夏の日・14

 その日の夜。

 パティからの呼び出しに応えるため、カシムさんに一言断りを入れ、俺は夜の町を歩いていた。


「逢引ですかな? ほっほ、子供が色気付いてまあ」


 などと言いつつ、カシムさんは俺の腰に短剣と長剣を佩かせた。心配してくれているのだろう。


「じゃあ、いってきます」

「ほっほ、あまり遅くならないよう⋯⋯」


 何日もこの町を歩き回ったので、地理は把握している。噴水広場に辿り着くのはすぐだった。

 薄闇が降りてくる中、町の魔法師ギルドが指を向けると、魔晶の街灯が点き始める。その光景を眺めつつ、俺は噴水の縁に座った。夜でも気温は高く、首筋に当たる水飛沫を心地よく感じながら、パティを待つ。


 やがて人混みをかき分けるように、赤髪の少女がやってきた。顔を赤く上気させ、汗だくになりながら現れたパティは、キョロキョロと辺りを見回す。

 パティは、以前サンディさんに作ってもらったサマードレスを着ていた。俺と会うためにおめかししたのだと思うと、自然と頬が綻ぶ。


「パティ」


 俺が手を上げて声をかけると、パティはパアと顔を輝かせて駆け寄って来た。


「シャーフ!」

「久しぶり。元気だったか? 仕事は辛くない?」

「うん、すっごく楽しいよ!」


 それはなによりだ。まだ十一歳なのに住み込みで、それも慣れない環境で職場体験する、ということに多少なりとも心配していたが、この子は俺が思うよりもずっと強かった。


「そっか。よかったら聞かせてくれないか、マリア先輩の家でどんなことやってるのかとか、さ」

「うん!」


 パティは俺の隣に座り、フィズの町に来てからの事を話し始めた。


「えっとね――」


 魔晶作製機というものを触らせてもらっている。作成者が魔晶となる鉱石に送るマナの量を自動調節してくれる、北大陸イーリスで開発された『マナテック』らしい。


「それとね――」


 そして自分で作った火の魔晶で、冶金の仕事も経験させて貰った。おかげで顔や髪が煤だらけになってしまうが、魔晶の火力を褒めてもらった。曰く、『この歳でこれだけの火魔法を扱える子はなかなかいない』とか。


「それから――」


 更に、ヴィスコンティ家が直営する武器店の店番もやった。偶に、父親であるスミス氏が不在の際は、パティが雑貨店の店番をしていることもあったので、こちらも問題なくこなせたそうだ。

 たまに難癖をつけて来る客もいたそうだが、マリア先輩が"あのノリ"で追い返していたそうな。


「そっか、楽しそうでよかったよ」

「シャーフはどう? ゼラちゃんは、こほん。『あの男は毎日遊び歩いています』って言ってたけど」

「あいつ⋯⋯。あと、そのモノマネ似てないぞ」

「えー! 結構似てると思ったんだけどなあ」


 などと笑い合いながら、心が癒されて行くのを感じる。噴水の水飛沫が跳ね、街灯のオレンジを反射して、パティの笑顔を彩った。

 それを見た俺は、「ああ、ここまで旅を続けてきて本当によかった」と心から思った。


「そういえば、今日はどうしたんだ? というか、なんで接近禁止令を出してたんだよ」

「あっそうだ! えっとね、シャーフってとぼけてるわりにたまに鋭いじゃない? だからバレたくないなーって思って⋯⋯」

「とぼけ⋯⋯そうか?」

「たまにね。はいこれ! あたしが作った⋯⋯というか、マリア先輩にも助けてもらったんだけど⋯⋯」


 パティはおずおずと、細長い包みを差し出した。


「というか、あたしが作ったのは一部分だけというかー⋯⋯そのー⋯⋯」


 今度はモジモジし出すパティ。じゃあ、と包みを開くと、中からは一振りのナイフが出てきた。刃渡り二十センチに満たないナイフだ。柄頭には、指先ほどの魔晶が嵌っており、赤い光を反射していた。


「⋯⋯⋯⋯これは?」

「ほらやっぱりとぼけてる! シャーフもうすぐ誕生日でしょ!」

「⋯⋯そうだったっけ。そうだ、そういえばそうだ」


 あまり触れてこなかったが、俺ことシャーフ・ケイスケイは夏生まれである。

 しかし俺は、あまり自分の誕生日や季節イベントへの頓着がなく、アンジェリカの作る夕食が突然豪勢だったり、クリス氏が息を切らせて王都から帰宅したりして、「ああそういえば」となる事がもっぱらだった。


 そのくせ他人の誕生日は覚えており、父や姉、村の人々に簡単な――アンジェリカとパイを焼いて、それを贈り物としたりした。

 大抵の人は喜んでくれたが、アリスターなどは「えー! 領主さまの子供なのにショボくないっすかー!?」などと言い放ち、即座に親御さんから大目玉を喰らっていた記憶がある。


