夏の日・8

 雨は降り続け、昼下がりになる頃、ようやくフェズの町で一番大きい建物――フリデリカ・ランドエッジの棲む邸宅に辿り着いた。


「フリデリカさんは何をされている方なんですか?」


 守衛にしばらく待てといわれ、門の前で立ち尽くしながら、隣のカシムさんに尋ねる。


「相談役、と言ったところでしょうかな。今は引退されていますが、現役時代はそれはもう怖い方でした」

「いやだから、職業は何を⋯⋯」

「ほっほ、この物騒なお屋敷を見れば分かるでしょう?」


 そう言われて、改めて邸宅を見やる。

 五メートルはあろう巨大な門。門柱には、いまにも火を吹きそうな威圧的なドラゴンの彫刻。

 その周りを警護する守衛は皆屈強な体つきで、身なりは整っているものの、一般市民には見えない。殺気を放っているようにすら見える。


「⋯⋯『裏』の方ですか?」

「まあ、あまり表舞台に出て来ない方ではありますな。一応、貴族の位を与えられた事もありますが」

「⋯⋯タマ、獲られたりしません?」

「ほっほ、今回は師匠個人に会いに来たのですから、その心配はありませんよ。恐らく」


 最後に小声で保険を掛けるのはやめて欲しい。

 しかし、そうか。こんなアウトレイジな雰囲気漂う組織が堂々と居を構えるくらいだから、さっきの様な通り魔がいるのも納得である。刺された事については全く納得していないが。


「お会いになるそうです。此方へ」


 舎弟⋯⋯いや守衛が戻って来て、巨門の隅に備え付けられた小さな扉を開く。凶暴そうな犬が闊歩する庭を通り、屋敷の中へと案内され、応接室へと通された。


 召使いが高級そうな黒檀の扉を開くと、これまた高級そうな調度品が置かれた応接間が広がる。白磁の壺、鮮やかな花をつける観葉植物、なによりも壁一面に掛けられた剣、剣、剣だ。そのどれもが磨き上げられ、部屋の灯りを眩く反射していた。


 そして、その中央で、安楽椅子に腰かけているのは黒いドレスを着た妙齢・・の女性だ。長い金髪を纏めもせずに、床に垂れ流している。女性に対しての形容として相応しくないかもしれないが、精悍な顔立ちだ。そこに威圧するような厚化粧を施しており、こちらに向ける眼光は射貫く様だ。


「時間より遅いな」


 女は葉巻を燻らせながら、掠れた声で言う。

 俺は女の顔と、隣のカシムさんの顔を交互に見る。

 カシムさんの師匠、フリデリカ・ランドエッジは老女と聞いていたのだが、目の前で不機嫌そうに肘をつく彼女は、どう見ても二十代半ばにしか見えない。


「お久しぶりですな、師匠」

「応。老けたな、クソ弟子」


 カシムさんが恭しく頭を下げると、女は表情を変えずに返す。


「ほっほ、相変わらずですな。さてシャーフ君、座りましょう」

「えっいや、待ってください、まさかこの方が……?」

「左様。フリデリカ・ランドエッジ、私が薫陶を受けた師です」


 ……うっそお。

 カシムさんに剣を教えたって事は、この翁よりもお歳を召していなければおかしいじゃないか。


「おい、遅刻しておいてウダウダするな。時間が惜しい。五秒以内に座れ。さもなくば帰れ」


 俺が戸惑っていると、フリデリカさんが低い掠れ声で淡々と言う。凄んでいる風ではないが、その言葉には確かな殺気が込められていた。

 カシムさんは『丸くなった』と言っていたが……これで?


「座りましょう。額に穴を空けられてはたまりませんからな、ほっほ」


 ひとまず、安楽椅子の対に置かれたソファに、カシムさんと並んで腰掛ける。

 フリデリカさんは軽く頷き、手にした葉巻をひと吸いすると、黒い長手袋を嵌めた手をヒラヒラと振り、気だるげに口を開いた。


「名前は」

「ご存じカシム・クレイソンです」


 おどける様に言ったカシムさんの顔に、クリスタル製の灰皿が飛んで来た。最小の動きでそれを躱したカシムさんに舌打ちしつつ、フリデリカさんは机の下から新しい灰皿を取り出し、葉巻の火種を押し潰す。


「殺すぞクソ弟子。そっちの金髪のガキだ」

「俺はシャーフ・ケイスケイと言います。カシムさんから剣を学んでいます」

「ああはいはい、シャーフ⋯⋯⋯⋯あ?」


 フリデリカさんは眉根を寄せて瞑目する。何かを考え込んでいる様だったが、


「どこかで聞いたような⋯⋯昨日呼んだ男娼ボーイがそんな名前だったか? まあいい、それで、十ナン年ぶりに何しに来たんだクソ弟子。そこのカワイ子ちゃんを紹介しにきたのか?」


