行きましょう」
そしてその自信は事実であり、俺と彼女の実力差から逃走は無理である。観念した俺は、サンディさんを小屋に招いた。
「どうぞ。美茶ですが」
「どうも。久しぶりに来たけど綺麗にしてるのね。そういえばあんたとゼラ、いつまでこのボロ小屋に住んでるの?」
「寮に空きが出るまで、との事です。最短で来年度ですかねえ⋯⋯」
途中退学者が出れば話は別だが。
そもそもこのリンゼル魔法学園、名門を謳っている割には試験が厳しいわけでもなく、平日しっかり授業に出ていれば進級も容易だ。金持ちや貴族の子息子女が通うだけあって、下手に厳しくできないのだろうか。
「ま、木に囲まれて涼しいし、なかなか快適じゃない?」
「これから来る冬が怖いですけどね⋯⋯」
「それは学園にに暖房を要求しなさい。学園側の都合でこんな不便なところに住んでるんだから、それくらいは当然の権利よ」
「はは、冬になったらそうします」
「ところでシャーフ君、女の子の服を着る気はない?」
世間話からのキラーパス――しかし俺は「やはりか」と狼狽えることはなかった。
昨日のゼラを発端に、そんな流れが続いていたし、それに『服のコンペティション』というイベントに、サンディさんが絡んでいないわけがないと思っていた。
「近々競技会があってねー。おじーちゃんの店からじゃなくて、顔見知りのトコから出させてもらえる事になったのよ。それで――」
「ありません」
速攻で首を横に振るも、サンディさんはニッコリと微笑む。
笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である――と、
サンディさんは歯を見せてはいないが、この笑顔は俺に対しての示威行為、脅迫である事は明らかである。顔に青筋浮かんでるし。
「⋯⋯なに? 全裸で土下座でもすれば首を縦に振るのかしら?」
「いや、交渉が極端すぎるでしょう。そんな事されたら今後どんな顔していいか分からなくなるんでやめてください」
「時間と余裕がないのよ私にはーッ! いいから脱ぎなさい! ここで、いますぐ!」
「お、落ち着いて!」
いかん、壊れてる。
普段から『クラウンガード』は激務だと漏らしていたし、考えてみればサンディさんはまだ十七だか十八歳だ。まだ少女と呼べる年齢の彼女にとって、自分の時間が取れない事の厳しさは過酷なものだろう。
しかし――
「絶対にイヤです! 大体なんなんですかアンタもカシムさんも! そんなに人に女装をさせたいんですか!?」
「女装したまま一生過ごせって言ってるんじゃねーわよ! ちょっと着て、クルッと回ったりポーズとってくれりゃいいだけじゃない!」
「さっきから極端なんですよ! そして論点をズラさないで下さい! 全部マネキンで済む話でしょうが!」
「実際に着てるところ見ないとダメなのよ! 動いた時のアレとか、着丈のソレとか、色々あるの!」
それはまあ、俺の様な素人が口を出せる領分ではないのだろう。
「私のいう通り、おとなしく髪を切っておけば、面倒ごとに巻き込まれずにすんだのです」
ハンモックで揺れながら、ゼラが背中を刺してくる。
「うるさいバカ。さっさと歯磨いて寝ろ」
「もう磨きました」
「じゃあもう寝ろっ。バカっ」
「シャーフは窮地に追い込まれると語彙力がなくなります。ぷくすー」
ゼラはそのまま静観を決め込んだ。
まあ良い、もともとこいつに助け舟など期待していない。
「⋯⋯大体、俺じゃなくても良いでしょう。パティとかどうですか?」
「パティ子を売るなんて最低です。人間のクズです」
「黙ってろバカ。で、なんで俺に固執するんですか?」
「決め手はやっぱりその金髪ね。クラウディア様と同じ色、同じ長さ。きっと良い参考になるわ」
「はーー、じゃあ今ここで髪切りますよ」
「あんたが髪切ったら、私は今ここで舌噛み切るわ」
「どんな脅し文句ですか!?」
