夏の日・11

「貴女は⋯⋯貴女も⋯⋯転生者⋯⋯?」

「そうだ。少し、私の出自を語ろうか。酒は飲むか?」


 机に突き立てられた短剣の向こうで、フリデリカさんは笑みを浮かべながら、酒瓶を持ち上げた。俺は首を横に振る。


「まだ飲めません」

「冗談だ⋯⋯さて、私は百年と少し前、露人との海戦で命を落とした」


 今から約百年前、露人⋯⋯ロシアとの戦争――明治時代の日露戦争か。

 フリデリカさんも俺と同じで、前世は日本国籍だったのか。


「霊魂となり、無念を抱えながら波濤を眺めていると⋯⋯」

「⋯⋯ん? 戦争⋯⋯海軍所属と言う事は、前世は男性だったんですか?」

「話の腰を折るな、殺すぞ。ああそうだ、話を戻すが、そうしていると、なにやら胡散臭い女神から来世の希望を問われ、亡念を失くしていた私は、どうでも良い、なんでも良いと答えたのだ」


 その結果が性転換⋯⋯と。

 俺が何とも言い難い顔をしていると、フリデリカさんは俗な笑みを浮かべる。


「この身体になってからのほうが長いからな、もはや身も心も女さ。男娼を呼んだときなどは、ちゃあんと⋯⋯」

「あっ、そういう生々しいのは結構です⋯⋯先をどうぞ」

「なんだつまらん。お前も、その話し方から見て、前世はいい歳の大人だったのだろう。少しは猥談に耳を傾けてもいいじゃあないか」


 今はそんな場合じゃない。俺が目を逸らしていると、フリデリカさんはつまらなさそうに舌打ちし、グラスに注いだ酒を呷り、一息ついて続ける。


「まあそこからは、与えられた特典を駆使して色々やったよ。しかし、地位を築く事に執心していたら、いつの間にか剣は剥奪されていた。その結果が、この老いずとも朽ちていく肉体だ」


 フリデリカさんは、右手に嵌めた黒い長手袋を外す。その指先があおぐろく変色し、皮膚は皺だらけで、まるで腐りきった果実の様だ。

 手の甲のマナリヤは白色ではあるものの、どこかくすんでいるように見えた。


「感覚が殆どない。指先だけではない、私の身体には点々と、この染みがある。まあ、好き勝手やった事への神罰だろうかね。それにしちゃあ軽すぎると思うがな」


 それが軽すぎるって、一体どんな悪業を重ねて来たのだろうか。


「さて、私の与太話はここまでだ。お前はどうする?」

「どうする、と言われても⋯⋯。俺がこの右手を差し出しても、貴女にハルパーの所有権が移るとは限りません」

「それはそうさな。だが、可能性はゼロではないだろう?」

「⋯⋯仮に、所有権が移ったとしても、その身体が元に戻るとも――」


 言葉の途中で、短剣が飛来し、俺は口をつぐんだ。俺の頬を浅く切り裂いたそれは、熱を残して背後の壁に刺さる。


「言葉に気を付けろよ、その綺麗なツラに消えない痕を残すぞ」

「ッ⋯⋯」

「知ってるか知らんが、教えてやろう。その剣によって得られる不死性は万能じゃない。直接の死因でなければ、肉体の再生はされないんだよ。例えば右手を切り落とし、運悪く・・・失血死しなければ、蜥蜴の尻尾の様には生えてこない」


 そう言ってフリデリカさんは、ドレスの裾を捲り、テーブルの上にを乗せた。


「義足⋯⋯ですか?」


 棒切れと思われたそれは、フリデリカさんの右膝から先を構成していた。

 あまりにも適当すぎる義足を見て、少し気味の悪さを覚える。


「右足は侵食が酷くてね、ついこの間切り落とした。そして、今は質問の時間じゃあないんだよ。肝心な事は、お前が右手しっぽを切り離して私に差し出せば、大好きなお姉ちゃんの消息が掴めるかもって事だ。さあどうだ、答えろ」


 少し逡巡したものの、俺は即答した。


「俺は……できません」


 こんなもの、あまりにも条件が悪すぎる。

 右手を失えば、剣を振ることも出来なくなる。

 それにハルパーの所有権がフリデリカさんに渡ったとしても、この人が『紺碧の地』に赴くとは限らない。むしろ、今までの印象からして、私利私欲の為だけに使いそうだ。


 そうしたら、どうなる? 