 俺の自己紹介などさっさと流され、フリデリカさんの視線はカシムさんに向く。

 と言うか男娼て。この世界にもそういうお店がある事は知っているが、そこの店員と同名というのもなんだか微妙な気持ちだ。


「以前お送りした手紙の通りです。このシャーフは『銀の旋風』の優勝を狙っておりまして。そこで師匠に『ラフィール』の伝授をお願いできないかと」

「ほー」

「三年後に間に合わせなければなりませんゆえ、どうか」

「そうか」


 カシムさんが言葉を発するごとに、火のついた葉巻が宙に舞う。それを難なく躱し、カシムさんはにこやかに続ける。なんなんだこれは。


「ほっほ。ほら、シャーフ君からもお願いしなさい」

「いえ、火傷するのはイヤですよ俺」

「師匠はこれでも丸くなったのですよ。以前は短剣が飛んできましたからな、ほっほ」


 カシムさんも良く生きていたものである。

 しかし、俺からも頭を下げるのが筋であるのは間違いない。


「どうか、お願いし――ホワッ!?」


 言い切る前に無言で葉巻を投げられ、俺は首を捻ってそれを躱した。

 危ない。本当に危なかった。"飛んでくる"と身構えていなければ、目を焼かれていた。

 どうしてこうも、東大陸の剣術使い達は人間離れしているのだろう。フリデリカさんの場合は、主に倫理観が。


「避けたか。なるほど、クソ弟子なりに育てはしているんだな」

「ほっほ、まだまだですがな」

「だが帰れ。私は忙しい。最近は町が騒がしいせいで中々眠れなくて苛々しているんだ。全く、老体に響いて仕方がないよ」


 そこで俺は我慢できず、投擲物に身構えながら手を上げた。


「すいません、ひとつ質問が」

「あ?」

「ひっ⋯⋯。あの、フリデリカさんはご自分の事を『老体』と仰いましたが、全然そうは見えないのですが。むしろカシムさんより遥かに若いというか⋯⋯」


 そう、ここまでのやり取りで、彼女がフリデリカ・ランドエッジである事は間違いない。しかし、どう見てもご老体には見えないのだ。


「見た目はそうだろうな。だが、私の年齢は百を超えている。そこから先は数えるのが面倒になった」

「ひゃ⋯⋯百!? ご冗談でしょう!?」

「本当だ殺すぞ。これは怠惰の代償だ。お陰で外側ガワだけはこのまま、中身だけが老いていきやがる」

「語頭に物騒なワードを差し込まないでください⋯⋯ほ、ほう⋯⋯?」

「何故かわかるか? シャーフとやら」


 ジッと睨み付けられるが、何故かなんて分かるはずもあるまい。


「⋯⋯チッ」


 俺が答えあぐねているとフリデリカさんは舌打ちし、指先から魔法の火を灯し、新しい葉巻に火を付けた。よく分からないが、あまり歓迎されていない事だけは分かる。


「して師匠、如何でしょう?」


 カシムさんが話を本筋に戻すと、フリデリカさんは紫煙を吐き出しながらため息をついた。


「ふぅ――そこのカワイ子ちゃんに剣を教える、ね。他ならぬお前の頼みだ、聞いてやりたいのは山々だが、さっき言った通り私はここを動けない。さっき言った通り、町が騒がしく、その対処に追われているんだ」


『町が騒がしい』と言うのは、『アクアリムス』来訪の影響で観光客が増えているからだろう。人口が増えればいざこざも発生するだろうし。俺が通り魔に刺されたように。


「しかし、師匠が対応しなくてはならない程の事でしょうか? 冒険者ギルドに任せておいては?」


 カシムさんも同じ考えだったのか、顎に手を当てながら言う。


「奴らが投げた匙が此方に回って来たんだよ、まったく忌々しい。アクアリムスの公演までになんとかしろと泣きつかれたが、こっちも人手が足りていないと言うのに…………そうだ、良い事を思い付いた」


 フリデリカさんは葉巻を咥えたまま、初めて笑みを見せた。


「ギブアンドテイクだ。剣を教えてやってもいいから、私を手伝えクソ弟子。それからそこのカワイ子ちゃんもだ」

「師匠、それは」


 にこやかに話を聞いていたカシムさんが、初めて難色を示した。


「一応、今は校外学習中です。教師として生徒に仕事を、それもこんな⋯⋯」

「はあ? こんな場所に生徒を連れてきておいて何を今更教師ぶってんだクソジジイ。それに安心しろ、手伝い内容は物騒なモンじゃねえよ。むしろ、私の所に回されて来る様なモンじゃねえ⋯⋯だから難儀してるってのもあるがな」


