夏の日・10
***
――しかしながら、そう上手くはいかないものである。
町をぶらついていると、案の定幽霊の歌騒動は起こった。
騒ぎを聞きつけた俺は現場に急行すると、一般市民と思われる女性が、広場の噴水に頭から突っ込んでいた。
周りの人に救助された女性は、鼻と口から水を吐き出しながら、自分がどうしてこんなことをしたのか分かっていない様子だった。
「急に意識がふーっと遠くなって……うげぼっ、水に顔を突っ込まなくちゃって……ぺっ」
噴水の中に投げ込まれていた銅貨を吐き出し、女性は頭を抱えながらふらふらと、連れと思しき男性に肩を抱えられながら去って行った。
俺は即座に周囲を捜索したが、夕暮れ時になっても、結局『幽霊』と喩えられる犯人の足取りを掴む事は出来なかった。
その後は冒険者ギルドに赴き、幽霊についての情報収集に臨んだが、既知のもの以上の情報は得られなかった。
何の成果も得られず、肩を落として別荘に戻ると、海水浴に行ったカシムさんたちは既に帰宅済みで、皆、食堂で夕食を待っているところだった。
「おかえりなさい。その様子ですと……」
「はい、ダメでした……ん?」
と、カシムさんと言葉を交わしていると、やけに静かな事に気づく。
席に着いたゼラとアルが一言も発さないのだ。
「おお、良い色に焼けたなあ……」
アルもゼラも、全身こんがりと小麦色に焼きあがっている。
喋らないのは、おおかた無茶なトレーニングを課されて疲労困憊なのだろう。
「おい大丈夫か、アル――」
「わぎゃあああっ!!」
俺がむきだしの肩に触れると、アルは椅子から飛び上がって悲鳴を上げた。日焼けが痛むらしい。
「あ、悪い」
「ほっほ、今日ははしゃぎすぎましたな。明日はお休みにしましょうか」
「ちなみにどんな訓練をしたんですか?」
「大したことはありませんよ。砂浜を端から端まで走破と、遊泳を……そこそこの時間」
「はあ、"そこそこ"ですか」
ということは、半日近く運動させられたな。
「こんな事もあろうかと、ロナルド君から日焼けに効く膏薬を貰ってきてあります。お風呂に入った後でよーく塗り込んでおきなさい」
「せ、せんせー⋯⋯いま風呂に入ったら、オレたぶん死ぬ⋯⋯」
「ほっほ、それくらいで死んでたまるものですか」
戦々恐々とするアルを横目に、俺はゼラに視線を移した。眠そうに舟を漕いでいるが、相変わらずの無表情である。こいつには痛覚は無いのだろうか。
「⋯⋯⋯⋯」
「先に言っておきますが、いま私に触ったら、数十倍に話を盛ってからパティ子に言いつけます」
そっと指でゼラの腕を突こうとすると、先手を打たれた。
「⋯⋯やめろよ、そうやって人の弱点を⋯⋯」
パティはゼラに甘い。旅の途中、ずっと面倒を見てもらっていたと言うのもあるだろうが、数少ない同年代の友達というのが大きい。
恐らく、ゼラが捏造した俺の悪行を告げ口したら、パティは裏も取らずに俺を責め立てるだろう。
「許可もなく乙女のやわはだに触れようとしたのが悪いです。分かったらお風呂あがりに薬を塗ってください」
「いや、薬を塗るのはいいのか?」
「医療行為です」
「よく分からないやつだな……ああそうだ、明日は海にもいかないだろ? 今度こそ手伝ってほしい事があるんだが――」
今日の捜索で思い知った。というか再認識した。俺は無力だ。
そも、冒険者ギルドや『アリマ』が調べても分からなかった幽霊の正体が、ただの子供である俺などに分かるはずが無いのだ。
「明日はダメです」
「いやいや……ちょっとくらい頼みを聞いてくれてもいいじゃないか」
「明日はパティ子と遊びにいきます。なのでダメです」
「……んん? なんでパティ?」
「町でパティ子と出会ったのです。明日は男女先輩のお手伝いもお休みなので、二人で遊びに行こうと約束しました」
「男女先輩て。マリア先輩のことか。失礼だぞ」
そういえばマリア先輩の実家は『海沿いの町』と言っていたっけ。それがここ、フェズの町だったのか。東大陸に海沿いの町は数少ないし、『まあそんな偶然もあるか』と特に驚きもしなかった。
「そして、そこで自然に俺を省くって、お前俺になんか恨みでもあるのか?」
