夏の日・17
***
目を覚ますと見知らぬ場所にいた。
白い石畳が敷き詰められた床が、延々と続いている。
どこかに向かって歩く行列の最後尾に立っている。しかし一向に進まない。すぐに後ろから数人が歩いて来て、最後尾であった自分の後ろに加わった。
じっとしているのは性に合わないので、行列から抜け出した。木製のベンチが置いてあったので、そこに腰掛ける。
改めて行列の様子を見る。誰もがぼうっとした表情で、服を着ていない。ひたすらに前へ前へと足を動かしている。
自分も裸だった。なぜか恥ずかしいという感情も沸かず、「ああそういうところなのか」と思った。
「よう」
突然話しかけられた。
振り向くと、自分と同じくらいの少年が足を組みながら座っていた。
自分よりも先にベンチに座っていたようだ。
「なあ―――――を見なかったか?」
「はあ」
少年が話しかけて来る。
うまく聞き取れず、生返事する。
「そうかい。ずっとここで待ってるんだが……」
「待ち合わせをしたのですか」
「そういうわけじゃねえ。だが、タイミング的にはオレと一緒のはずなんだ」
少年は後ろ髪をガシガシと搔く。
「はあ、それにしても⋯⋯」
その手が、自分の頭に載せられた。
「まあ、ここで会えたのも何かの縁だ。ちょっと付き合えよ」
少年は自分の手を引き、ベンチから立ち上がる。
手を引かれただけなのに、なぜだか、とても懐かしいような、泣きたくなるような感情が胸を絞めた。
「どこにですか」
「この行列の先だ。おもしれーもんが見れるぜ」
手を引かれながら、行列を横目に歩く。老若男女がこちらをチラ、と見やるが、話しかけて来る人も、文句を言う人もいなかった。
どれだけ歩き続けただろうか。不思議と疲れは感じず、やがて建造物が見えて来る。白い、大きな石を四角く切り取ってそのまま置いたような、無機質な建物が立ち並んでいた。
「これはなんですか」
「さあなあ。扉はあるが、中には入れないんだよ。それよりアレだ、アレ」
少年が指をさした先には、マナカーゴをいくつも連結させたような細長い『車』が停車していた。
「並んでるヤツらが言ってたんだが、『キシャ』って言うらしいぜ」
「はあ、そうですか」
「お前も『キップ』持ってるだろ? 行列に並んで、順番が来ると、それと引き換えに『キシャ』に乗れるらしいぜ」
そう言われて、繋いでいる右手と逆の左手に、一枚の紙切れが握られていることに気づく。
ずっと握りしめていたのに、不思議と皺ひとつない。『キップ』は裏も表も白紙で、地面に捨ててみるも、ひらひらと浮き上がって自分の手に収まった。
「他の奴らの『キップ』も見せてもらったんだが、みんな書かれてる文字が違うんだ。おもしれーよな」
「そうですか」
「……反応薄いな、オイ」
少年は深く、深いため息を吐いた。
それに構わず『キシャ』を見つめる。行列の先頭に並んでいた人が、『キップ』を誰かに差し出した。
みんな裸の中で、その誰かは服を着ていた。上襟と下襟に分かれた、丈の長い黒いスーツ。それに併せた制帽。
本来顔があるべき場所には、黒い球体が収まっているだけだった。
「アレは『エキイン』だってよ」
「えきいん」
「たまーに列を無視して『キシャ』に乗ろうとするヤツがいるが、みんな最後尾に戻されてる」
「そうですか」
「そうですよっと。……で、お前さんはどうしてここに来たんだ?」
少年は今にも泣きそうな、悲しげな表情になる。
首を横に振り、「覚えていません」と返した。実際、ここに来るまでの記憶が朧気だった。
「そっか」
次の瞬間、『キシャ』が甲高い笛の音を上げた。先端の車両に着いた煙突から煙を噴き上げながら、ゆっくりと走り出す。少年と一緒にそれを見送っていると、『キシャ』はやがて白いモヤの中に消えていった。
「出発したな……じゃあ、戻るか」
再び手を引かれ、長い時間をかけて歩き、先ほどのベンチまで戻って来た。
既に最後尾が見えなくなるほど、列に並ぶ人は増えていた。
それはそうだろう、『キシャ』に乗り込める人数と、この行列の人数は全くもって見合っていない。この行列は解消されるどころか、これからずっと長くなっていくのだろう。
「列から離れたらまた最後尾からだ。悪かったな、引き留めて」
「あなたは並ばないのですか」
「ああ、オレは待ってるヒトがいるんだ」
「もうすでに『キシャ』に乗ったのではないのですか」
「そうかもな。ま、飽きたり、待ち疲れたら、オレも並ぶさ」
そう言って少年は、ベンチに深く腰掛けた。
自分は、なぜか行列に並ぶ気になれず、と言うよりも少年から離れがたい気持ちになり、隣に腰を下ろす。