 女神ユノ曰く――この世界は、そう遠くない未来、滅びを迎える。


「――フン、そうか、ならいい」


 食い下がるか、もしくは部下を呼ばれて脅されるかと思いきや、フリデリカさんはあっさりと引き下がった。いささか拍子抜けしている俺など意に介さず、酒瓶を傾けてグラスを呷る。


「⋯⋯ふぅ、もう帰っていいぞ。ああ安心しろ、だからと言って剣を教える話を有耶無耶にしたりはしないさ」

「いや、待ってください。幽霊の事について話があると……」


 俺を呼び出すためのブラフかも知れないが、一応聞いておこう。


「ああ、あれはお前を誘き寄せるためのウソだ」


 その言葉に、肩を落とした。

 結局、一連の流れで、現状において有益な情報を得られたわけではない。つまりは徒労だ。

 フリデリカさんが転生者と言うのも興味深いが、これ以上掘り下げて聞く雰囲気でもない。


「だがまあ、お前の人とナリはよく分かった。白き剣で私を脅せば、姉の情報など簡単に引き出せるだろうに、それをしないのか。善人バカだな、お前は」

「そんな恐ろしい事は出来ませんよ⋯⋯」

「しかしまあ、騙した事について詫びをしなければなるまいな。私はその辺り公平だ」

「は、はあ⋯⋯」


 どの口が言うのか――とは、やはり怖くて言えない。


「そうさな、幽霊捜索が成功した暁には、アンジェリカの居場所のヒントくらいはくれてやろう」

「本当ですか!?」

「フン、嘘は吐かんさ」

「俺を呼び出すのに嘘吐きましたよね?」

「やかましい、殺すぞ。さっさと行け」


 殺気を込めた剣幕で凄まれ、俺はソファから立ち上がった。すごすごと扉に向かおうとして、足を止める。


「⋯⋯⋯⋯そうだ。一つ、いや二つだけ質問しても良いですか?」

「なんだ」

「クリス⋯⋯父さんとは、どんな関係だったんですか? それと、何故白い剣を欲するのか⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 フリデリカさんは、初めて穏やかな笑みを浮かべた。


「私の恩人だ。仔細は語らんがな」

「そう、ですか」

「二つ目の質問だが、お前の想像通りだ。この"腐れ"が心臓を、脳を侵す前に、僅かな可能性に縋りたかっただけさ。死にたい人間なんていない。そうだろう?」

「そう、思います」


 頷くと、フリデリカさんは嘲るように笑う。


「そんな神妙な顔でうなずくクセに、お前は私から剣を学ぼうと言うのか。大体だ、強くなりたいのであればもう間に合っているだろう? その白い剣があれば、何にも、誰にも負けぬよ」

「⋯⋯俺は、誰も殺さない様に、そのために強くなりたいんです」

「フン、まあ、お前の事情など興味はないがな」


 だったら聞くな、とは怖くて言い返せない。


「はあ、そうですか⋯⋯じゃあ俺は幽霊探しに戻ります」

「まあ、あまり期待はしていないが、頑張ると良い。ああそれと、これは先達からの忠告だが、下手に転生者を名乗らんほうが良いぞ。マナリヤは、手袋でも嵌めて隠しておけ。この世には、それを欲しがる良からぬ連中が居るからな」