「ほらどうなの!? あんたの散髪で私は死ぬのよ!?」
必死すぎる。一体何が、サンディさんをここまで追い詰めるのか。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯ぐう」
――いや。そんなのは分かりきった事だ。
仕立て屋の将来を捨てて騎士の道を選んだが、その情熱は心の底で燻っているのだ。
そこで訪れた競技会。自分の腕前を世に晒すチャンス。忙殺される中で、少しでも好きな事に携われる。
深い水に潜り続けて、やっと呼吸が出来る。彼女の必死さからは、そんな印象を抱いた。
「⋯⋯⋯⋯分かりました。ただカシムさんからの頼みを断った手前、あの人には内緒にしておいて下さい」
「⋯⋯⋯⋯!」
サンディさんの顔が華やぐ。まるで、おねだりを聞いてもらえた子供の様に。
「ありがっとー! 持つべきものは物分かりの良い弟弟子ね! じゃあ早速着付けるわよ、服脱いで、服!」
「⋯⋯いや、俺一人で着るんで、一旦小屋から出て行ってもらって良いですか?」
「結構複雑な服なのよ。それにコルセットは一人で締められないでしょ? 良いから脱ぎなさいよホラァ!」
「キャー!!」
「女の子みたいな悲鳴上げてんじゃないわよ!」
いつだったかの様に、瞬間で脱衣させられた。何なのだこの謎のスキルは。
修練着はハンモックに投げ捨てられ、ゼラが「汗くさいです」と抗議の声を上げる。ざまあみろ。
「ほら下着も穿き替えて。これもセットだから」
「それは要らないですよね!?」
「要るのよ。全体的なシルエットに影響するの。あと胸はパッドで盛って⋯⋯」
そこまでするくらいなら最初から女性の試着係を募った方が良かったのでは――既に俎上の鯉となった俺には、そう抗議する気力も残っていなかった。
着付けの手際は凄まじく、あっという間に俺の男としての尊厳が剥ぎ取られ、女装が完成していった。
「化粧もするわよ。うわっ、あんたまつ毛長すぎじゃない? 蹴っていい?」
「蹴らないで⋯⋯」
「女の子みたいな泣き声上げてんじゃないわよ。うん、少し白粉はたいて、薄く口紅引くだけで良さそうね。⋯⋯⋯⋯⋯⋯はい完成!」
時間にして十数分だろうか。体感はその十倍に感じられたが、とにかく俺の女装が完成した。
王族のよそゆき服という事で、どんな豪奢な服かと思いきや、特にゴテゴテした装飾のないドレスだった。暗めの暖色で構成された色合いは、これからの秋にぴったりだ。
「やだ⋯⋯。これがあたし⋯⋯?」
「やらせといて悪いとは思うけど、闇魔法かけられた様な顔で言わないでくれる?」
「はあ⋯⋯。それで、どうですか?」
「悪くないわね。というか普通に美少女よ。これからあんたはモリモリ筋肉付いて、背もグングン伸びていくだろうから、今しか出来ないプレミアム感がイイわ」
「いや、俺の女装の品評ではなくてですね」
とりあえず言われるがままにその場で回転してみたり、女の子っぽいポーズを取る。きっと俺は死んだ魚の目をしていたことだろう。
その最中、ハンモックに寝転ぶゼラと目が合った。ゼラは無言で、ただただ俺を見下ろしていた。憐憫か嘲笑か、その目は何も言わない。
「⋯⋯⋯⋯」
「なんだよ⋯⋯笑いたきゃ笑えよ⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「見てないで何か言えよォ!」
「落ち着きなさいシャーフ君。うん、大体分かったわ。⋯⋯うーん、やっぱりスカート丈はもう少し短い方が、アクティブな雰囲気が出てイイわね。それに色も⋯⋯」
サンディさんは紐で綴じた紙の束を取り出し、そのうちの一ページにペンを走らせる。恐らく、彼女が描いたデザイン画などを纏めてあるのだろう。
その様子があまりにも楽しそうで、俺は文句を言う気が失せてしまった。
「サンディは服を作るのが上手なのに、服屋さんにならないのですか」
