夏の日・13

 その翌朝から、ゼラは部屋に篭りきりになってしまった。

 俺やアルが扉を叩いても出て来ず、様子を見に行ったオデッサさん曰く「女の子には色々あるのですよ」とのことで、そんなデリケートな事を言われてしまっては、追及もできない。


 俺はと言えば、やる事は変わらなかった。

 朝から夕まで当てない幽霊捜索を続ける。


 朝方、捜索中に町中でパティを見かけた。

 場所は喫茶店のテラス席。マリア先輩と、その家族――ヴィスコンティ家の面々に囲まれながら、緊張した様子でしきりに頷き、メモを取っていた。

 何故「ヴィスコンティ家」と分かったか、だが――父親であろう背の高い男性、母親であろう細身の女性、そして娘のマリア・ヴィスコンティ――全員同じ、華麗で中性的な顔をしていた。


 あの父母の遺伝子ゲノムを引き継げば、それはもうマリア先輩の様になるのは納得だ。というか父母が同じ顔ってどういう事だ。

 ⋯⋯いや、近くで見れば違いは分かるのだろう。ともかく宝◯歌劇団の様な集団に囲まれたパティは、上手くやっているようだった。


 それを見て安心し、少し寂しくなりつつも、明日話を聞ければ良いなと思いながら、俺はその場を後にした。


 ⋯⋯クレイソンさんと言い、東大陸の人は血が濃いのだろうか。



 ***



 昼頃、人通りの少ない場所で、いかつい男達に絡まれる。

 曰く、「お前の顔が整いすぎていて腹が立つ」との事だ。なんと理不尽な言いがかりだろうと憤慨しながら、近くの大人に視線を送って助けを求めるも、総無視シカト


 俺はあの『双頭の狼』を倒したんだぞ、と心の中でイキがりながらも、多勢に無勢。男達に引っ張られて連れられた先は、『アリマ』の屋敷だった。

 そこで待っていたのは反社組織の相談役、フリデリカさんだった。


「すまんな坊主。ボスから『適当にイチャモンつけて拐ってこい』とのお達しだったんでな」


 いかつい男達は『アリマ』の構成員だった。

 屋敷の中に連行された俺は、再びフリデリカさんの部屋で、二人きりになってしまった。

 室内は相変わらず酒と葉巻の臭いが――と思いきや、換気をしたのか悪臭はしなかった。代わりに、どこか懐かしい匂いがする。これは何だったか――と、匂いの元を探る前に。


「なんなんですか。誘拐ですよこれは」

「そんな不機嫌そうな顔をするな、殺すぞ。いやな、このところ騒ぎが起きていないからな。解決したのかと聞きたかったのだ」


 首を横に振る。確かにここ数日、歌う幽霊騒動は起きていないが、俺は何もしていない。


「分かりません。原因も掴めていません」

「フン、そうか。まあ幽霊とやらも、このまま劇団の公演が終わるまで大人しくしてくれればいいがな」

「それだけですか? じゃあ俺はこれで⋯⋯」


 背を向け、黒檀の扉に向かおうとすると、俺の頭を掠めて飛来した剣が、壁に突き刺さった。

 怖気を覚えて表情を固まらせながら振り向くと、フリデリカさんは悪い笑みを浮かべて言った。


「おいおい待てよ、それだけじゃあないんだ。先日は怖い目に遭わせてすまなかったと、非礼を詫びてやろうと言うのだ。座れ」


 笑いながら人に剣を投げる人が「詫び」ですって。失笑しそうになりながらも、失笑したらきっと殺されるので、顔を痙攣ひきつらせながらフリデリカさんが指すソファに腰掛ける。


「良い子だ。さて詫びの品だがな、私と同郷・・・・のお前にとっても懐かしいものだと思うぞ」


 そう言われ、ローテーブルの上で湯気を立てている釜に気づく。さっき感じた懐かしい匂いは、ここからしていた。


「この匂い⋯⋯」


 もしやと胸が高鳴る。促されるまま窯の蓋を取ると、白色の湯気が爆発のように噴き出した。同時に香りも強くなり、俺の鼻腔を満たすとともに記憶を蘇らせる。

 湯気が晴れて現れたのは、美しい白銀の粒――白米、ライス、銀舎利。


「ど、どど、どこでこんなものを⋯⋯!?」


 真昼の雪原の如き輝きを放つ米から目を離せない。俺がこんなにも驚愕しているのには訳があった。


 この世界――少なくとも俺が訪れた土地では――和食がないのである。四季もあり、温度や湿度が栽培に適している土地があるのにも関わらず、田んぼや、畑で作られる陸稲も見かけることがなく、市場にも並んでいない。


 ウォート村にいた時はスミス氏に、旅をしていた時はウイングとウェンディに「米って知っていますか」と聞いた事がある。お三方ともに首を捻るだけだった。


 そんな幻の穀物と化したコメに、こんな反社組織のアジトで巡り合うことになるとは、誰が想像できようか。


「ちょっとしたツテでな。さあ、私に右手をくれたら米を食わせてやろう」


 ⋯⋯なんて?


