夏の日・16


 ***



 砂浜に辿り着き、目に飛び込んで来たのは修羅場だった。

 ゼラは顔中血塗れの状態で砂浜に倒れ、狼頭の女がその顔を覗き込むようにしている。女、と判断したのは、女性ものの服を着ていたからだ。


 この町に潜んでいるという『使徒』だろう。

 マルコと同じ狼頭とは、何とも分かりやすい目印だ。何故ゼラを襲っているのかは知らないが、降りかかる火の粉は払わなければならない。俺は剣を抜き、構える。


「今すぐゼラから離れろ。お前は……マルコの仲間だな」

「マルコを知っているのね。ということは、アレを始末したのも貴方なのかしら? 子供にやられるなんて、軍団レギオンも地に落ちたわね」


 やはりマルコの同胞か。同等の戦闘力を持っているとしたら油断はできない。


 ――いや。油断はできないどころではない。

 あれから俺も多少は強くなったが、もし再度マルコと戦ったら負けるだろう。

 あの時感じた実力差はそれほどのもので、俺とアーリアが生き残れたのは幸運と偶然と奇跡の産物だ。

 即ち、なるべく交戦は避けるのが得策だ。


「お前の目的は俺の命だろう。ゼラは関係ない。まずそいつから離れろ」

「ふうん……この子を離したら、あなたを好きにしていいと?」

「そうだ。だから――」

「それは出来ない相談ね」


 狼頭の女はゼラの細い腕を握り、無理矢理立ち上がらせる。鋭い爪が白い肌に食い込み、白い砂浜に血が滴り落ちた。


「……やめろ」

「やめないわ。あなた、死んでも死なないのでしょう? なら、死に値する苦痛を与えてあげる。あなたの心が死ぬまでね」

「そうか、なら」

「なら、どうすると――――!?」


 砂を人の腕に形成し、女の横っ腹を思い切り殴りつける。密かに発動させていた『プリティヴィーマータ』での奇襲は成功。女はゼラを取り落とし、砂浜の上を転がっていった。


「……ゼラ!!」


 俺はゼラに駆け寄り、その身体を起こす。

 ゼラは目を閉じ、僅かに開いた口で浅い呼吸を繰り返している。耳や鼻からは血が流れ、口の端にも血が滲んでいた。


「⋯⋯⋯⋯馬鹿野郎」


 恐らくゼラは、俺を狙う『使徒』の存在を悟っていたのだろう。そして俺やパティに危険が及ばないよう、単身で挑んだのだ。


 詳しい話は後にするとして、かなり重傷ではあるが、ゼラはまだ生きている。すぐに別荘に連れ帰り、治療を受けさせれば助かる見込みはある。

 しかし、それには。


「ふふ……ふふふ……」


 狼頭の女が笑いながら立ち上がる。

 ――それには使徒との戦闘が不可避だ。深手を負ったゼラを守りながら、能力が未知数の化け物を相手にしなくてはならない。


「――行け!」


 言葉を交わしている余裕はない。十数本の『砂の腕』を形成し、四方八方から使徒を襲わせる。元が砂とはいえ、魔法で補強し硬度は十分だ。拘束し、その隙にゼラを抱えて逃げれば――


「―――Laぁぁ!!」

「なっ……」


 使徒が咆哮――否、歌声を上げる。

 舞うように回転しながら放たれた『歌』を受けた『砂の腕』は砕け、元の砂に還った。

 距離にして十数メートルは離れているのに、耳元で銅鑼を鳴らされたように、残響が鼓膜を揺らし続けている。

 なんなんだアレは。『声』を音響兵器の様に放ち、俺の攻撃を防いだとでも言うのか。しかし、生物の喉から物体を破壊する程の音波が出せるなど、信じ難い話だ。


「……その声」


 そして何より信じ難いことに、今の歌声には聞き覚えがあった。忘れもしない、夕暮れの港で聞いた、美しい声――歌姫セナのものだ。


「セナ⋯⋯さん、なのか?」

「ええ、挨拶が遅れたわね、こんばんはシャーフ・ケイスケイ君」

「その姿⋯⋯なんなんだ、お前は⋯⋯お前達は⋯⋯!?」


 セナが『使徒』だった事はこの際どうでもいい。あの歌声も、女神ユノが言う『悪魔』によって授けられた権能なのだろう。だとしたらあの狼頭も、悪魔によって変えられたものなのだろうか?