「⋯⋯並ばねーのか?」
「⋯⋯わかりません」
「そうかい」
少年は無遠慮に、自分の頭に手を置いた。
見知らぬ人にそんな事をされて、自分は嫌がる
ゆっくりと進み、それ以上のペースで伸びていく行列を眺める。時間の経過が不明瞭で、とても眠くなった。
何時間経っただろうか。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
少年と、誰かが言い争うような声で目が覚めた。
「だーかーらー! オレは『キシャ』に乗れなくても良いから、こいつを元に戻せないかって頼んでんだよ!」
「いえいえ、ですから、まずこちらの話を聞いてくださいよぅ⋯⋯」
目を開けると、美しい女性が困惑し果てた表情で、少年に絡まれていた。
女性はひらひらした白い布に身を包んでおり、行列に並ぶ人々とは"別"であることが伺えた。
「双方合意の上であっても、誰かの魂と引き換えに、誰かを蘇らせるなんてことは出来ないんですよう! 規則上!」
「だからよー、そこをなんとか曲げてくれって頼んでんじゃねーか! わっかんねえヤツだなオイ! だいたいカワイソーだろが! まだ、こんなちっこいのに死んじまって! チャンスくらいくれよチャンスくらいよォ!」
「はーもう! 何回この問答するんですか! だいたいその場合、あなたは未来永劫この場に留まり続ける事になるんですよう!?」
「あー上等だよボケコラ! ここも悪かねーよ! たまに喋れるヤツ来るしな! 暇はしねーよバーカ!」
「あなたみたいに自我を保った魂は、稀も稀ですよう!」
なにやら収拾がつかない事になっている。
自分の事で言い争っているようなので、ひとまず仲裁に入ろう。
「なにをモメているのですか」
「おー起きたか! 待ってろよ、いまこのネーチャン説得して、お前を⋯⋯」
「ですから話を聞いてくださいよう! その方は――こちらの手違いでここに来てしまったから、今から送り返すんですよう! あなたがここでギャーギャー言ってたらそれも間に合わなくなるんですってば!」
「は⋯⋯⋯⋯?」
少年は、ものの見事にポカンと口を開け、間抜け面を晒した。
「⋯⋯⋯⋯先に言えー!」
「言う前に絡んできたんでしょうが!」
「うっ⋯⋯。ま、まあ、そういうわけらしい。良かったな」
美しい女性は、フンと鼻を鳴らし、自分の前に屈み込む。そして白魚のような両手で、自分の左手を包み込んだ。
温かな白い光が灯り、握っていた『キップ』が宙に浮かび上がる。
「と言うわけで、切符は回収しますよう」
言葉と同時、『キップ』は光の泡となって、消えた。
「あとはこの行列と反対方向に進めば、元の場所に戻れます。決して振り返らず⋯⋯とかベタな掟はありませんが、なるはやで、というか全力ダッシュで行ってくださいね」
促され、ベンチから立ち上がる。
「ここに来た記憶は残らないでしょうが、一言だけ。なるべく長生きしてくださいよう。なにせこの混雑具合ですから、少しでも渋滞の緩和にご協力ください。切に」
さあ、と背中を押され、自然と行列の反対方向へと足が進む。
一度振り返り、少年の顔をじっと見る。少年は、先程までの勘違いが恥ずかしいのか、バツの悪そうな顔をしていた。
自分の視線に気づくと、ニカっと歯を見せた。
「⋯⋯⋯⋯」
「どうした、さっさと行けバカ」
「多分、きっと、あり得ない事だとは思うのですが」
だってそうだ。"彼"と目の前の少年では、年齢が二回りほど違う。
だけど、この不思議な空間では、そう言うものなのかもしれない。
「バカと言った方が――」
「バカだ、バーカ」
幾度となく交わした軽口に、心臓が大きく脈打った。
「わたし、わたしは⋯⋯ずっと、あやまりたくて」
「⋯⋯ああ」
叶わないと思っていた、恩人との再会。
『別荘に幽霊が出る』なんて言葉を信じた訳では無かった。それでも、死後の世界への取っ掛かりになるならと、夜毎探し回った。
全ては、あの時の後悔を謝罪するために。
「あのとき、逃げて⋯⋯」
「ああ⋯⋯? 何の事だ?」
そうだった。彼は、自分が南大陸で犯した所業を知らないのだ。
恩人を捨てて逃げた、卑怯極まりない自分の薄汚さを、告白した。
「ああそういう⋯⋯はあー!? それよりお前、そんな事よりも、ミルダの町でオレのメシ横取りして食った事詫びろや! アレめちゃくちゃ奮発したヤツだったんだからな!?」
「は、いや⋯⋯え」
「あとオレの帽子に虫入れてきやがって! 何のか考えたくねーが、黄色い汁がシミになってんだよ!」
「そ⋯⋯そんなことよりも⋯⋯」
「テメーコラ、"そんなこと"だあ!?」