ゼラがハンモックから降り、サンディさんの背後からデザイン画を覗き込みながら言う。
「まあそうね、趣味の範疇よ」
「シュミですか。お金取れそうな出来ですが」
「ふふ、ありがと。でも良いのよ。こうして息抜きでやってる分には、誰にも迷惑をかけないもの」
"迷惑"。
クレイソン家の事情や、『クラウンガード』を辞めるのにも次回『銀の旋風』を待たなければいけない事など、色々なしがらみがあるのだろう。
「それでも、コンペとやらに参加するのですか」
「まあね。王様の許可も取ったし、本業にも支障は出てないし、文句を言われる筋合いはないわ」
さっきからゼラが、サンディさんの地雷原を駆け抜けている気がするが、俺は静観した。
カシムさんが望む『孫娘の解放』、それはサンディさん自身の意思に沿うものなのか知りたかった。例え本意でないとしても、俺にはどうする事もできないのだが⋯⋯。
「それよりゼラ、あんたいつ見ても下着みたいな服着てるわね。腹冷やすわよ」
「これが私のベストなファッションです」
「一歩間違えば痴女よ。そうだ、今度あんたにも何か作るわ」
「私はこれでいいのです。これはウェンディがはじめて買ってくれた服です」
「あ、ああ⋯⋯⋯⋯そう、なの?」
ゼラの言葉を受けて、サンディさんは微妙な笑みになった。
静観すると決めたものの、これは心臓に悪い。お互いの地雷原をタップダンスしているのを見ているようで、気が気でない。
サンディさんが剣を握るに至った原因のひとつは、ウェンディの出奔にある。それが無ければ今頃、彼女はカシムさんと共に洋裁店で服を作っていたのだろう。
「サンディは、ウェンディが憎いですか」
「お、おいゼラ!」
「……さあね、忘れちゃったわ。年も離れてたし、子供の頃もあまり一緒に遊ばなかったし。剣を習うようになってからは、そんなこと考える余裕もなかったわ」
サンディさんは、何でもないように答えた。
「騎士の仕事は激務だし、これがなければもっと服作りに本気を出せたんだと思うけど……でもきっと、そうなったらそうなったで、私の夢は姉さんの犠牲の上に成り立っていたのよね」
ゼラは無言で、サンディさんの顔を見ていた。
「多分、憎いって感情ではないわ。でも、好きってわけでもない。どこか……他人の様に感じている、のかしら」
それは、恐らく本心なのだろう。
そして、とても哀しい。俺たちにとってウェンディは恩人だ。彼女が居なければ、ここでこうして安全な生活も送れていない。
その代償に、サンディさんの夢を奪ってしまっていたのだとしたら。そして、ウェンディの最期を想起すると、とても哀しくなる。
「いいの、誰も悪くないのよ。さ、もう帰るわ。これお礼ね、王都にある『ノクチェル』本店のクッキー、美味しいわよ」
そう言って、サンディさんは荷物を纏めて小屋から去って行った。
テーブルに置かれたクッキーの包みを残して。
「……誰も悪くないから、哀しいんだな」
誰か一人のせいに出来たら、きっと気が楽なのだろう。
でも、既に故人であるブラッド・クレイソンを責める事も出来ない。
ウェンディと和解しようにも、彼女はもうこの世にいない。
だから、割り切るしかないのだ。それがとても哀しく、悔しい。
「クッキー食べていいですか」
「お前に食う権利があると思っているのか。というか、歯を磨いたならもう食うな」
「また磨きなおしますとも。それより、いつまでその格好をしているのですか、"シャー子"」
「………………あっ!?」
そう言われ、女装しっぱなしだったことに気づく。
ゼラが闖入してきたせいで、変な空気になったため、すっかり忘れていた。
「ちょっ、サンディさーん! これどうやって脱ぐんですか!」
俺はスカートの端をつまみながら小屋を飛び出す。
サンディさんの足は速く、もう姿が見えない。追いかけるために木々のトンネルを駆け抜けていると、灯りが見えた。