「あら⋯⋯その子と一緒にいながら、まだ何も聞いていないの?」

「ゼラが⋯⋯なんなんだ⋯⋯?」

「さあて、ね? これから死にゆくあなたには関係のない話よ。⋯⋯ああ、死なないのだったわね。さあて、お姫様も奪い返されちゃったし、どうしようかしら」


 セナは狼頭を傾げ、腕を組み、悩む様な仕草を見せた。この隙に『砂の腕』を打ち込めば――と考えたが、先程の『声』の威力が頭に残っている。


 凄まじい膂力と精密な動作を兼ね備える『プリティヴィーマータ』だが、音速には達しない。ヤツの服の端を捕らえることすら出来ずに破壊されてしまうだろう。

 そう印象付けるほどに、強烈な、嵐のような歌だった。


「死なない程度に痛めつけ、錘を付けて海に沈んでもらいましょうか。ついでに、そのお姫様も一緒に。『月恋歌』の最終節のようね⋯⋯素敵でしょう?」

「……クソッタレの狂人め」


 精一杯の強がりを吐いてみたものの、どうするか⋯⋯。

 相手の武器は見えない『声』だ。文字通り音速のそれが放たれたが最後、俺もゼラの様に深傷を負うだろう。

 この強い潮風を物ともせずに、対象を破壊するほどの音波。


 宝剣ハルパーを用いての攻撃も同様だ。何でも切り裂く剣とはいえ、射程リーチは普通の長剣と変わらない。

 俺がセナの攻撃で死ねば、その要因であるセナを自動的に攻撃してくれるかもしれないが、ヤツの攻撃の余波でゼラが致命傷を負ってしまう可能性が高い。それでは意味がない。


 ⋯⋯だったら、これ・・しかない。


 だが、マナリヤにマナを込めて魔法を発動するまで⋯⋯それまで時間を稼がなくては。


「どうしたの? 何も手がないのなら、大人しく――」

「⋯⋯聞きたいことがある。この町を騒がせていた歌う幽霊は、お前の仕業か?」

「――ええ、そうよ。この力を使うのは久々だったから、予行練習リハーサルにね」


 ――乗って来た。


「それにしちゃあ、ウチのゼラにしてくれた様な被害はなかった。せいぜい人を操って遊ばせたくらいだ」

「それはそうよ。だってこの町の人は、私の公演を見に来てくれた人かもしれないのだから、命まで取りはしないわ。それに勘違いしているようだけど、私だって快楽殺人者と言うわけではないの。あなたはただ、私の恩人の邪魔になるから殺すだけ」

「⋯⋯ああそう」


 十二分に精神異常者サイコパスだよ、クソッタレ。

 右手に力が籠る。俺のマナリヤが十分な量のマナを充填し、青い光を湛え始める。


「⋯⋯最後通告だ。回れ右して、尻尾を巻いて帰れ。さもないと死ぬことになる」

「ふふ、死ぬなんて面白い冗談ね。それは、どっちが?」


 セナは嘲笑を浮かべる様に、鋭い犬歯を覗かせた。

 時間稼ぎは済んだ。後は引き金を引くきっかけがあればいい。


「最後にひとつ聞かせろ」

「なにかしら?」

「お前は……お前たちは、罪もない人を手に掛ける時、どう感じているんだ。ほんの少しでも、良心の呵責を覚えたりはしないのか」

「それを聞いてどうなるの? ふふ、手加減やさしくしてくれたりするの? でもそうね、敢えて答えるとしたら……『運がなかったわね』かしら」


 運が、なかった?

 俺の大事な悉くを奪い、更に仲間ゼラまで殺そうとしておいて『運がなかった』だと?