 閑話休題。

 パティは恥ずかしがる様に口をモゴモゴとさせながら、手をわたわたと動かす。


「それね、あたしがこめた火の魔法が付与されてて⋯⋯シャーフがゼラちゃんに短剣プレゼントしたの、なんかいいなって思っててー⋯⋯」

「パティ」

「もごっ」


 モゴモゴと動くパティの頬を両手で挟みこんだ。とても柔らかい感触を楽しみながら、心からの言葉を贈る。


「すっごく嬉しいよ、ありがとう」

「⋯⋯もご」


 パティは顔を真っ赤にして、目を泳がせ、それからそっと目を閉じ、唇を突き出した。タコのようである。


「んむー⋯⋯」

「いや、それはない」

「えー! そんなふんいきだったでしょ!」

「時と場所を考えなさい」

「あっ知ってる、てぃーぴーおーってやつだよね」

「そうそう。じゃ、物わかりのいい子にはこれをあげよう」


 俺は外套の内ポケットからチケットを取り出し、パティの手に掴ませる。


「なにこれ?」

「アクアリムスのチケット。ちょっとした縁で入手したんだけど、一緒に行かないか? ⋯⋯あっ、他に予定あるか?」

「ううん。お仕事は夕方には終わるし、そのあとはマリア先輩とか、マリア先輩のご家族とお喋りしてるだけだから大丈夫!」


 パティはチケットを大事そうに眺め、目を細めた。


「えへへ⋯⋯なんだかさあ」

「うん?」

「いっぱい辛いことがあったけど⋯⋯いま、抱えきれないくらい幸せだよ」


 その笑顔のあまりの眩しさに、思わず目を背けそうになった。

 パティは強い。俺なんて『前だけを向く』などと宣っておきながら、過去のことを思い返さずにはいられない。そして暗鬱な気持ちに襲われることもしばしばだ。

 パティは辛い過去を忘れずにいて、なお明るくいられる。出会った幼少期ころは泣き虫でビビりだった少女が、よくもここまで変われたものだ。


「ぜんぶ、シャーフのおかげだよ」

「あ、ああ」


 一瞬、心のつぶやきに返事をされたのかと驚いた。泣き虫が治った方か、幸せな方なのか、どちらにせよ俺のおかげと言ってくれるのは嬉しい。


「俺も……俺だってそうだ。パティのおかげだよ」


 絶望に襲われながらも、こうして安定した環境まで辿り着けたのは、『パティを守る』という己に課した使命があったからだ。彼女が生きていなければ俺はきっと、焼け落ちた村の中で立ちすくむしかなかった。


「じゃあ……んむー」

「なにが"じゃあ”だ。隙あらばチューしようとするな。それとこれとは話が別」

「もー!」

「牛か……」

「牛じゃないもん! じゃあ百歩譲ってチューは諦めてあげるから、はいこれ!」


 パティは口を尖らせながら、ドレスのポケットからガラスの小瓶を取り出した。受け取り、振ると、中の液体は粘っこく揺れる。


「なんだこれ?」

「ゼラちゃんにわたして。マリア先輩から教えてもらった、髪に付ける香油。こないだあげた分は小屋に忘れたって言ってたから」

「ほー。あいつに渡したら飲んじゃうんじゃないか?」

「そんなことないでしょーもー! ゼラちゃん、ちゃんと付けてたでしょー!」


 牛のように鳴き、タコの様に膨れるパティを抑えつつ、そういえばそんなこともあったなと思い出す。


「しっかし……パティはあいつのこと、よく気にかけるなあ」

「あたし幸せ。シャーフも幸せ。ならつぎはゼラちゃんの番だからね!」

「え、それって本気で……?」

「なにもー、だめなの?」

「いや、ダメってことは……うーん?」


 俺とパティによる『幸せの相互供給』。余った分をゼラに。収穫祭の時、ゼラがそんな戯言を宣っていた。それはいつまで続くのだろうか。

 二年、いや三年、それよりもっと先――俺たちが成人し、学園を卒業しても続くのだろうか。

 あいつを故郷に送り返す手助けをする、と言いはしたが、もしその手段が見つからなかった場合、続いてしまうのだろうか。


 例えば俺とパティが結婚したりして、子供が生まれたりして、食卓の一辺に当たり前の様にゼラが居座っている――


『ごはんはまだですか。ケイスケイJr.(仮称)もお腹すいていると泣いていますよ』


 ――とか。


「…………怖っ!」


 軽くホラーな光景を妄想し、真夏だというのに寒気が走った。


「なにかいった?」

「……いや。まあそうだな、あいつにも幸せを分けてやらないとな。なら、ゼラの故郷がどこにあるかを聞かないとだ。あいつは帰りたがっていたし、それを叶えてやるのが一番の幸せなんじゃないか?」