 良からぬ連中とは、たとえば貴女の事ですか――とは、やはり怖くて言えなかった。

 今度こそ扉に手をかけ、部屋の外に出る。


「それと――あまり、絆に執着するなよ。所詮私たちは、この世界から見たら異物なのだから」


 扉が閉まる直前に、フリデリカさんは紫煙を吐き出しながら、そう言い残した。



 ***



 さて、やはりと言うべきか、幽霊は見つからず、途方に暮れた俺は港に来ていた。時刻は夕暮れ時。未だ港には訪れた事が無かったのと、直近の幽霊騒動がここで発生していたからだ。


 しかし、『港』と言うものの、停泊している船は手漕ぎボートのような小さなものだけだ。あれでは沖まで魚を獲りに行くことはできまい。

 マナカーゴの様な動力機関が付いているわけでもない、完全な人力船だ。


「おお⋯⋯」


 それはさておき、視線を上に向けると、夕日が沈みゆく水平線は美しく、しばらく目を奪われた。


「――――」

「⋯⋯⋯⋯」

「もしもし?」

「はっ」


 なので、声をかけられても、肩を叩かれるまで気づけなかった。

 顔を上げると、妙齢の女性が立っていた。背が高い、伏し目がちの女は、俺を一瞥して隣に並び立ち、夕陽に目を向ける。


「綺麗ね」

「そうですね⋯⋯あの、貴女は?」

「私は⋯⋯あら、この町の人は皆、私の顔を知っていると思ったけれど、ふふ、恥ずかしいわね」


 女性は照れ臭そうに言って、静かに潮風を吸い込むと、海へ向かって口を開いた。



 "貴方を隠す窓に映りし月よ。


 鍵を開きて、あの人を連れ出したまえ。


 泉に浮かぶ花よ。


 月光を受けて咲けよ。


 われらの心の中を、何者の目にも触れぬよう、隠したまえ"




「お⋯⋯⋯⋯お上手ですね」


 急に歌い始めた女性に、俺は素直な感想を漏らした。透き通るような美声と、それが紡ぐ哀しげな詞は、月明かりの静かな湖畔を連想させた。


「ありがとう。ずっと、練習しているのよ」

「そうなんですか⋯⋯じゃあ、邪魔をしては悪いので、俺はこれで」

「いいえ、良かったら聞かせてもらえないかしら⋯⋯この歌の完成に必要な事なの。色々な人に聞いているのだけど、納得する答えが見つからないのよ」

「は、はあ⋯⋯」


 アンケートの様なものか。

 俺は音楽の造詣など浅いし、歌の完成の役に立てるとも思えないが。


「俺なんかで良ければ……なんですか?」

「ええとね⋯⋯」


 女性は細い人差し指を立て、舞わせる様にクルクルと弧を描く。


「あなたが思う、"本当の死"とはなにかしら?」

「……本当の死、ですか?」

「ええ、人が、真に死を迎える瞬間とは、どんな時だと思う? この歌は、恋人の死を歌ったものなのだけれど、いまいち胸に落ちないの」

「ええ⋯⋯それは、作詞した方に聞けば良いのでは?」

「それがね、作詞者そのひと東大陸ここの出身らしいのだけど、旅に出たきり帰ってこないと言うのよ。だから、多くの人に死生観を聞いて回っているの」


 おかしな事を聞いてくるものだ。

 だが、妙に考えさせられる言葉ワードだ――本当の死。

 少し考え、口を開く。


「そうですね⋯⋯例えば、誰もが自分の事を忘れてしまったら、それは本当に死んでしまったという事になる⋯⋯と、俺は思います」

「忘却が、死?」

「はい。逆に言えば、誰か一人でも自分の事を憶えて⋯⋯信じていてくれれば、生きていけるのだと思います」


 ⋯⋯もちろん衣食住は別の話として。

 今の俺がそうだ。パティと一緒に生きる、と言う目標があるからこそ、膝を折る事なく、こうして在れるのだと思う。

 逆に、パティを喪ってしまったら、俺は二度と立ち上がれなくなる。

 そう断言できるほど、彼女の存在は俺の中で大きな支えになっていた。


 ただ、見知らぬ女性に対して、少し格好つけすぎただろうか。

 恐る恐る、隣に立つ女性の顔を見ると、彼女は目を細めていた。


「よく、分かるわ。私もそうだった。突然一人になって、どうしたらいいか分からなくなっていた時に、ある人に手を差し伸べて貰った⋯⋯きっと、それがなければ路傍でのたれ死んでいたわね」