少年がこちらに歩み寄り、自分の肩を掴んだ。
「……"そんなこと"なんだ。お前さんにとっちゃ重大な事だが、オレにとっちゃ帽子のシミ以下の事だ。だからもう気にすんな」
「⋯⋯⋯⋯ウ⋯⋯」
「ってまあ、死んだ後だからそう言えるのかもな。だが、いま、
それを聞いた瞬間、胸がすう、と軽くなった。
「あのー⋯⋯良い雰囲気のところ申し訳ないのですが、ここでの記憶は残らないのですよう⋯⋯」
「はあー!? うっせえな、空気読めやボケぇ!!」
「はひ、すみませんっ!」
女性がおずおずと手を上げると、少年は憤怒の形相で怒鳴り散らかした。
少年はコホンと咳払いをして、鳶色の瞳で真っ直ぐに――私を見た。
「つーわけで、覚えてねーかもしれねーけど、気にすんな」
「無茶を言います」
「おっ⋯⋯⋯⋯」
少年の目が、何かに驚いたように見開かれた。
「なんですか」
「お前さん、いま笑ったぞ。うわービックリした」
「笑いましたか。いま、私は」
「ああ。それを見れただけでも、この場所でお前さんに会えて良かったよ。さあ、もう行け」
少年の手が、自分の肩を掴んだまま回れ右させる。
「それ、あいつらにも見せてやれ。たぶん泣いて喜ぶぜ」
そして背中を優しく押し、私の足は歩き出す。
後ろ髪を引かれる思いがなかった訳ではない。
だけど、自然と歩調は早くなり、列に加わる人とたくさんすれ違いながら、白い光の中に飛び込んでいった。
***
「⋯⋯⋯⋯何をしている?」
右手の甲を左掌で抑え、一定の早いテンポで胸の中心――胸骨を圧迫する。
顎を上げ、鼻をつまみ、自分の口をゼラの口につけ、あらん限りの息を吹き込む。都度二回。
再度胸骨圧迫――これを何セット繰り返しただろうか。痺れを切らした様子のフリデリカさんが、俺の後頭部に杖の先端を押し当てた。
「邪魔をしないで下さい」
ゼラの身体は薄い光の膜を帯びていた。光魔法『レイズアップ』を掛けている。対象の精神を高揚させる魔法だ。
蘇生したあとで、生きる気力が無ければ再び死の淵に向かってしまう。それを危惧しての対策だ。
「やめないか見苦しい、殺すぞ」
「俺を殺せば、ハルパーがアンタを殺すぞ」
「チッ⋯⋯⋯⋯」
杖の先が砂浜に突き立てられる。
俺は再び、心肺蘇生に取り掛かった。腕が棒のようだ。肺が悲鳴を上げている。だが、止めるわけにはいかない。
俺のせい、だと言う。
俺のせいで村のみんなが死んだ。
俺のせいでウイングとウェンディが死んだ。
そして今、俺のせいで、目の前でゼラが死にかかっている。
「だったら⋯⋯せめて⋯⋯」
お前くらいは、俺の手で助かってくれよ。
じゃなきゃ俺にはもう、何もないじゃないか。
俺がお前やパティを守るから――
「そばにいる事を⋯⋯許してくれ⋯⋯」
思い切り息を吸い込み、再度人工呼吸を試みる。気道を確保し、ゼラの口を開き、口を合わせようとした瞬間――
「⋯⋯は」
ゼラの目が開き、パチパチと瞬かれた。
俺は頬を
「ぷふー。変な顔です」
ゼラが写し鏡のように唇を尖らせ、俺の動作を真似た。
「⋯⋯馬鹿野郎」
「バカとはなんですか。バカと言ったほうがバカです。バカ」
「うるさいバカ。なにが『私とパティ子のどちらかしか助けられないとしたら』だ。お前なら『私とパティ子のどちらも危ないので両方とも助けてください』だろ」
「バカ」
語彙力のない罵りを最後に、ゼラは再び目を閉じた。まさか、と思い呼吸と鼓動を確認するも、ちゃんと生命活動は再開されている。
ひとまず安心し、俺は深く息を吐いた。
「⋯⋯⋯⋯信じられん」
フリデリカさんは、驚いた様に目を丸くしていた。そう言えばこの人は明治時代の人間だったか。人工呼吸や胸骨圧迫による心肺蘇生が有効であると知られたのは、確か昭和の⋯⋯いや、いい。とにかく、いまは――
「フリデリカさん、ゼラをどこか安全な場所に匿えませんか」
「ふむ、確かにその娘の耳が露見しては色々と面倒だろう。その代わりと言ってはなんだが、お前の右手を――」
「分かりました」
俺が即答すると、フリデリカさんは毒気を抜かれた様に笑った。
「冗談だ、馬鹿め。私の邸まで運ぶ」
フリデリカさんがそう言った瞬間、いつの間にか俺たちの周りを黒服の男たちが取り囲んでいた。『アリマ』の部下たちだ。
俺とゼラはあっという間に抱え上げられてしまった。眼下のフリデリカさんが、取り出した葉巻に火をつけながら言う。
「クソ弟子には遣いを出しておくから、今日は泊まれ。おいお前達、そこの死体を処理しておけ。この世に在った痕跡を残すなよ」
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