「うーん……そっか、ゼラちゃんもいつかは故郷に帰っちゃうんだよね……。寂しいけど、それがゼラちゃんの望みならしょうがないよね……」


 ⋯⋯そういえばパティはなぜ、ここまでゼラに入れ込むのだろうか。もはや俺よりも好感度が高いまであるぞ。

 旅をしていた時はゼラがもっぱらパティの面倒を見ていた、という点は大きいが、それにしてもである。嫉妬などではないが、少しばかり気に食わない。断じて嫉妬などではないが。


「パティは⋯⋯⋯⋯」

「なーに?」

「⋯⋯⋯⋯いや、いいや」

「なにもー。じゃあとにかく、ゼラちゃんに渡しておいてね!」


 パティは縁から立ち上がり、両手の指でチケットをつまんで、また笑った。


「明日、楽しみにしてるね!」

「ああ。⋯⋯あれ、もう帰るのか?」

「うん、というかそろそろお迎えが来るから」

「⋯⋯迎え?」


 確かに人通りが多いとはいえ夜の町を、パティ一人で歩くのは危険だ。場所を指定したのはあちらとはいえ、気が回らなかった、反省。


「あっいたいた! せんぱーい!」


 パティが背伸びし、彼方へ手を振る。その先には長身の美男子――いやマリア先輩が壁を背に腕を組んでおり、パチンと音がしそうなウインクで応じる。人差し指と中指を立て、キザなハンドサインを飛ばしてきた。あの一連の動作を普通の人がやったらうざったらしい事この上ないが、似合ってしまうのだから性質が悪い。


「マリア先輩か」

「うん。かよわきおとめを一人で夜を歩かせるには忍びないって」

「あーうん、そうね」


 というか先輩もまだ少女おとめと言っていい歳だと思うのだがなんなんだろう、あのイケメン以上にイケメンの板につきっぷりは。


「やあ、久しぶりだね」


 マリア先輩は人混みを物ともせずに、優雅な足取りで歩み寄ってきた。


「お久しぶりです、先輩。パティが世話になっています」

「ふふ、逢瀬の邪魔をして申し訳ないね。だがあまり遅くなっては危ないよ。花は陽光を受けて輝くものさ⋯⋯別れは惜しいだろうが、続きは明日にしたまえ」

「は、はあ」

「近頃この町も物騒だからね。せっかく観光客が万来しているというのに、嘆かわしいよ」


 マリア先輩はやれやれ、と言ったふうに頭を振る。彼女も一週間ほど前に里帰りしたので、当然『歌う幽霊』の話は耳にしているのだろう。

 ともかく、パティの送迎はお任せして良さそうだ。


「じゃあパティ、また明日」

「うん!」

「キミも気をつけて帰りたまえ。まあ、クレイソン先生の薫陶を受けているから心配はしていないけどね⋯⋯おっと、そういえば」


 パティを伴って歩き出そうとしたマリア先輩は、人差し指を立てて立ち止まる。そして俺の耳元に顔を寄せ、小声で言った。


「さっき、町中でゼラくんらしき後ろ姿を見かけたんだ。声をかけようとしたが、物凄い速さで北の町外れの方へと走っていってしまって⋯⋯」

「あいつが⋯⋯?」

「私の勘違いならいいのだけどね⋯⋯もしクレイソン先生の別荘に戻っても姿が無かったら、探しにいった方がいいと思うよ。ああ、もちろんキミ一人ではなく、先生に随行するんだよ」


 マリア先輩は「じゃあ」と言い、パティをお姫様抱っこすると、人混みの中へと歩いていった。


「せ、先輩! 恥ずかしいですよー!」

「ふふ、晴れ着が汚れたら困るだろう?」


 ⋯⋯本当に良い人だ。マリア先輩だけでなく、ウォート村を出てから出会った人たちは、みんな善い人達だ。少数例外はいるが。

 俺の旅路は悲運には襲われたが、出逢いには恵まれていた。一生分の悲運を受けたとも思うから、どうかこれからは素敵な人々と出会えるだけの人生であって欲しい。

 去りゆく二人を眺めながら、心からそう願った。


「さて⋯⋯なにやってんだ、あのバカ猫は」


 北の町外れ――マリア先輩はそう言っていた。

 町の北は海岸だ。夜になると潮が満ち、砂浜の大部分が水没してしまう。昼も岩礁や潮溜りが点在しているので、用事がない限り人は寄り付かない。

 そんな場所に、ゼラは何の用事があるのだろう。あいつの身のこなしなら、海に落ちるなんて事は無いだろうが⋯⋯。


「どこにいるのやら」


 パティから受け取ったガラス瓶を揺らす。蓋を開けて軽く匂いを嗅いでみると、甘く涼やかな花の香りが漂った。

 幸せのお裾分け、ね。なんだか様子が変だったし、これで少しでも元気が出ると良いんだが。

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