「もちろんパティ子にはシャーフお兄ちゃんがいる事も話しておいてあげました。が――」
「⋯⋯なんだよ。含みがあるな?」
「パティ子はお兄ちゃんに会いたくないと言っていました」
「いや、ならお前が会ったパティは、お前が暑さのあまり見た幻覚だよ」
「なら私は幻覚と遊んできます。指をくわえて見ていなさい。では」
ゼラが席を立ち、自室へと戻りかけ、夕食がまだだった事に気づいたのか即座に回れ右し、席に着いた。
「お前って本当に⋯⋯」
「美少女ですか。知っています」
「いや、面の皮が厚いよな。二重の意味で」
しかし、パティが近くにいるのは基本的には嬉しいことだが、現状に限ってはそうと言い切れない。
歌う幽霊騒動もそうだが――女神ユノ曰く、この町には『使徒』が潜んでいるのだ。反社会的武力集団『アリマ』が居を構えている以上、使徒も下手な動きはできないかもしれないが、村ひとつ焼き払うような連中だ。警戒するに越した事は無い。
……と言っても、使徒に命を狙われているのは俺だから、俺がパティに近づかなければ良いだけの話ではある。
「……分かった、パティをよろしくな。不審者を見かけたらすぐに近くのお宅や店に駆け込むんだぞ」
「お兄ちゃんは心配性です。パティ子に対して過保護ですね」
「バカ、一応お前の事も心配してるんだ」
虫を拾い食いして腹を壊さないか、とか。
猫耳がバレて大騒ぎにならないか、とか。
「そうですか」
「そうだよ。だから頼んだぞ」
「頼まれました」
……俺個人の頼みは聞いてくれないのに、パティ絡みになるとやけに素直だ。まあいいんだけど。しかし、明日もゼラの助力は得られないと言う事か。捜査は難航しそうだ。
「では、夕食にしましょうか」
と、そこでオデッサさんが、厨房から料理を運んできた。
昼は簡単に済ませてしまったので、正直空腹だった。すぐさま食卓に着き、美味しそうな匂いを立てる魚料理に手を付ける。
柑橘系の酸味の効いたソースがかかった白身魚のフライに舌鼓を打っていると、オデッサさんが俺に封筒を差し出した。
「そうでした、シャーフさんに手紙を預かっておりますわ」
「はい? 俺にですか?」
「ええ、昼頃に玄関先に投函されていました」
俺宛の手紙……?
俺が、この別荘に滞在していると知っている人物からという事だが、それは限られよう。学園の先生方か、もしくは――。
「その封蝋……師匠からですな」
俺の隣でグラスを傾けていたカシムさんが、怪訝そうに片眉を上げながら言った。
「えっ……開けた方が良いですよね?」
「そうですな」
反社会的勢力からの手紙、その内容とは一体。などと、頭の中でドキュメンタリー風に考えつつ、封を開く。
手紙の内容は、一行だけだった。
『幽霊の件について話がある。明日の昼頃、
***
翌日。正直気が進まなかったが、ご指名とあらば馳せ参じなければ何をされるか分からないので、俺は『アリマ』の屋敷に向かった。馳せ参じても何か恐ろしい事をされるかもしれないが。
「では私はこれで。ほっほ、そう怯えずとも大丈夫ですよ」
見送りに来てくれたカシムさんと別れ、門番の屈強な男に手紙を見せると中に通される。扉をノックすると、中から掠れた女性の声が返って来た。
「来たか、入れ」
扉を開けると、部屋に充満した葉巻の匂いが流れて来る。それに、微かにアルコールの匂いも混ざっていた。椅子に座るフリデリカさんの足元には空いた酒瓶が転がっている。昼間から酒盛りをしていたようだ。
「……こ、この度は何の御用でしょうか」
「そう怯えるな。座れ」
葉巻を投げられては堪らないので、言われた通りソファに座る。
「すまないな」
紫煙とアルコール臭でむせ返りそうになっていると、フリデリカさんは申し訳なさなど微塵も感じられない尊大な口調で言った。
「こうでもしていないと、生きている実感が持てないのだよ」
「は、はあ、生の実感ですか……逆に生き急いでいるように見えますが」
「この腐った体では、もう粗方の刺激は受け付けない。私を揺り動かせるのは、強い酒と、
「せっ……ごほん。そ、それで、何故俺を呼び出したんですか」