「そうか、分かった」


 分かった。

 分かり合えないことが分かった。

 目の前の女は、人に害成すけだものだ。獣に人の言葉が理解できるわけがない。


「なら、お前は後悔しながら死んでいけ」


 握った右手から、白い霧が噴出する。魔法によって発生した霧は、俺とゼラの体を覆う。

 水魔法『ミラージュ』――霧によって光を屈折し、姿を隠したり、変えたりする魔法だ。


「愚かね⋯⋯姿を隠したところで、私の『歌』はあなたに届くわ」


 まだ余裕を保っていられるようだ。

 なら、このまま行かせてもらおう。

 俺の右手から発生した霧はやがて、一寸先も見通せないほどの濃霧となり、直径十メートル程を覆うドームを形成した。


「⋯⋯どう言うつもり? これではあなたも私が見えないのではなくて?」

「ああ見えないね。だがそれでいい、お前の不細工なツラを見なくて済むんだからな」

「⋯⋯⋯⋯愚かね」


 これは賭けだ。できるだけ不確定要素を排除した、しかし分の悪い賭けだ。

 セナを殺すには、ハルパーでの斬撃が一番確実だ。長剣が届く距離まで近づくまでに、絶対に一度はセナの『歌』を受けなければいけない。


『歌う幽霊』の正体がセナである以上、奴の『歌』は少なくとも二種類ある。人を操るものと、直接破壊するものだ。

 どちらも強力かつ凶悪だが、特に前者は絶対に喰らってはならない。反撃すらできずに全てが終わってしまうだろう。

 後者は――そのための『ミラージュ』だ。


「さあ、どうした。まさか、聴衆の顔が見えなければ歌えないとでも言うのか?」


 だから煽る。確実に後者を引き出す為に。

 歌うには、声を発するには、息継ぎが必要だ。

 つまり一度目の攻撃さえ凌げれば、その隙にセナの首を刎ねる事が出来る⋯⋯はずだ。


「そう――そんなに死に急ぎたいのね」


 来る。目には見えないが、セナの声色から余裕が消え、殺気が込められた。

 俺はゼラに外套を掛け、『マグナウォール』の防壁で包む。そして呟く様に唱えた。


「我が手に宿れ――」


 右手に剣の柄が現れる。

 それを握り締め、セナがいる方角へ向かって足を進めた。


「霧で隠れようが、あなたの居場所は匂いで分かるわ。さあ、終幕を奏でてあげましょう――」


 セナが大きく息を吸い込んだ。

 直後『歌』が鳴り響く。全身が震え、耳に鋭い痛みが走った。


「が、うぐ、ふ――」


 全身が麻痺するような衝撃を受けた。胃の底からこみ上げたものを吐く。血だ。だが感覚はまだある。握力もある。足も動く――動ける。


「――ふっ!!」

「なに……!?」


 霧の防壁を抜け、その先のセナへと躍りかかる。


「何故!? 私の歌は……!」


 足元に『プリティヴィーマータ』を発動させ、自分の身体を前へ押し出す。白い剣を振りかぶり、面食らった様子のセナの喉へ向かって振り抜いた。


「浅い……か……!」


 血が噴き出たものの、致命傷を与えるには至っていない。そのまま勢いを利用して、セナの腹に膝をめり込ませ、砂浜に押し倒す。


「⋯⋯『マータ』!!」


 即座に砂の腕を作り出し、加減など考えずにセナを拘束した。セナの吐いた血が顔にかかり、俺の右目にかかる。


「な、何故⋯⋯わたしの、うたは」


 俺の斬撃が声帯を切った様で、セナが声を発する度に、ヒュウヒュウと空気が抜ける音がする。それに合わせてゴプ、と血が沸き出た。


 勝負ありだ。これなら『歌』を放つ事はできない。

 セナの歌の様な高音域の『音』は、空気中の湿度が高いほど伝わり難くなる。

 その際たるものが霧だ。俺が発生させた霧は、湿度100%にもなる濃霧。セナの指向性を持たせた音波を僅かながら和らげてくれた。謂わば天然の防音材だ。魔法の時点で人工物だが。


 完全に防ぎ切れず、俺もかなりの重傷を負ったが、とにかく後はこの害獣にとどめを刺すだけだ。これ以上被害を出さない為に、速やかに殺さなくては。


「まって――⋯⋯」


 ハルパーを両手で握り、首を断とうと振り上げる。次の瞬間、狼頭は歌姫の顔に戻っていた。


「まって⋯⋯おねがい⋯⋯あしたの、公演⋯⋯」


 喉に開いた穴から空気を洩らしながら、セナは弱々しく手を伸ばす。


「⋯⋯⋯⋯は?」


 明日の公演があるから、生かせと。

 それを、俺に言うのか。


「ふざけるなよ⋯⋯お前たちの都合で、俺の大切なものを奪っておいて⋯⋯ふざけるなよ!! お前たちのせいでェ!!」


 激昂で目の前が真っ赤に染まる。

 あまりにも自分勝手な言い分に、かつてないほどの殺意が膨れ上がった。


「ふふ⋯⋯ふふふ⋯⋯私たちのせい? 違うわ⋯⋯あなたのせいよ」


 セナは伸ばした手の、人差し指を立て、俺に向ける。


「なんだと⋯⋯?」

「あなたは私たちに狙われる運命の下に生まれてきた⋯⋯。あなたが生き汚く足掻くたびに、その周りに被害が及ぶ⋯⋯」

「ふざ……ふざけるな……」

「だから……交渉よ。あなたは私を見逃す……そうすれば、あなたが死んだことにして、私の仲間に消息を伏せておきましょう……目立ったことをしない限り、嗅ぎ付けられることはない……」