「⋯⋯詫びって言ってませんでした?」

「ああそうだ、詫びだったな。いかんいかん、歳をとると物覚えが悪くてな⋯⋯フハハッ」


 フリデリカさんは悪者の様な笑い声を上げながら――実際悪い人なのだが――背に隠していた短剣を床に捨てた。この人はまだ俺の右手のマナリヤ、というかハルパーを諦めていない。そう確信した。


「帰ります」

「おやおや? せっかく用意してやったと言うのに。生卵も、醤油もあるぞ?」

「俺の『故郷の味』は小麦ですので。では失礼します」

「なんだ西洋かぶれめ。大日本帝国民として恥ずかしくないのか」


 ニヤニヤと笑いながら俺を引き留めようとするフリデリカさんに、「いまは『日本』です」と言うと、「知るかそんなこと」と灰皿を投げられた。


 一服盛られては敵わないので、麗しの白米を口にするのは諦め、逃げた。そそくさと『アリマ』の屋敷の門を潜る際、俺を拐った男に「また来いよ!」と言われた。拐われでもしない限り行くものか。



 ***



 明日はパティと会い、明後日はアクアリムスの公演を観に行く。明々後日にはリンゼル学園都市に帰る。

 フリデリカさんからの剣の件は⋯⋯このまま無事に公演が終わったら、俺が解決したとウソをついて何とかならないだろうか。根拠はないが、簡単に見破られそうなので気は乗らないが。


 そして翌日。

 朝にゼラの部屋を訪ねた。パティと会う場所を聞くためだ。ゼラはベッドの上に座り、シーツに包まりながら壁を見ていた。

 大きな赤い瞳の下には、こころなしかクマが出来ている。


「⋯⋯昨晩もおばけ捜しをしてたのか?」

「見つかりませんでした」

「眠そうだな」


 ゼラに「なぜおばけをさがすのか」と聞いても返事はない。言わないだけのか、言えない事情があるのかは分からないが、深くは追求しなかった。


「シャーフ後輩」


 ゼラは部屋に備え付けられた、一人がけの椅子を指差す。座れと言いたいのだろう。俺のはそれに従い、腰掛けた。


「どうした?」


 対面したものの、ゼラの瞳は俺ではなく、その向こうの壁に向いていた。


「聞きたいことがあります。もしも、私がとても危ない目に遭っていたとします」

「うん⋯⋯?」

「そして私を助けようとすると、シャーフ後輩だけでなくパティ子まで危ない目に遭う可能性があります。どうしますか」

「どうしますって言ってもなあ⋯⋯」


 ⋯⋯心理テストか何かだろうか?

 どうするもなにも、そんなものは状況次第である。


「⋯⋯質問の意図が分かりかねるぞ。何が聞きたいんだ」


 質問に質問で返すと、ゼラは頭までシーツに包まった。


「おいおい。まさか、どっちの方が大事か、なんて聞いてるんじゃないだろうな」

「違いますハゲ」

「ハゲてねーわ。じゃあなんだ、俺がお前を見捨てると言えば満足――」


 そこまで言って、なんとなく察した。

 "見捨てる"――もしかして、だが。もしかしてゼラは、ウイングとウェンディ、そして俺を置いて逃げた時のことを思い出しているのだろうか。

 あの時ゼラは、狼頭の気配を感じ取って、そして逃げたと言っていた。

 そして、女神ユノはこの町に『使徒』が潜むと言っていた。


「……あの、狼頭マルコみたいなのが、近くにいるのか?」

「…………」

「お前はサンドランドの時みたいに、その気配を察知したんだな?」

「…………」


 そして、逃げるか否かで揺れているのだろうか。

 ゼラは答えない。俺は左手で、自分の右手マナリヤを握りしめた。

 もし、そうだったとして、そいつが俺や周囲の人間に危害を加えようと考えているなら――。


「大丈夫だ、ゼラ」


 確証があるわけではない。だが、もしもう一度マルコと相対したとしても、負ける気はしていなかった。

 カーミラさんから受け継いだ土魔法もある。剣術の腕は、以前とは段違いだ。最終手段としてハルパーもある。


「俺がパティもゼラも、みんな守るから。教えてくれ、そいつはどこに――」


 ゼラの腕を掴むと、手を払われた。


「どこをさわっているのですか、すけべ」

「いや腕だろ。シーツ越しだから断言はできないが」

「そこはおなかです。どすけべ」

「お前の腹は腕ほど細いのか……いや、良いから教えてくれないか」


 言いながらシーツを剥がすと、ゼラの顔が現れる。

 相変わらずの無表情だ。目の下にはクマ、紅玉の瞳は光を映さない。

 なのにどこか――晴れたようだった。


「場所は町の噴水広場です。夜ごろに仕事が終わるので、待っていてほしいとのことです」

「は? あ、パティのことか。いやそうじゃなくて……」

「あの質問は――"私を優先する"と言ったらパティ子に言いつける、と脅そうかと思っていました」

「…………ああそう」


 心配して損した。そうだ、こいつはこういうやつだった。


「ちなみに南大陸で感じた気配なんてありません。やーい、勘違いです」

「…………ああ、そう」


 だとすると、女神ユノの言ったことは何だったんだ?

 どちらに信頼を置くかだが、今のところどちらも全幅の信頼を置けないのが悩みの種だ。


「……じゃあ、カシムさんに夜外出の許可を貰わなきゃな。お前はどうする?」

「私は行きません」

「ああそう。じゃあもう寝ろ、さっきから船漕いでるぞ。カシムさんには言っておくから……」


 ゼラをベッドに横たわらせ、その上からシーツを掛けた。ゼラは目を閉じ、やがてすぐに寝息を立て始める。


「おやすみ」


 そして俺は、音を立てないように部屋から出た。



 ***



 そして俺は、忘れていたのだ。

 平穏な日々が続いていたことで、忘れていた。


 突然焼け落ちた故郷の村。

 突然喪われた仲間たち。


 災禍やつらは、気配を消すのが上手い。

 そして俺は、その気配を感じとるのが下手なのだろう。


 目の前に現れて初めて、それに気づく。

 そして、そうなった時、既に手遅れな事が多い。


 今回は、前兆があったと言うのに、俺はそれを忘れていた。

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