「ああ、思い出したんだよ。私は
ああ、確かそんなことを言っていたっけ。
この屋敷に根を張っているフリデリカさんが、一体全体どこで俺などの名前を耳にしたのだろうか。
「そうだ、ケイスケイ……お前は
「……はっ? な、なぜそれを……!?」
ウェンディ曰く、俺の出生は公開されず、ただの村人として扱わていたという。それがなぜ――。
「やはりか」
フリデリカさんは口角を上げ、紫煙を吐き出しながら笑った。
「半年ほど前だろうかな、
「あ……あなただったんですか……父の知り合いというのは……」
「そうだ。村ごと滅びたと聞いたから、生きていないものだと思っていたから驚いたぞ。それで、お前には姉がいたろう? たしか……アンジェリーナだったか」
「アンジェリカです。姉は……行方不明です」
「そうか。そうだな。そういう事だろうな。そうでなくては」
愉快そうに納得している様子のフリデリカさんに、俺は少なからず嫌悪を抱いた。まるで、アンジェリカが行方不明になったことが理に適ったことだとでも言いたげだ。
「……それで、それを確かめるためだけに俺を呼んだんですか」
「いいや、そうではない。クリスには金も貰っているからな、私には、義理を果たす義務がある。即ち、お前のこれからの生活を保障してやってもいいし、更にはアンジェリカの行方も教えてやってもいい」
「――姉さんの行方を知っているんですか!?」
「知りはしないが、大方の見当をつける事はできる」
なんて――なんて僥倖だ。
俺の生活なんてどうでも良い。アンジェリカの居場所さえ分かれば、また一緒に暮らせれば、それで良いのだ。
「だが――クリスからの頼まれ事は、ガキ二人を引き取れと言う事だけだ」
喜びに打ち震えていると、フリデリカさんは鋭い眼に昏い光を宿した。それを見た瞬間、心臓を掴まれたような錯覚を覚える。
これは実力差によるものだろうか。被食者が捕食者を恐れる様な。
「これは前置きだが――正直、お前が偶然あのクソ弟子に師事を受け、偶然私の元に来て、偶然私がクリスとの約束を思い出さなければ、クリスから貰った金など全て酒代に消えていただろう。私はそんな性質の人間だ」
「⋯⋯⋯⋯は、はあ」
「その前提で言おう。私とクリスとの約束には『いなくなったお姉ちゃんの捜索』は含まれていない。それが知りたければ、相応の対価を支払って貰おう」
⋯⋯⋯⋯な。
なんて人だ。初対面時から思っていたが、およそ人の心というものが欠けている。
いや、しかし、裏を返せば、金さえ払えばアンジェリカの居場所が分かるのだ。
傭兵ノーリに大金を支払ってしまったので、今は持ち合わせは無いが、法外な金額を吹っかけられないことを祈るしか無い。
「分かりました⋯⋯幾らですか?」
「これだ」
俺の問いに、フリデリカさんは手袋をした右手の指を広げて見せた。
指は五本。金貨五十⋯⋯いや五百枚? 流石に五千枚という事はないだろう。
「⋯⋯分かりました」
金貨五百枚だとしても、なんとしても工面するしかない。ブラックドラゴンの角を売るか。それでも足りないだろうから、寝ずに働くしかない。
眠気は
「そうか。なら、ほら」
フリデリカさんは、短剣を俺に向かって放る。
回転しながら放物線を描いたそれは、黒檀の机に突き刺さった。
「⋯⋯え?」
提示された条件と、この蛮行の関連性が分からず、俺は短剣とフリデリカさんの顔を交互に見比べた。
「あの、そこまでは流石に⋯⋯」
「なんだ。自分でやるのが嫌ならば、私がやってやろうか」
「いやいや、そうでなく、血なんて飲んだら腹壊しますって」
「血だァ? 私が欲しいのは、お前の右手だよ」
⋯⋯⋯⋯なんて?
「もっと言えば、お前の右手のマナリヤ、そこに宿る白き剣だ。持ち主に不死性を与える、理外の神剣⋯⋯」
「な、なにを⋯⋯?」
「しらばっくれるなよ――」
フリデリカさんは、昏い眼光を更に鋭くし、さりとて口は半月の様に歪んで行った。
「――お前も私と同じだろう、転生者よ」
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