「結局は保身か……!」

東大陸ここには⋯⋯私以外にも『使徒』はいる⋯⋯それに……お姫様……治療を受けさせるにしても、隠し通せるかしら……?」


 そう言われ、剣を取り落としそうになる。

 ゼラを別荘に運ぶにしても、頭頂部から生えた猫の耳をなんて説明すればいいのか。無理を通して治療したとしても、その後は――


「ふふ、居場所を失うことになるわね……。私なら、その子を安全に治療できる場所を知っている……さあ、どうかしら――」


 細い指が差し出される。

 ここでセナを見逃したとしても、本当に言った通りにする保証はない。

 どうすればいい。何が最善だ。ゼラは一刻を争う容体だ。迷っている暇はない――


「話にならんな」


 ――セナの指が、落とした果実のように弾け飛んだ。


「あ……がっ、あぁぁぁぁ!!」


 喉の切り傷から、ゴボゴボと音を立てて悲鳴と血が溢れる。


「交渉のコツを教えてやろう。いかに相手よりも自分を強く見せるかが肝要なのだよ。お前はそのガキに負けた。その時点で交渉を持ち掛ける余地はない」

「あ、あなたは……」


 いつの間にか、離れた場所にフリデリカさんが立っていた。右手にはゼラを抱え、左手に持った杖の先端を此方に向けて。

 杖の先端からは孔が覗いており、細い煙が立ち上っていた。


「まあ、冥途の土産に覚えておけ。じゃあな犬っコロ」

「待っ……!!」


 制止する暇もなく、杖の先端から音もなく何かが放たれる。

 二発、三発と連続して撃ち出されたそれは、セナの額に命中し、頭蓋を穿った。


「ふむ」


 俺が唖然としていると、フリデリカさんは歩み寄り、セナの死体に杖をつく。

 心臓の位置に突き付けられた杖からは、更に数発の何かが放たれたのだろう。死体が大きく跳ね上がり、そしてもう動くことはなかった。


「あ、あんた……なにを……」

「フン、懐かしい悪臭においを感じたから、夜の散歩と洒落込んでいたのだ。それより、ほら」


 フリデリカさんは右手に抱えたゼラの身体を、軽々とこちらに放り投げる。

 俺はハルパーを捨て、ゼラが地に落ちる前に拾い上げた。


「なっ……なにをするんだ!!」

「やかましい、殺すぞ。それよりも火炎魔法は使えるな? 燃やしておけ。そいつらの存在を市井に知られると、混乱を招く」

「お、俺に……セナの死体を燃やせと……?」

「セナだけではない、その猫もだ。もう死んでいる」


 ……え?


 いま、この人はなんて言った?


「全て見ていたが、二度目の攻撃の余波に耐えられなかったのだろうな。お前の力及ばずだよ」

「う……嘘だ。ゼラ、おい、ゼラ?」


 ゼラを砂浜に横たえる。固く閉じられた瞳は開く事なく、浅く繰り返していた呼吸も止まっている。胸に耳を当てるも、鼓動は感じられない。


「ゼ、ラ……」

「その使徒の言った通りだ。お前が傍にいたから、その娘は死んだ。お前は足りなかったのだよ。力も、考えも、何もかも」


 全身から力が抜けていった。

 跪き、ゼラの頬に手を当てる。冷たい。死んでいるように。


「俺が……俺に、足りなかったから、ゼラは死んだ⋯⋯?」

「そうだ。ああ、安心しろ。『歌う幽霊』騒動はこれで解決したのだから、約束通り――」


 フリデリカさんの声が、やけに遠くに聞こえる。

 俺は蒼くなったゼラの唇に指をかけ、ぼうっとした頭で、右手のマナリヤにマナを集中した。


「そうだ、燃やせ。事後処理はしておいてやる」

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