「はあ、それはそれは⋯⋯」

「ありがとう。よく、とてもよく分かったわ」


 俺はよく分からないが、とりあえず役に立つことは出来たらしい。

 女性はロングスカートのポケットから、一枚の紙片を取り出す。


「良かったら、観に来てくれると嬉しいわ。あなたのお陰で、最高のステージになりそうだから」


 それはチケットだった。表面になされた金の箔押しが夕陽に照らされ、一瞬目が眩む。目を瞬き、よく見てみると、それはアクアリムス公演のチケットだった。

 フェズの町を訪れる道中、カシムさんが見せてくれたものと一緒だ。一等席のチケット、こんな高価なものを頂くわけにはいくまい。


「いや、悪いですよ。それに俺はもう⋯⋯」

「セナーーッ!!」


 チケットを突き返そうとするも、男の大声に遮られる。

 声の出元を振り返ると、恰幅の良い男性がこちらに向かって走って来ていた。

 男性は腹を揺らし、肩で息をしながら、女性の肩を掴む。


「セナ、こんな所にいたのか! 町は危険だから出歩くなと何度も⋯⋯!」

「あら座長⋯⋯うふふ、ごめんなさい」

「また例の"練習"か⋯⋯まったく、こっちの身にもなってくれよ⋯⋯」

「ええ、でも大丈夫。この子のお陰で、掴めたから⋯⋯」


 蚊帳の外になった俺は、チケットを持ったまま佇むしか無かった。

 しかし、なるほど。この人がアクアリムスの『歌姫』セナだったのか。そして恰幅の良い男性は座長と。

 さっきセナが言っていた、手を差し伸べてもらった『ある人』とは、この座長の事だろうか。


「ん⋯⋯?」


 いつの間にか、座長が俺の顔をまじまじと眺めていた。


「キミぃ⋯⋯舞台俳優とかに興味ないかね?」

「はい?」

「驚くほど綺麗な顔だ。それに体格もしっかりしている。声は変声期前だろうが、これから矯正すればソプラノを維持することも⋯⋯」

「ちょっと座長? ダメですよ、困らせては」


 いきなり劇団にスカウトされて面食らっていると、セナが座長を制止した。


「む⋯⋯しかしこれほどの逸材! セナもそう思って、この少年に声を掛けたのではないのかね?」

「ごめんなさいね、この人の話は半分に聞いておいて」

「あ、あはは⋯⋯」


 容姿を褒められて悪い気はしないが、俺に大勢の前で歌ったり踊ったりは無理である。


「邪魔をするなセナ! お前の歌に合わせて、この子が舞台を舞う! 見えたぞ、次の公演のテーマが!」

「ざーちょーうー? ⋯⋯ごめんなさい、この人はこうなったら聞かないから、逃げて?」


 セナは座長の腕を引っ張りながら、俺のチケットを指差した。


「待っているわ。きっと来てね、シャーフ君」

「あ、いや、俺は⋯⋯」

「離せー! 私はこの子を名俳優に育てるぞー!」

「ほらっ」


 収集がつかなくなって来たので、俺は言われた通り、その場から逃げ出した。

 まあ、このチケットはパティにあげれば良いか。謎の接近禁止令が敷かれてはいるが、これをダシにすれば会えるかもしれない。


 それにしても――。


「⋯⋯俺、名乗ったっけ?」


 少しばかりの引っ掛かりを覚えながら、夕陽が沈み切る前に、俺は別荘に帰った。

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