「あら、ぷに子じゃない。どうしたのこんな所で。もうすぐ門限じゃないの? 悪い子ねえ」
「えへへ、ひゃーふにほはんほっへひほうってほほっへ」
人影がふたつ。
サンディさんと、ほっぺをつままれている――パティ。
解読するに『シャーフにご飯持って行こうって思って』。なんと優しい子だろうか。
……って感動している場合じゃない。パティにこんな女装姿を見られたら十億回死ねる。死なないんだけど。
しかし勢いづいた俺の足は止まらない。足音に二人が振り向く。俺の姿を見たパティが怪訝な表情を浮かべた。
「シャーフ…………?」
「違う……シャーフの妹、シャー子だわよ……兄がいつもお世話になっているだわね……」
「えっ、シャーフじゃん……どうしたの? 女の子の服が着たかったの? 言ってくれれば制服貸すよ?」
その後、パティの優しさと羞恥に塗れて心が折れた俺は、着替えた後でベッドで枕を濡らした。
ゼラが「泣き声がうるさいです。クッキー食べていいですか」としつこく言ってきたので、虫歯になれと呪詛を吐きながら承諾した。
*
その後、一週間経ったある日。
夏の暑さも鎮まり、涼しい風が吹くようになった頃、カシムさんが「そういえば」と切り出した。
「このあいだ開催されたコンペですが、無事私の店が優勝しましたよ。ほっほ」
「あ、そうなんですか。おめでとうございます」
それを聞いて、少し寂しくなった。
カシムさんの店が優勝したということは、『知り合いの店から出場する』と言っていたサンディさんは落選したのだろう。
激務の合間を縫って、俺に女装させてまで完成に漕ぎ着けたのに、結果は出なかったのだ。
「⋯⋯他はどんな服があったんですか?」
「さて。私は会場に行きませんでしたからな」
カシムさんは知っていたのだろうか。サンディさんが参加していた事を。
聞いたところで、何が変わるわけでもない。踏み入る権利もない。それ以降何も聞かず、俺は剣を握った。
*
それから数日後、町でサンディさんに会う機会があった。
「そうねー、仕事もしなきゃ、趣味もしなきゃって宙ぶらりんだったのよね。こんな中途半端だったら、本気でやってる人たちには勝てないのも当たり前よね」
彼女はそう言って、あっけらかんと笑った。
「俺、次の『銀の旋風』であなたを倒して優勝します」
その笑顔を見たら、自然と口から言葉が出た。
「そうしたら、サンディさんは職を失って暇になりますよね。なので、俺に服を作って下さい」
サンディさんは「へー、そう」と、ニヤニヤと笑う。
「……私ね、今回のことで思い知ったわ、なんでも中途半端は良くないって。だからひとまず、服作りは置いておくわ。三年後、私は今よりも強くなる」
「はい。俺は、それを越すように強くなります」
「よろしい。服が欲しかったら、全力で来なさい」
秋が訪れた。
特に何もない、ただ俺とサンディさんが決意しただけの、秋の一日だった。
*
後日。
「シャーフ、女の子の制服が必要ならいつでも言ってね! あっ、洗濯とかはしないでもいいよ? あたし気にしないよ!」
「だからアレは違うんだよ……」
「あたし、気にしないよ!」
「聞けって」
パティがなにかにつけて、俺に女性服を勧めて来るようになった。
疑惑を解くのにかなり苦心したが、それはまた別の話。
「シャーフ後輩」
「なんだよゼラ先輩」
「さいきん歯が痛いです。ごはんも噛めないです。どうにかしてください」
「自業自得だバカめ、しばらく苦しめ」
「そういうこと言うのですか。移しますよ」
⋯⋯猫って虫歯になるんだっけ?
その後、全力で抵抗するゼラを引っ張って、校医のカサブランカさんのもとへ連れて行くのにも一悶着あったが、それもまた別の話。
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