 フリデリカさんは急に活気を取り戻したように、葉巻を深く吸い込み、宙に紫煙を撒き散らす。甘く、痺れるような香りを吐き出しながら、言った。


「さてどうする? なんなら報酬金を出してやってもいい。私は静かに眠る事が出来ればそれでいいからな」


 俺とカシムさんは顔を見合わせ、そして――。



 ***



 別荘に戻った後、カシムさんに聞いた話だ。


 フリデリカ・ランドエッジは、カシムさんが少年だった時代からあの見た目らしい。不審に思われないよう、人前に出る時は『ミラージュ』で老婆を装っているのだとか。


 彼女が率いる組織は、冒険者ギルド『カルディ』や、他の商人ギルド、魔法師ギルドの何れにも属さない。


「師匠の組織は"なんでも"やります。文字通り、なんでも。正直な所、剣の事が無ければ生徒を連れて行くのは憚られました」


 武力結社『アリマ』。いかなる強大な魔物であろうと、兵の群れだろうと、彼らの前には平伏す。

 北大陸イーリスの『魔法工学マナテック』製武器を大量に保有しており、ウィンガルド国も下手に捜査の手を入れられない。


 ちなみに『魔法工学マナテック』とは、以前俺も制作した魔法付与エンチャントされた武具の事である。リンゼル魔法学園にも科目があるが、イーリスで造られたモノは次元が違うのだとか。

 異なる属性の魔晶を複雑に組み合わせ、飛礫を機関銃の様に連射する筒や、高熱の光刃をどこまでも伸ばせる剣など⋯⋯SFの領域である。

 旅の途中、酒を飲んだウイングから聞いた話なので、真偽の程は定かではないが。


 閑話休題。

 そんな最強の武力集団に寄せられた依頼が、剣を教えることを報酬に、俺とカシムさんに押し付けられた訳だが、その内容が――。


「⋯⋯『歌う幽霊を探せ』って」

「こと、対人や魔物において最強を誇る師匠、いやアリマでも、目に見えないものには手の出し様もないみたいですな、ほっほ」

「笑い事じゃあないですよ」


 フリデリカさんから押し付けられた依頼は、こうだ。


 一週間ほど前から、フェズの町のそこかしこで"歌"が聴こえる。聴いた者の意識は朦朧とし、昏倒したり、ここ数時間の記憶を失う者などが続出している。

 被害に遭った誰もが一様に『美しく悲しい歌を聞いた』と証言していると言う。

 魔法師ギルドの捜査でも、闇魔法の痕跡は発見されず、巷では『海で死んだ女の亡霊が引き込もうとしているのだ』と囁かれているのだとか。


 冒険者ギルドも魔法師ギルドも方々手を尽くしたが梨の礫。

 このままでは一週間後の『アクアリムス』の公演にも悪影響が出てしまう。一大興業に泥を塗れば、この土地を治める貴族にも申しわけが立たない。

 フェズの町長から泣き付かれた『アリマ』も捜査に当たったが、カシムさんの言う通り、雲を掴む様な話であり、幽霊の正体を見るに至っていない様だった。


 そこで現れたのが俺とカシムさん。

 初対面の俺はともかく、カシムさんはフリデリカさんからかなり信頼されている様なので、これ幸いと幽霊捜査に駆り出される羽目になってしまった。


「まあ、あまり真剣に取り組む事もありますまい。師匠も『クソ弟子に押し付けて万が一解決したらラッキー』くらいにしか思っておりませんでな」

「そんなんで良いんですか⋯⋯?」

「ええ。むしろ未解決になる事で、師匠の顔に泥が塗られてザマアミロですな、ほっほ!」


 今日一番の笑顔を見せながら、カシムさんはそう言う。この師弟にどんな確執があるかはさておき、それではフェズの町に来た意味がない。


 それに、俺は『歌う幽霊』に心当たりがあった。昼頃に、雨の中で聞こえてきた鎮魂歌――あれがそうだったのではないか。

 あの通り魔も尋常な様子では無かったし、もしかしたら幽霊の"歌"で正気を失っていたのではないか。だとしても刺された事に納得はいかないが。


「俺、探してみます」

「ほう。しかし、師匠の悪癖に付き合う事もありませんよ。また日を改めて伺えば⋯⋯」

「大丈夫です。歌の出所を探れば良いんですよね? なら、耳が良い奴に心当たりがあります」

「ふむ⋯⋯。あまり危ない事はさせたくはありませんが⋯⋯では」


 こうして、『日の出ている間しか出歩かない事』を条件に、幽霊捜査が始まった。

 まずは、耳の良い奴を上手く乗せる所から始めなければ。

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